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第4話:熱いスープと奇妙な共通点

森を抜けた先にある宿場町は、僕にとって最悪の空間だった。


鼻をつく脂の匂い、鉄が擦れる音……そして何より

どこを見渡しても人間、人間、人間。

すれ違うたびに、硬いブーツの足音や

僕を気まぐれに蹴り飛ばした冷酷な目がフラッシュバックしそうになる。


「バースト様、こちらの静かな席へどうぞ!」


ミアの弾むような声に我に返る。

案内されたのは、薄暗い宿屋の片隅にある

少しだけ窓から陽の光が差し込むテーブルだった。

彼女の場所選びの『嗅覚』だけは評価してやってもいい。


ともあれ……ほどなくして

木の器になみなみと注がれた肉と野菜のシチューが運ばれてきた。

湯気がもうもうと立ち上り、グツグツと音を立てている。


「さあ、冷めないうちにお召し上がりください!」

ミアが目を輝かせて勧めてくる。


僕は器を見下ろしたまま、無言でスプーンを置いた。


……馬鹿なのだろうか? 人間という生き物は。

こんな沸騰したような液体を胃袋に流し込めば

口の中が焼け爛れてしまうに決まっている。

あの僕を殺した飼い主も、熱い湯気が出る茶色い飲み物を

平気な顔ですすっていたが、人間の舌の構造はどう考えても狂っている。


僕は目を閉じ、この致死量の熱が引くまで待つことにした。


……しかし、妙だ。

数分経っても向かいの席から食事の音が聞こえてこない。

訝しげに目を開けると、そこには奇妙な光景があった。


「ふーっ、ふーっ……ふひゅうぅぅ……」


ミアだ。

彼女はスプーンにすくった少量のシチューを口元に近づけ

涙目になりながら必死に息を吹きかけていた。

一口飲もうとしては「あふっ!」と小さく悲鳴を上げ

再びフーフーと冷まし始めている。


「な……何をしている? 」

「ひゃいっ!? あ、あ、申し訳ありませんバースト様!

私、その……ひどい猫舌でして! 熱いものが全く喉を通らなくて……っ」


恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、ミアが縮こまる。


『猫舌』……その単語に、僕はピクリと反応した。


『人間などが僕たち気高い生き物と自身の持つ狂った舌を一緒にするな』


……そう言い返したかったが

目の前で必死にスプーンを冷ます彼女の姿は

ひどく滑稽で、どこか憎めなくて。


「……ふん」

僕は短く鼻を鳴らし、再び目を閉じた。


「お気になさらず、バースト様は先にお召し上がりください!

伝説の戦士であられるバースト様は

このような熱さなど全く意に介さない強靭な肉体をお持ちでしょうから! 」


『強靭な肉体』など関係ない。熱いものは熱いのだ。

だが、それをわざわざ人間に説明する義理もない。


……結局、シチューの湯気が完全に消え

生温かくなるまでの約二〇分間、僕たちは無言のまま

向かい合わせでじっと器を睨み続けるという

ひどく間抜けな時間を過ごすことになった。


だが、不思議と苛立ちはなかった。

彼女から漂う『陽だまり』の匂いと

ドタバタと騒がしい人間の街の片隅に出来たこの奇妙な静寂が

今の僕には悪くない居場所のように思えたからだ。


ともあれ……すっかり冷めたシチューで腹を満たした僕を待っていたのは

前世から決して抗うことのできない圧倒的な『睡魔』だった。


「ふぁあ~ッ……」


と漏れ出たあくびを噛み殺し、席を立とうとして

ふと、周囲のテーブルの様子に気がついた。


……飯を食い終えた人間たちが

店の主人に『光る小さな金属の板』を渡している。

そういえば、あの忌々しい飼い主も

他者から何かを譲り受ける時、決まってあれを渡していた。


恐らく、あれこそが人間社会における『対価』というやつだ。


僕は直ぐに自分の腰の小袋を探った。


……当然だが、空っぽである。

猫だった頃なら、食い逃げしようが愛嬌で許されようが自由だったが

人族の姿でそれをやれば、確実に面倒な騒ぎになるだろう。


「……くッ」


途端にバツが悪くなり、僕は無言でスプーンを持ったまま硬直してしまった。

自分から「飯だけだ」と偉そうに店に入っておいて

「あの金属がない」などとどの口が言えるのだろうか?


……そんな僕の気まずい沈黙を

向かいの席のミアがすかさず別の意味に捉えた。


「あっ! ……も、申し訳ありませんバースト様!

伝説の戦士であられるバースト様に

俗世の金銭などという穢らわしいものを触らせてしまうところでした……っ!」


「……ん?」


「ここは側付きである私が、全て滞りなくお支払いいたします!

さあ、ご主人……これで!」


ミアは勢いよく立ち上がると、懐から皮袋を取り出し

店の主人に『金銭』とやらを握らせた……どうやら、僕が

『俗世の金銭とやらに触れることを嫌がっている』と勘違いしたらしい。


と言うか、なんとも情けない話だが、人間に『借り』を作ってしまった。

僕は気まずさを誤魔化すように視線を逸らし、短く咳払いをした。


「か……勝手にしろッ! 」

「はいっ! ……それで、バースト様。この後はどうなさいますか?」

「……寝る。どこか、日当たりが良くて柔らかい布がある場所はないか」

「承知いたしました! では、伝説の戦士の休息に相応しい

最高のお部屋をご用意いたします!」


……また大袈裟な勘違いをしているようだが、今は訂正する気力もない。

先ほどまでの苛立ちはどこへやら……僅かに居心地の悪さを感じながらも

僕は、大人しく彼女の背中についていくことにした。

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