2.第二話 無意識、でも本当のコトだった
皆さん、大切な人に本当に無意識で悪いことをしちゃった時、とても悔しいというか、嫌〜な気持ちになりますよね。でも、そのまんま放っておいたら余計に後味が悪くなって、まあそれもそれで素晴らしい苦味ですが、でもそんなものできれば味わいたくないですよね。では、どうしますか? これは、そういうお話です。と、言いつつも結局軽いノリです。そんなに沈みません(断言)。でも、そういう状況に皆さんが陥った時の答えを出す手助けになれたら嬉しいです。とはいえもちろんそれは稀な話です。皆さんが甘酸っぱい気分に少しでもなれたなら、もう十分です!
「おはよ〜」
俺は結衣と同じ路線に乗っているので、たまに電車でばったり会うことがあった。そういう時いつもしているように、俺は声をかけた。
「……」
彼女は無言で別の車両に移って行った。俺は追いかけられなかった。ここが電車でそこそこ混んでいた、というのもあったが、それ以上に彼女の形相が……ものすごかった。尋常ではない怒りが、ひしひしと伝わってきた。俺はそれにショックを受けてしばらく固まり、落ち着いてきて改めて考えた。
「……俺は一体、何をしたというんだ?」
全くもって、皆目わからない。一瞬彼女と一緒に見られると思った車窓からの景色が、ただ通り過ぎていった。
筋肉痛というものは、最初はそこまででもないが、しばらく経って急激にものすごくひどくなってくるものだ。そしてそれは、人間関係(に限る話でもないかもしれないが)の苦しみにも言えることだった。俺は帰りの電車で、運よく座れた座席にへたり込んで両手で頭を覆い、ひたすらに灰色の床を見た。昨日まで普通に漫画の話とかしていたのとは打って変わって、学校でも結衣はただ冷たかった。向こうから話してくるなんておろか、俺が話しかけても––なんでそんな怒ってるのか教えてくれよという、もはやそれは一種の懇願だったが––完全に無視された。俺は取り返しのつかないことをしてしまったというショックよりも、それがわからない自分が悔しかった。
翌日、俺は彼女の友人に聞いてみた。そして、大体のことは理解した。
「……つまりね、彼女のただの嫉妬心なの。わかる? ちょっとあいつ、そういうとこあるからさ。」
俺は帰って、LINEを見た。そんなことで……と思う気持ちは、どうしても消えなかった。だって、別に女子の友人がいたっておかしくはねぇだろ? 世の中の恋人のいる男子全員が他の女子全員と関係絶ってるわけないじゃねぇか? と、ひたすら自分自身に問いかけた。ひとしきり経った後、つぶやいた。
「相手は、俺じゃねぇな。」
それは勇気であり、愛という言葉に近づく第一歩に見えた。カーテン越しに紅く輝く夕日。
「聞いてくれ。」
……うるさいわね。
彼女があの日以来発した、最初の言葉だった。
「どこか行ってくれる? ここ、あたしのお気に入りの場所なの。」
「俺が、悪かった。」
ごめん、本当にごめんと、頭を下げた。
「他の女子と、仲良くしてて悪かった。君が嫌だったなら今すぐにでも関係を断つ。結衣の気持ちを、考えてなかった。ごめんな、本当に。」
……君を一瞬でも、憎んでしまったことに。
しかし俺は、彼女が次に発した言葉に面食らった。
「別に仲良くするのはいいわよ。そういう人とならいくらでも付き合うわ。でも、陰で人の悪口を言うような人となんて誰が付き合うの?」
……は?
そんな覚えはどこにも、この頭の隅から隅までどうほじくっても、あるわけがない。んなこと、この俺がやるわけがないし、やっちゃいない。
「何よ、は? って。ふざけんじゃないわよ! あたしそういう人一番嫌いなの!」
そのまま立ち去る彼女は、真夏の太陽に照らされているにもかかわらず俺だけに向けられた嫌悪で冷え切っていた。彼女が消え、倒れてもいいはずのレベルのショックを受けた俺は不思議に冷静になっていた。
「悪口、か。」
封印しかけた友人のLINEを開き、メッセージを送った。
「なあ、結衣、俺が何か言ったから怒ったのかな……」
しばらく経って、返ってきた。
「えっとね〜、そう、あまりに怒り狂ってて私も詳しくは知らないんだけど、確か『誰が『浮気性』よ、ふざけんじゃないわよ』とか言ってたわ。」
画面を見たまま、固まった。脳裏に蘇るあの記憶。確かに俺は言っていた。冗談。それは本当に、冗談だったし、別にそういう意味じゃなかった。あれはある漫画の話を友達としていた時、「ほらあいつ、えっと名前が出てこないな〜、ほら、ちょっと結衣みたいな感じで、でも浮気性な、えっと〜」みたいなことを言った覚えは、確かにあった。そういう意味じゃないんだ、と自分に言い聞かせた。実際、あの時「結衣=浮気性」なんて微塵も思っていなかったんだ。本当は、わかっていた。嫌われてしまった以上、それにはなんの意味もなかった。そうとられてしまった以上もう言い逃れはできなかった。
翌日、俺は学校を休んだ。朝目が覚めたら、体が熱っぽかった。測ると、40度を超えていた。しかし、その熱に浮かされた重い頭でも、しっかりと「お前は最低なことをした」という意識が俺を追いかけた。いっそ眠って何も考えたくなかったが、不思議と眠れなかった。
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「結衣。」
イチョウの木の下、ベンチで彼女は本を読んでいた。まだ熱っぽくて少しフラフラしたが、インフルとか色々な風邪を調べて全部陰性だった時点で、原因は全て、そう、今度こそ全てわかっていた。
「話しかけないで。」
「そんなつもりじゃなかった。」
んな戯言は聞きたくないの。
本をパタリと閉じ、静かに立ち上がった彼女は後ろ姿だけでも殺気立っているのが伝わってきた。ただでさえふらついている俺は倒れそうになったが、気を振り絞った。謝らないと、いけない。
「陰口を言って、ごめん。『浮気性』だなんて、本当に、ごめん。いくら謝っても言ってしまったんだから意味がないのはわかる。でも、申し訳ないから、だから……本当に、ごめん。」
「……」
結衣はかすかに、でも確かに肩を落とし、振り向いた。その顔は、笑っていた。
「いいの、冗談だったんでしょ? ごめんね、私もちょっと怒りすぎた。でも、ちょっと許せなくてさ。」
仲直りしよ?
そう言って彼女は手を差し出してきた。その手を握り俺は、ただありがとう、と言った。彼女はブンブンと、大きく振った。
「痛っ」
ふふふっ、と笑う彼女を見て、安堵した。そして、もう一度自分に釘をさした。お前はとんでもないことをやらかしたんだ、そして、その自覚すらなかったのだ、と。




