4. 安全になった順に、一人ずつ
月に一度のお茶会に、官服がひとつ交じっている。
例の「出席の許可の申請」に、アガーテ様はこう返書をしたためたそうだ。曰く――許可します。ただし焼き菓子を残すことは許可いたしません。
かくして花模様の茶器の輪の中、背筋を伸ばした監察官は、置物のように座っている。夏の入り口の風が庭を渡って、卓布の端と、官服の袖口を同じだけ揺らしていく。オッティリエ様がタルトの皿を差し出すと、監察官は懐から筆を出しかけた。
「受領の署名は、いりませんのよ」
「……失礼。職務の癖で」
庭に小さな笑いが起きて、官服の耳が少し赤くなる。よろしい、置物ではないらしい。
一口食べて、彼は生真面目に言う。
「所見を申し上げると、甘い。……いえ、美味い、の意です」
「議事録に書いておきますわ」
茶が一巡りしたところで、監察官は本題を切り出した。
「単独の証言は『破談の恨み』で片づけられます。三つ並んでも『口裏合わせ』と返される。ですが、同じ仲人・同じ言い回し・同じ日程の型が七つ並べば――偶然ではなく、設計です。皆さんの証言を、いただきたい」
庭が、静かになる。木漏れ日だけが、茶卓の上で所在なさげに揺れていた。
最初に口を開いたのはヴェレーナ様である。
「わたくしの親は、今も『何もなかった』の側ですの。蒸し返せば、住み込み先を失いますわ。……いつか私塾を、という夢も」
「わたくしは工房を開き直したいの」コルドゥラ様の帽子の羽根が揺れる。「看板を出す前に名前が新聞に載ったら、今度こそ客足は戻りませんわ」
「……妹の家の、居候ですから」フリーデ様は短い。
「店を開く前に悪評が再燃したら、おしまいですわ」
「弟の士官の推薦に、障りますの」
オッティリエ様とヨハンナ様が続き、最後にアガーテ様が頬に手を当てた。
「わたくしは構いませんのよ。けれど、一人で立てば『十二年物の恨み言』で終わるのでしょう?」
「……はい」監察官は正直だった。「単独では、七年前と同じです」
証言は要る。けれど誰も、今は立てない。立てば、それぞれの暮らしが烙印の下敷きになる。
私は膝の上で、指を組んだ。
六つの「立てない理由」は、どれも聞き覚えのある形をしている。一か月前、うちの食卓に出たのと同じ形だ。妹の縁談。親の沈黙。なかったことにする。――あのとき私が飲んだ小石を、皆さまは二年、六年、十二年、飲み続けてきたのだ。
さっきまで菓子の批評をしていた声が、ひとつずつ、飲む側の声に戻っていく。それを聞くのは、正直、胸に応えた。この庭でいちばん明るい人たちが、この庭の外では、まだ全員、あの食卓に座っている。
問題は覚悟ではない。順番なのだ。
妹の縁談が先で、私の声は後。父はそう並べただけで、間違ってはいなかった。なら――並べ直せばいい。守るものを先に固めて、声を後に出す。それを一人ずつ、七回。
「あら。でしたら」と私は言った。「証言するかどうかで悩むのは、おしまいにしませんこと? いつ証言するか――順番のお話に、しましょうよ」
「順番、とは?」
「足場を先に作りますの。塾を開いて、工房を開いて、店を開いて。烙印の効かない身の上を、一人ずつ拵えて――安全になった順に、一人ずつ差し上げますわ」
庭が、もう一度静かになった。今度の静けさは、さっきと温度が違う。
「……及第、ですわね」ヴェレーナ様が先生の顔で言い、コルドゥラ様の帽子の羽根が愉快そうに揺れる。フリーデ様は黙って頷き、ヨハンナ様は目を伏せた。
「悪くない策ですこと。……二年前のわたくしに、聞かせたかったですわ」
監察官は、しばらく黙った。手帳を開き、また閉じ、それから妙に改まって言う。
「……七年で、初めて聞く種類の作戦です」
「お褒めにあずかりまして?」
「所見です」
それから彼は、手帳を卓に伏せて付け加えた。この聴き取りは表に出さない。皆さんの足場が調うまで、自分の手控えに留める。公の証言は――安全になった順に、と。
かくして、表に出さない聴き取りが始まった。順は年次の通り、アガーテ様から。場所は屋敷の書斎で、一人ずつ、丁寧に。
私は、と訊けば、答えは決まっていた。
「あなたは最後です。順番ですので」
「ええ、結構ですわ」
結構ではあるのだが、待つ身になってみると、書斎の扉というものは厚い。
扉が開いて閉まるたび、私は数を数えた。一人目のアガーテ様は長い。十二年分だから当然である。二人目、三人目。庭の焼き菓子は冷め、茶は三度取り替えられた。
待つあいだの庭は、静かなものだ。扉の厚みの向こうで、声はただの低いさざめきになる。誰かの十年が、あの厚みの向こうで紙になっている――そう思うと、冷めた茶も粗末には飲めない。膝の上の手袋を、意味もなく畳み直しては、広げる。
数える癖は、昔からある。聞いた言葉に日付の札を付けるのと同じで、待たされた順番には番号の札が付く。
……別に、構いませんけれど。七番目には、慣れておりますの。
慣れているというのと、平気というのが別物であることも、この頭はちゃんと覚えているけれど。
芝生への影がすっかり伸びるころ、ようやく七つ目の番が来た。
書斎に入ると、監察官は立ち上がって、椅子を引く。
「お待たせしました。……予定より、長く」
「六人分ですもの。妥当な長さですわ」
妥当である。妥当なのだが、窓の外はもう茜色で、待った時間まで日付の札付きで棚に仕舞われてしまうのが、この頭の困ったところだ。
私の分の聴き取りは、一年ぶんである。日付と、言葉と、金貨の枚数。話すそばから、手帳へきちんと落ちていく。飲み込んできたものが公式の紙に変わっていくのは、妙な気分だった――表には、まだ出ない紙だとしても。ペン先の音は規則正しく、時折、確かめるように上がる目には、七年ぶんの根気の色がある。この人は七年、書くことのない手帳を、ひとりで持ち歩いてきたのだ。
散会の間際、ヨハンナ様が新しい紙を茶卓に置く。
「網に、次が掛かりましたわ。分家の従弟――ティルマン様とやらにも、同じ仲人がついたそうですの」
「ご本家がしくじれば、分家で稼ぐ。標的は尽きませんのね」
「家業ですもの」
アガーテ様の声だけが、少し低かった。夕暮れの庭で、その横顔は、まだ十二年前の温度にいる。




