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第5話:不便な体と神聖なる儀式

案内されたのは、宿屋の二階にある一番奥の部屋だった。


「こちらです、バースト様! この宿で一番広くて

一番高価なベッドがあるお部屋をご用意いたしました!」


ミアが誇らしげに木の扉を開ける。

なるほど……確かに広い。


部屋の中央には、人なら何人かが並んで横になれそうな巨大な台が置かれ

その上には真っ白で分厚い布がこれでもかと敷き詰められていた。


「どうですか? フカフカですよ!」

「あ~……そうか」


僕はその巨大な寝台を一瞥し、すぐに視線を逸らした。

あんな風に部屋のど真ん中に無防備に置かれた布の塊の上など

落ち着いて眠れるはずがない。


敵に『僕を狙ってください』と言っているようなものだ。


僕が求めているのは、もっとこう背中を守れる壁際か

或いは、狭くて安心できる空間だ。


……部屋の中を見回すと、窓際にちょうど良い場所があった。

窓枠から差し込む午後の陽光が、床の板張りの上に

綺麗な真四角の『日向』を作っている。

しかも、すぐ横には太い木の柱があり

背中を預けるのに完璧な配置だった。


「よし……ここだな」

僕は迷わず窓際の床に歩み寄り、その四角い日向のど真ん中に座り込んだ。


「えっ? バースト様、そちらは床ですが……?」

「僕はここでいい。その柔らかすぎる布の山は……お前が使え」

「そ、そんな! 伝説の戦士であられるバースト様を床に寝かせて

側付きの私がベッドを使うなど、万死に値します!」


……後ろでミアが何やら騒いでいたが、放っておくことにした。

それよりも今は、この日向の恩恵を最大限に受けるための体勢づくりが急務だ。


僕は両膝を抱え込み、顎を膝に乗せ

できるだけ体を小さく丸めようと試みた。

猫だった頃の、あの完璧な姿勢をイメージして。


だが、どうにも上手くいかない……人間の手足というのは無駄に長すぎる。

どう折り畳んでもどこかの骨が飛び出してしまうし

尻尾で鼻先を覆って保温することもできない。


「本当に、不便な作りだ……」


……小さく毒づきながらも、なんとか一番マシな体勢を見つけ、目を閉じた。

背中に当たる柱の硬さと、じんわりと服に染み込んでくる太陽の熱。

完璧ではないが、今の僕にはこれで充分だった。


――その後

一体どれくらい眠ったのだろうか? ……ふと目を覚ますと

窓から差し込む光は赤みを帯びていた。


体力を回復したことで頭はすっきりしていたが

同時に、ひどい不快感が全身を覆っていた。


人間の街特有の脂と鉄の混じった不純な空気

ゴワゴワとした服の締め付け……そして、何より。

先ほどの『威嚇』で使った見えない力の残滓のようなものが

体の奥底でくすぶっている感覚……嗚呼あぁ、ひどくイライラする。

僕は立ち上がると、無意識にすぐ横にあった太い木の柱へ向き直った。


嗚呼あぁ……何か、硬くてしっかりしたものを強く引っ掻きたい。

爪を立てて、背中の筋肉を限界まで伸ばし

この体にまとわりつく不快なストレスを全部削り落としてしまいたい)


……気が付くと、僕は両手を柱に強く押し当てていた。

人間の平たい爪では上手く引っかからないが、それでも


『ガリッ、ガリッ、ガリッ』……と

木の表面を削るように指先を上下にこすりつける。


あぁ、少しだが落ち着く……そのままの勢いで

僕は両手の手のひらを舐めるようにして少し湿らせると

今度は耳の後ろから顔面にかけて、何度も何度もゴシゴシと擦り始めた。

頭のてっぺんから顔の下へ。この体に染み付いた人間の嫌な匂いを

全て拭い去るように。


ガリガリガリッ。ゴシゴシ、ゴシゴシ。


「……ひっ!?」


不意に、背後で息を呑む音がした。

振り返ると、いつの間にか部屋の入り口に立っていたミアが

両手で口を覆い、見開かれた目で僕を凝視していた。


「な、なんてこと……」

「な……なんだ? 」


僕は顔をこすっていた手を止め、不機嫌に睨み返す。


「僕の休息を邪魔した挙句、今度は何に驚いているというのだ? 」


「も……申し訳ありません!

お休みの邪魔をする気はなかったのですが……まさか

バースト様が自ら『浄化の儀式』を行っておられるとは知らず……っ!」


「は?」


……ジョウカ? ギシキ?


理解出来ない単語に首を傾げる僕の眼の前で、ミアはわなわなと震えながら

僕が引っ掻いていた木の柱と、僕の顔を交互に指差した。

そして――


「そ、その柱……ほんの少しですが

古い魔物の瘴気が染み付いておりました。


それをバースト様は、ご自身の……それも素手で削り落とし

宿の安全を確保してくださったのですね!

しかもその後、己の身に付着した穢れを

水さえ使わずに清める神聖なる『みそぎ』まで……っ!」


――そう言われた僕は、自分の手と柱を交互に見比べた。

ただムシャクシャして『爪研ぎ』と『顔洗い』をやっていただけなのだが。


「伝説の戦士は、寝床の邪気すら許さない……バースト様。

私、改めて感動いたしましたっ!


……この宿は、バースト様によって守られたのです!」


熱い涙を流さんばかりの勢いで拝み倒してくるミアを見て

僕はまたしても深く重い溜息をついた。


……訂正するのも面倒だ。

人間というのは、自分たちの理解できない行動を

何でもかんでも大層な理屈で飾り立てたがる生き物らしい。


「五月蝿い……ただの身だしなみだ」


「なんと謙虚なお言葉……っ!

はい、私、誰にも言わずに胸に秘めておきます!」


絶対に『誰かに言う気満々』の顔をしながら、ミアはうんうんと頷いている。

まあいい……これで彼女が大人しくなるなら

適度に勘違いさせておく方が楽だ……そう、自分を納得させた後

僕は再び日向に座り込み、今度は邪魔されないことを祈りながら

ゆっくりと目を閉じた――

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