第43話:宮本玲奈
夜。
会議が終わっても、まだ心が落ち着かない。
結局私から誘って、亜紀さんと二人で神田のバーに入った。照明を落とした店内で、氷がグラスの中で静かに鳴った。
最初に口を開いたのは亜紀さんだった。
「……あっという間にAIデータセンタープロジェクトの中軸的な存在に直也くんがハマっていったね」
わざとらしくない、誇らしげな声。
胸の奥で小さな棘が動いた。
「でもね」
亜紀さんは赤ワインを軽く回し、グラス越しに微笑んだ。
「私は併走しているから分かるけど、あれは全部必然。むしろ直也くんだから出来たことよ。外部の布石を社内コンセンサスに変えるなんて芸当、普通はなかなか出来ないし、実際にそれをやってみせた」
――分かってる。
頭では理解してる。
でも、その言葉の一つひとつが妙に癇に障った。
結局、あの会議が上手く進んだのも、亜紀さんが資源セクターを裏でほぐしてくれたから。女を武器にして。私には出来ないやり方で。
グラスの水を一口飲んで、心を整える。
「……ところで、カルフォルニアから例のスタートアップのCEOが来日する件、知ってますよね」
「DeepFuture AI、だっけ?」
「ええ。これまで直也が窓口になってきたから、どうしても“彼に会いたい”って言われてる。でも、今の直也に時間を作らせるのは正直……」
言葉が途切れる。
本音を言えば、これ以上負担をかけたくない。
けれど、外資スタートアップのトップを軽くあしらうわけにもいかない。
亜紀さんはため息をついた。
「そんな時間、直也くんにあるわけないじゃない。むしろ他の全部の案件をITセクターの他のメンバーで肩代わりするくらいでないと、完全にパンクするわよ。私だったら絶対しない」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
――そんな事は分かっている。でも……。
五井物産みたいな大企業でも、最後は属人的に仕事が動く。出来る人に、出来る分だけ仕事が更に集まってしまう。逃れようのない構造。
「直也を少しでも助けたいんですけれどね」
小さくこぼすように言うと、亜紀さんはふっと目を細めた。
「私はもうそうしている。そして結果も出した。これからも全力で支えるわ」
――やっぱり、この人は強い。
女としても、ビジネスパーソンとしても。
でも、私にだって私のやり方があるはず。
グラスの氷が解けて、静かな音を立てた。
その音にかき消されるくらいの声で、私は自分に言い聞かせた。
「……必ず支える。私のやり方で」
※※※
翌日、私は早めに出社していた。
机の上には、資料の束。海外ニュースの切り抜き、翻訳した技術レポート、そして社内の投資案件進捗表。
――DeepFuture AI。
今、世界的に注目され始めている所謂AIスタートアップだ。
彼らは“Agentic AI”の商用提供をいち早く開始しつつ、独自のオープンソースLLMの開発も引き続き進めている。
ただの研究型で「資本金食いつぶし系」のベンチャーではない。実際にユーザーの現場でAIエージェントを動かし、そのフィードバックを基盤に改良を重ねている。
最近では「より大規模な独自の計算基盤が必要だ」という理由で、各国のクラウド事業者や半導体メーカーと水面下で交渉しているという。
日本でもAIエージェントのニーズが高まっている中で、――“日本市場でのアライアンスパートナー探し”という先方のオーダーがある。
「……ここまで直也が実質的に育ててきた案件」
思わず独り言が漏れる。
そもそも最初にDeepFuture AIを投資先として、他のメジャーVCや国内のCVC等に先駆けて、いち早く見抜き、直接渡米して交渉を進めたのは直也だ。
その慧眼には感服するしかない。
でも今の直也には、グリゴラとの案件、経産省への非公式折衝……背負っているものがあまりにも多すぎる。
だからこそ、ここは私が動かなきゃ。
私はパソコンを開き、来日予定のCEO――イーサン・クラーク氏の経歴を改めて読み込んだ。
スタンフォード大学出身、かつてはビッグテックの研究チームに在籍していて、そのCOOが主催する選抜メンバーにも抜擢されていた。
その後独立し、オープンソース・コミュニティを巻き込みながら起業。
たった数年で、欧米のテックカンファレンスで名前を聞かない日はないほどになっている。
「……簡単な相手じゃないわね」
私は来日のスケジュール表を確認し、まずは到着翌日の社内打ち合わせの設定を調整する。
直也の名前を出さずとも、きちんと五井物産として信頼できる窓口である事を見せられるように。
正直、不安はある。
亜紀さんのように華やかに場を仕切るのは、私の得意分野じゃない。
けれど――実務で裏付けを積み重ねることなら出来る。
日本市場での提携メリットを整理し、過去の事例や数字を用意しておく。
「Agentic AIの商用化」「オープンソースLLMの強化」――こうした領域に向けた国内の事業者の動向。
まずは堅実に、こうした内容を整理し、フォローする姿勢を示す。
机の端に置いてある写真立てに目が止まった。
新人の頃、研修で直也と一緒に写った集合写真。
あの頃は、まだ、ここまでの存在感を発揮するとは、誰も気づいていなかった。
でも今は違う。
日本を起点として、世界を動かしていく可能性の中心に、今、彼は立っている。
「……だからこそ、直也を守らなきゃ」
呟いて、スケジュール帳に赤ペンを走らせた。
来日初日の歓迎レセプション、二日目の技術ディスカッション、三日目には複数のアライアンス候補との会合をセッティング。
一つひとつの予定を、私が潰れないように設計する。
直也を無理に引っ張り出さなくても、この案件を回せるように。
ディスプレイに浮かぶ文字を見ながら、強く決意する。
――この手で、直也を支えるんだ。




