第11話:極上の湯たんぽと、やかましい包囲網
深く、静かな微睡みから引きずり出されたのは
腹の上に感じる『程よい重みと温かさ』のせいだった。
……ゆっくりと目を開け、視線を下に向ける。
そこには、僕の腹の上に丸まり
両手で僕の服をぎゅっと握りしめたままスヤスヤと眠る
獣人の子供の姿があった。
「……ふむ」
人間の体というのは本当に不便だが、この
『自分より小さな同族を乗せるのに丁度いい面積』があることだけは
評価してやってもいい。
……白い物が沢山降ってくる寒い時期
近所の野良猫たちが身を寄せ合っていた時、毎回
必ず一番下敷きになって居た『イケメンボス猫』のポジションも
こんな感覚だったのだろうか?
じんわりと伝わってくる子供の体温は
極上の湯たんぽのように心地よい……嗚呼。
『このままもう一度眠ろう』
と、目を閉じたその時――
「バースト様っ! た、大変です……!」
水車小屋の扉がギィッと軋み、見張りを任せていたミアは
血相を変えて飛び込んできた。
そのやかましい足音と声に
僕の腹の上に乗っていた子供は肩を跳ねさせ
怯えたように僕の服に顔を埋めた。
「……うるさい。せっかくの湯たんぽが冷めるだろう」
「ゆ、湯たんぽ!? ……って、それどころではありません!
街の様子が……っ!」
ミアは僕の咎めるような視線に一瞬怯みながらも
必死の形相で外を指差した。
「……領主軍が、街の出入り口を全て封鎖しました!
先ほど、路地裏で出会った様な『ならず者』たちまで動員して
私達のことを街中を虱潰しに探しています!
彼ら、バースト様のことを
『詠唱なしで人間を吹き飛ばす、姿なき悪魔』だと恐れていて……!」
「あ……悪魔?」
思わず鼻で笑いそうになった。
ただ目の前に飛んできた鬱陶しい虫を、手の甲で払い落としただけだ。
それを『悪魔』などと大層な名前で呼んで怯えるとは
本当に人間の妄想力には際限がない。
「バースト様、この水車小屋が見つかるのも時間の問題です!
どうか、バースト様だけでも早く街の外へ……!」
「断る……ここは静かで日当たりもいい。わざわざ寝床を移す理由がない」
僕が素っ気なく返すと
ミアは絶望したように崩れ落ちそうになった。
「そ、そんな……っ!
私やこの子を守るために、ご自身の身を危険に晒すおつもりですか!?
伝説の戦士であられるバースト様が、こんな辺境の街で……っ」
……また始まった。
どうしてこの少女は、僕のただの『縄張りへの執着』と
『移動の面倒くささ』を、こうも美しく
自己犠牲の精神に変換できるのだろうか?
直後、訂正するのも面倒になり大きな溜息をついた時だった。
「……ん、ぅ……」
僕の腹の上で、獣人の子供がゆっくりと顔を上げた。
まだ、熱の名残があるのか潤んだ目で僕の顔をじっと見つめてくる。
そして、鼻をスンスンと数回鳴らし
僕の匂いを確認するように顔を近づけてきた。
「おか……しら……?」
微かに掠れた声で、子供が僕をそう呼んだ。
『お頭』……どうやらこの子は
僕から発せられる『気高い猫のボス』としてのオーラを
驚くほど正確に読み取ったらしい……うん、人間のミアよりもよほど賢い。
「す……好きに呼べ」
僕が短く返すと、子供はふにゃりと安堵の笑みを浮かべ
再び僕の服に顔を擦り付けた。
ゴロゴロゴロ……という心地よい振動が
直接僕の腹に伝わってくる。悪くない……実に悪くない。
――だが、その平穏な空気を
外から忍び込んできた『異物』が唐突に切り裂いた。
「……ッ」
僕は無意識に顔をしかめ、鼻先を覆った。
隙間風に乗って、あの吐き気がするほど不自然で
強烈な甘い花の臭いが、水車小屋の中まで入り込んできたのだ。
「ミア。あの『臭い羽虫』どもの数は? 」
「え、えっと……表の通りに、黒服の兵士が十数人
それに『ならず者たち』が多数……おそらく、もうこの裏手まで……!」
ガシャ……ガシャ……
ミアの言葉を裏付けるように、小屋の外から多数の足音と
金属が触れ合う音が聞こえ始めた。
「……おいおい、こんなボロ小屋に隠れてるなんてことはねえだろうな?」
「念のためだ! 中を調べろ!」
下品でやかましい声が、すぐそこまで迫っている。
僕の腹の上で、子供の喉鳴りがピタリと止まり
再び小刻みな震えが始まった。
極上の湯たんぽが、恐怖の冷や汗で急速に冷えていく。
……僕はゆっくりと体を起こし、腹の上から子供をそっと下ろした。
そして、小屋の隅で震えるミアに向かって顎をしゃくる。
「ミア……その子を毛布に包み、奥の物陰に隠れていろ。
耳を塞いで、絶対に目を閉じておくんだ」
「バ、バースト様……!?」
「いいか、絶対に目を開けるな」
低く、有無を言わさぬ声で念を押す。
これから僕がやることは、気高い戦士の戦いなどではない。
自分の縄張りに土足で踏み込み、安眠を妨害し
不快な臭いを撒き散らす害虫どもに対する
ただの『徹底的な掃除』だ……そんな野蛮な光景を
この子供や『陽だまりの匂いのする少女』に見せるつもりはなかった。
「……さて」
僕は首の骨をコキリと鳴らし、水車小屋の扉の前に立った。
木板の向こう側から、無遠慮な足音が近づいてくるのがわかる。
「おい、この扉、内側から鍵がかかって――」
外の人間がそう言いかけた瞬間、僕は
引っ掻く要領で目の前の分厚い木の扉に向かって無造作に右手を振り抜いた――
ドガァァァァァァァァンッッ!!!!
――轟音と共に、木扉が木っ端微塵に吹き飛び
外にいた兵士たちごと路地の反対側まで飛んでいった。
手加減をしてやる義理もない……土埃が舞う中
僕は、ゆっくりと外へ足を踏み出した――




