表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/39

第8話:高所のカエルと、不自然な甘い『臭(にお)い』

屋根から屋根へと飛び移り、ようやく見つけた新しい『日向』は

先ほどよりも一段高くて見晴らしの良い、三階建ての建物のてっぺんだった。

今度こそ誰にも邪魔されない。


僕は満足げに丸くなり、太陽の熱を背中全体で受け止める体勢に入った。


ズリッ、ズザザッ。


「ひぃぃ……っ、た、高い……! 落ちる、落ちますぅ……っ!」


……背後から聞こえてきた情けない声に

僕は溜息をつきながら薄目を開けた。


振り返ると、どうやら隣の建物の窓枠を伝って這い上がってきたらしいミアが

瓦屋根に蛙のようにベチャッと四つん這いで張り付き

ガタガタと激しく震えていた。


「いや……怖いなら下で待っていろ」

「そ、そういうわけには……っ!

伝説の戦士様が、このような恐ろしい高所で

過酷な見張りをなさっているのに、側付きの私が

安全な下でぬくぬくしているわけにはいきません……っ!

って、ひゃあっ!? 瓦が滑り――ッ!?」


少し体が下に滑っただけで

ミアは涙目になりながら必死に瓦にしがみついている。

相変わらず勝手な勘違いで、自ら地獄を見にきているのだから

本当に救いようのないポンコツだ。


「バースト様ぁ……どうか、どうか少しだけ内側に……っ」

「勝手にしろ」


呆れてもう一度目を閉じようとした時、僕の平穏は

またしても無惨に打ち砕かれることになった。


「……なんなんだ、この『におい』は」


思わず鼻にシワを寄せ、手で鼻先を覆う。

風に乗って下から流れてきたのは

人間の街特有の生ゴミや汚泥の様な物ではなかった。


鼻の粘膜を直接刺してくるような、強烈で

吐き気がするほど不自然に甘い花のにおいだ。


僕たちの鼻は、人間の何万倍も匂いに敏感だ。

自然界には絶対に存在しない、この無駄に濃縮された

人工的な甘いにおいは、ただの悪臭よりも遥かにタチが悪く

強烈なストレスを引き起こす。


……苛立ち紛れに下を見下ろすと

大通りを歩いてくる奇妙な集団の姿があった。

先ほど路地裏で喚いていた薄汚い連中とは違い

全員が同じような黒い服で身を包み

腰には立派な『代用の爪』を下げている。


彼らが歩くたびに、その不快な甘ったるいにおいが

周囲に撒き散らされていた。

どうやら、彼ら自身があのにおいの発生源らしい。


「バ、バースト様……っ」


……そんな中、隣から発せられた先ほどとは質の違うひどく掠れた声。

見ると、高所の恐怖で瓦にへばりついていたはずのミアが

今はさらに顔面を蒼白にし、別の意味でガタガタと震えていた。


彼女の視線は、下を歩く黒服の集団……と言うより

正確には、彼らが引いている

『大きな木の箱を乗せた荷車』に釘付けになっていた。


「どうした。お前もあの鼻が腐りそうなにおいにやられたか?」

「ち、違います……っ! あれは、領主軍の『捕獲部隊』……!

なぜ、こんな辺境の街にまで……っ! 」


ホカク? 領主?

人間の社会の仕組みなど僕には全くわからない。

だが、彼女の異常な怯えようと、その体から漂う『陽だまりの匂い』が

極度の恐怖に依る冷や汗で薄れていくのを感じ、僕は少しだけ不機嫌になった。


その時だった。


「……ぅ……ぅ……」


微かな……本当に微かな音が、僕の耳を打った。

それは、黒服たちが引いている分厚い布を被せられた木の箱。

その中から聞こえてきた音だ。


人間の耳には絶対に聞こえないだろう

街の喧騒と、車輪の軋む音にかき消されてしまう程度の、極微弱な震え。

だが、その波長は、前世で冷たい雨の日に路地裏で聞いた

凍え死にそうになっていた子猫の鳴き声と全く同じだった。


そして、吐き気のする人工的な甘いにおいの奥底から

僕の鼻は確かに嗅ぎ取った。


……泥と血にまみれた、野生の獣

僕の同族に近い『生き物』の匂いを。


「チッ……!」


瞬間、下通りで木の箱が大きく揺れた……中身が暴れたのだ。

苛立った黒服の一人が、持っていた長い棒で箱を思い切り叩きつけた。

鈍い音と、抑え込まれたような悲鳴が聞こえた。


「ひっ!? ……ぅぅ……」


……この瞬間

僕の脳裏に、フラッシュバックした光景

忌々しい僕の最期……ブーツと裏通り、黒い道……雨の感触。


同時に、腹の底から黒い感情がドロリと湧き上がってくる。


……人間は、いつもそうだ。


自分より弱いものを箱に閉じ込め、痛めつけ、嘲笑う――


「バースト様……? あ、あの、どこへ……っ!?」


――震えるミアの制止の声を背に受けながら

僕はゆっくりと屋根の端へ歩み寄った。


これが人間同士の揉め事なら、放っておくつもりだった。

世界を救う義理なんて微塵もない、人間など救わない……だが

あんな不快な臭「にお」いを僕の寝床に撒き散らし

僕と同じような生き物を箱に閉じ込めて痛めつけるのは

完全に『縄張り荒らし』だ。


「少し……掃除してくる」


低く呟き、僕はその不快なにおいの中心へ向かい

音もなく屋根を蹴った――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ