第19話:冷たい水と、極上の獲物
街の喧騒から離れるにつれて
風に混ざる土と草の匂いが濃くなっていく。
しばらく歩くと、耳障りな人間の声は完全に消え
代わりに心地よいせせらぎの音が聞こえてきた。
「よし……ここならいい」
森を抜けた先にある、澄んだ川。
僕は片手にぶら下げていた『湯たんぽ』……もとい。
『子供』を川辺の柔らかい草の上に下ろした。
……子供はペタンと座り込み、不思議そうに水面を見つめている。
僕は川岸にしゃがみ込み、水の中をじっと見つめた。
透明な冷たい水の中を、魚たちがスイスイと泳いでいる。
「嗚呼……美味そうだ」
僕は息を潜め、水面ギリギリまで顔を近づけた。
前世の体なら前足でチョイッと引っ掛けるだけで獲れた。
この不便な長い腕でも、タイミングさえ合わせれば問題ないはずだ。
魚の動きは、僕の目から見ればひどく単調で遅い。
「――今だ。」
僕は水の中に右手を突っ込み
すれ違いざまの銀色の影を無造作に掴み取った。
バチャッ!
水しぶきと共に、丸々と太った魚が宙を舞い
草の上にビチビチと跳ねて落ちた。
「チッ……やはり濡れるのは不快だ」
僕は右手についた水滴を、パッと勢いよく振って払い落とした。
どんなに屈強な「器」になっても
水に濡れる感覚だけはどうしても好きになれない。
……だが、獲物は極上だ。
僕は跳ねる魚を足で軽く押さえつけ『さてどうやって食べようか』と思案した。
前世なら頭から丸かじりだが、この平らな人間の歯で
生肉を食いちぎるのは少し骨が折れそうだ。
「ゼェ、ゼェ……バ、バースト様ぁぁ……っ!」
そこへ、背後の茂みを掻き分けて
ボロボロになったミアが転がり込んできた。
息も絶え絶えで、顔は土気色になっている。
「お、お待ちくださいと、あれほど……のっ……王座を捨ててっ……
なぜ……このような辺境の森へ……!」
「遅い、そして分かりづらいから息を整えろ……それよりも。
ミア……お前、火は使えるか?」
「火、ですか? はい、簡単な生活魔法なら使えますが……」
ミアは顔を上げ、僕の足元でビチビチと跳ねる大きな魚と
僕の濡れた右手を見て、目を丸くした。
「って、まさか……素手で、この
『激流のヌシ』と呼ばれる幻の川魚を捕らえたのですか!?
魔力による網も、釣り竿も使わずに……ただ己の動体視力と反射神経だけで!?」
……激流も何も、ただ浅瀬を泳いでいたのを掴んだだけだ。
それに、この程度で幻なら
前世の僕は幻のハンターということになる。
「いいから早く火を起こせ。子供も腹を空かせている」
目線を子供に向けると、子供も僕の足元にある魚をじっと見つめ
同意するようにコクリ……と頷いた。
「は、はいっ! すぐに!」
ミアは慌てて立ち上がると
手のひらから小さな炎を出して枯れ枝に火を点けた……便利な能力だ。
これなら自分で火を起こす手間が省ける。
このポンコツも、少しは使い道があるらしい。
……やがて、香ばしい匂いが辺りに漂い始めた。
焼きたての魚は、塩も何も振っていないのに
泥臭さが全くなくて極上の味がした。
僕は熱い身を指でほぐしながら、自分の分と子供の分とを分けた。
その後、あまりに『物欲しそう』にしていたので
僕の分をすこしミアにも分け与えたら、目を丸くして喜んだ。
一方の子供はと言うと……両手で魚の身を受け取ると
ハフハフと熱そうにしながらも、一心不乱に頬張っていた。
「ふふっ。美味しいですか?」
……ミアが微笑みかけながら、自分も魚の身を口に運ぶ。
さっきまで死にそうな顔をしていたのに、すっかり元気になったようだ。
本当に単純な生き物だ。
「うん……悪くない」
静かな川の音。温かい火。そして、美味い獲物。
うるさい羽虫の群れ……もとい。人間たちから離れ
ようやく僕は、真の意味で落ち着ける『自分の時間』を取り戻したのだった。
だが、腹が膨れると同時に、次の問題が浮上してきた。
「……さて」
僕は焚き火の炎を見つめながら、今後のことを考え始めた。
『日向』を求めて街に入ったが、結果的にそこは最悪の環境だった。
では、この世界で一番静かで……安全で
暖かい『日向』はどこにあるのだろうか?
「どこにあるのか……」
僕が静かに思案に暮れていると、不意に
隣で魚を食べていた子供が、僕の服の袖をチョイチョイと引っ張った。
「……ん?」
見下ろすと、子供は川の上流の
さらに深い森の奥の方を指差して、小さな声で呟いた。
「……おうち、あっち」
『おうち』……つまり、この子の元いた縄張りということか。
獣人の子供が元々いた場所なら、少なくとも
人間のようなうるさい羽虫はいないはずだ。
「フン……そうか」
僕は口元についた魚の脂を手の甲で拭い
ゆっくりと立ち上がった。
「ミア。火を消せ」
「えっ? も、もう出発なさるのですか? このまま野宿では……」
「聞いていただろ? この子の家があるんだ……あっちに行く」
僕が森の奥を指差すと、ミアは一瞬だけ不安そうな顔をしたが、すぐに真剣な表情になって頷いた。
「し、承知いたしました!
バースト様が目指す未知の領域……このミア、どこまでもついて行きます!」
……相変わらず大げさだが、まあいい。
僕は子供を再びひょいっと抱え上げ、新たな『日向』を求め
鬱蒼とした森の奥へと足を踏み入れた――




