第三話:骨噛みの地蔵(ほねがみのじぞう)
一 嘘つきの境界線
「仏教において地蔵菩薩は、釈迦の入滅後、弥勒菩薩が現れるまでの無仏の世において、六道を巡り衆生を救うとされる慈悲の象徴です」
御子柴巽は、黒いロングコートのポケットに両手を突っ込んだまま、眼前に広がる異様な光景を冷ややかに見つめていた。
東北地方の山背が吹き付ける寂れた集落の境界。そこには、灰色の空を背景に、異様なほど密に立ち並ぶ『首のない石地蔵』の群れがあった。その数、およそ数十体。どれも首の断面が新しく削られたように白く、異彩を放っている。
「しかし、土着の信仰と混ざり合った地蔵は、時に『賽の河原』の管理人となり、現世と冥府の『境界守』となる。――ルールその三、榧野くん」
巽は隣でガタガタと歯を鳴らしている助手へ視線を向けた。
「これより先、この敷地内では絶対に『嘘』をついてはならない。どんな些細なお世辞も、自己防衛のための誤魔化しも、すべては『業』としてカウントされるわ」
榧野蓮は、自分の口を両手で塞ぐようにしながらコクコクと首を振った。
彼の霊的センサーは、すでに限界突破の警告を発している。首なし地蔵の群れから、まるで無数の見えない視線が自分たちを値踏みするように突き刺さっているのを感じるからだ。
今回の依頼は、地元の有力政治家からの極秘の土地鑑識だった。
この地域に新たに建設予定だった大規模霊園のコンサルタントや作業員たちが、次々と「足の骨が壊死して歩けなくなる」という奇病に見舞われ、入院後に全員が死亡したのだという。
病院のレントゲン写真には、彼らの大腿骨や脛骨が、まるで何かにバリバリと噛み砕かれたかのように粉々になった無残な影が写っていた。
「被害者たちの共通点は、全員がこの霊園開発にあたり、地元住民に対して『立ち退き料や環境への影響』について、意図的な虚偽の説明――つまり、嘘をついていたことよ」
巽はタブレットを閉じ、地蔵の群れの中心へと歩を進めた。
地蔵たちの足元には、無数の「白い小石」が積み上げられていた。賽の河原の石積みを連想させるが、巽がしゃがみ込んでその一つを拾い上げると、その硬質で不自然な質感をすぐに見抜いた。
「……これは石じゃないわ。人間の、大腿骨の破片。それも、比較的最近のものね」
「ひっ……!」
榧野が短い悲鳴を上げる。
その時、地蔵の群れの奥から、一人の老人がふらふらと姿を現した。背中が丸く曲がり、手には大きな石工用のノミと金槌を握り締めている。
「……また、嘘つきが来たか」
老人の声は、まるで墓石を擦り合わせるように低く、割れていた。
二 首を挿げ替える者
「お前たちも、あの政治家の手先か。この場所を暴き、神仏の眠りを妨げる、嘘つきの犬め」
老人は濁った目で巽たちを睨みつけた。
「私たちは土地の鑑識員です。嘘をつきに consultation(相談)に来たわけではありません」
巽は一歩も引かず、淡々と答えた。
「あなたは、この集落の最後の守り人、連城さんですね。あなたの家系は代々、この『骨噛み地蔵』の首を管理してきた」
連城と呼ばれた老人は、ふっと自嘲気味に笑った。
「知っているなら帰れ。ここは『不返の墓所』。一度でも偽りを口にした者が足を踏み入れれば、地蔵様がその者の骨を噛み砕き、賽の河原の石に換えてしまわれる」
「客観的に見て、そのルールには欠陥があります」
巽は周囲の首なし地蔵を指差した。
「地蔵の首がすべて落とされているのはなぜ? 慈悲の顔を隠すためではない。首があると……地蔵が『嘘を感知して、自ら動いてしまう』からでしょう。だからあなたの一族は、地蔵が人を襲わないよう、あらかじめその首を切り落とし、別の場所に隠匿してきた」
老人の顔から余裕が消えた。
「……小娘が、知った風な口を」
「そしてもう一つ」
巽は内ポケットから、前話で手に入れた「烏天狗の鍵」を取り出し、老人の前に突き付けた。
「この鍵に見覚えがあるはずです。十年前、この場所に『御子柴梓』という女性が来ませんでしたか? 彼女は、この鍵を持つ『組織』に追われていた」
老人は鍵を見た瞬間、目を血走らせて激しく動揺した。
「その紋章は……! 烏の影……! ああ、あの時の娘か! あの娘は、この地蔵の首が隠された『真の厨子』を開けてしまったのだ! だから、あの『烏の面をつけた連中』に……!」
老人がそこまで言いかけた時だった。
突如、集落全体を包む空気が、凍りつくような緊張感に満たされた。
ガタガタガタガタ!
周囲の数十体の首なし地蔵が一斉に震え始めた。地面の土が盛り上がり、地蔵の足元に積まれていた「人間の骨の破片」が、まるで磁石に吸い寄せられるように、地蔵の身体へと這い上がっていく。
「しまっ……誰だ! 誰が嘘をついた!?」
老人が周囲を見回し、絶叫する。
巽は即座に自分の胸に手を当て、自らの記憶を呼び起こした。自分は嘘をついていない。榧野も口を噤んでいる。
ならば、誰が?
「……ふふ、見つかりましたよ。こんな辺境の墓場に隠れていたとはね」
墓地の入り口の霧の向こうから、黒いスーツを着た男たちが数人、歩いてくるのが見えた。彼らの顔には、不気味な「烏天狗の木面」が覆い被さっていた。
「私たちは、ただの観光客です。道に迷ってしまいましてねえ」
烏面の男が、わざとらしい口調でそう言った。
瞬間――「ゴキリ」と、凄まじい音が響いた。
男たちが「道に迷った観光客だ」という明白な嘘を口にした瞬間、首なし地蔵たちの動きが完全に活性化したのだ。
三 骨を噛む音
『……嘘なれば……吐き出せ……』
『……偽りなれば……その身の柱を……噛み砕かん……』
地蔵の首のない首元から、直接、地響きのような声が湧き上がる。
地蔵たちの手が、恐るべき速度で伸び、烏面の男たちの足元へと襲いかかった。
「な、何だこれは! 撃て!」
男たちが懐から銃を取り出し、地蔵に向けて発砲する。しかし、弾丸は石の身体に弾かれるだけだった。
一体の地蔵が、一人の男の足首をガシリと掴んだ。
バリバリバリバリ!
「ぎゃあああああああああ!」
男の絶叫が墓地に響き渡る。地蔵の手が触れた瞬間、男のズボンの下で、骨が凄まじい力で圧砕される音がした。男は一瞬で立っていられなくなり、泥の中に崩れ落ちた。彼の足は、まるで芯を抜かれた軟体動物のように不自然に折れ曲がっている。
「榧野くん、連城さん、こちらへ!」
巽は二人を促し、墓地の中心にある古い石造りの堂へと走り込んだ。
お堂の中には、一つの巨大な、厳重に鎖で縛られた木製の厨子が鎮座していた。
「連城さん、この中に地蔵の『首』があるのね?」
巽が問う。
「そうだ! だが、その厨子を開けてはならん! 首が体に戻れば、地蔵様は完全な『門守の神』となり、この領域にいる全ての『罪人』を、骨の一片すら残さず貪り喰らう!」
老人は息を荒くしながら叫んだ。
外からは、男たちの凄惨な悲鳴と、肉と骨がすり潰される「グズズ、バリバリ」という不気味な咀嚼音が続いていた。烏面の男たちは全滅しつつある。そして、その次のターゲットが、お堂の中にいる自分たちになるのは明白だった。
「御子柴さん、どうするんですか!? 僕たち、ここでじっとしてたら、次にあいつらが中に入ってきて……!」
榧野が涙目で巽の服の袖を引っ張る。
「ルールを逆手に取るのよ」
巽は冷静に厨子を見つめた。
「骨噛み地蔵は『罪』を噛む。ならば、その逆は? 徹底的な『真実』を突きつけたらどうなる?」
巽はポケットから「烏天狗の鍵」を取り出し、厨子の南京錠に差し込んだ。サイズはぴったりだった。十年前、姉の梓がこの鍵を使って厨子を開けたという老人の言葉は真実だったのだ。
カチャリ、と鎖が外れる。
巽は躊躇なく、厨子の扉を左右に開け放った。
中には、数十個の「地蔵の首」が、棚に整然と並べられていた。どれも穏やかな、しかしどこか見下ろすような冷徹な表情をした地蔵の顔だった。
その首たちが、一斉に目を開けた。石の瞳が、巽を捉える。
『……汝の内に……偽りはあるか……』
お堂の扉が、外からの凄まじい力で叩き壊された。
骨の破片を全身に纏い、巨大化した首なし地蔵たちが、お堂の中へと侵入してきたのだ。彼らは自分の首を求め、そして新たな「骨」を求めて狂い鳴いている。
「御子柴さん!」
榧野が叫ぶ。
巽は地蔵の首たちに向き直り、自らの胸の奥にある、最も重く、他人に隠し続けてきた「真実」を、一切の虚飾を排して大声で告げた。
「私は、姉を救うためにこの仕事をしているのではない!」
その告白に、榧野が息を呑んだ。
「私は! 十年前、姉が神隠しに遭ったあの日、本当は姉が連れ去られるのを見ていた! なのに、恐怖のあまり声を上げず、助けも呼ばず、見殺しにした! 私は姉を愛しているから追っているのではない! 私の内の『罪悪感』を消し去るために、彼女の行方を追っている! これが、私の生涯最大の真実よ!」
お堂の中が、静まり返った。
侵入してきた首なし地蔵たちの動きが、ピタリと止まる。
棚に並んだ首たちが、一斉に涙を流すように、石の頬を濡らし始めた。
『……大いなる真実なり……。その業、ここに免ぜん……』
地蔵の首たちが、ガラガラと音を立てて崩れ落ち、ただの砂へと還っていった。それと同時に、お堂に押し寄せていた首なし地蔵たちも、その場に崩れ落ち、元の物言わぬ石像へと戻っていく。
墓地を包んでいた濃い霧が、山背の風に吹かれて急速に霧散していった。
四 烏の組織
「……御子柴さん」
榧野が、恐る恐る巽の顔を覗き込んだ。
巽はいつもの無表情に戻り、トレンチコートの埃を払っていたが、その指先は微かに震えていた。
「今の言葉は、地蔵のルールをクリアするための『方便』よ。客観的に見て、最も効果的な真実を選んだだけ」
巽は冷たく言い放ったが、榧野はそれ以上何も言わなかった。それが彼女の防衛本能だと分かったからだ。
巽はお堂の外へ出た。
そこには、骨を砕かれて絶命した烏面の男たちの遺体が転がっていた。
巽はその中の一人の懐を探り、一台のスマートフォンと、一枚の「書状」を回収した。
書状には、古い墨文字でこう書かれていた。
『御子柴梓の足跡を消せ。彼女は”神代の血”を覚醒させ、各地の門を意図的に開放している。骨噛みの地蔵の次は、四国の『鳴らない鈴の家』へ向かった模様。門守の血族が完全に目覚める前に、処分せよ』
「門守の血族……」
巽はその言葉を口の中で繰り返した。
自分たちの家系、御子柴家には、まだ本人すら知らない重大な秘密がある。そして、姉・梓はそれを知った上で、自ら怪異の門を開き続けているというのか。
「連城さん、お怪我はありませんか?」
巽が振り返ると、老人は静かに首を振った。
「私は大丈夫だ。だが娘よ、お前が背負う業は、あの地蔵様よりも重い。次の場所へ行くなら、二度と後ろを振り返るな」
「ええ、元よりそのつもりです」
巽は烏天狗の鍵と、男から奪った書状をポケットにしまい、歩き始めた。
姉を追う旅は、単なる行方不明者の捜索ではなく、自分自身の過去の罪と、御子柴家に隠された忌まわしい血脈の謎を解き明かす戦いへと変貌しつつあった。
「行こう、榧野くん。次は、四国よ」




