第27話:黒っぽい羽虫と、嫌な『バチバチ』
岩の上でゴロゴロと過ごしていた僕は
太陽の位置が変わって日陰に入ってしまった事で
新たな日向を求めて里の外周の柵の近くまでやって来ていた。
「ふわぁ~っ……ん?」
大きなあくびをしながら
丸太の柵の隙間から何気なく森の外側を覗き込んだ時だった。
そこには、全身を黒い布ですっぽりと覆った人間が五、六人
木陰に張り付くようにして身を潜めていた。
……人間の街で喚いていた黒服の兵士たちとは違う。
足音も立てず、呼吸すら殺しているその姿は
まるで影に溶け込んでいるかのようだった……だが。
どんなに気配を消していようと、風に乗って運ばれてくる
『鉄の匂い』と『嫌な汗の匂い』は、僕の鼻を誤魔化すことはできない。
「……隊長。ここです。今朝方、偵察に放った『幻影蠅』の反応が途絶えたのは」
「うむ。我ら王国暗殺部隊、鴉の目から逃れ
使い魔を粉砕するとは……この里には、底知れぬ化け物が潜んでいるぞ」
黒い布の人間たちが、僕の鋭敏な耳で漸く拾えるほどの小声で
ヒソヒソと囁き合っている……どうやら、今朝僕が潰したあの鬱陶しい羽虫は
こいつらが放ったものだったらしい。
「それにしても隊長……この里をすっぽりと覆っている
この異常な魔力の残滓は一体……」
「っ!? ……触れるなっ!!」
部下の一人が里の柵に近付こうとした瞬間
『隊長』と呼ばれた男は鋭い声で制止し。
「よく見ろ……!
地面に、すり鉢状に陥没した巨大な『足跡』があるだろう。
そこから空を切り裂くようにして
目に見えない高密度の魔力障壁が張り巡らされている!」
「こっ、これは……物理障壁!?
一体どれほどの魔力を込めれば
こんな広範囲を完全に覆い尽くせるというのですか!?」
「いいや、ただの障壁ではない。
この術式……まるで、圧倒的な力を持つ巨獣が
ただ一度『里の周囲を走り抜けただけ』で
空気に魔力が焼き付いて結界と化しているようにさえ見える。
……もしこれが真実なら
我々が立ち向かおうとしているのは、人ではなく『災害』そのものだ」
僕は、柵の内側で
彼らの会話を聞きながら呆れ返っていた……障壁? 結界?
こいつらも、あのポンコツ娘と同じように大層な勘違いをしているらしい。
あれは、僕が走り回った結果、残ってしまっただけの
言わばただの『バチバチ』だ……前世の冬場
乾燥した部屋で、毛布などに鼻先に鼻を近づけた時『バチッ!』と鳴る
あの不快なやつである。
「た、隊長……少しだけ、結界の強度を確かめてみても?」
「やめろ! そのような高密度の魔力に触れれば――」
直後『隊長』の制止も聞かず黒布の部下の一人が
僕が先ほど蹴り飛ばした監視塔の柱の近くに、そっと指先を伸ばした。
瞬間――
バヂィィィィィッ!!!
「アンギャァァァァァッ!?」
――青白い火花が弾け、部下は体を大きく痙攣させた後
黒焦げになって後方へと派手に吹き飛んだ。
(あ~あ……だから言わんこっちゃない)
僕は内心で溜息を吐いていた……『バチバチ』を舐めてはいけない。
鼻先で喰らえば涙が出るほど痛いし
この『器』の出力で残った『バチバチ』なら
そりゃあ、人間の一人くらい軽く吹き飛ぶだろう。
「ばっ……馬鹿な……」
『隊長』は、黒焦げになって気絶した部下を見て絶望に満ちた声を漏らした。
「ただ触れただけで、我ら鴉の精鋭が……ダ、ダメだ!
この里はすでに『不可侵の領域』と化している!
我々の手には負えん! 至急本隊へこの異常事態を報告だ!」
生き残った黒布たちは、恐怖に震えながら逃げ出そうと踵を返した。
だが……彼らが逃げ出そうとした方向は
よりにも依って、僕がこれから昼寝をしようとしていた
日当たりの良い斜面の方角で……
「……おい」
僕は不機嫌に喉を鳴らし、柵の上へと音もなく跳び乗った。
「ヒッ!?」……黒布の奴らは悲鳴を上げて硬直する。
「お前ら……僕の縄張りをうろちょろするな」
……直後、僕は彼らを冷たく見下ろし
そして、威嚇のために口を大きく開け牙を剥き出しにした。
僕たち猫が縄張りを荒らされた時に行う
最大級の警告のサインだ――
「シャァァァァァァァァッッッ!!!!!」
「あ、あ、ああぁぁぁっ……!!」
――この瞬間、僕の喉奥から絞り出された威嚇の息は
奴らに取って死より恐ろしいものに思えたらしい。
奴らは完全に正気を失い、武器を投げ捨て
仲間を置いて、四つん這いになりながら
蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げ去っていった。
……僕は彼らの滑稽な後ろ姿を見送りながら、鼻を鳴らした。
「バ、バースト様っ!? 今の恐ろしい叫び声は一体……な、何事ですかっ!?」
そこへ、騒ぎを聞きつけたミアが
『灰色のボス』をはじめとする獣人たちを引き連れ、慌てて駆けつけて来た。
「……ああ。なんか黒っぽい羽虫が数匹たかって居たから、追い払った」
僕が面倒くさそうに柵から飛び降りながらそう答えると
ミアと『灰色のボス』は顔を見合わせ、そして
外の地面に転がっている『黒焦げになった人間』と
『投げ捨てられた武器』を見て、息を呑んだ。
「こ、この紋章は……! 王国の暗殺部隊『鴉』のもの!」
灰色のボスが驚愕の声を上げる。
「……『幻影蠅』が潰されたことで本隊が刺客を差し向けてたのでしょう!
そしてバースト様は、我々では気付けない様な微細な変化を読み取られ
外周へ赴き、絶対防壁とご自身の覇気だけで
王国の精鋭部隊を戦意喪失させて退けた……とっ!」
ミアが両手を胸の前で合わせ、キラキラと輝く瞳で僕を見つめてくる。
「王の眼力と圧倒的な力の前に、暗殺部隊すらひれ伏して逃げ惑う……!
ああ、なんという頼もしさ! 敵には容赦なく
味方にはどこまでも慈悲深い……!」
「「「我らが王、バースト様に絶対の忠誠をォォォッ!!」」」
そんなミアのせいか、またしても里中に獣人たちの熱狂的な大合唱が響き渡った。
「は~ッ……だから、やかましいと言っているのに」
僕は深い溜息を吐き、今度こそ静かな『日向』を見つけるため
騒ぐ彼らを背にして歩き出した――




