1.第一話 相談、そして誤解の話
誰しも少なからず、人とすれ違った経験があると思います。もちろん物理的にではなく、心理的に。この物語は、そういうお話です。でも、すれ違いっぱなしじゃ、嫌ですよね? あなたならどうします? その答えを出す手助けになれたら嬉しいです。もちろん、そんな大それたものになれなくても、皆さんの心がどんな柑橘にも負けないような甘酸っぱさを味わってくださったなら十分です!
「なあ結衣、お前大丈夫か? なんかあった?」
そう訊いた。最近彼女は学校を休みがちで、たまに来ても顔色が悪い。彼女の好きな音楽とか漫画とかの話も、全然弾まない。迷惑かもしれないと、正直悩んだけれど、思い切って訊いた。
「うん? 全然大丈夫だよ?」
校舎の脇に立つイチョウの木の下のベンチで硬く笑う彼女は、明らかに大丈夫じゃなかった。「そんなことねぇだろ?」と、飛びかかって胸ぐらでも掴んで(女子、それも恋人にやるような乱暴なことじゃないけれど)訊きたくなって、やめた。なぜかわからないけれど、とにかくその気がなくなった。
「そうか。」
そうか。そうなんだ。どうなのか、と聞かれてもわからないけれど、自分は聞かないでいいんだ、と知った。というか、きくな、という無言の意思に初めて気がついた。どのみち、次の授業はもうすぐだった。
「無理すんなよ。」
うん、と答える彼女の目は虚ろだった。初めて、物理の席が彼女の隣じゃなかったことに安堵した。帰りは、あえて少し遅めの電車を選んだ。
「お帰り凪〜」
って、めっちゃ顔色悪いじゃない、ちょっと、熱、熱、体温計持ってくるから早くはかんなさい、と騒ぐ母の姿さえも、どこか遠かった。上の空で受け取った体温計は、"36.5度"だった。安堵する母の横を通り過ぎ、勉強机に向かって、突っ伏した。暗いもやのようしか見えなかったのが、だんだんとその姿を現していた。見たくない。どうしようもなく、嫌な気分だった。「結衣を助けようとした、カッコいい俺」という反吐の出るような人物像が嫌でもチラついた。結衣には相談相手だなんて思われてねぇんだよ、この自意識過剰なバカモンがよ? と自分を嘲った。明後日が期限の宿題も、もはや紙屑にしか見えなかった。
次の日、俺はなんとかいつもの三本後の電車に乗った。頭が重い。彼女の顔を見たくない。でも学校には行かなきゃいけない。習慣でつけているイヤホンから流れる音楽すらも、味気なかった。彼女の乗ってくる駅。身を固める。幸い、俺の車両には乗ってこなかった。でもそれで気が楽になるというわけではなく、自分が好きな人を避けるということ自体に多分俺は耐えられなかった。学校に着くと、彼女は休んでいた。彼女の席の机のニスが、日に当たって輝く。周囲の声が耳に入ってこない。安堵する俺は、どれだけ背けても背後にぴたりとひっついていた。
数日後、あのベンチに座った。彼女のことで頭がいっぱいなのは変わらなかったが、それは色を真逆にしていた。
「ねえ凪、最近元気ないね……大丈夫?」
「……」
彼女は隣に座って、俯く俺の顔をいつものように覗き込んだ。俺はその目を、まともに見られなかった。なんでもないいつもの明るい声が無性に悔しくなって、怒りが込み上げて、でもそれが正当なものじゃないことは百どころか億も知っていたから押し黙るしかなかった。自分の弱さが悔しかった。
「……あたし、なんかしちゃった?」
いや、そうじゃないんだ、と答えた。なおさら彼女の顔から目を背けた。真上のイチョウの枝が風に揺れる。しかし、葉は落ちない。
「なあ、一つだけ聞いてもいいか?」
あら、そんなの、と彼女は笑う。
「あんたが先に答えなさいよ。そしたらあたしも答えるから。」
俺は話した。恥ずかしかったけれど、それを伸ばすのは嫌だったから急いで。
「で、それはなんだったんだ、っていうことなんだ。やっぱり俺に相談するようなことじゃないんなら、それでいいんだ。だから、」
もしいいんなら、を言えなかった。彼女の顔は暗くなっていた。秋の爽やかな空気の中で、その雰囲気は俺の理解できるものではなかった。
「ばか。」
え、と間抜けな声が出た後、何が起きたかよくわからなかった。とてつもなく長い時間が過ぎたように感じた。
「あんた、本っ当にばかね!」
俺に抱きついたまま、彼女はそういった。泣いて...?いた。俺はそんなにとんでもないことを訊いてしまったのかと、ショックより先に驚きが勝ってしまった。
「え、ご、ごめ……」
「おんなじなの……あたしもあんたと! 同じなのよ……」
え、と余計混乱しつつ、どこかでは分かっていた。その意味は、たぶん分かっていた。
「嫌いじゃなかったんだね……別に嫌いになったわけじゃなかったんだね……?」
俺はそのことをほぼ覚えていなかったが、いつか話しかけた時返答が異様に暗かったようで、それを機に俺との会話がどんどん冷えていって(こちらには、あのことが起こる前までは本当になんの意識もなかった)、悩んでいたらしい。
「ごめんな……」
とてもいろいろなことを言いたくて、でも何も言わなくていいことはわかっていた。涼しい風が吹いた。肩を震わす彼女の背中に綺麗なイチョウの葉が一枚、はらりと落ちた。




