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小惑星配送便3 ―― ゆりかごは星の海を越えて ――  作者: 真野真名


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5、祈りの代償 ── 破綻する陰謀と、親の覚悟




 宇宙空間において、「音」は存在しない。

 だが、装甲を物理的に叩き割られる衝撃と、機体の骨格が悲鳴を上げる軋みは、空気を介さずとも乗組員の骨を直接揺らす。


「ポチ! 被害状況!」


『左舷後方スラスター、出力六十パーセント低下! 姿勢制御系のマニピュレーター第二関節が物理的欠損。……ギリギリで直撃は避けましたが、カス当たりでこれです。相手の質量は当機の約八倍と推測されます』


「クソッ、ただの体当たりじゃねえぞ! 完全に殺しに来てやがる!」


 二十三日目、ルテティアへの往路。


 航程の四分の三を過ぎた宙域、通称「墓場グラヴィヤード」と呼ばれる廃衛星のデブリ帯を抜けていた時のことだった。

 民間管制のレーダー網が届かない、ほんの数分間のブラックアウト領域。その影から、文字通り「降ってきた」のだ。


 メインモニターの隅で、赤黒い塗装の巨大な船影がゆっくりと反転するのが見えた。


 識別信号を出していないその船体には、かつて見た「翼を広げた時計クロノス・エクスプレス」のロゴの残骸がへばりついている。


 奴らは通信での警告も、積荷の要求も一切行わなかった。ただ無言で、流星号の横腹をスクラップにするためだけに、全速力で突っ込んできたのだ。


「荷物のコンテナは無事か!?」


『温度マイナス四十・〇度を維持。外部衝撃キャンセラーが辛うじて規定G値内に収めました。ですが、次弾を食らえば保証できません』


「次なんて食らうかよ!」


 僕は操縦桿を限界まで引き絞り、流星号の残されたスラスターを不規則に吹かしてデブリの隙間へと飛び込んだ。


 無数の岩塊が飛び交う中を、僕は勘と反射神経だけを頼りにすり抜けていく。前面装甲とレスポンスの良さだけが取り柄の流星号は、多少の擦り傷は仕方ないと諦めて、ヤバそうな物だけ確実に避けて行く。


 巨大な図体の襲撃船は細かなデブリ帯の奥までは追ってこられず、やがて苛立たしげな推進剤の光を残して、レーダーの範囲外へと消えていった。


「……助かっ、たのか」


 僕は脂汗に塗れたヘルメットの中で、荒い息を吐き出した。震える手でコンソールを叩き、ルテティアへの正規航路へと機体を戻す。


『宇都宮様。先ほどの襲撃についての事後解析が完了しました』


 ポチの合成音声が、いつも以上に冷たく響いた。


『極めて不可解です。先ほどの「墓場」は、三次元的に広がる広大なデブリ帯です。その中の、どのルートを、どのタイミングで流星号が通過するか。奴らは数秒の誤差もなく、完璧なタイミングで待ち伏せを行っていました』


「……ああ。俺もそう思ってた」


 僕は奥歯を噛み締めた。


「海賊が偶然出くわして襲ってきたレベルじゃない。奴らは俺の『現在地』と『航路予定』を、リアルタイムで把握していた」


『その通りです。そして、流星号のリアルタイムのテレメトリ・データを外部から完全に把握できるのは、宇宙広しと言えども「白兎配送のマスターサーバー」のみです』


「……やっぱりな」


 これまでの陰湿な嫌がらせの数々。ゲートの閉鎖、経費カードの凍結。そして今回の、物理的な襲撃。


 点が線で繋がった。


 襲撃者は、見ず知らずの宇宙海賊なんかじゃない。白兎配送の内部にいる何者かが、俺の航行データを裏社会の連中に横流しし、俺を物理的に「消そう」としているのだ。


「権限を持った社内の人間……しかも、俺を個人的に恨んでいて、こんな大掛かりな妨害工作ができる地位にいる奴」


 心当たりは、一つしかなかった。

 満鷹みたか瑛児えいじ


 あの一ヶ月前、俺に顧客を奪われて顔を真っ赤にして怒り狂っていた、エリート気取りのあの男だ。

 奴なら、エグゼクティブ権限でシステムに干渉できる。だが、まさか俺を殺すために違法サルベージ屋まで雇うとは。


「……底辺を笑うエリート様が、ずいぶんと泥臭い真似をしてくれるじゃないか」


 僕は血の味がする口内で、皮肉な笑みを浮かべた。




 ルテティアの採掘基地に着陸したのは、リミットのわずか十分前だった。

 ボロボロになった流星号のハッチを開けると、待機していた現地の作業員たちが、焦げ臭い煙を上げる機体を見て息を呑むのがわかった。


「宇都宮くん!」


 作業員たちの後ろから、責任者の辺見が血相を変えて駆け寄ってきた。彼は流星号の削り取られた左舷装甲と、かろうじて無事だったコンテナを交互に見て、顔面を蒼白にさせた。


「何があったんだ。その機体の傷は……まさか」


「ちょっとデブリ帯で当たり屋に絡まれましてね。荷物は無事です。さあ、サインを」


 僕は努めて軽い調子で端末を差し出したが、辺見はそれを受け取ろうとはしなかった。

 彼は深く沈痛な面持ちで、僕の目を真っ直ぐに見つめ返した。


「……少し、私のオフィスへ来てくれないか。話がある」


 採掘基地の奥にある辺見の私室は、外の荒涼とした景色とは裏腹に、地球の木材を使った温かみのある調度品で整えられていた。

 辺見は無言のまま、陶器製のティーカップに合成ではない本物の茶葉で淹れた紅茶を注ぎ、僕の前に置いた。芳醇な香りが立ち上るが、僕の喉は乾ききっていて、とてもそれを楽しむ余裕はなかった。


「宇都宮くん。……私は、君に謝らなければならない」


 辺見は向かいのソファに深く腰掛け、しわの刻まれた両手で顔を覆った。


「もう、終わりにしよう。この契約は、今日で破棄する」


 僕は紅茶のカップを持った手を止めた。


「……どういうことですか、辺見さん。今日で二十三日目ですよ? あと一週間、あと一週間で規定の三十日がクリアできるんです。今更キャンセルなんて」


「これ以上、君を危険に巻き込むわけにはいかないんだ!」


 辺見が悲痛な叫びを上げた。その声には、初老の男が長年押し殺してきたような、深い絶望が混じっていた。


「わかっているんだ。君が最近、何度も不可解なトラブルに見舞われていることも。そして今日の……その機体の傷も。あれは事故なんかじゃない。何者かが、君の命を狙って攻撃を仕掛けてきているんだろう」


「それは……」


「原因は、間違いなく私の側にある」


 辺見はそう言うと、傍らのデスクの上に置かれていた小さな写真立てを手に取った。

 そこには、少しふっくらとした、優しげな笑顔を浮かべる中年の女性が写っていた。


「私の妻、静子だ。彼女は今年で五十三歳になる。私ももうすぐ六十だ。私たちは結婚して三十年、子宝には恵まれなかった。互いに慰め合い、このルテティアの辺境で、二人きりで静かに老いていくのだと、そう受け入れていた」


 辺見の指が、写真の妻の顔を愛おしげになぞる。


「だが、半年前。奇跡が起きた。静子が……妊娠したんだ」


 僕は息を呑んだ。この過酷な宇宙開拓時代にあっても、五十代での自然妊娠と初産は、母体にとって文字通り命懸けの行為だ。


「私たちは泣いて喜んだ。だが、運命は残酷だったよ。ルテティアの特殊な低重力環境と、彼女の年齢が最悪の形で連鎖し、『妊娠性細胞崩壊症候群』という致死性の奇病を発症してしまった。母体と胎児の細胞が、互いを異物とみなして攻撃し合う……恐ろしい病だ」


 辺見は痛ましげに目を伏せた。


「初期段階で胎児を諦め、摘出する処置をしていれば、静子の命だけは確実に助かった。……だが、彼女は泣いて拒否した。やっと授かった奇跡を、自分から手放すことなどできないとね」


「……コールドスリープは?」


 僕の問いに、辺見は力なく首を横に振った。


「コールドスリープに胎児が耐えられない。だから、病状の進行と戦いながら、胎児が母体外の人工子宮でも生存可能な状態まで成長するのを待つしかなかった」


 三十日。


 僕が契約で縛り付けられていたその期間は、ただのビジネスの都合ではなかった。


「あと一週間で帝王切開で胎児を取り出し、妻の本格的な治療を開始できる」


 辺見は立ち上がり、窓の外の漆黒の宇宙を見つめた。


「君が毎日運んでくれているあの薬はね、メンバメイのラボが極秘裏に開発を進めている、未承認の細胞安定化剤なんだ。投与開始から、毎日寸分の狂いもなく連続投与し続けることでしか、妻と子供が生き延びるための時間を稼ぐ方法はない」


「……極秘裏の、未承認薬」


「ああ。そして、この薬が完成し、臨床データが実証されれば……現在、巨大な医療カルテルが独占している『高額な細胞延命治療』の市場が、完全に破壊されることになる」


 辺見の声が、微かに震えていた。


「私に明確な証拠はない。だが、タイミングを考えればそれしかないんだ。医療カルテルの息のかかった連中が、この新薬のデータを潰すために、運び屋である君を物理的に排除しようとしている。……莫大な利権を守るためなら、彼らは一人の命など塵芥ほどにも思わない」


 辺見は振り向き、僕に向かって深く、深く頭を下げた。初老の男の白髪交じりの頭頂部が、僕の目の前に突き出される。


「私は、妻とまだ見ぬ子供を救いたい。この命に代えても。……だが、そのために君という見ず知らずの若者の命を犠牲にすることは、人間として絶対にやってはならないことだ」


「辺見さん……」


「すまない、宇都宮くん。本当にすまない。違約金も、君の船の修理代も、すべて私が個人資産から支払う。だから……もう、飛んではいけない」


 部屋の中に、重く息苦しい沈黙が降りた。

 壁掛け時計の秒針が、カチ、カチと無慈悲に時を刻む音だけが響いている。


 辺見は本気だった。彼は、ようやく手に入れた子供と、愛する妻の命を諦めてでも、僕の命を守ろうとしている。それが、辺見という人間の持つ「誠実さ」だった。


 僕はソファの背もたれに深く寄りかかり、天井を仰ぎ見た。


 巨大な医療カルテルの陰謀。新薬の利権を巡る、血なまぐさい暗闘。

 確かに、物語としては完璧だ。辺見さんがそう思い込むのも無理はない。映画や小説なら、ここで僕は巨大な悪の組織に立ち向かう孤高の運び屋として、悲壮な決意を語るべきなのだろう。


 だけど、現実はもっと、ずっとしょうもないのだ。


 巨大な医療カルテル? 違う。

 新薬の利権? そんなものは関係ない。


 今、僕の命を狙って暗躍しているのは、そんな大層な悪の組織なんかじゃない。

 ただの、プライドだけが肥大化した、嫉妬深い自社うちのエリート社員だ。


 あいつは、自分が気に食わない底辺アルバイトが、自分の横取りしたかった案件で評価されるのが許せないという、ただそれだけの、信じられないほど矮小で個人的な恨みで、違法な海賊を雇って僕を殺そうとしているのだ。


 ──そんな下らない理由のために。


 この目の前にいる男の、三十年越しの祈りを。

 そして、自分の命を懸けて我が子を守ろうとしている母親の決意を。


 あんな野郎のちっぽけなプライドのせいで、踏みにじらせてたまるか。


「……辺見さん」


 僕はゆっくりと立ち上がり、紅茶のカップを一気に飲み干した。


「あんたの推測は、たぶん間違ってますよ」


「えっ?」


 頭を上げた辺見が、呆然とした顔で僕を見る。


「巨大カルテルだの陰謀だの、そんな立派な悪党じゃありません。僕を狙ってる奴の正体は……もっとずっと、セコくて惨めな、ただの小悪党です。僕の個人的なストーカーみたいなもんですよ」


「宇都宮くん……何を言っているんだ?」


「だから、あんたが責任を感じる必要はこれっぽっちもないってことです」


 僕は宇宙服のヘルメットを小脇に抱え、辺見に向けてニヤリと笑ってみせた。


「契約を途中で投げるのは性に合わないんですよ。それに、俺は大学の復学資金を稼がなきゃならないんでね。この程度の『小石』につまずいて、大金を手放すつもりはありませんよ」


「し、しかし! 相手は君を殺しにきているんだぞ!」


「ええ。だから、これからはちょっとだけ、飛び方を変えます」


 僕はオフィスのドアノブに手をかけた。


「辺見さん。奥さん、初産で大変でしょうが、あんたがしっかり支えてやってください。荷物は、俺が必ず届けます。宇宙がひっくり返ってもね」


「宇都宮くん……!」


 背後で辺見が何かを言いかけるのを遮るように、僕は部屋を出た。




 ドックに戻ると、流星号は痛々しい姿で冷たいフロアに駐機していた。

 ダッシュボードの奥で、ポチのインジケーターが明滅している。


『宇都宮様。先ほどの会話は傍受させていただきました。現在の流星号の損傷度合いと、敵の戦力を比較した場合、今後のミッション成功率は約四・二パーセントまで低下します。論理的帰結として、契約の破棄が最も生存率の高い選択でした』


「わかってるよ。でもな、ポチ」


 僕は操縦席に潜り込み、ガムテープで補修されたシートに身体を沈めた。


「俺は運び屋だ。荷物を待ってる客がいて、俺が運べる状態にあるなら、運ぶ。それ以外の理由は必要ない」


『……極めて非論理的な感情論です。ですが、宇都宮様がそう決断されるのであれば、当機はそれに従うまでです』


「頼むぜ、相棒」


 僕は隣で沈黙を続けるタマの球体を軽く小突いてから、メインシステムの再起動スイッチを入れた。


「さあ、反撃の時間だ。……白兎のエリート様に、底辺の意地ってやつを教えてやろうぜ」




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