第44話:スタートアップ・ベンチャー支援(宮本玲奈)
夜。
エコAIデータセンター構想の大会議が終わっても、まだ私の心はどこか落ち着かないままだ。
結局私から誘って、亜紀さんと2人で神田のバーに入った。照明を落とした店内で、氷がグラスの中で静かに鳴った。
最初に口を開いたのは亜紀さんだった。
「……あっという間にエコAIデータセンタープロジェクトの中心的な存在に直也くんがハマっていったでしょ」
明らかに誇らしげな声。
胸の奥で小さな棘が動いた。
「でもね」
亜紀さんはワイングラスを軽く回し、グラス越しに微笑んだ。
「私は直也くんと併走しているから分かるけど、あれは全部必然。
むしろ直也くんだからこそ出来たことよ。
外部の布石を社内コンセンサスに変えるなんて芸当、あの若さで普通はなかなか出来ないのに、実際にそれをやってみせた。
その布石になった件だって、新人の時に彼自身が進めたグリゴラへの投資がベースとなっているのだから。
自分自身が築き上げた信頼の上に、更に大きな構想を進める布石を築くなんて、超一流ビジネスマンの手腕としか言いようがないわ」
――分かってる。
頭では理解してるもん。
でも、その言葉の一つひとつが妙に癇に障った。
結局、あの会議が上手く進んだのも、亜紀さんが資源セクターで現場に影響力がある同期の男性を裏でほぐしてくれたからだ。
女を武器にして。私には出来ない亜紀さんならではの女狐モードで……。
グラスのチェイサーを一口飲んで、心を整える。
「……ところで、カルフォルニアから例のAIスタートアップ・ベンチャーのCEOが来日する件、ご存知ですよね?」
「DeepFuture AIのイーサンCEOだっけ?」
「ええ。これまで直也が窓口になって、最初の五井物産の増資引き受けの時から育ててきたユニコーンです。
そのCEOが、どうしても“直也に会いたい”って言っているんですよ。
でも、今の直也にその時間を作ってもらうのは正直……」
言葉が途切れる。
本音を言えば、これ以上直也に負担をかけたくない。
けれど、もともと直也自身がいち早く見つけ、単身でシリコンバレーに乗り込み、接触して、増資を引き受けて、そこから育ててきた有力スタートアップ・ベンチャー企業のトップを軽くあしらうわけにもいかない。
亜紀さんはため息をついた。
「そんな時間、直也くんにあるわけないじゃない。
むしろ他の全部の案件をITセクターの他のメンバーで肩代わりするくらいでないと、完全にパンクするわよ。
今だって既に寝る時間を削ってエコAIデータセンター構想の実現に向けて検討を進めているのに。
……私だったら絶対にしない」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
――そんな事は分かっている。でも……。
五井物産みたいな大企業でも、最後はどうしても属人的に仕事が動く。
出来る人に、出来る分だけ仕事が更に集まってしまう。
もうこれは、逃れようのない構造だ。
「直也を、少しでも助けたいんですけれどね……」
小さくこぼすように言うと、亜紀さんはふっと目を細めた。
「私はもうそうしている。
そして結果も出した。
これからも全力で直也くんを支えるわ。
ビジネスはもちろん、プライベートでもね」
――やっぱり、この人は強い。
女としても、ビジネスパーソンとしても。
でも、私にだって私のやり方があるはずだ。
グラスの氷が解けて、静かな音を立てた。
その音にかき消されるくらいの声で、私は自分に言い聞かせた。
「……必ず支える。私のやり方で」
※※※
翌日、私は早めに出社していた。
机の上には、資料の束。
海外ニュースの切り抜き、翻訳した技術レポート、そして社内の投資案件進捗表。
――DeepFuture AI。
今、世界的に注目され始めている所謂AIスタートアップ・ベンチャーの雄だ。
彼らは自律駆動型のAIエージェント、所謂 “Agentic AI” の商用提供をいち早く開始しつつ、独自のオープンソースLLMの開発も精力的に進めている。
ただの研究投資型で「資本金食いつぶし系」のベンチャーではない。
実際にクライアント企業の現場でAIエージェントを動かし、そのフィードバックを基盤に改良を重ねている。
特にAI自体が開発における重要な役割を果たす「AI駆動開発」の実践プレイヤーとして、AI界隈以外にも急速にその知名度を高めている存在だ。
五井物産は直也がいち早く目を付け、イーサンCEOと意気投合して、初期シードラウンドから第三者割当増資を引き受けてきた。
AI企業はどうしても先行投資が必要とする。それも巨額の投資が必要となる。
膨大な計算資源、更にそれを支える電源確保は今や世界中のAI企業にとっての大きな課題となっている。
DeepFuture AIもその例外ではない。
ただ、AI領域で急速にその存在感を高めているので、成長に沿って巨額の増資ラウンドを順調にこなしている。
五井物産では常に大きなウエイトを直也が引き受けてきて、イーサンCEOからの信頼は絶大だ。
そのイーサンCEOが、最近「より大規模な独自の計算基盤が必要だ」という理由で、各国のデータセンター事業者や半導体メーカーと水面下で交渉しているという。
日本でもAIエージェントのニーズが高まっている中で、――“日本市場でのアライアンスパートナー探し” という先方のオーダーが来ているのだ。
「……ここまで直也が実質的に育ててきたAIユニコーン」
思わず独り言が漏れる。
最初にDeepFuture AIを投資先として、他のメジャーVCや国内のCVC等に先駆けて、いち早く見抜き、直接渡米して交渉を進めたのは直也だが、その慧眼には感服するしかない。
――新人時代に、もうそこまで進めているなんて……。
でも今の直也には、グリゴラとの案件、経産省への非公式折衝……背負っているものがあまりにも大きすぎるし多すぎる。
だからこそ、ここは私が動かなきゃ……。
私はノートPCを開き、来日予定のCEO――イーサン・クラーク氏の経歴を改めて読み込んだ。
スタンフォード大学出身、かつてはビッグテックGuguleの生成AI研究チームに在籍していて、そのCOOが主催する特別選抜メンバーにも若くして抜擢されていた。
その後独立し、オープンソース・コミュニティを巻き込みながらDeepFuture AIを起業。
それからたった数年で、欧米のテックカンファレンスで名前を聞かない日はないほどになっている。
「……簡単な相手じゃないわね」
私は来日のスケジュール表を確認し、まずは到着翌日の社内打ち合わせの設定を調整する。
直也の名前を出さずとも、きちんと五井物産として信頼できる窓口がある事を見せられるように。
正直、不安はある。
亜紀さんのように華やかに場を仕切るのは、私の得意分野じゃない。
けれど――実務で信頼を積み重ねることなら出来る。
日本市場での提携メリットを整理し、過去の事例や数字を用意しておく。
「Agentic AIの大規模商用展開」「今後増大すると思われる企業向けローカルLLM事業の強化」――こうしたテーマに合致する国内の事業者の動向分析。
まずは地道に、こうした内容を整理し、フォローする姿勢を示す。
机の端に置いてある写真立てに目が止まった。
新人の頃、研修で直也と一緒に写った集合写真。
あの頃は、まだ、ここまでの存在感を発揮するとは、同期の誰も気づいていなかった。
――でも私は分かっていたよ。
もうあの丹沢での研修の時、直也が私の挫いた足をテーピングで助けてくれた時から。
私だけが分かっているつもりだったのにな……。
でも、もう今は違う。
日本を起点として、世界を動かしていく大きな可能性のシナリオ。
その中心に、今、彼は立っているのだ。
「……だからこそ、その直也を守らなきゃ」
呟いて、スケジュール帳に赤ペンを走らせた。
来日初日の歓迎レセプション、二日目の技術ディスカッション、三日目には複数のアライアンス候補との会合をセッティング。
一つひとつの予定を、私が問題ないように設計する。
直也を無理に引っ張り出さなくても、この案件が機能するように。
直也がここまで大切に育ててきたスタートアップ・ベンチャーを更に飛躍させるように。
ディスプレイに浮かぶ文字を見ながら、強く決意する。
――私がこの手で、直也を支えるんだ。




