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怪力婪神[カイリョクランシン]・常世の理[トコヨノコトワリ]  作者: 季原 惣彌


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第五話:千首の案山子(せんしゅのかかし)

一 収穫なき黄金の海


「秋の田の、かりほの庵の、苫をあらみ……。百人一首でも詠まれたように、日本の農村において田畑は、生者と死者が交錯する最も神聖な境界の一つでした」

 御子柴巽は、膝の高さまで伸びた雑草をかき分けながら、一面に広がる黄金色の absentee(耕作放棄地)を見渡していた。

 東北地方の山間に位置する「上白根(かみしらね)村」。収穫期を迎えているはずのその田園地帯には、コンバインの音も、農夫たちの活気ある声も一切ない。ただ、冷たい秋風が、実りすぎて(こうべ)を垂れた稲穂を波立たせる音だけが響いている。

 「そして田の守り神であり、同時に異界からの侵入者を監視する境界守が『案山子(かかし)』です。彼らは一本足で立ち、歩くことも、言葉を発することもできない。しかし――だからこそ、この世の全てを『見ている』とされてきた。ルールその五、榧野くん」

 巽は足を止め、背後の助手を振り返った。

「これより先、田んぼの畦道(あぜみち)を歩く際、絶対に案山子と『目を合わせてはならない』。視線を逸らし、常に自分の足元か、私の背中だけを見つめなさい」

 榧野蓮は、トレンチコートのポケットの中で両手をぎゅっと握り締め、青白い顔で頷いた。

「……御子柴さん。目を合わせちゃいけないって言われても、あいつら……数が多すぎますよ。それに、どれもこっちを『覗き込もう』としてる」

 榧野の言葉通り、広大な水田のあちこちには、異常な密度の案山子が乱立していた。

 通常の案山子のように、古い衣服や麦わら帽子で作られているが、その「頭部」が異常だった。どれも、人間の生首とほぼ同じ大きさの、漆黒の布で包まれた球体。そしてその布の表面には、人間の歪んだ「笑顔(苦悶)」のシルエットが、内側から押し付けられたように浮かび上がっていた。

 今回の依頼は、この上白根村で発生した、一連の「人間消失事件」の調査だった。

 一ヶ月前、村の若者たちが数人、夜間に田んぼの畦道を歩いていたところ、忽然と姿を消した。その後、彼らは奇怪な姿で発見されることになる。

 彼らは全員、田んぼの真ん中で「一本足で直立した状態」で、完全に脱水し、木化(もっか)していた。内臓も骨も全て植物の繊維へと変質しており、その顔からは「目、鼻、口」という顔のパーツが、まるで刃物で綺麗に削ぎ落とされたように、滑らかな皮膚だけで覆われていたのだ。

「客観的な検死報告によれば、彼らは生きたまま『顔を奪われ』、その結果として個人の存在定義を失い、土地の依り代(かみのからだ)へと変換された。……彼らは、案山子に『見定められた』のよ」


二 視線の網


 二人が畦道を慎重に進むにつれ、周囲の空気が、まるで何千人もの人混みの中にいるような、奇妙な「熱気」と「視線の不快感」に満ちていった。

 風が吹くたびに、案山子たちの衣服がバサバサと音を立て、彼らの黒い頭部が、まるで操り人形のように、カタカタと不自然な角度で回転する。

「御子柴さん、手帳の記述は……?」

 榧野が、地面を凝視したまま、掠れた声で尋ねた。

 巽は歩きながら、内ポケットから姉・梓の手帳を取り出し、親指でページをめくった。

「ええ、ここに書かれているわ」


『上白根の千首案山子は、神の目を模した結界である。田の神は、収穫の代償として“個人の識別(人間の顔)”を求める。烏の影に追われ、私はここで大きな選択を迫られた。門を閉じるためには、誰かの顔を差し出さねばならない。巽、私はもう、自分の名前も、自分の本当の顔も思い出せなくなり始めている。次の門が開く時、神域の中心に座る“王”の顔を、あなたは見るでしょう』


「お姉さんは、自分の顔を……」

 巽の胸に、冷たい怒りが走る。

 姉の梓は、この地で烏の組織に追い詰められ、門を閉じるための生贄()として、自らの「顔の認知」を神域に差し出したのだ。だからこそ、烏の組織の書状にあったように「神代の血を覚醒させ、神域の王として据えられている」という最悪の予測が、現実味を帯びてくる。

 その時だった。

 背後の畦道の草むらから、「ガサリ」と大きな音が響いた。

「誰だ!」

 巽が鋭く声を上げる。

 現れたのは、木製の「烏天狗の面」をつけた、例の組織の構成員たちだった。その数、三人。彼らは懐から、サイレンサー付きの拳銃を構えていた。

「門守の娘。お前たちの旅も、ここで終わりだ」

 烏面の男が、冷酷な声で告げる。

「梓はすでに、最後の門である『神去りの門』の楔となった。お前がこれ以上門を閉じれば、彼女の存在そのものがこの世から消滅する。大人しく、ここで案山子の仲間入りをしてもらうぞ」

「客観的に見て、あなたたちの行動は矛盾しているわ」

 巽は銃口を向けられながらも、一切の動揺を見せずに言い放った。

「あなたたちは門を『開放』し、神域の力を現世に溢れさせようとしている。それは世界を滅ぼす行為よ。なぜそんなことをする?」

「滅びではない。神仏と人間が一体だった、本来の『正しい世界の姿』へ還すだけだ。……死ね」

 男が引き金を引こうとした、その瞬間。


 カタカタカタカタカタカタカタ!!


 周囲の田んぼに立っていた、数百体の案山子たちが、一斉に狂ったように激しく震え始めた。

 烏面の男たちが大声で喋ったことで、彼らの「音」と「存在」が、神域のセンサーに感知されたのだ。

「な、何だ!?」

 男たちが動揺し、銃口を周囲の案山子へと向けた。

 その瞬間、男たちは、最大のタブー――「案山子の顔を直視する」という禁忌を犯してしまった。


三 顔剥ぎの理


『……見つけた……』

『……良い、顔だ……我が主の、お召し物となる……顔だ……』


 案山子たちの黒い頭部の布が、ベリベリと音を立てて裂けた。

 中から現れたのは、植物の(つる)が複雑に絡み合って作られた、人間の「目」と「口」の形をした無数の『(くらやみ)』だった。その穴から、底なしの暗黒の引力が、烏面の男たちに向かって放たれる。

「ぎゃああああああああ!」

 一人の男が悲鳴を上げて、顔を押さえた。

 彼の顔につけられていた木製の烏天狗の面が、内側からの圧力で粉々に砕け散る。そして、露出した彼の「本物の顔」の皮膚が、まるで泥のようにドロドロと融け始め、目や鼻の凹凸が、目に見える速度で平らになっていく。

 融けた「顔のパーツ」は、目に見えない光の帯となって、案山子の頭部の穴へと吸い込まれていった。

ものの数秒で、その男は、目も鼻も口もない、のっぺらぼうの木化人間に変貌し、田んぼの泥の中にズブズブと片足で突き刺さり、完全に沈黙した。

「ひ、退け! 視線を合わせるな!」

 残りの二人が慌てて目を背け、銃を乱射しながら逃げ出そうとする。しかし、周囲の案山子たちはすでに一本足でピョン、ピョンと、不気味な跳躍をしながら、彼らの退路を完全に塞いでいた。

「榧野くん、今よ! 私の背中に隠れて、絶対に目を瞑って!」

 巽は榧野の襟首を掴み、自身のトレンチコートの内側へと引き込んだ。

 彼女自身も、視線を極限まで下げ、泥まみれの畦道だけを見つめながら、田んぼの中心にある「大案山子(神域の最深)」の立つ場所へと突進した。

「ルールをハッキングする。この神域が求めているのは『個人の証明(人間の顔)』。ならば、それを一時的に『無効化』すればいい」

 巽はバッグから、鑑識用の『高濃度蛍光スプレー”赤”』を取り出した。これは、事故現場で遺体の位置や痕跡をマークするためのものだが、強烈な紫外線反応を持つ特殊な染料が使われている。

 背後からは、残りの烏面の男たちが、顔を剥がされながらあげる、この世のものとは思えない絶叫が響いていた。案山子たちの群れが、次の獲物として、巽と榧野のすぐ後ろまで迫ってきている。衣服が擦れ合うバサバサという音が、耳元で聞こえる。

「常夜の田の神よ、この『顔』を検収しなさい!」

 巽は、神体であるひときわ巨大な案山子の、黒い頭部に向かって、赤色の蛍光スプレーを猛烈な勢いで吹き付けた。

 ただのスプレーではない。巽は、自身の左手の平の傷を再び開き、その鮮血をスプレーの噴射口に混ぜ合わせていた。

 門守の血を含んだ、強烈な発光染料が、神体の顔を真っ赤に染め上げる。


四 偽りの(かお)


 赤い染料と門守の血が混ざり合った瞬間、神体の案山子は、激しい拒絶反応を起こすように、キィィィィンと高い音を立てて震え出した。

「このスプレーの成分は、光の波長を完全に乱反射させる。つまり、あなたたちの『目』にとって、これは何千、何万もの『偽物の顔』が一瞬で現れたのと同じことよ! 処理能力を超えた情報を、そのまま喰らいなさい!」

 客観的な情報過多(システムエラー)

 神体の頭部の穴が、赤い蛍光塗料の光を吸い込み、バチバチと火花を散らすようにして、黒い布が激しく燃え上がった。

 神体が機能停止したことで、周囲の数百体の案山子たちも、糸が切れた人形のように、その場にバタリ、バタリと倒れ込んでいった。

「はぁ、はぁ……、榧野くん、もう目を開けていいわ」

 巽はスプレー缶を投げ捨て、荒い息を吐いた。

 榧野が恐る恐る目を開けると、そこには、ただの静かな、収穫を忘れた田んぼの風景が広がっていた。

 しかし、神体の案山子が燃え尽きた灰の中から、一つの「異物」が姿を現した。それは、一面が完全に滑らかな、鏡のように磨かれた「黒い石の仮面」だった。

 巽がその仮面を拾い上げると、その裏面に、姉・梓の文字で最後のメッセージが刻まれていた。


『よく、ここまで来ましたね、巽。これが、私の最後の遺物です。私は次の門――私の故郷であり、すべての怪異の終着点である『神去りの門(かみさりのもん)』で、すべての均衡を終わらせます。烏の組織の長、そしてこの世界の“裏の理”が、そこであなたを待っています。巽、私の顔を、私という存在を、どうかあなたの『客観(主観)』で、最後に証明して』


「姉さん……」

 巽は、黒い仮面を強く握り締めた。


五 終局へのカウントダウン


「御子柴さん、あの男たちの荷物から、こんなものが……」

 榧野が、顔を剥がされて案山子と化した烏面の男たちの遺品から、一台のタブレットを回収してきた。

 その画面には、日本地図が表示されており、これまで巽たちが巡ってきた「常世の蚕」「水底の逆宮」「骨噛みの地蔵」「鳴らない鈴の家」、そしてこの「千首の案山子」の5つの点が、不気味な五芒星を描くように線で結ばれていた。

 そして、その五芒星の中心に位置する場所――そこには、巽の生まれ故郷である、あの忌まわしい霊山一帯が、赤く点滅していた。

「『神去りの門』……。すべての門の、中枢(さいしん)。そこで、姉さんが……」

 巽の目は、冷徹な鑑識員のそれを超え、一人の執念深い追跡者のものへと変わっていた。

「榧野くん、これが最後の仕事になるわ。付き合ってくれる?」

 巽の問いに、榧野は恐怖を押し殺し、不敵な笑みを浮かべた。

「ここまで来たら、最後まで見届けますよ。御子柴さんの『客観(主観)』が、最後に何を導き出すのか」

「ありがとう。……行きましょう、私たちの本当の家へ」

 全ての謎が明かされ、姉・梓との、そして世界を裏から操る組織との最終決戦の地へ向けて、二人は歩き出した。秋風が、黄金の稲穂を静かに揺らしていた。



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