第29話:窮屈な箱と、ゆっくりとした瞬き
夜の帳が完全に下りた頃
里の獣人たちに依って広場へと用意された『四角い木の箱』と共に
ミアと『灰色のボス』が僕の所へと恭しくやって来た。
「バースト様! ご要望通り『川のヌシ』と
最も頑丈で最も小さ……いえ、狭い
『鋼鉄樹の木箱』をご用意させていただきました!」
そう言ったミアの手には、あの川で捕れたのだろう
丸々と太った銀色の魚が木の葉の皿の上に用意されて居た。
「ん……ご苦労」
僕は岩の上から飛び降り、まずは魚の身を平らげた。
焼かれた魚は、脂を感じられて悪くない……腹が満たされると
途端に強烈な眠気が襲って来た。
「眠いな……箱を見てみるか」
……食事後、用意された箱の検分を始めた僕。
縦も横も、僕の体がギリギリ収まるかどうかの絶妙なサイズ感。
前世で届いたばかりの宅配便の段ボール箱を見つけた時の
あの胸が高鳴る感覚が蘇る……直後
僕は、迷わず箱の縁に手をかけ中に滑り込んだ。
……膝を曲げ、背中を丸め、頭を低くして
四角い空間に自分の体をギュッと押し込んだ……嗚呼、完璧だ。
背中にも、足にも、頭にも……硬い木の壁がピタリと密着している。
この、四方から『箱の形』に矯正されるような圧迫感。
天幕のような無駄に広い空間には絶対にない、最高の安心感だ。
「ふぅ……」
僕は満足げに喉の奥をゴロゴロと鳴らし
箱の縁に顎を乗せて、外の様子をぼんやりと眺めてみた。
すると――
「おおお……」
――箱の外で『灰色のボス』が咽び泣いていた。
「あ……あのような窮屈な箱に、あえて身を押し込められるとは……っ!
己の肉体を常に極限の緊張状態に置き
いかなる時も油断を排するその姿勢……っ!
我ら獣人も……王のその気高さを見習わねばならん!」
また勝手に感動している。
唯『狭い所が好きだから入っている』だけだというのに
毎度、いちいち大げさな連中だ。
だが……魚もすごく美味かったし、この箱のフィット感は素晴らしい。
今の僕は最高に機嫌が良い。
「お……王よ」
『灰色のボス』は僕の入っている箱の前に静かに膝をついた。
「どうした? ……」
「バースト様……我ら『牙の氏族』はあなたを心からの主と認めます。
この命、この牙……すべてはあなたのために!!
我々の忠誠を、どうかお受け取りください……」
そう言って深々と頭を下げた。
周囲の獣人たちも一斉に地面に伏し、僕に『忠誠』とやらを誓った。
……『忠誠』だの『主』だの、耳にするだけでも面倒だし
そんな物はあまりに重い誓いだ……だが。
だけど……この温かい縄張りと、美味しい食事を提供してくれる
『世話係』としての彼らの態度は……悪くない。
何れにせよ、僕の腹は満たされ
居心地の良い箱の中で身体も完全にリラックスしている。
心地よい微睡みの中……僕は顔を上げ、目の前で平伏し続けている
『灰色のボス』たちをぼんやりと見つめて居た。
……さっき説明した『喧嘩の合図』とは反対に
僕たち猫という生き物は、相手に対し『警戒していない』
『敵意はない』或いは『リラックスしているんだよ』
という気持ちを伝える時、特有の仕草をする。
それは相手の目を見つめたまま、ゆっくりと両目を閉じ
……そしてまた、ゆっくりと開くという動作だ。
だからと言うわけでは無いが……いや
少しはそんな気持ちもあったのかも知れない。
……僕は、尚も平伏し続けている『灰色のボス』に向かって
極めて自然に、ゆっくりと目を閉じ
1秒ほどそのままにして……再びゆっくりと目を開いた。
「「「…………っ!!」」」
その瞬間、広場を包んでいた空気が
ピンッ……と張り詰め
「う、うそ……っ……!?」
そしてミアは、信じられないものを見たかのように
両手で口を覆い――
「バースト様が……族長殿の誓いに対し
ただ無言で『ゆっくりと瞬き』をされた……っ!」
「な、なんだと!?」
――その発言に『灰色のボス』は弾かれたように顔を上げる。
「ミア殿、それは……!
我ら獣人の古い伝承にある、王が認めた者だけに与えるという
『不可侵の承認』のことかっ!?」
「はい……っ!」
ミアはボロボロと涙をこぼしながら、力強く頷いた。
「言葉などという容易いものでは無くっ……バースト様は
族長殿の魂の輝きをその眼で見極められ
『お前たちを完全に信頼し、庇護する』という
絶対の『誓約』を、あの……『一度の瞬き』に込めて示されたのですっ!」
「おおおおおっ!!何という恐悦至極っ! ……」
『灰色のボス』は地面に額をめり込まさんばかりにして号泣し始めた。
「もったいなき幸せ……! この『灰色のボス』
そして、我が一族の命運さえも!
永遠にバースト様と共にあることを、ここに誓いましょうぞ!!」
「「「王に栄光あれェェェェェッ!!」」」
里中が、狂乱にも似た歓喜の渦に包まれる。
獣人たちが互いに抱き合い、夜空に向かって喜びの遠吠えを上げ始めた。
(嗚呼……五月蝿い)
僕は……唯、眠かったからゆっくり瞬きをしただけだ。
多少、感謝を込めた事は認める……けど
なんで寝ようとしているのに、こんなに騒がしくするのか。
……僕は五月蝿い遠吠えを遮断するように
両手でこの『器』の耳がある側頭部を塞ぎ、箱のさらに奥へと顔を埋めた。
だが……彼らの歓喜の宴は
一人の獣人の悲痛な叫びによって
唐突に終わりを告げることになった。
「ほ、報告ゥゥゥーーッ!!」
……森の奥から
ボロボロになった見張りの獣人が
広場へと転がり込んで来たのだ。
「はぁ……はぁ……っ……王国のっ……
……王国軍の主力部隊が、森の入り口に集結しています!!
その数、およそ三千……! 先頭には……王国最強と謳われる
『白銀の聖騎士団』の旗が……っ!
あ……明け方には、この里に進軍を開始する模様です!!」
「な、なんだと……っ!?」
『灰色のボス』の顔から、一瞬で血の気が引いた。
「三千の軍勢……それに、聖騎士団まで……!?
我々を、本気で根絶やしにするつもりか……!」
……先ほどの歓喜から一転し、広場が深い絶望とパニックに包まれた。
『武器を取れ』『女子供を逃がせ』と獣人たちが慌ただしく動き始めた。
一方の僕は箱の中で、静かに考えていた。
三千の軍勢? 聖騎士団? ……そんなものはどうでもいい。
問題なのは、明日辺りやってくるというその大勢の『羽虫たち』が
僕のこの完璧な寝床での昼寝を邪魔する気満々だということだ。
「嗚呼……鬱陶しい」
僕は箱の中で低く唸った……明日の朝、その五月蝿い『羽虫たち』を
どうやって全部『掃除』してやろうかと
不機嫌な頭で考え始めていたのだ――




