067 毛布の家を作ったら、燻製肉の匂いまで連れて帰りましたわ
灰緑の毛布が、右ソファに先客の顔で座っていました。
今日は、その毛布のための居場所を探しに行きます。
「毛布が、右ソファより先に座っていますわ」
朝のラウンジで、私は深刻にそう言った。
昨日買った灰緑の毛布は、右ソファの上にいた。畳まれている。きちんと畳まれている。ルークの手で端も揃えられ、毛並みも同じ方向へ撫でられ、昨日より少しだけ白銀列車の匂いになっている。
けれど、いる。
いつもの右ソファに、私より先に座っているような顔で、毛布がいる。
ノアは窓側で小さな魔導具の蓋を閉じながら、こちらを見た。
「毛布ですからね。置けば場所は取ります」
「正論は、今あまり役に立ちませんわ」
「では、かわいく言います。毛布さんが先客です」
「余計に困りますわ」
ルークは毛布を見下ろし、少しだけ眉を寄せていた。
「申し訳ございません。仮置きのつもりでしたが、朝の整備が先になりました」
「責めているのではありません。むしろ、毛布としては大変よく待っております」
「では、移動いたします」
ルークが毛布に手を伸ばした瞬間、私は思わず止めた。
「待ってくださいまし。遠くへやるのは違いますわ」
ルークの手が止まる。
アベルが厨房側から顔を出した。
「置き場の話か」
「ええ。毛布は邪魔です。でも遠くにある毛布は、毛布として少し頼りないですわ」
「面倒な客だな」
「毛布の方が面倒なのです」
私は右ソファの隣に立ち、畳まれた灰緑の毛布を見た。
昨日、膝に落ちた時の重さは覚えている。重いが、邪魔をしない。あれは右ソファで本を読む時にも、昼寝の前にも、湯気の立つ器を待つ夕方にも必要な重さだった。
「毛布は、眠くなる前に手が届く場所にいなければなりませんわ」
「名言みたいに言ってますけど、かなり横着な話ですよ」
「横着は暮らしを育てます」
ノアが笑いかけて、少し考える顔になった。
「でも、床に置くのは駄目ですね。埃を拾います。棚に上げると、取り出すたびに立つことになります」
「立つのは困りますわ」
「そこを最初に言い切れるのが、お嬢様ですよね」
アベルは厨房の布巾で手を拭きながら、毛布を見た。
「食堂車側はやめろ。スープの匂いが移る」
「スープの匂いの毛布も悪くないのでは」
「寝る時に腹が減る」
「それは困ります」
「だろ」
ルークはすでに結論を出しかけている顔だった。
「右ソファの横に、低い箱を置くのがよろしいかと。蓋があり、片手で開き、毛布を押し込まずに収められるものです」
「低い箱」
「はい。お嬢様が座ったままでも、私がすぐ取り出せる高さに」
「それは、かなり良い響きですわ」
ノアが窓の外を見た。
ヴィンターの市場は、今日も布と薪と湯気で膨らんでいる。昨日より人の流れが少し早い。
「冬支度市場なら、そういう箱もありそうですね。毛布を売る町ですし」
私は右ソファの毛布へもう一度目を向けた。
「では、毛布のための家を探しに行きますわ」
◇
昨日より少し慣れたはずなのに、ヴィンターの市場は今日も強かった。
布を叩く音、薪を積む音、木箱を引きずる音。湯気の立つ鍋の匂いに、乾いた木と蜜蝋の甘い匂いが混ざっている。黒パンの店では厚切りのパンが鉄板で焼かれ、端が濃く焦げていた。燻製肉の店では、切り落としを串でまとめ、火に近づけて脂を落としている。
ルークは灰緑の毛布を持ってこようとしたが、私は止めた。
外へ連れ出す必要はない。毛布は白銀列車で待っていればいい。代わりに、ノアが簡単な寸法を書いた木片を持っている。右ソファ横の空き幅、座面の高さ、暖炉からの距離。ノアらしく、数字が小さく刻まれていた。
「これを見せれば、だいたい分かると思います」
「右ソファの寸法を持ち歩く日が来るとは思いませんでしたわ」
「僕もです。でも、右ソファの周りだけ、だんだん家みたいになってきましたね」
毛布屋の女商人は、今日は店先で膝掛けを並べていた。
私たちを見るなり、何も聞かずに頷く。
「置き場だね」
「なぜ分かりますの」
「昨日の顔は、買う顔。今日の顔は、置く場所がなくて困ってる顔だよ」
「顔にそこまで出ていますの?」
「毛布を買った客は、だいたい翌日に同じ顔をする」
女商人は隣の通りを指差した。
「木箱なら、あっちの角だ。大きな家具屋じゃない。冬道具の箱を作ってる爺さんがいる。毛布用なら、蓋が軽いやつにしな」
「重い箱は駄目ですの?」
「重い毛布を入れる箱まで重くしたら、誰も開けなくなる」
かなり正しい。
教えられた角には、低い木箱がいくつも並んでいた。
薪用、靴用、手袋用、窓布用、毛布用。どれも四角いが、高さや蓋の作りが違う。木箱というより、冬の道具の待合室である。
店主は、白い髭の老人だった。椅子に座り、木の端を布で磨いている。私たちを見ると、ノアの木片より先にルークの手元を見た。
「毛布か」
「まだ何も言っておりませんわ」
「毛布を買った日の次に、若い護衛が空の手で来るなら、置き場だ」
ヴィンターの商人は、毛布周りの読みが鋭すぎる。
ノアが木片を差し出した。
「右ソファの横に置きたいんです。高さはこのくらい。蓋つきで、でも片手で開けたい。暖炉が近いので、熱がこもりすぎるのは避けたいです」
老人は木片を見て、私を見て、最後にルークを見た。
「使うのは、この嬢さんか。取り出すのは、そっちの黒いのだな」
「その表現でだいたい合っていますわ」
「なら、深い箱は駄目だ。中で毛布が沈む。高い棚も駄目だ。毎回、黒いのが立つことになる」
「それは本人が望んでやりそうですが」
「やる奴ほど、やらせすぎるな」
ルークが少しだけ黙った。
老人は、店の奥から三つの箱を出した。
一つ目は、彫刻入りの立派な箱だった。見た目は美しい。蓋も重厚で、客室に置けば見栄えがする。
「これは違いますわね」
「早いな」
「開ける前に、もう面倒です」
「正しい」
二つ目は、細長い箱だった。幅は良いが、少し深い。毛布を入れたら、底へ落ちそうである。
「これは、毛布が帰ってこない気がしますわ」
「底で丸くなるな」
老人は頷き、三つ目を前へ出した。
それは、低くて横長の箱だった。余計な飾りはない。角は丸く、蓋は薄い。側面に細い隙間があり、空気がこもらない作りになっている。内側はすべすべしていて、毛布を傷めなさそうだった。
ルークが蓋を開けた。
音が軽い。
片手でも開く。ノアが木片を当て、幅を確かめる。
「これ、かなり近いです」
老人は蓋の内側を指で叩いた。
「毛布は詰めるな。置くんだ。上から押すと、毛が嫌がる」
「毛布にも機嫌がありますの?」
「ある。機嫌の悪い毛布は、掛けた時に固い」
私は箱の中をのぞき込んだ。
灰緑の毛布がここに畳まれているところを想像する。右ソファの横。手を伸ばせば届く。ルークが開けても軽い。ノアが掃除するにも邪魔になりすぎない。アベルのスープの匂いからも少し離せる。
「これは、毛布の家ですわ」
老人は初めて少し笑った。
「なら、それでいい」
「まだ値段を聞いておりません」
「値段を聞いてから家と呼ぶ客は、だいたい買わない」
「それは困ります。もう家です」
ルークが財布を出しかけたが、老人が手で止めた。
「仕上げはどうする。無塗装のままでも使えるが、冬前なら蜜蝋を薄く入れた方がいい。木が乾きすぎない」
「蜜蝋」
昨日の市場で聞いた甘い匂いを思い出した。木棚用の艶出しと防湿。冬前の手入れ。いかにも白銀列車に似合いそうな作業である。
ノアが箱の側面を撫でた。
「今日持ち帰って、車内で仕上げるのもありですね。換気しながら少しずつ」
アベルはすぐに眉を寄せた。
「厨房の近くではやるな。匂いが飯に入る」
「やりませんよ。ラウンジでも、暖炉に近すぎると匂いが強くなります」
ルークは私を見た。
「お嬢様、本日は箱を持ち帰り、蜜蝋は薄く入れましょう。匂いが強すぎると毛布に移ります」
「少しだけなら、私も拭けますわ」
「一拭きだけでございます」
「信頼が厚いのか薄いのか分かりませんわ」
「お嬢様のお力を、適切に配分しております」
ノアが小さく笑った。
「労働にも右ソファ基準があるんですね」
「あります。立ちっぱなしの作業は避けるべきですわ」
老人は聞こえていたらしく、箱の横に小さな包みを置いた。
「薄く蜜蝋を含ませた布だ。塗るんじゃない。拭く。欲張ると、木も毛布も甘ったるくなる」
「甘い毛布」
少し魅力的に聞こえたが、アベルがすぐに言った。
「寝る時に腹が減る」
「それは困りますわ」
甘すぎる毛布は危険である。
◇
箱の支払いが済む頃には、私は完全に燻製肉の匂いに捕まっていた。
木箱職人の通りの向かいに、燻製肉の屋台がある。赤黒い肉の塊が吊るされ、端から薄く削った切り落としが鉄板で炙られていた。脂が落ちるたびに、じゅっと小さな音がして、湯気ではなく香りが立つ。
その隣では黒パンが焼き直されている。厚く切ったパンの表面に薄く油を塗り、鉄板へ押しつける。焦げ目の上へ白いチーズをのせ、火に近づけると、縁からゆっくり溶けた。
さらに奥の屋台では、赤い根菜を皮ごと焼き、割ったところへ黄色いバターを落としていた。バターは根菜の熱で溶け、赤い身の間へ染みていく。別の皿には、蜂蜜を混ぜた白いバターが山のように盛られていた。
「……これは、見物だけでは済まない市場ですわ」
「買う」
アベルが短く言った。
「今、食べるのではなく?」
「市場のまま食うと埃も食う。列車で食え」
「昨日も聞きましたわ」
「昨日より今日の方が埃が多い」
確かに、人も荷車も昨日より多い。湯気は魅力的だが、布埃も一緒に舞っている。
アベルは燻製肉の切り落としと、小さめの塊を一つ買った。黒パンも、今日は薄めに切ってもらう。チーズも少し。赤い根菜は二つだけ。蜂蜜バターは、匙で分けた小さな包みだけだった。
「少なくありませんの?」
「今日は味見だ。明日の朝市で本命を買う」
「本命」
「初霜が降りたら、根菜も燻製も湯気も増える」
なんて危険な予告だろう。
ノアが木箱と食材の量を見比べる。
「毛布の家を買いに来たはずなのに、帰りの荷物がちゃんと軽食つきですね」
「冬支度市場は、手ぶらで帰らせてくれませんわ」
「毛布と食べ物で?」
「布で沈んで、湯気で戻るのです」
ノアはまだ少し疑問を残した顔だったが、深く追及されなかった。
ルークは木箱を抱え、アベルは食材を持ち、ノアは蜜蝋の包みと小さな留め具を持った。私は何も持たない。持とうとしたら、また三人に止められた。
「お嬢様は手袋を」
「箱に引っ張られる」
「食材も危ないです」
「私の信用はどこへ行きましたの?」
アベルが燻製肉の包みを持ち直した。
「右ソファにある」
妙に納得できてしまった。
◇
白銀列車へ戻ると、まず木箱が入口で丁寧に拭かれた。
底、角、蓋の内側、側面の細い隙間。ルークは市場の埃を落とし、ノアは換気の流れを弱く作った。アベルは厨房側の扉を半分閉める。
「蜜蝋の匂いを飯に入れるなよ」
「飯の匂いも箱に入れすぎないようにします」
「頼む」
右ソファの横に低い台が置かれ、木箱がその上に乗せられる。私は椅子に座ったまま、蜜蝋を含んだ布を受け取った。
「お嬢様、木目に沿って一度だけでございます」
「一度だけ」
「はい。一度だけ」
念を押されすぎている。
私は布を木箱の蓋にそっと置き、木目に沿ってゆっくり動かした。
若い木の色が、細い線のように深くなる。強い艶ではない。市場の顔だった箱が、白銀列車の中へ一歩入ってくるような変化だった。
「これは、冬支度の匂いですわ」
「お嬢様、そこまででございます」
ルークに静かに止められた。
「まだ端が残っておりますわ」
「一度だけでございます」
「ですが、ここだけ私が拭いた線になっています」
「残りは私が整えます」
私は蜜蝋布を見た。もう少しやれそうな気がする。けれど、腕が少しだけ重い。座っているのに、もう作業をした顔になっている自覚があった。
「……では、残りはお願いしますわ」
ノアが笑いをこらえている。
「早かったですね」
「丁寧な撤退です」
「撤退って言いましたね」
アベルが厨房側から覗き込んだ。
「一拭きで満足したか」
「満足ではありません。適切なところで職人に任せる判断をしました」
「言い方だけは働いた人間だな」
失礼である。
だが、右ソファに戻りたい気持ちはかなり強かった。
ルークは蜜蝋布を受け取り、蓋、側面、角を薄く薄く拭いていく。手つきが早いのに、雑ではない。木目に沿って、余分な蜜蝋を残さず、光だけを入れる。ノアは横で換気の流れを見て、時々窓側の魔導具を調整した。
蜜蝋の甘い匂いは、乾拭きが終わる頃には木の奥へ引っ込み、ラウンジにはうっすらとした艶だけが残った。
最後に、灰緑の毛布が箱の中へ入れられた。
押し込まず、沈めず、ただ置く。毛布は箱の中で少しふくらみを残した。蓋を閉めると、そこに毛布がいるのに、ラウンジは整って見える。
私は右ソファに座り、蓋を開けてみた。
軽い。
手を伸ばせば毛布に触れる。取り出そうと思えば取り出せる。だが、出しっぱなしではない。
「帰宅しましたわね」
ルークが静かに頷いた。
「はい。毛布の家として、問題ございません」
ノアが窓側から眺める。
「昨日より、ずっとラウンジっぽくなりましたね」
「最初からここにあった顔をし始めましたわ」
その時、厨房側から強い匂いが来た。
燻製肉である。
木箱の蜜蝋とは違う。もっとはっきりしていて、塩気があり、脂があり、腹を呼ぶ匂いだった。
「アベル」
「もう少し待て」
「待つ時間も料理ですの?」
「そうだ」
鉄板で黒パンを焼く音がした。
薄く切った黒パンの表面を焼き、そこへチーズを少しだけのせる。チーズは熱でゆっくり沈み、パンの焦げ目へ白く広がっていく。別の皿では、燻製肉の切り落としが軽く炙られ、端が少し縮んでいた。赤い根菜は小さく割られ、蜂蜜バターをほんの少し落とされている。
アベルはそれらを小さめの木皿へまとめた。
「市場の試しだ。ただし、埃は抜いた」
「最高ですわ」
「明日の本命まで食いすぎるな」
急ぐな、ではなく、食いすぎるな。
それもまた重要な警告だった。
私は黒パンを手に取った。外側は硬く焼けていて、指に少しだけ熱が伝わる。上のチーズはやわらかく、持ち上げると短く伸びた。そこへ燻製肉を一枚のせる。
噛む。
黒パンの焦げた香り。チーズの塩気。燻製肉の脂。噛んだところから、煙の匂いがふっと戻る。市場の屋台より静かで、手元に埃はなく、右ソファの背中にはクッションがある。
「市場より清潔で、市場より逃げ場がありませんわ」
ノアがチーズの伸びるパンを見ながら言った。
「逃げ場、いります?」
「いりません」
赤い根菜に蜂蜜バターを絡めると、甘さが先に来て、後から土の匂いが残った。量は少ない。だからこそ、余計に次が欲しくなる。これは食事というより、明日の朝市への予告だった。
ルークは皿の位置を少し整え、毛布箱の蓋が開く場所を空けている。
「お嬢様、必要でしたら毛布を」
「もちろん必要ですわ」
灰緑の毛布が箱から出され、膝に掛けられた。
蜜蝋の匂いは、もうほんの少しだけ木の奥に残っている。燻製肉の匂いと喧嘩せず、白銀列車のラウンジに、冬支度市場の端だけを残していた。
窓の外では、夕方のヴィンターが白い息を増やしていた。人々が肩をすくめ、屋台の湯気が太くなり、布屋が店先の毛布を一枚内側へ入れている。
女商人が言っていた。
冬支度は順番だ。まず冷える。次に湯気を見る。それから、本当に必要な布が分かる。
私は今、布の居場所を手に入れた。
湯気の本番は、たぶん明日だ。
アベルが厨房側から外を見た。
「明日の朝、霜が降りるかもな」
「霜」
「初霜の日は、朝市がいい。根菜も燻製も、湯気も増える」
ノアがこちらを見た。
「行きます?」
私は灰緑の毛布を膝に掛け、黒パンの端に残ったチーズを見た。
右ソファは完璧である。
外はきっと冷える。
だが、初霜の朝市という言葉は、かなり強い。
「行きますわ」
ルークはすでに翌朝の外套を考えている顔だった。
「では、防寒を厚めにいたします」
「朝市を見たら、すぐ帰ります」
アベルが言った。
「材料を買ったらな」
「食べるのは?」
「列車だ」
「大変よく分かっておりますわ」
私は黒パンの最後の一口を食べた。
窓の外で、誰かの白い息が市場の灯りに溶けた。
明日は、初霜の朝市で湯気の立つ冬を見に行く。
灰緑の毛布に、右ソファ横の居場所ができました。
蜜蝋を薄く入れた木箱と、燻製肉と黒パンの匂い。
ヴィンターの冬支度が、少しずつ白銀列車へ馴染んでいきます。
明日は、初霜の朝市へ。
白い息と湯気の朝です。




