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第7話:高所の陽だまりと、遅すぎる羽虫

人間の街というのは、どこに行っても騒がしくやかましい。

しかし、大抵の場合……上に行けば行くほど、その騒音は遠ざかるものだ。


そんな前世から続く経験則に従い、僕は

裏路地から一番日当たりが良さそうな建物の屋根を見上げた。


……軽く膝を曲げ、跳躍する。

やはり、この異常な身体能力にはまだ慣れない。

本来なら壁を何度か蹴って登るような高さだったが

今の僕の体はたった一度の跳躍で、いとも簡単に

二階建ての屋根の上へと到達してしまった。


音もなく瓦の上に降り立ち、感じた『素晴らしさ』

太陽の熱をたっぷりと吸い込んだ瓦は、適度な暖かさを保っている。

しかも人間特有の嫌な臭いも、ここまでは届かない。


「ふぅ……」


僕は満足げに息を吐き、一番暖かそうな場所を見つけて丸くなった。


「おおお……おっ!? 音もなくそのような高所へっ!?」


下から、ミアの感嘆する声が聞こえてきた。

見下ろすと彼女は路地の隅に立ち両手を胸の前で合わせて僕を見上げている。


「街全体を見渡せる位置……やはりバースト様は

この街に潜む邪悪な気配をいち早く察知するために

自ら見張りに立ってくださっているのですね!」


……一方で、相変わらず勝手な解釈をしているが

彼女が下にいてくれるなら好都合だ。

誰かが屋根に登ってこようとしても、彼女が足音で気づいてくれるだろう。

僕は安心し、目を閉じて意識を微睡みの底へと沈めようとした。

だが……その平穏は、五分と持たなかった。


「おいおい、こんな裏路地で可愛い嬢ちゃんが一人で何してんだぁ?」

「へへっ、いい匂いがするじゃねえか! 」


……下から聞こえてきたのは、耳障りで下品な男たちの声だった。

薄目を開けて見下ろすと、ミアの周りを数人の薄汚い人間共が取り囲んでいる。

嫌な臭いがここまで漂ってくるかの様だ。


腐って発酵した果実のような臭いと、どぶ泥の臭い……嗚呼あぁ腹が立つ。

よりにも依ってこの二つは共に『最期の日』を思い出させる最悪の臭いだ。


「あ、あなた達は……! 私は今、バースト様の任務のサポート中で……っ」


「あぁ? バースト? 誰だ? そりゃあ……って言うかお前、よそ者だな?

この街じゃあ俺たち『赤牙』に挨拶なしで通れる道はねえんだよ! 」


……下品な笑い声。

甲高い金属のすれ違う音……イライラする。

どうして人間という生き物は

こうも無駄に大きな声を出して威嚇し合うのだろう。


それになにより、ミアから漂うあの心地よい『陽だまりの匂い』が

彼らの放つ悪臭で上書きされようとしているのが、猛烈に不愉快だった。


……直後、短く舌打ちし屋根から音もなく飛び降りた僕は

ミアの眼の前、男どもとの間に着地した。


「ひっ!?」

「な、なんだてめえ! どこから湧いて出た!?」


突然空から降ってきた僕を見て、男たちが一歩後ずさる。


「バースト様! 申し訳ありません、私の不注意で……!」

「……うるさい。せっかくの寝床が台無しだ」


僕は男たちを冷たく睨みつけた。

男の一人が顔を真っ赤にして、手に持っていた『光る尖ったもの』を振り上げた。

それは、獲物を引き裂く鋭い爪すら持たない人間が

その貧弱さを補うために持ち歩いている『代用の爪』というやつだろう。


……本当に、どこまでも不便で滑稽な生き物だ。


「なめてんじゃねえぞ、この野郎ッ!!」


男が怒声と共に、僕に向かって飛びかかってくる。

その瞬間だった。


『遅い』


……いや、人間の動きが遅いのは前世から知っていた。

僕たち猫の動体視力からすれば、人間の行動のほとんどは

スローモーションのように鈍重だ。


だが、今の僕はその動体視力を持ったまま

この『異常に頑丈で素早い器』に入っている。


……男が振り下ろす刃物の軌道が、はっきりと見える。

まるで、目の前をゆっくりと横切る不快な羽虫のようだ。


「……鬱陶しい」


僕は避けることすら面倒になり

顔の横を通り過ぎようとするその腕に向かって、軽く手の甲で払いのけた。

猫だった頃、目の前を飛ぶ虫を叩き落としていたのと同じ感覚で。


瞬間『パンッ!!』という乾いた音が路地裏に響いた。


「えっ――」


男が間抜けな声を漏らした直後。

僕の腕から放たれた見えない衝撃が、男の体を斜め上方へと跳ね飛ばした。


「――がはァッ!?」


男の体は数メートル先にある石壁に激突し、白目を剥いて崩れ落ちた。

持っていた刃物は、飴細工のようにぐにゃりとひしゃげて地面に転がっている。


「え? ……は?」


残された男たちが、信じられないものを見たという顔で固まっていた。

僕自身も少し驚いていた。本当に軽く触れただけだったのだ。

相変わらず、この体はデタラメすぎる。


「ひ、ヒィィィッ!! な、なんだ今の魔法は!?」

「ば、化け物だァッ!!」


悲鳴を上げながら、男たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

そのやかましい足音と叫び声が遠ざかるのを見送りながら

僕はまたしても苛立ちとともに、大きな溜息をついた。


「本当に……静かな場所はないのか、この世界には」

「バ、バースト様……!」


振り返ると、またしてもミアが両手を胸の前で合わせ

目を星のように輝かせていた。


「あんな大振りの攻撃を、神速の裏拳で迎撃するとは……っ!

しかも、刃が届くコンマ一秒の隙を突いて

相手の武器ごと壁に叩きつけるだなんて!

……やはり伝説の戦士の武技は凄まじいです!」


裏拳? 武技? ……ただ目の前に飛んできた羽虫を払っただけだ。

しかし、もう訂正する気力もない…直後、僕は前髪を少し掻き乱し

もう一度、新しい日向を探すために歩き始めた。

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