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小惑星配送便3 ―― ゆりかごは星の海を越えて ――  作者: 真野真名


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6、制限G値〇・八のドッグファイト




 二十四日目。


 集荷までの短い夜、眠気で霞む目をこすりながら、僕はガムテープと代替配線で流星号を無理やり形に整えた。

 修理と呼べる代物ではない。「バラバラにならずに動く」だけの、動く鉄屑のハリボテだ。


「ポチ、機体の調子はどうだ。お前の論理的な評価を聞かせてくれ」


 十三時ちょうど、ラボ【ビクスモッツァ】から二十四日目の「時限爆弾」を受け取り、コックピットに滑り込んだ僕は、シートベルトを締め上げながら問いかけた。


 ダッシュボードのインジケーターが、不機嫌そうな橙色の光を放つ。


『客観的かつ厳密に表現するならば、現在の流星号は「自力で移動可能な棺桶」です。メインフレームの歪みにより、右旋回時にコンマ二秒のタイムラグが発生します。さらに、後方スラスターは最大出力の七十パーセントで安全弁が作動する仕様に変更しました。これ以上の負荷をかければ、文字通りお尻から爆発します』


「上出来だ。動くだけマシと思おう」


『宇都宮様のその異常なまでの楽観主義には、医療的なアプローチが必要だと思われます』


「うるさいな。行くぞ、ポチ。地獄のシャトルラン、二十四本目だ」


 流星号は鈍い加速と共にラボを離れ、ルテティアへの航路へと滑り出した。




 往路の前半は不気味なほど静かだった。昨日僕を襲った「クロウ・シンジケート」の影はなく、レーダーにも怪しい熱源は映らない。だが、それが嵐の前の静けさであることは、僕にもポチにも分かっていた。

 黒幕が満鷹みたかだとしたら、僕が生きていることに焦りを感じているはずだ。監査部の調査の手も伸びているようだし、奴にはもう時間がない。次に来る襲撃は、昨日のような「小手調べの当たり屋」ではない。確実に僕を仕留めるための、本物の暴力だ。


 航程の中間点。メンバメイとルテティアのちょうど中間に位置する、小惑星の残骸が不規則に漂う無人宙域。

 その境界線に足を踏み入れた瞬間、コンソールの広域レーダーが、狂ったように赤い光を明滅させた。


『熱源感知。前方より二、右舷側方より一。計三隻の高速運動体を捕捉しました』


 ポチの声が、一音低くなる。


『識別信号なし。機体形状から、いずれもクロノス・エクスプレス製の大型回収船をベースにした、違法武装改造機と識別。当機への接近速度から、迎撃および拿捕ではなく、明確な撃墜コースを選択しています』


 モニターがズームした映像には、昨日の襲撃船と同型の、赤黒い錆に塗れた三隻の鉄塊が映し出されていた。


 船首部分には、不格好に溶接された旧式の連装電磁砲レールガンが、すでにその銃口をこちらに向けている。

 丸腰のオンボロ輸送船一隻に対して、武装した海賊船が三隻。普通の運び屋なら、この時点で神に祈るか、あるいは脱出ポッドの射出ボタンに手を伸ばすところだろう。


「武器がないってのは、本当に不便だな」


 僕は乾いた笑いを漏らしながら、操縦桿を両手でしっかりと握り直した。


「だが、こっちには、この三十日間で嫌というほど鍛え上げられた最高にシビアな操縦技術がある」


『訂正します。宇都宮様にあるのは、操縦技術ではなく「命知らずの蛮勇」です。そして、最大の未解決問題バグを提示します』


 ポチのインジケーターが、背後の貨物室の方向を指して点滅した。


『今回の戦闘における最大の問題は、敵の攻撃を躱すことではありません。コンテナの制限G値──〇・八以下を維持することです。これを一瞬でも超えれば、積荷は失活し、ミッションは失敗。すなわち辺見様の奥様の命が失われます』


 制限G値〇・八。


 それは、遊園地のちょっとしたジェットコースターよりも遥かに緩やかな、生ぬるい加速しか許されないという、絶望的な縛りプレイを意味していた。


 宇宙空間でのドッグファイトにおいて、急旋回や急制動による高G機動は、敵の照準を外すための基本中の基本だ。それを封じられた状態で、電磁砲レールガンの嵐を潜り抜けろと言うのだ。


「……やってやろうじゃねえか。ポチ、敵の初弾が来るぞ!」


 前方の二隻が、その巨体に似合わない鋭いスラスターの光を放ち、左右から挟み込むように突っ込んできた。


 次の瞬間、音のない宇宙空間で、敵の銃口から無数の光の筋が吐き出された。超高速度で射出される実弾の嵐が、流星号の進路を正確に予測して網を張る。


「うおおおっ!」


 僕は操縦桿をミリ単位で傾け、機体を右へと滑らせた。

 通常のドッグファイトなら、ここでスラスターをフル出力して一気に下調停へと急降下するべき局面だ。しかし、僕の手は操縦桿を優しく、それでいて極限まで精密にコントロールしていた。


 コンソールのGメーターが、〇・七二、〇・七五、と数値を上げていく。


「止まれ! それ以上上がるな!」


 僕は叫びながら、左舷の微小スラスターを逆噴射し、機体の横滑りを無理やり相殺した。


 メーターの数字が〇・七九でピタリと止まる。


 そのわずか数メートル横を、敵の機関砲弾が猛烈な速度で通り過ぎていった。至近距離を通過した弾丸の圧力波――いや、宇宙空間だから圧力波はない。純粋に、弾丸の放つ熱線が流星号のセンサーを焼き、機体の表面をかすめて火花を散らした。


『素晴らしい。制限G値まで残り〇・〇一。心臓に極めて悪い曲芸です』


「褒めてる暇があったら、次の回避ルートを計算しろ!」


『右舷側方からの三隻目が、当機の未来位置への予測射撃シークエンスに入りました。回避不可能です』


 モニターを見ると、横から回り込んできた三隻目の海賊船が、すでにこちらの退路を断つように砲口を固定していた。

 左右の前方機に追い込まれ、横からの狙撃で仕留められる。完璧な連携だった。白兎配送のマスターサーバーから僕の航行データを盗んでいるだけあって、奴らは僕が「急激な回避を避けている」こと、つまり荷物の制限の存在にまで気づいているようだった。


「武器がないなら、作ればいい」


 僕は操縦席の右側にある、普段は触ることのない赤いレバーに手を伸ばした。


「ポチ、タマのデータ領域から、奴らの船の仕様を引っ張り出したな。クロノス製の回収船だ。あいつらのメインセンサーは、どの周波数帯を使ってる?」


『光学および中赤外線レーダー、そしてミリ波放射計を併用しています。旧世代の標準的な構成です』


「なら、こいつが効くはずだ」


 僕は赤いレバーを力一杯引き下げた。

 それは、流星号の「貨物室緊急冷却用」の液体窒素タンクの、手動強制排気弁だった。

 本来は、万が一のコンテナ過熱時に周囲の空間ごと冷却するための非常装置だ。


 流星号の後方から、超低温の液体窒素が猛烈な勢いで宇宙空間へと噴出された。

 大気のない真空の世界に解き放たれた液体窒素は、一瞬にして爆発的に気化し、その後、周囲の微小なデブリや自らの熱を奪って、巨大な「凍結結晶の雲」へと姿を変えた。


 それは、漆黒の宇宙空間に突如として現れた、光を乱反射する白い霧の壁だった。


『ミリ波および光学センサーが完全に遮断されました。敵機、当機の位置を見失いました』

「今だ! スリングショットをかける。前方の小惑星の重力圏に飛び込むぞ!」

 僕は液体窒素の霧に隠れながら、流星号の機首を、目の前に迫る直径数百メートルの歪な小惑星へと向けた。

 敵の三隻目が、僕の姿を見失ったまま闇雲に放った機関砲弾が、白い霧を切り裂いて虚空へと消えていく。

 霧を抜けた先には、ごつごつとした岩肌の小惑星が目前に迫っていた。

「ポチ、重力計算! 〇・八Gを超えずに、この小惑星の地表スレスレを回る角度を出せ!」

『計算完了。現在の速度を維持したまま、小惑星の重心から距離百二十メートルを通過してください。その際の予想発生G値は〇・七八。非常にスリリングな数値です』

「上等だ、やってやる!」

 僕は流星号の機体を、小惑星のクレーターの縁に沿うようにして傾けた。

 窓の外には、触れそうなほど近い距離で、赤茶けた岩肌が猛烈な速度で後ろへと流れていく。

 重力に引っ張られ、機体が内側へと引き込まれそうになるのを、外側のスラスターをミリ秒単位で小刻みに叩いて耐える。

 身体がシートへとじわりと押し付けられ、視界の端が白く滲み始めた。インジケーターを見る余裕はなかった。


 歯を食いしばり、操縦桿を固定する。脳の血管が破裂しそうなほどの緊張感。

 流星号は、小惑星の強い重力を利用して、その軌道をグイリと百八十度反転させた。天体の引力を利用した、急激な方向転換──スリングショットだ。

 そして、その効果は僕たちの機体だけに留まらなかった。

 霧を突き抜けて僕を追ってきた海賊船の先頭の一隻が、小惑星の影から突然現れた流星号の「逆走」に対応できなかった。

 奴らは流星号がそのまま直進して逃げると確信していたのだ。

「あばよ、当たり屋のガラクタ船!」

 僕がその横をすれ違いざまに通り過ぎた瞬間、敵のパイロットは慌てて操縦桿を引いたのだろう。

 だが、質量が流星号の八倍もある大型回収船は、そんな急な機動には対応できない。

 敵の船体は、慣性を制御しきれずに小惑星の重力圏へと引きずり込まれ、そのままクレーターの切り立った崖へと、音もなく、しかし凄まじい質量をもって激突した。

 敵機の船首が粉々に砕け散り、内部の推進剤が引火して、真空の闇の中に一瞬だけ、鮮烈なオレンジ色の火球が膨らんで消えた。

『一機、沈黙。小惑星地表への激突による大破を確認しました。宇都宮様、現在の戦術は極めて野蛮ですが、有効です』

「まだ二隻残ってる! 喜ぶのは早い!」

 バックミラーの映像の中で、残された二隻の海賊船が、仲間の爆発を目の当たりにして完全に理性を失ったのがわかった。

 スラスターの光が、憎悪を映し出すように禍々しく輝く。

 奴らはもう、僕を拿捕して荷物を奪うことなど考えていない。ただ、仲間の仇を討つため、そして依頼主である満鷹からの命令を遂行するためだけに、明確な「殺意」を持って、残されたすべての火力をこちらへと向けた。

 タタタタタ、と機体の背後から、不気味な振動が伝わってきた。

 二隻の敵機が同時に放った機関砲の弾幕が、流星号の後方装甲を執拗に叩いている。

「ポチ! シールドの出力は!?」

『残量十五パーセント! あと二発被弾すれば、このオンボロのエンジンルームに直接穴が開きます!』

「右旋回のタイムラグはどれくらいだ!?」

『コンマ二秒です! ですから、右への回避は──』

「いや、右へ跳ぶ!」

 僕はポチの警告を無視し、操縦桿を右へと叩き付けた。

 コンマ二秒のタイムラグ。流星号の機体は、僕の入力を受けてから、一瞬だけ、虚しく虚空を直進した。

 敵のパイロットは、僕がこれまでのフライトで「右旋回を避けていた」特性を見抜いていた。だから、彼らの照準は、僕が左へ逃げることを見越して、左側に厚く張られていたのだ。

 タイムラグの後の、不格好な右旋回。

 それが、結果として敵の予測射撃を完全に裏切る形になった。

 流星号のすぐ左側を、文字通り「空間を削り取る」ような弾幕の束が通り過ぎていく。

「いけえええっ!」

 僕はそのまま、残された最後の手段に打って出た。

 ダッシュボードの上、ピンク色の球体──タマの隣に固定されていた、僕の私物である「ロードバイク用の予備高圧炭素ボンベ」。そして、船外活動用のジャンク・コンプレッサー。

 僕は、手作りのバイパス配線を通じて、それを流星号のメインエンジンへの『異常燃料ブースト』として接続していた。

「ポチ、安全弁を切れ! お尻が爆発する手前まで、出力を上げろ!」

『正気ですか!? 後方スラスターが溶解します!』

「やれ! 燃え尽きる前に、ルテティアの管区レーダー網に飛び込むんだ!」

『了解しました。リミッター解除。……神のご加護を、宇都宮様』

 コンソールのすべての警告灯が、一斉に血のような赤色に染まった。

 背後から、これまでに経験したことのないような、身体の芯を恐怖で凍りつかせる激しい振動が伝わってくる。

 流星号は、悲鳴を上げながら、そのオンボロエンジンから青白い猛烈なプラズマの炎を吐き出した。

 圧倒的な加速。

 だが、僕は操縦桿を微動だにさせず、機体を「完全な直線」へと固定していた。

 直線加速であれば、コンテナにかかる横Gは最小限に抑えられる。Gメーターは、〇・七九、〇・七九五……。

 制限値のギリギリの、さらに薄皮一枚の境界線の上を、流星号は弾丸のような速度で突き進んだ。

 背後の二隻の海賊船が、その圧倒的な、そして狂気じみた直線加速に、ぐんぐんと引き離されていく。

 奴らが慌てて追撃の出力を上げた時には、すでに流星号は、小惑星ルテティアの公的な港湾管制レーダーの守備範囲へと滑り込んでいた。

『ルテティア管区警備ドローン、および防衛レーダーのオンラインを確認。敵機、追撃を断念し、反転していきます』

 ポチのその言葉を聞いた瞬間、僕の耳の奥で、張り詰めていた何かがプツリと切れた。

 同時に、過負荷に耐えかねた後方スラスターが、ポン、と間の抜けた音を立てて完全に沈黙した。

 コンソールの光が次々と消え、緊急予備電源の薄暗い緑色の光だけが、汗まみれの僕の顔を照らす。

「……はぁ、はぁ、はぁ……」

 僕は操縦桿から手を離し、自分の両手が、まるで他人のものであるかのように激しく震えているのを見つめていた。

 全身の筋肉が、過緊張の反動で悲鳴を上げている。宇宙服の中は、もはや自分の汗で水浸しだった。

『二十四日目。ルテティア採掘基地ドックへのアプローチを開始します』

 ポチの声が、いつものシニカルな調子を取り戻していた。

『コンテナ温度、マイナス四十・〇度。発生最大G値、〇・七九八。……お見事です、宇都宮様。あなたは、統計学的な死の可能性を、またしてもその無駄な強運だけでねじ伏せました』

「強運、じゃねえよ……。意地、だ……」

 僕はまともに回らない舌でそう答え、ダッシュボードのタマを見た。

 ピンク色の球体は、激しい戦闘の間も、ずっと変わらない姿でそこに転がっていた。白い花のシールが、エンジンの熱で少しだけ端がめくれている。

「タマ、お前のお兄ちゃんは……今日も、最高に優秀だったろ」

 タマは答えない。ただ、その滑らかな金属の表面に、疲れ果てた僕の顔が情けなく映り込んでいるだけだった。


 二十四日目、配送完了。




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