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婚約破棄された悪役令嬢の魔導列車 〜揺れる馬車旅が嫌なので、【白銀列車】という走る豪華ホテルで暮らします〜  作者: あゆと
第9章 琥珀ランプと宵の霧編 〜霧の運河町ルミエラ〜

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074 夜を柔らかくする灯り、という注文は変ですの?

灯り市の人混みを抜けて、小さな卓上灯の店へ入りました。

探しているのは、部屋を明るくする灯りではなく、帰る場所の夜を柔らかくする灯りです。

「帰る場所の夜を変えたい顔だ」


 店主の女は、そう言って小さく笑った。


 霧の灯り市の奥。

 運河沿いの人混みから少し離れたその店は、外の通りよりも静かだった。大きな吊り灯りも、派手な看板もない。扉の横に置かれた琥珀色の卓上灯だけが、足元の湿った石を小さく照らしている。


 表通りの灯りは、遠くから人を呼んでいた。

 この店の灯りは、近づいた人だけを受け止めているように見えた。


「帰る場所の夜、ですか」

 私は店主の言葉を、少しゆっくり繰り返した。

「違ったかい?」

「いいえ。たぶん、とても近いですわ」

「たぶん?」

「まだ、言葉が追いついておりませんの。けれど、外の灯り市で欲しいと思ったものは、通りの明るさではありませんでした」

「じゃあ、店を照らす灯りじゃない」

「違います」

「客に見せる灯りでもない」

「それも違います」

「怖いから暗くしたくない、という顔でもないね」

「暗いのが怖いわけではありません。暗さは必要ですわ。夜ですもの」


 店主は、少しだけ目を細めた。


「面白い注文になりそうだ」

「注文をする前から、困らせておりますの?」

「灯り屋は、困る注文の方が覚えてるんだよ」


 ノアが店先の灯りを覗き込んでいる。

 アベルは店の横に積まれた小さな紙箱を見ていた。きっと透け飴の箱がないか探している。

 ルークは、私の外套の袖口と店内の床を交互に見ていた。


「お嬢様、床は乾いております」

「それは朗報ですわ」

「ただし、入口付近に霧の湿りが残っております」

「霧はどこまでも仕事をしますわね」


 店主が笑った。

「ルミエラの霧は、客より先に店へ入るからね」


 私は店の中へ一歩入った。


 店内には、卓上灯が並んでいた。

 背の低いもの。

 細い脚のもの。

 丸い硝子をかぶせたもの。

 乳白色の覆いを持つもの。

 色硝子を何枚も重ねたもの。

 魔石を細い金具で支えたもの。

 小さな蝋燭を中へ入れるもの。


 どれも、美しい。

 けれど、表通りの灯りとは違う。

 この店の灯りは、声が小さかった。


「まず、どこに置く灯りだい」

 店主が尋ねた。

「白銀列車のラウンジです」

「白銀列車?」

 店主が眉を上げる。

「ああ、運河沿いに停まっている白いやつか。宿みたいな顔をした列車だね」

「だいたい合っていますわ」

「列車が宿みたいな顔をしている時点で、だいぶ妙だけどね」

「白銀列車では、珍しいことではありませんわ」

「なるほど。分からないけど、居心地はよさそうだ」


 ノアが小さく咳払いした。

「かなり特殊な車内ですが、置く場所は普通のラウンジに近いです。暖炉があって、低卓があって、ソファがあって」

「ソファの横かい」

 店主が私を見る。

「はい」

「やっぱりね」


 私は少しだけ驚いた。

「分かりますの?」

「部屋全体を照らしたい客は、天井や壁を見る。読書だけしたい客は、手元を見る。あんたはさっきから、店の灯りそのものより、灯りの届く端を見てる」

「灯りの届く端」

「座った場所の周りが、どこまで柔らかくなるか。それを見てる顔だよ」


 私は思わず、店先の琥珀色の灯りへ目を向けた。


 確かに、私は光の中心だけを見ていなかった。

 灯りが木の台に落ちるところ。

 硝子の縁で少し暗くなるところ。

 照らされた部分と、夜のまま残る部分の境目。

 そこばかり気にしていた。


「では、条件を言ってみな」

 店主が言った。

「条件」

「帰る場所の夜を変えたいなら、明るい暗いだけじゃ足りないよ」


 私は少し考えた。


 白銀列車のラウンジ。

 暖炉の火。

 灰緑の毛布。

 低卓に置かれる夜茶。

 窓の外を流れる夜。

 席へ戻った時の、肩から力が抜ける感じ。


 それらを思い浮かべながら、私は一つずつ口にした。


「部屋全体を明るくしたいわけではありません」

「うん」

「本だけを読むための灯りでもありません」

「うん」

「暖炉と喧嘩しない灯りがよいです」

「大事だね」

「茶の湯気が綺麗に見えてほしいです」

 店主が少し笑った。

「それも大事だ」

「毛布の色が、眠そうに見える灯りがよいです」

「毛布まで?」

「はい。灰緑の毛布です。昼は落ち着いた色ですが、夜はもっと負けたくなる色になってほしいです」

「灯りに負ける毛布か」

「いいえ。毛布に負けるための灯りですわ」

「なるほど。分からないけど、覚えたよ」


 アベルが横から言った。

「飯がまずく見える灯りは駄目だ」

「それも条件です」

「肉が冷えて見える色も駄目だ」

「はい」

「焦げが全部焦げに見える赤も駄目だ」

「それも困ります」


 ノアが続けた。

「読書はできるくらいの明るさは必要です。ただし、目が冴えすぎるのは困るそうです」

「寝る前に使うのかい」

「眠る前に、眠らないで少しだけ過ごすためですわ」

「贅沢だね」

「帰る場所ですから」


 ルークが静かに補足した。

「お嬢様のお顔色が悪く見える灯りも避けたいです。影が強すぎるもの、揺れが大きいもの、硝子の色が濃すぎるものは不向きかと」

「護衛まで灯りに注文があるのかい」

「お嬢様のそばに置くものですので」

「なるほど。面倒でいい客だ」


 店主は楽しそうだった。

 面倒、と言われているのに、不思議と悪い気はしなかった。


「つまり、明るすぎず、暗すぎず。暖炉に負けず、暖炉を邪魔せず。茶の湯気が見えて、毛布が眠そうに見えて、顔色が悪くならず、飯が冷めて見えず、本が読めて、眠気が逃げない灯り」

「そうですわ」

「注文が多い」

「やはり変ですの?」

「変だね」

「まあ」

「でも、灯りの注文としては正しいよ。場所が見えてる」


 店主は奥の棚へ向かった。

「まず、違うものから試そうか」

「違うものから?」

「合わない灯りを見た方が、欲しい灯りが分かる」


 最初に出されたのは、白く明るい魔石灯だった。

 小さな台座に透明な石がはめられている。店主が指先で台座の縁に触れると、灯りがぱっと広がった。


 明るい。

 とても明るい。

 手元の文字はよく見えそうだった。針仕事にも向いているだろう。落とした針も、床の上ですぐ見つかりそうである。


 だが。


「寝る気が逃げますわ」

 私は即座に言った。

「早いね」

「この灯りの下では、明日の予定まで考えてしまいます」

「働く灯りだね」

「夜に働きたくありません」

「正直でよろしい」


 次に出されたのは、淡い青の硝子をかぶせた灯りだった。

 霧の町では美しく見えた青だ。店の中でも、確かに涼やかだった。硝子の縁が白く光り、影は薄い水のように広がる。


 けれど、灯りを顔の近くに置くと、私は少し眉を寄せた。


「顔色が悪く見えます」

 ルークが即座に言った。

「自分で言う前に言われましたわ」

「お嬢様には不向きです」

 アベルも頷く。

「肉が冷える」

「私は肉ではありません」

「茶も冷える」

「それも困ります」


 店主は青い灯りを下げた。

「青は窓辺や水辺にはいい。食べる場所や帰る席には向かないことが多い」

「綺麗なのに難しい色ですわね」

「綺麗だから、場所を選ぶんだよ」


 次は、赤みの強い硝子灯りだった。

 火を入れた瞬間、店内の木の壁が温かく見えた。外の霧を忘れるほど、濃い赤だ。

 けれど、低卓の上へ置くと、影まで赤くなる。


 ノアが真顔で言った。

「事件現場みたいです」

「言い方」

「でも、そう見えます」

 アベルが灯りを見て、眉をひそめた。

「焦げが全部焦げに見える」

「赤い灯りは却下ですわ」

 私も頷いた。

「落ち着く前に、何か起きた気がしてしまいます」


 店主は声を上げて笑った。

「事件現場は初めて言われたよ」

「店主様、今の灯りはどこに向きますの?」

「酒場だね。大声を出す場所なら悪くない」

「白銀列車の夜には向きませんわ」

「だろうね」


 次に出されたのは、細い影が揺れる灯りだった。

 硝子の内側に薄い金属片が吊られていて、熱でわずかに動くらしい。壁に映る影がゆらゆら揺れ、幻想的ではあった。


 最初は、少し綺麗だと思った。

 けれど、しばらく見ると目が追ってしまう。


「これは……気になりますわ」

 私は言った。

「眠れない?」

「眠る前に、影の行き先を見届けたくなります」

「駄目だな」

 アベルが言う。

「飯も動いて見える」

「飯は動かなくてよいですわ」

 ノアも灯りを見つめた。

「綺麗ですけど、落ち着かないですね。演出用という感じです」

「客に見せる灯りだね」

 店主が頷いた。

「帰る者の灯りではない」


 私は、その言葉に少し反応した。


 帰る者の灯り。


 外で見る灯りは、どれも綺麗だった。

 通りを照らす灯り。

 店を目立たせる灯り。

 硝子を華やかに見せる灯り。

 人の顔を色づける灯り。


 けれど、白銀列車へ持ち帰りたい灯りは、そういうものではない。


 帰ってきた時に、そこにあるもの。

 席に沈んで、毛布を膝へ掛けて、茶を置いた時、横からそっと夜を柔らかくするもの。

 見せびらかすためではなく、そこに座るための灯り。


「少し、分かってきましたわ」

 私が言うと、店主は満足そうに頷いた。

「じゃあ、今度は近いものを出そう」


 店主は奥の棚から、布に包まれた小さな灯りを持ってきた。

 他の灯りより古そうだった。

 台座は暗い木で、脚は低い。持ち手の金具は少しくすんでいる。硝子の覆いは琥珀色だが、均一ではない。薄い蜂蜜色の中に、白く霞んだ筋があり、小さな泡がいくつか閉じ込められていた。


「古いですの?」

「古い型だよ。今は派手な吊り灯りの方が売れるからね」

「なぜ出しておりませんの?」

「分かる客にしか出さない」

「試されております?」

「灯り屋は、灯りと客を合わせるんだよ」


 店主が灯りをつけた。


 光は、ぱっと広がらなかった。

 ゆっくり目を開けるように、硝子の中で丸くなった。

 琥珀色の光が、木の台に落ちる。白く霞んだ硝子の筋が、光を少しだけ鈍らせる。小さな泡の周りで、灯りが細かく滲む。

 明るいのに、押してこない。

 暗くないのに、夜を消さない。


 店内の木の棚が、少し柔らかく見えた。

 店主の指先の影も、きつくならない。

 私の外套の黒も、重く見えすぎない。

 灰緑の毛布がここにあれば、きっと起毛がゆっくり眠そうに見える。


 私は息を止めて、それを見た。


「これは……」

「近いかい」

「近いですわ」


 ノアが灯りの覆いを覗き込んだ。

「硝子の中が少し白く濁ってますね。わざとですか?」

「わざとだよ。光をまっすぐ出さないための濁りだ」

「魔石灯ですか?」

「中は小さな魔石だが、主役は硝子だね。魔石を強くすれば明るくはなる。でも、それじゃ夜が硬くなる」

「夜が硬くなる」

 私はその言葉を繰り返した。

「ええ。それは嫌ですわ」


 アベルは灯りのそばに、持っていた紙包みを置いた。

 さきほど候補にした透け飴の包みではない。屋台で買った試食用の薄い焼き菓子だった。


「食い物は悪く見えない」

「勝手に試していますわ」

「大事だろ」

「大事です」

「茶の湯気も見たいな」


 店主が小さな湯呑みを出し、湯を注いでくれた。

 湯気が立つ。

 琥珀色の灯りのそばを通った湯気は、白く消えず、薄く金色を含んで揺れた。


 私は思わず身を乗り出した。


「湯気が、夜の中で迷子になりませんわ」

「変わった褒め方だね」

「たいへん重要です」

「なるほど。茶を飲む客の灯りだ」


 ルークは私の顔を見て、それから灯りを見た。

「お嬢様のお顔色も、悪く見えません」

「顔色審査が通りましたわ」

「はい。影も強すぎません。揺れも小さい」

「ルーク様の審査も厳しいね」

 店主が言うと、ルークは淡々と答えた。

「お嬢様の夜に置くものですので」

「良い護衛だ」

「当然でございます」


 私は灯りから目を離せなかった。


 この灯りは、通りの灯りとは違う。

 人を集めない。

 商品を飾らない。

 遠くへ届かない。

 けれど、近くにあるものを、とても大切そうに照らす。


 茶の湯気。

 木の低卓。

 指先。

 膝の上の毛布。

 本の端。

 眠くなる前のまぶた。


 そういうもののための灯りだった。


「これは、夜を明るくする道具ではありませんわ」

 私は、硝子の内側で丸くなる光を見ながら言った。

「では、何だい」

 店主が尋ねる。


 私は少し考えてから、答えた。


「夜を、柔らかくする道具ですわ」


 店主は、深く頷いた。


「それが分かるなら、この型でいい。ただし、そのまま持っていくのは勧めない」

「なぜですの?」

「置く場所が決まってる灯りは、少し調整した方がいい。高さ、覆いの濁り、魔石の強さ。特に、暖炉があるならね」

「暖炉と喧嘩しないように」

「そう。暖炉の火に勝とうとする灯りは、疲れる。負けすぎる灯りは、役に立たない」

「では、この灯りは、まだ完成ではありませんの?」

「この灯りは見本だよ。あんたの帰る場所に合わせるなら、硝子職人に覆いを一つ選ばせた方がいい」

「硝子職人」

「この型の覆いを作っている爺さんがいる。工房は運河の奥だ。炉が熱くて、口も少し悪い」

「熱いのは困りますわ」

「でも、灯りを見るなら行った方がいい」

「外は湿り、工房は熱い。ルミエラは温度が忙しい町ですわね」

「灯りの町だからね」


 ノアはすでに興味を持っていた。

「硝子を作るところ、見られるんですか?」

「見られるよ。邪魔をしなければね」

「行きたいです」

「ノアは好きそうですわね」

「絶対面白いです」


 アベルも腕を組んだ。

「炉があるなら、火の扱いを見る」

「料理人として?」

「火を見るのは大事だ」

「肉を焼く目で硝子を見ないでくださいまし」

「硝子は食わん」

「そういう心配ではありません」


 ルークは、私の外套の袖を見た。

「お嬢様、工房へ向かう場合は、明るい時間の方が安全かと。運河の奥となると、足元がさらに湿っている可能性がございます」

「夜の灯りのために、昼の工房へ行くのですわね」

「はい」

「少し遠回りですが、悪くありませんわ」


 店主は見本の灯りをそっと消した。

 琥珀色の光が細くなり、硝子の中へ戻るように消えていく。

 店内は、少しだけ夜へ戻った。


 私はその暗さを見て、思った。


 この灯りは、消えた後も場所を覚えさせる。

 そこに置いたら、夜になるたびに目が探してしまう。

 灯っていない時でさえ、次に灯る時間を楽しみにできる。


「明日、その工房へ行きますわ」

 私は言った。

「決めるのが早いね」

「灯りは急いで買うものではありません。でも、見に行くことは急いでもよいのです」

「いい言い訳だ」

「言い訳ではなく、判断ですわ」


 店主は奥の棚から、小さな木札を取り出した。

 そこには工房の名と、運河沿いの道順が書かれている。文字の端に、硝子灯りの小さな印が押されていた。


「これを持っていきな。爺さんに見せれば分かる」

「ありがとうございます」

「ただし、工房は暑いよ」

「何度も言われると、不安になりますわ」

「綺麗な灯りは、だいたい極端な場所から来るんだ。霧の中か、炉の前か」

「どちらも、白銀列車から見る分には美しいのに」

「外へ出ると面倒だろう?」

「たいへん面倒です」

「だから、帰る場所の灯りがいるんだよ」


 私は木札を受け取った。


 外ではまだ、灯り市の人波が流れている。

 霧に灯りがにじみ、運河の水面が琥珀色を揺らしている。

 表通りは相変わらず綺麗で、相変わらず混んでいて、袖を湿らせて、足元を冷やす。


 けれど、もう少しだけ分かった。


 欲しいのは、表通りの華やかさではない。

 灯り市そのものでもない。

 見せるための夜でもない。


 白銀列車へ戻ったあと、外套を脱いで、靴の冷えがほどけて、いつもの席に沈んだ時。

 そばで静かに灯る夜だ。


「明日は、硝子職人の工房ですわね」

 私が言うと、ノアは嬉しそうに頷いた。

「はい。炉と硝子と、光の濁りです」

「楽しそうに言いますわね」

「楽しみです」

「私は暑さが心配です」

「お嬢様、冷たい飲み物を用意いたします」

 ルークがすぐに言った。

「お願いします」

「工房の滞在時間も、無理のない範囲に」

「はい」

 アベルが短く付け加える。

「帰ったら軽いものを出す」

「夜茶ですの?」

「夜茶と、重くない菓子」

「透け飴」

「候補だ」

「候補のまま、ずいぶん強いですわ」


 店主が、扉の外の霧を見た。


「今夜は深い霧だ。帰り道、灯りが綺麗に見えるよ」

「袖は湿りますわね」

「湿るね」

「足元も冷えますわね」

「冷えるね」

「では、早く帰って、窓越しに見ます」

「それがいい」


 私はもう一度、消えた見本の灯りを見た。

 そこには今、光はない。

 けれど、先ほどの琥珀色がまだ目の奥に残っていた。


 白銀列車の夜は、きっともう少し柔らかくなる。

灯り屋で、欲しい灯りの形が少し見えてきました。

明るくするためではなく、夜を柔らかくするための灯りです。


琥珀硝子の覆いを選ぶため、硝子職人の工房へ向かうことになりました。

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