第36話:止まった箱と、小さな縋りつき
『最高の環境だ』と喜んだのもつかの間。
ガタゴトと揺れていた『箱』は突然、嫌な音を立てて急停止した。
「……ん?」
毛布に顔を埋めていた僕は
勢いで箱の壁に鼻をぶつけそうになり、不機嫌に顔を上げた。
一方……操縦を担当していたミアの方からは
「ハァ……ハァ……ッ……」
という力ない吐息と、何かが倒れ込むような音が聞こえ――
「ん? ……おい、ミア……寝床を揺ら……ッ!? 」
――僕が入り口から顔を出すと、そこには
青白い顔をして突っ伏しているミアの姿があった。
頭の猫耳は力なく垂れ下がり、自慢の尻尾もピクリとも動かない。
「も……申し訳……あり……ません……っ……
先ほどの防御魔法で……魔力を使い果たしてしまったようで……
この箱を動かす……力が……」
……ミアはそのまま、ズルリと地面に崩れ落ちた。
嗚呼……僕は馬鹿だ。
先ほど僕を庇って出したあの光の盾は
彼女の全魔力を注ぎ込んだ命懸けのものだったのに――
「くッ……待て、今どうにかしてやる……」
――直後、慌てて『箱』から飛び降り
ぐったりとしたミアを両腕で抱き抱え周囲を見渡した僕。
……里を出てからそれなりに時間は経っているはずだが
この『動く箱』は意外と足が遅かったらしい。
街道の先には、まだ先ほど吹き飛ばした里の柵の残骸が遠くに見えていた。
どうすれば良い? ……このまま歩いて別の縄張りを探すか?
いや……今の僕には、このぐったりした同族を
引きずって歩くほどの体力も……気力もない。
「仕方ない、一度戻るか……待ってろ、ミア」
……そのまま僕は、意識を失ったミアを抱え
今来た道を渋々引き返し始めた。
『やかましい』のは嫌いだが、あそこに戻れば
少なくとも『至高の毛布』を持って現れた時のように
僕を甲斐甲斐しく世話してくれる連中がいる。
今の僕にとっては、未知の荒野より
勝手知ったる温かい寝床の方がずっと魅力的だった。
何より……ミアが危険な状態だ
仲間の危機を黙って見過ごす『ボス猫』など在ってはならない。
……そんな事を考えながら、僅かに歩む速度を早めた僕は
やっとの思いで里の入り口まで辿り着いた。
瓦礫の山を掃除していた獣人たちは
此方に気付くや否や一斉に動きを止めた。
「バ、バースト様っ……!?」
「王が……王が戻ってこられたぞぉぉぉぉぉっ!!」
『灰色のボス』が、信じられないものを見たという顔で
駆け寄って来るや否や、感涙に咽いだ。
「おおっ……!
王よ、我らをお見捨てになられなかったのですね……!
傷ついた側近を自らの腕で優しく抱き抱え……王よ、貴方は
己の旅路よりも、一人の臣下の命を優先し
この里へと戻ってきてくださったのですねっ……!
何という慈愛の御方……」
「なッ……か、勘違いするな!
は……『箱』が動かなくなっただけだ!!
……兎に角、ミアを看病してやってくれ」
不機嫌に言い放つ僕の言葉を殆ど無視し
意識のないミアをそっと受け取った『灰色のボス』
直後、獣人たちは狂喜乱舞しながら僕を迎え入れた……だが
今の僕の姿は彼らの目にどう映っているのだろうか?
ひょっとして『慈悲深い王の帰還』にでも映っているのだろうか?
「さあ、王のために最高の食事を! そして最も柔らかい寝床を整えろ!」
……押し寄せる熱狂。
正直、そのまま素通りして箱に戻りたいくらいだったが
そんな僕の行く手を阻む者がもう一人いた。
「バースト……さま」
足元で、僕の『作務衣』の裾をギュッと掴む感触があった。
見下ろすと、そこには以前僕が『なんとなく』助けた
小さな獣人の子供が立っていた……確か『ルーク』と言ったか。
彼は大きな瞳を涙で潤ませながら
自分の頭を僕の脚にスリスリと擦り付けて来た。
「いかないで……ここに、いて……」
……消え入りそうな声。
猫という生き物は、自分より小さな存在……特に
『子猫』のような幼い者の頼みには、どうしようもなく甘いところがある。
前世でも、外で見かけた野良の子猫がミャアと鳴けば
つい自分の飯を分けてやってしまったものだ。
僕は、自分を見上げるルークのボサボサの頭に無造作に手を置き
乱暴にかき回しながら答えた。
「誰が行くと言った? ……ミアが大変だと言っただろう」
敢えてぶっきらぼうに答えると
子供の顔にパッと花が咲いたような笑顔が広がった。
「ほんとう……!?」
「ああ。だが……五月蝿くするなら、今度こそ僕は出ていくぞ」
威嚇のために少しだけ牙を見せて凄んでみたが
『ルーク』は怖がるどころか、嬉しそうに僕の足に抱きついてきた。
それを見た周囲の獣人たちからも、嗚咽に近い歓喜の声が漏れる。
「おおお……王は、この里の子供たちの未来までも
その双肩に背負ってくださるというのか……っ!」
嗚呼……また、大層な勘違いされている上に
帰るタイミングを完全に失ってしまった。
……僕は深い溜息をつきながら
里の連中が修復したのだろう『四角い木の箱』の中へと潜り込んだ。
(ふぅ……やはりと言うべきか
『フィット感』が微妙に失われているような気がするが
まぁ、今はこれで良い……)
……などと考えていたら
外では僕の帰還を祝う宴の準備が始まってしまった。
嗚呼……相変わらず『やかましい』
だが、箱の中に敷かれた毛布の温もりと
僕の箱にすり寄って来た『ルーク』の小さな気配は
不思議と悪い気分ではなかった。
「まったく……当分はここが僕の『縄張り』か」
この後……疲労も限界に達した僕は、箱の中で丸まりながら
今度こそ静かな眠りが訪れることを願いつつ、ゆっくりと目を閉じた――




