第32話:ふかふかの布と、古代の練気法
『作務衣』の着心地は、控えめに言って最高だった。
締め付けが一切なく、風通しが良く、それでいて適度に肌を覆ってくれる。
『エルフの職人』とやらは、きっと
猫の生態を完全に理解している素晴らしい連中に違いない。
「……ふぁ~っ」
広場の中央に置かれた『木箱』の中で目覚め、大あくびをした僕。
箱のサイズ感は完璧だが、中に何も敷いていない事で
木の硬さが悪目立ちすることだけが少し不満だ。
……などと思っていたら
まるでその思考を読んだかのように
足音を忍ばせながらミアと『灰色のボス』がうやうやしく近づいてきた。
ミアの腕には、何やら雲のように真っ白で
見るからに柔らかそうな大きな布が抱えられている。
「バースト様、お寛ぎのところ申し訳ありません。
余計な気遣いと不快に思われるかも知れませんが
この所の夜は冷え込みが激しく、王の寝所に相応しい敷物をと……」
そう言ってミアが差し出したその白い布は
とても良い物だそうで……
「これは、高山の頂にのみ生息する幻の獣『神聖羊』の毛を
エルフの秘術で織り上げた至高の毛布です……冬は暖かく、夏は涼しい。
王の御体を休めるのに、これ以上の品はございません! 」
……と、説明する『灰色のボス』をよそに
僕はその毛布にスッと手を伸ばした、そもそも
『エルフの職人』とやらが関わっているのなら間違いはないだろう。
「……ッ!?」
指先が触れた瞬間、僕の脳内に電流が走った。
『間違いはない』どころの騒ぎじゃない……なんだ
この恐ろしいほどの『柔らかさ』は。
前世で、あの忌々しい飼い主が冬場に出してきた
『高級羽毛布団』など遥かに凌駕する、圧倒的なフカフカ感。
「嗚呼……柔らかい」
……僕を含め、猫という生き物は極端に柔らかくてフカフカしたものに触れると
子猫時代に母猫のお乳を飲んでいた頃の記憶が蘇り
無意識のうちに『ある行動』をとってしまう。
僕は、箱の中にその毛布を敷き詰めると
その上に四つん這いになり……そして。
右手をパーに開いて毛布に深く沈み込ませ、ギュッと握って引き抜く。
次に左手を同じように沈み込ませ、ギュッと握る。
右、左、右、左。
トスッ、トスッ、トスッ。
「ふふっ……これは……良い……」
前世から魂に刻み込まれた、至福の儀式。
いわゆる『ふみふみ』だ。
……毛布のあまりの感触の良さに
僕は完全に自分の世界に入り込み、無心で両手を交互に動かし続けた。
ゴロゴロゴロ……と、喉の奥がこれまでにないほど大きく震え
深い満足の音が鳴り響く。
「族長殿……お、王は、何をされておられるのでしょうか? 」
箱の外でミアは信じられないものを見るような声でそう呟き……
「ただ毛布を敷いて寝るのではなく……あのように一定のリズムで
交互に布の表面を押し込んでいる奇妙な動作は……」
「シッ! ……静かに。見るのだ、ミア殿」
……そんな彼女を制した『灰色のボス』の声は、かすかに震えていた。
「王のあの動き……まるで、布の繊維の『急所』を
一つ一つ的確に突いているように見えないか?
東方の武神の正装たる『作務衣』を身にまとい
無我の境地に至ったあの虚ろな表情……まさか!?」
『灰色のボス』が、息を呑む
直後、何かに気が付いたように――
「間違いない! ……あれは、東方の古武術に伝わるという
幻の技『練気』だ! ……王はご自身の膨大な魔力と生命力を
両手を通じてあの毛布の繊維一本一本に『練り込んで』おられるのだ!」
「練り込む!? では、ただの毛布を……」
「そうだ! あのリズミカルな動作と
王から発せられる特殊な振動波によって魔力を定着させ
ただの羊の毛布を『いかなる魔法も弾き返す伝説の聖骸布』へと
昇華させておられるのだ! あの凄まじい集中力こそがその証拠だッ……!」
「「「おおお……っ!!」」」
周囲で様子を窺っていた獣人たちから、感嘆のどよめきが漏れる。
「あのような地道で途方もない作業を、顔色一つ変えず
王は、次なる王国軍の襲来に備え、我らを守るための『最強の防壁』を
ご自身の身を削って自作してくださっているのですねっ!」
ミアが両手を合わせ、またしても感動の涙を流しながらそう言った。
「ああ、なんと尊きお姿だッ……!
王国最強の騎士を沈めた覇王でありながら
我らのために裏方の職人仕事すら厭わない。
あの『ケケケケケッ』という『古代の呪文』で敵を穿つ破壊の力と
この毛布を打つ創造の力……王はもはや
この世界の理を超越した存在ッ……!」
……箱の外で、何やらまた『聖骸布』だの『練気法』だのと
『やかましい単語』が飛び交っているが
今の僕の耳にはほとんど届いていなかった。
ただただ……この『フカフカの感触』がたまらない。
……右、左、右、左。
充分に毛布を揉みほぐし、自分の匂いと
『最高の柔らかさ』に整えたところで、僕は『ふみふみ』を止めた。
「うん……完璧だ」
僕はその場にコロンと転がり、最高の毛布に顔を埋めた。
『神聖羊』とやらの毛布は、僕の体を優しく包み込み
四角い木の箱の圧迫感と相まって、もはやこの世の天国と化していた。
「ミア……もう誰も近づかせるな。僕は寝る」
僕が毛布の中からくぐもった声で命令すると
箱の外で、獣人たちが一斉に地面に伏せる気配がした。
「ははっ! 王が精魂尽き果てて作り上げた『聖骸布の結界』の中……!
たとえ王国の暗殺部隊『鴉』が束になってかかってこようとも
このミアが命に代えて、王の神聖なる眠りをお守りいたします!!」
「ミア殿だけに任せては居られません!!!
我ら『牙の氏族』も、王の寝所に近づく邪悪をすべて食い破ろうぞ!!」
……と、またしても大げさな決意表明が聞こえてきたが
僕は極上のもふもふの絶対的な安心感と安らぎに依って
そのまま意識を手放したのだった……ともあれ。
こうして僕は、ただの極上の毛布を『ふみふみ』しただけで
獣人たちに『最強の魔法具を創り出した神業』を見せつけ
彼らの忠誠心をさらに強固なものとして、最高の昼寝を満喫したのだった。




