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第37話:癒やしの振動と、水鏡の老婆

『扇の男』とその軍勢を一掃し

僕は今度こそ静かな縄張りを求めて旅に出るつもりだった。


……だが、現実はそう上手くはいかなかった。


「はぁっ……はぁっ……」


広場の奥に立てられた天幕の中で

ミアは荒い息を吐きながら寝台に横たわっていた。


……彼女の頭にあるピンと立っていたはずの猫耳も

今は力なくペタンと倒れ、顔はひどく青白い。


「これは……魔力枯渇による高熱ですな。

バースト様をお守りするため、己の命を削り

自身の限界を超えた力の行使を行った代償でしょう。


何れにせよ……しばらくは、絶対安静が必要かと」


『灰色のボス』の沈痛な現状報告。


「チッ……」


僕は舌打ちをして、天幕の入り口で腕を組んでいた。


不機嫌の理由は明らかだ……人間の体は不便で脆く

獣人も似たような物だと知ったからだ。


僕の『器』なら、あんな魔法の雨など

素肌で受けたって痛くも痒くもないというのに

この『ポンコツ』は勝手に前に出て、勝手にボロボロになってしまったのだ。


「いや……僕のせいか」


だが……彼女が猛毒の匂いに怯え、動けなかった僕を庇ったのは事実だ。

僕を含め『猫』という生き物は、気まぐれで薄情だと思われがちだが

一度『自分の仲間』と認めた相手に対しては

意外なほど義理堅い……大体、旅に出ようにも

こんな弱り切った同族を置いていく気には成れない。


……直後、僕は無言のまま天幕の中に入り

ミアの寝台のすぐ横にドスッと腰を下ろした。


「バ、バースト様……?

いけません、私のような者のために、王の貴重なお時間を……」

ミアがうわ言のように呟いたが、僕は無視した。


そして、彼女の枕元に顔を近づけ

目を細めて、喉の奥を深く……低く震わせた。


『ゴロゴロゴロゴロゴロ……』


僕たち猫がリラックスしている時に鳴らす『喉の音』

実は、この振動には骨や筋肉の細胞の修復を早め

痛みを和らげるという『治癒効果』がある。


……前世でも、怪我をした仲間の猫のそばに寄り添い

或いは『虐待』を受けた後などにも

自分の怪我に向け喉を鳴らして傷を癒やしていた。


それは、僕に限らず。猫ならば当然の習性だ……だが。


「ひゃあ……っ!?」


僕の至近距離からの『ゴロゴロ音」を全身に浴びたミアは

熱に浮かされた顔をさらに赤くしてビクンッと跳ねた。


「お、おおお……っ!!」


天幕の外から様子を窺っていた『灰色のボス』は

またしても感涙に咽ぶ声を上げた。


「……王の喉の奥から発せられる、あの神聖なる振動波だ!

王はご自身の生命力を削り、ミア殿の枯渇した魔力回路へ

直接『治癒の気』を送り込んでおられるのだ!

なんという慈悲深き御方だ……っ!」


……また適当なことを言って泣いているが

全部は間違っていないし、そもそも訂正するのも面倒だ。

僕は暫くの間ミアの横で喉を鳴らし続け

彼女の呼吸が少しだけ穏やかになったのを確認してから

ゆっくりと立ち上がった……だが『治癒の振動』だけでは足りない。

弱った仲間を回復させるには、何よりも

『栄養価の高い新鮮な獲物』が必要だ。


「よし……次は魚だ」


あの『川のヌシ』のような

丸々と太って脂の乗った魚を食べさせれば

ミアのこんな熱など、すぐに下がるはずだ。


「ど……どこへ行かれるのですか!? バースト様ッ!」

僕が天幕を出て歩き出すと『灰色のボス』が慌てて声をかけてきた。


「少し出かける……安心しろ、すぐに戻る」


そう、短く告げ一人で森の奥へと向かった僕

向かった先は、以前魚を捕った川よりもさらに上流にある

静かで澄み切った『大きな湖』だった。


……ザワザワと、木々の揺れる音だけが響く湖畔。


僕は、水際にある手頃な平らな岩を見つけると

その上に飛び乗り、四つん這いの低い姿勢になった。


そして……水面の下を泳ぐ魚影を探し、じっと目を凝らす。

微動だにせず、ただひたすらに水面を見つめ続ける。


僕たち特有の、果てしなく根気のいる『待ち』の狩りだ。


ピシャッ……


水面が揺れる。大きな魚の影が

岩の近くを通りかかろうとしていた。


(……来た)


かつて無い大物の影に意識を集中した僕は

獲物との距離を測り、筋肉を引き絞り飛びかかろうとした。


だが、その瞬間――


『相変わらず、水面をじっと見つめるのが好きだねぇ……あんたは』


「……ッ!?」


大木の影から掛けられた声

僕は、全身の毛を逆立て岩から飛び退いて振り返った。


……気配など、全くなかった。

この僕の耳と鼻が、誰かが近づいてくることに気づかないはずなどないのに。


直後、木陰から現れたのは……質素な着物をまとい

穏やかな笑みを浮かべた、小柄な『老婆』だった。


鼻を突く嫌な匂いは一切せず……代わりに

風に乗ってふわりと漂ってきたのは

お日様とひどく懐かしくて温かい匂い。


ドクンッ……と。

僕の心臓が、先ほどの恐怖とは全く違う意味を以て大きく跳ねた――


『大きくなったねぇ……立派になって。ふふっ、本当に良かった』


――『老婆』は目を細めて優しく微笑んだ。


「あん……たは……」


僕の喉から、掠れた声が漏れる……忘れるはずがない。

彼女は……薄暗く冷たい部屋に閉じ込められていた前世の僕に

いつも窓越しに優しい声をかけ

温かい眼差しを向けてくれていた――あの『老婆』だ。

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