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第22話:心地よい爪研ぎと、空飛ぶ大きな羽のおもちゃ

『聖なる岩座』……もとい

一番大きな日向の岩での昼寝は、控えめに言って最高だった。

人間の街特有の鼻を突く悪臭もなく、時折

風に乗って運ばれてくるのは、森の木々と少し香ばしい獣の匂いだけ。


「……ふぁぁっ」


太陽が少し西へ傾き始めた頃、僕はゆっくりとあくびをして立ち上がった。

まずは寝起きの儀式だ……僕は岩から飛び降りると

すぐ横に生えていた、見上げるほど太くて立派な大樹に歩み寄った。


そして、幹に向かって二本足でスッと立ち上がり、両手を高い位置に添える。

そのまま前傾姿勢になり、体重をかけながら

爪を、分厚い樹皮に食い込ませて下へと勢いよく引き下ろした。


ガリッ、メキメキメキッ……


「……ん?」


ただの『背伸び』と『爪研ぎ』のつもりだったのだが。

僕が手を振り下ろした瞬間、大樹の極めて硬そうな樹皮が

まるで柔らかい泥のように深く抉れ、大量の木屑が周囲に弾け飛んだ。

僕の指の軌道に沿って、幹に五本の深い溝がくっきりと刻まれている。


「は~っ……全く」


……相変わらず、この『器』の力はデタラメだ。

だが、爪が引っかかる感触自体は悪くなかった。


「お、おおお……っ!」

「見ろ……! 硬い『千年の神樹』に素手で深々と爪痕を刻み込まれたぞ!」


背後から、獣人たちのどよめきが聞こえた。

振り返ると『灰色のボス』をはじめとする獣人たちが

僕のつけた爪痕を見て戦慄し、そしてなぜか深い感動の面持ちで平伏していた。


「強き客将よ……あなたはこの里の守護樹に己の覇気を刻み込み

森の邪悪な気配を遠ざける『結界の印』を施してくださったのですね……!」


……また始まった。

まぁ、ミア以外からやられることになるとは思わなかったが

ともあれ、僕は寝起きの爪研ぎをしただけだ。


「あー……ミア」

「は、はいっ! ここにおります、バースト様!」


僕は彼らの『勘違い』を完全に無視し

岩の傍に控えていたミアの前にドカッと座り込み、背中を向けた。


「背中を掻け……寝ていて毛並みが乱れた」


正確に言えば、現状の僕の身体に

『体毛』と呼べるものなど殆ど無いのだが……気分の問題だ。


「かしこまりました! 伝説の戦士の御体を

このミアが全身全霊で癒やさせていただきます!」


そう言うと僕の背後に回り、肩から背中にかけて

両手で念入りに『マッサージ』とやらを始めたミア。


うん……力加減が絶妙だ。

このポンコツも、少しずつ僕の扱い方がわかってきたらしい。

ゴロゴロゴロ……と、無意識のうちに喉の奥から心地よい音が漏れる。


「……信じられん。

我ら獣人ですら触れることを許されない圧倒的な王の背中を

あの人間の娘は任されているというのか」

「あの娘もまた、ただ者ではないのだな……」


……獣人たちがミアを見て畏敬の念を抱いているようだが

僕にとってはただの『便利な毛繕い係』でしかない。


「客将殿……ささやかですが

我らからの歓迎の宴の品です。どうかお納めください」


『灰色のボス』が、数人の獣人の若者に運ばせ

巨大な葉の上に乗せられた『焼けた肉』を持ってきた。

香ばしい脂の匂いが鼻をくすぐる……先ほどの魚も良かったが

やはり獣肉も悪くはない。


……直後、僕はミアに背中を掻かせたまま

差し出された肉を無造作に掴み、口に運んだ。

美味い……余計な味付けがなく、純粋な肉の味がする。


心地よいマッサージと、美味い食事。

この縄張りは、当分の間、僕の快適な寝床として機能してくれそうだ。


僕がそう満足しかけた……その時だった。


キイィィィィィィィィッッッ!!!!!


突如、遥か上空から振ってきた、耳をつんざくような甲高い鳴き声。

同時に、隠れ里を覆っていた木々の隙間から

太陽の光を遮るほどの巨大な影が通り過ぎ――


「ひゃああっ!? な、今の不吉な音は一体……っ!?」

ミアが肩をびくつかせて手を止めた。


「空だ! 『狂乱鳥獣クルイドリ』が、また狩りに来たぞォッ!!」

「女子供を岩陰に隠せ! 槍を持て!!」


――里の獣人たちは一斉にパニックに陥り、武器を手に空を見上げた。

巨大な鳥は『バサッ……バサッ……』と羽ばたくたびに

強風と共に鋭い『刃』のような羽を何枚も地面に突き刺してくる。


「……バースト殿、お下がりください!

あれは岩山をねぐらにする凶悪な魔鳥。


その眼光と鳴き声は、浴びた者の正気を奪い

発狂させる呪いの技を放つのです……っ!」


『灰色のボス』が悲痛な声で叫ぶ。

直後、上空の鳥は怪しく目を光らせ

再びあの不快な高音の咆哮を叩きつけてきた。


ギィヤアァァァァァァァァッ!!


「あ、うあ……あ……っ」

獣人達が頭を抱え次々と膝をつく。

まるで悪夢にうなされるように視線を彷徨わせ

ガタガタと震え始めた……なるほど、あれが精神をかき乱すという技か。


……だが、空を舞う巨大な鳥を見上げている僕の目には

それが『凶悪な魔鳥』などという恐ろしいものには全く見えていなかった。


僕たち猫にとって、鳥の鳴き声も

怪しく光る眼光も、恐怖の対象ではない……それは、獲物が放つ

『刺激』でしかないのだ……ましてや、空中でヒラヒラと舞う

あの巨大な羽、小刻みに素早く動く影……それは

前世で、僕がどうしても抗えなかった最高のおもちゃ

『鳥の羽を束ねた、巨大な猫じゃらし』そのものだったのだ。


「くッ……クッ……」


僕の瞳孔が、本能に従ってギュッと細くなる。

正気を失うどころか、狩猟本能によって脳が異常に冴え渡り

全身の筋肉が獲物を仕留めるために熱く沸き立った。

どれほど不快な音を浴びせようと、僕の視界には

『ひらひら動く羽』以外は映っていない。


「バ、バースト様……? ダメです、見ては……っ!」


ミアの震える声も、今の僕には届かない。

僕は姿勢を極端に低くし、空中の『巨大な羽のおもちゃ』の軌道を

じっと見極め――


「掃除のついでだ、遊んでやる――」


――岩を蹴り、その『おもちゃ』を叩き落とすために

空高く跳躍した――

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