最終章 どこにいても、私
雑誌が発売された。
朝からスマートフォンが震えている。
『表紙おめでとう!』
『この子誰?』
『Rain Crownの子なんだ』
『一乃瀬紡、気になる』
知らない人たちが、自分の名前を呼んでいる。
「……変なの」
嬉しい。
でも、まだ少し現実味がなかった。
◇
「表紙様のお通りでーす!」
レッスンルームに入った瞬間、莉緒が叫んだ。
「やめろ」
「道を開けろー!」
「恥ずかしいから!」
「サインください!」
「一枚五千円ね」
「高っ!」
笑いが起きる。
いつもの空気。
「紡」
莉歌が雑誌を持ってきた。
「莉歌」
「これ、好き」
開かれたページ。
笑っていない自分。
撮影の日、自分でも驚いた一枚だった。
「私じゃないみたいじゃない?」
「そう?」
莉歌が首を傾げる。
「普通に紡だけど」
「え?」
「ふざけてないとき、こんな顔してるよ」
紡は写真を見る。
「……みんな知ってたの?」
「たぶん」
「先に教えてよ」
「聞かれてないし」
「冷たい世界だ」
莉歌が笑った。
紡も笑う。
もう一度、写真を見る。
そこにいる自分が、少しだけ知らない人ではなくなっていた。
◇
休憩中。
紡は一人、廊下に出た。
スマートフォンを開く。
初選抜。
カップリングセンター。
そして、表紙。
画面の中に、いろんな自分がいる。
「……何なんだろ、私」
「紡でしょ」
顔を上げる。
キャプテンだった。
「盗み聞き?」
「聞こえた」
楓花が隣に座る。
紡は画面を見たまま言った。
「選抜に入ったと思ったら、次は落ちて」
「うん」
「でもセンターで」
「うん」
「今度は一人で表紙」
「うん」
紡はスマートフォンを伏せた。
「評価されてるのか、されてないのか、よく分かんない」
楓花は少し考えて、
「紡ってさ」
「何?」
「落とし物、すぐ見つけるよね」
「急だね」
「手袋とか、傘とか」
「まあ」
「人のも」
紡が眉を寄せる。
「誰かが元気なくしてたら、変なこと言うし」
「変なことは余計」
「体調悪かったら、ご飯作るし」
「余っただけ」
「まだ言う?」
楓花が笑う。
「誰かが落としたものには、すぐ気づくのにね」
少しだけ間があった。
「自分のは、全然気づかない」
紡は黙った。
「……私、何か落とした?」
「知らない」
「知らないんかい」
「そこまで私に聞く?」
「いい話っぽかったのに」
二人で笑う。
楓花は立ち上がった。
「でもさ」
振り返る。
「選抜の紡も、センターの紡も、表紙の紡も」
「うん」
「全部、紡じゃない?」
それだけ言って、戻っていった。
「……いいこと言って逃げた」
紡は小さく呟いた。
そして、もう一度スマートフォンを見る。
いろんな自分。
どれが本物なのか。
さっきまで考えていた。
でも――
全部、本物なのかもしれない。
そう思ったところで、画面を閉じた。
まだ、答えにするには早い気がした。
◇
数週間後。
また、選抜発表の日が来た。
16人が揃う。
静かだった。
莉緒は落ち着かない。
莉歌は黙っている。
楓花は前を見ている。
真姫ちゃんも静かに待っている。
紡は15人を見回した。
「ねえ」
視線が集まる。
「この空気で今くるみ割ったら、怒られる?」
一瞬。
「また!?」
莉緒が叫んだ。
「前回割れなかったから」
「持ってきてないでしょ!」
「心にはある」
「何それ!」
笑いが起きた。
誰かが息を吐く。
誰かの肩から力が抜ける。
紡も笑った。
以前と同じ光景。
でも。
あの日とは、少しだけ違った。
あの日は、自分も怖かったから言った。
今日は――
それだけじゃない。
紡は、笑っている15人を見た。
それで十分だった。
◇
スタッフが入ってくる。
空気が変わる。
発表が始まった。
一人。
また一人。
名前が呼ばれていく。
紡は前を向いていた。
入りたい。
名前を呼ばれたい。
またセンターもやりたい。
表紙だって、もう一度やりたい。
欲しいものは、前より増えてしまった。
なのに。
不思議と、前より少しだけ息がしやすかった。
スタッフが、次の名前を読み上げる。
紡は静かに聞いた。
◇
発表のあと。
紡は一人、駅へ向かった。
結果について、誰とも話さなかった。
嬉しいのか。
悔しいのか。
自分でもまだ、うまく言葉にできなかった。
信号が赤になる。
立ち止まる。
ふと、ガードレールの上に何かが見えた。
「あ」
小さな、黄色いスニーカー。
片方だけ。
「……どうやって落としたの、これ」
思わず笑った。
手に取る。
驚くほど軽い。
抱っこされている途中で脱げたのか。
ベビーカーから落ちたのか。
今ごろ、誰かが探しているのか。
知らない誰かのことなら、今日もいくらでも想像できた。
「いっぱい歩く予定だっただろうに」
紡はしばらく、小さな靴を見つめた。
「……落としたか」
ぽつりと呟く。
なぜか、楓花の言葉が浮かんだ。
――自分のは、全然気づかない。
信号が青になる。
人が歩き出す。
紡だけが、少し遅れて歩き出した。
◇
近くの交番へ靴を届ける。
外へ出ると、スマートフォンが震えた。
莉緒からだった。
『紡どこー?』
続けて、
『みんな待ってる』
紡は画面を見て、
少し笑った。
『落とし物』
送信。
すぐに既読がつく。
『また!?』
「またです」
誰もいないのに答えた。
もう一度、スマートフォンが震える。
『早くー!』
『はいはい』
ポケットにしまう。
みんなのいる方へ歩き出した。
数歩。
また数歩。
その途中。
ふと、空になった自分の手を見る。
選ばれた日。
選ばれなかった日。
真ん中に立った日。
一人でカメラを見た日。
たぶん。
いろんなものを拾って、
いろんなものを落として、
ここまで来た。
でも。
何を落としたのか。
まだ全部は分からない。
紡は手をポケットに入れた。
「……まあ、いっか」
歩く速度が、少しだけ速くなる。
向こうから、莉緒たちの声が聞こえた気がした。
紡は顔を上げる。
そして、走り出した。
まだ、答えは出ていない。
ただ――
拾っていないものが、ひとつだけある気がした。
ーー完




