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小惑星配送便3 ―― ゆりかごは星の海を越えて ――  作者: 真野真名


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3、忍び寄る悪意




 人間の肉体というものは、良くも悪くも環境に適応するようにできているらしい。

 三十日間の連続配送ミッション。その三分の一にあたる十日目を迎えた頃、僕の身体はすっかり「過酷なシャトルラン」のサイクルに最適化されつつあった。


 一日の睡眠時間は細切れの計四時間。食事は操縦桿から片手を離さずに摂取できるチューブ型の流動食か、お湯を注ぐ時間すら惜しい時にそのままかじる固形栄養ブロックのみ。貨物室の温度上昇を防ぐため、宇宙服の冷却バイパスをコンテナに繋ぐ「サウナ運用」にも慣れ、汗をかくペースまで体が勝手に調整するようになっていた。


 だが、それはあくまで「慣れた」というだけであって、肉体へのダメージが減ったわけではない。むしろ疲労は骨の髄まで沈殿し、ちょっとした頭の動きでも首の関節が軋むような音を立てるようになっていた。


 そんな疲労困憊の十日目。最初の「それ」は、単なる運の悪さか、あるいは宇宙の気まぐれのように見えた。


 メンバメイ軌道上のラボ【ビクスモッツァ】で荷物を受け取り、ルテティアへの往路の三分の一を消化したあたりだった。突然、コンソールの公衆通信チャンネルがノイズ混じりに開いた。


『あー、こちらメンバメイ民間宙域管制。白兎配送の登録機、ええと……機体番号XLQー09、〈暁月の流星号〉。聞こえるかー。流星号応答せよ』


 ガムを噛みながら喋っているような、ひどく間延びした声だった。僕は舌打ちをして通信マイクのスイッチを入れた。


「こちら流星号。感明瞭。何のご用で?」


『現在、指定された第四航路のセクターBに、微小デブリの帯が流れ込んでる。安全基準を満たさないため、当該航路を一時封鎖する。流星号は速やかに進路を変更し、第九航路のセクターFを迂回してルテティアへ向かえ。以上』


 通信は一方的に切られた。僕は目を見開いた。


「おいポチ、第九航路への迂回だと? あそこを通ったら、どんなに飛ばしても到着まで六時間はかかるぞ!」


『現在、第四航路セクターBにおけるデブリ観測データを受信、解析中……終了しました。結論から申し上げます。先ほどの管制官の報告は、意図的な虚偽です』


 ポチの抑揚のない合成音声が、冷たく事実を告げた。


『近隣の無人観測プローブの生データを取得しましたが、当該宙域は完全なクリア状態です。デブリの欠片一つ存在しません』


「つまり、わざと遠回りをさせて、俺を遅刻させようとしてるってことか?」


『その確率が極めて高いと推論します』


「ふざけやがって……! 誰の差し金かは知らないが、こんな見え透いた嘘に付き合ってられるか。ポチ、このまま第四航路を突っ切るぞ。警告を無視した時のペナルティはどうなる?」


『民間管制の指示違反による罰金は、約五百クレジットです。ただし、現在の流星号のメインシステムには、旧式の自動航法オーバーライド・プロトコルが残存しています。管制局のシステムに「旧航路コード」を送信し、システム上のバグを突いて警告を一時的に無効化することが可能です』


「やれ。五百クレジットだって払う義理はない」


 ポチが数秒の処理を行った後、コンソールに点滅していた「航路逸脱警告」の赤い文字がすっと消えた。僕はスラスターを吹かし、誰の邪魔も入らない無人の第四航路を限界速度で駆け抜けた。




 それが、単なる偶然ではなく、明確な「悪意」の始まりだったと確信したのは、翌日の十一日目だった。


 ルテティア採掘基地まであと十分という距離まで迫った時だ。いつもなら緑色に点灯して開いているはずの第四入港ゲートが、無慈悲な赤色を点滅させて完全に閉ざされていた。


 ゲートの周囲には「臨時メンテナンス中」のホログラム・テープが虚しく漂っている。


「どういうことだ! 事前通告なんてなかったぞ!」


『ルテティアの港湾管理システムにアクセス……拒否されました。表向きは駆動系の突然のトラブルとされていますが、復旧予定時刻は二時間後と設定されています』


「二時間後だと!? ふざけるな、コンテナの冷却リミットまであと十五分しかないんだぞ!」


 僕は通信チャンネルをルテティアの管理事務所に合わせたが、何度コールしても「ただいま担当者が離席しております」という自動音声が流れるだけだった。間違いない。この港湾の担当者も、誰かに買収されている。


「クソッ……! ポチ、辺見さんの直通回線に繋げ! 依頼主の権限でこじ開けさせる!」


『回線、接続します』


 数秒後、ノイズの向こうから、依頼主である採掘基地責任者・辺見の慌てた声が聞こえた。


『宇都宮くん!? どうした、到着予定時刻を過ぎているが』


「辺見さん! 第四ゲートが臨時メンテとかいうふざけた理由で閉鎖されてます。管理事務所も応答しません。あんたの権限で、今すぐゲートを強制解放してください!」


『なんだと!? そんなメンテの予定は聞いていないぞ。待っていろ、今すぐ港湾部に怒鳴り込んでやる!』


 そこからの時間は、まさに地獄のような長さだった。

 コンテナの温度計はマイナス三十九・九度を示し、あと〇・一度上昇すれば荷物が完全に失活するギリギリのラインを彷徨っている。僕は宇宙服の冷却を完全に切り、生命維持装置のリソースすらも冷却システムに回して耐えた。ヘルメットの中で自分の荒い呼吸が反響し、意識が遠のきそうになる。


 残り三分。ようやくゲートの赤いランプが緑色に変わり、分厚い装甲板がゆっくりと開き始めた。


「間に合ええええっ!」


 僕はゲートが完全に開き切る前に、機体を横に傾けて隙間へ強引にねじ込んだ。機体側面がゲートの縁に擦れ、激しい火花と金属音を撒き散らしたが、構うものか。ドックに接地した瞬間にコンテナを放り出し、現地の作業員がそれを受け取った時、残り時間はわずか三十秒だった。




 十二日目。悪意はさらに陰湿な形をとって現れた。


 メンバメイでの集荷前、燃料が心許なくなった僕は、宙域の端にある薄汚い無人の給油ステーションに立ち寄った。自動給油機にノズルを繋ぎ、決済端末に白兎配送から支給されている経費カードを挿入する。


 しかし、端末は不快なビープ音と共に『残高凍結・決済不可』の赤い文字を吐き出した。


「は……? 凍結? おい、嘘だろ」


 何度カードを抜き差ししても結果は同じだ。経費カードが使えないということは、自腹を切るしかないが、僕の個人口座には明日のラーメン代すら怪しい額しか入っていない。燃料がなければメンバメイのラボにすら辿り着けない。


『宇都宮様。白兎配送の社内システムを外部からスキャンした結果、宇都宮様の経費アカウントが「不審な利用」を理由に、一時的な凍結措置を受けていることを確認しました』


「不審な利用って何だ! 俺は燃料代とドック使用料しか落としてないぞ!」


『社内権限を持つ何者かが、意図的にフラグを立てたものと推測されます。解除申請には通常、二から三営業日を要します』


「終わった……こんなところで足止めを食らったら、今日の配達は絶望的だ」


 操縦席で頭を抱えた僕の目に、ダッシュボードで沈黙を続けるピンク色の球体、タマが映った。

 その直後、ポチのインジケーターが一瞬だけ、不自然な明滅を見せた。


『……宇都宮様。代替案を提案します。現在、流星号のローカルサーバー内に、タマのバックアップ・データ領域が存在します。その中に、かつて彼女が「万が一の非常用」としてプールしていた、暗号化された無記名の暗号通貨ウォレットを発見しました』


「タマの……へそくりか?」


『はい。現在の相場で約千二百クレジット相当。給油には十分な額です。……ただし、出所不明の資金であるため、税務上のリスクが伴います』


「税務署が宇宙の果てまで取り立てに来るなら、喜んでお茶でも出すさ! 払え、全部突っ込め!」


 ポチが決済端末にハッキングまがいの処理を仕掛け、数秒後、給油機のランプが緑色に変わった。僕はタマの球体を撫で回したい衝動を抑えながら、満タンになった燃料タンクと共にラボへと急行した。




 十三日目。気象予報の改竄。


 ルテティアへの航路で、公的な気象データには何の警告も出ていなかったにも関わらず、突然レーダーが真っ赤に染まった。未登録のデブリ嵐だ。


『警告。前方より高密度の微小デブリ群が接近中。公的予報のデータと実際の観測結果に致命的な矛盾が生じています』


「誰かが予報の更新を遅延させたな……! 避けられるか!」


『複数ソースの気象プローブの生データを強制同期、クロスチェックを完了。デブリ群のわずかな切れ目を特定しました。現在の速度を維持したまま、右舷スラスターを三秒間フル出力、その後左舷へ急旋回してください』


 ポチの指示通りに操縦桿を叩き折らんばかりの勢いで倒し、流星号は文字通り「嵐の目」を縫うようにして危険地帯を突破した。船体のあちこちにデブリが擦れる不気味な音が響いたが、なんとか致命傷は免れた。




 十四日目。書類の不備を突いた遅延工作。

 ラボ【ビクスモッツァ】に到着すると、いつもの充血した目の女性研究員ではなく、スーツを着た神経質そうな男が立っていた。


「宇都宮さんですね。本日の荷物引き渡しですが、白兎配送からの受領証明書、フォーム3-Bの添付が確認できません。セキュリティ規定により、書類が揃うまで荷物はお渡しできません」


「フォーム3-B? なんだそれは、昨日までは一度も要求されなかったぞ!」


「規定が変更されたのです。本社に再発行を依頼してください」


 男は冷たく言い放ち、奥の部屋へ引っ込んでしまった。


 本社に連絡し、たらい回しにされ、ようやく書類のホログラム・データが送られてきた時には、既に出発予定時刻から三十分が経過していた。


 五時間というリミットのうち、三十分を失う。それは宇宙空間において死刑宣告に等しい。

 僕は荷物をひったくるように受け取ると、流星号を限界を超えたオーバードライブ状態に叩き込んだ。Gキャンセラーの許容量を超えた重力加速度が、僕の身体をシートに力一杯押し付ける。視界の端が赤く染まり、肋骨が軋む音を聞きながら、ひたすらに虚空を駆け抜けた。


 ルテティアのドックに滑り込み、受領サインをもらった時、期限の十八時までは残りわずか「一分」だった。僕はコクピットの中で、しばらく自分の唾を飲み込むことすらできなかった。




 そして十五日目。事態はさらにエスカレートした。


 往路の途中、突如として赤と青の強烈な閃光がコクピットを照らした。宇宙警察の管区警備艇だ。


『白兎配送、機体番号XLQ―09。直ちにエンジンを停止し、臨検を受け入れよ』


 逆らえば撃墜される。僕は舌打ちをして機体を停め、乗り込んできた二人の検査官と対峙した。


「匿名の通報があった。『白兎配送のオンボロ船が、違法な薬物を密輸している』とな。貨物室を調べさせてもらう」


 検査官がコンテナに手を伸ばそうとした瞬間、僕はわざと狂気じみた笑みを浮かべてその前に立ち塞がった。


「どうぞ、開けてみてください。ただし、その箱の中身は開発中の未承認の生物兵器級ウイルスだ。規定の温度を〇・二度でも外れれば、成分が気化してこの船全体が汚染される。あんたらの防護服ごと溶けるかもしれませんよ。それでも開ける覚悟があるなら、俺は止めない」


 僕が依頼主の正式な積荷証明(中身が医療品であるという最低限の書類)を突きつけると、検査官たちは顔を見合わせ、舌打ちをして引き上げていった。ハッタリだが、正式な証明書を無視してまで、命懸けで真偽を確かめる義理はなかったのだろう。




 その夜。

 ヘトヘトになってメンバメイの中継ステーションに戻り、予約していた流星号の定期整備枠へ向かった。だが、ドックの管理パネルには無情な文字が並んでいた。


『該当する予約データは存在しません』


「……またか。今度は予約の削除かよ」


 ドックの管理人に詰め寄ったが、「システム上は昨日の夜にキャンセルされている」の一点張りだった。


 仕方がない。僕は宇宙服を着込み、工具箱を抱えて船外へと出た。


 漆黒の宇宙空間。命綱一本で機体に張り付き、ライトの明かりだけを頼りに、焼け焦げたスラスターのノズルを自力で交換する。手はかじかみ、疲労で工具を取り落としそうになるのを必死に堪えながら、徹夜の船外活動(EVA)を敢行した。すべては、明日の集荷に間に合わせるためだ。




 翌、十六日目の朝。

 仮眠もろくにとれないままコクピットに座り込んだ僕は、赤く充血した目をこすりながらポチに話しかけた。


「……なぁ、ポチ。さすがにこれ、偶然じゃないよな」


『はい。過去十四日間の異常イベント発生率は、この宙域の平均の七十三倍に達しています。これが単なる不運によって連続して発生する確率は、単独で〇・〇〇〇〇八パーセント。人為的な偏りが存在することは、統計学的に確定しています』


「誰の仕業だ。俺をここまで徹底的に追い詰めようとする暇人は」


『特定は困難ですが、一つだけ共通点があります。すべての妨害工作が、宇都宮様が過去に一度でも接点を持った関係者、あるいは企業・組織のシステムを経由して行われています』


「心当たりが……あるようで、ありすぎるな」


 僕は頭を抱えた。これまでの配送人生で、正規の手続きをすっ飛ばして文句を言われたり、現地の責任者と口論になったりしたことなど星の数ほどある。


『ちなみに、宇都宮様に深い恨みを持つ可能性のある人物のリストを、過去の通信ログとトラブル報告書から生成しましょうか?』


「……一応、頼む」


『抽出完了。該当者、三百二十七名です』


「多すぎだろ!」


 僕は思わずコンソールに突っ伏した。


『宇都宮様の対人生存戦略は、統計上、極めて非効率的かつ破滅的です。早急な人格のアップデートを推奨します』


「否定できないのが辛い……」


 タマは何も言わなかった。当然だ。でも、何も言わないくせに、白い花のシールだけはやけに存在感を放っていた。


 深くため息をついた僕は、次の集荷までのわずかな時間を潰すため、メンバメイの補給ステーションに併設された薄暗い酒場へと足を運んだ。泥水のように不味い合成コーヒーを胃に流し込み、少しでもカフェインを摂取するためだ。


 客のまばらな酒場の片隅の席に座り、ぼんやりと壁を眺めていた僕の目に、一枚の古ぼけたポスターが飛び込んできた。


 長年のタバコのヤニと油汚れで黄ばみ、端が丸まったそのポスターには、翼を広げた時計のマークと、作り物めいた笑顔を浮かべる男女の配達員のイラストが描かれていた。


 その下には、色褪せた文字でこう書かれている。


『クロノス・エクスプレス ── 宇宙にあなたの笑顔を』


「……クロノス。タマがいた会社の、キャッチコピーか」


 僕はコーヒーのカップを片手に、その虚しい宣伝文句を口の中で転がした。

 インカム越しに、船で待機しているポチの声が響く。


『はい。五年前に倒産した企業の、過去の遺物です。当時の彼らは業界シェアのトップクラスを誇っていましたが、末期には利益至上主義に走り、多くの機材がメンテナンス不良のまま使い潰されました』


「その成れの果てが、あの七日目に見た裏社会のサルベージ船ってわけか」


『ええ。倒産後、機材の大半がメンバメイの違法改造業者に流れました。この宙域で「型落ちのクロノス機」を見かけたら、八割方、裏社会絡みの犯罪者だと思って間違いありません』


「覚えとくよ」


 覚えとく、と口では言いつつ、僕はその情報をほとんど右から左へと聞き流していた。


 頭の中は、次の配送のルート計算と、自分の口座残高のこと、そしてこの三十日間を無事に走り切れるかどうかという不安で一杯だった。


 だが、ポチがわざわざ「背景情報」を念押ししてくる時、それは大抵、後になってから僕の喉元に突きつけられる鋭い刃へと変わるのだということを、この時の僕はまだ、理解していなかった。




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