表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された悪役令嬢の魔導列車 〜揺れる馬車旅が嫌なので、【白銀列車】という走る豪華ホテルで暮らします〜  作者: あゆと
第7章 草原サンドと風干しシーツ編 ~風渡る高原ラヴェル~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
58/84

058 草原で食べるサンドイッチは、風との勝負ですわ

風渡る高原ラヴェルに着きました。


草原。

羊の鈴。

白いシーツ。

元気すぎる風。


今日は、パン籠を持って、

草原で昼食を試します。

 翌日のラヴェルは、朝からよく風が通っていた。

 窓の外の草は、まだ日差しがやわらかい時間から、ずっと同じ方向へ揺れている。羊たちは気にしていない。むしろ風込みで高原だと言わんばかりに、もこもこした背中を揺らしながら草を食べている。

 私は右ソファに座り、棚から下ろされたパン籠を見つめていた。

 浅い籠。

 麦色のパン布。

 赤い実の刺繍紐。

 ミューレでは、朝の丸パンを守っていた。今日は、草原の昼食を守ることになる。

「……パン籠、いよいよ昼の仕事ですわね」

 ノアが窓側から笑う。

「朝食道具から旅昼食道具へ進出ですね」

「出世ですわ」

「籠の出世」

「良い道具は、使われる場所が増えるものです」

 アベルは厨房側で、平たい高原パンを横に切っていた。

 昨日のミューレのパンではない。ラヴェルの集落で朝に買った、少し平たいパンである。丸パンより軽く、外側は薄く香ばしい。中はやわらかいが、風の中でも崩れにくそうだった。

「今日は何を挟みますの?」

 私が尋ねると、アベルは小さな木皿を並べた。

「香草バター、薄く焼いた卵、軽い塩の鶏肉、青菜を少し。あと、羊乳チーズを薄く」

「まあ。もう勝ちでは?」

「外で食うなら、勝ちすぎるな」

「勝ちすぎると困りますの?」

「具が多いと落ちる。香りが強すぎると風で散る。汁気があるとパンが負ける」

 外の昼食は、なかなか厳しい。

 白銀列車の中なら、具が多いほど楽しい。皿もある。手も洗える。落としても床が受け止める。けれど草原では、風と草と羊がいる。

 ルークが麦色のパン布を広げ、刺繍紐の位置を確かめていた。

「お嬢様、本日は籠の布を軽く結びます。風で上掛けが飛ばぬようにいたします」

「パン布まで風対策ですのね」

「はい。昨日の風は、お嬢様のお髪にも触れましたので」

「あれは礼儀が足りない風でした」

「本日も同じ風でございます」

 同じ風。

 それは少し困る。

 でも、草原サンドは食べたい。

 私は窓の外を見た。低い石垣の向こうで、昨日の牧童が羊を動かしている。こちらに気づいたのか、大きく手を振った。

 たぶん、あのあたりが石垣の影なのだろう。

「では、短時間決戦ですわね」

 アベルがサンドイッチを包みながら頷いた。

「外で味を見る。長居しない。戻ってから足りなければ車内で食う」

「最初から車内で食べる選択肢は?」

「ある。だが、今日は草の匂い込みで試す日だろ」

 アベルに先に言われてしまった。

 その通りである。

 草原で食べる昼食がどういうものか、少しだけ知りたい。ただし、風にすべてを奪われるつもりはない。

 パン籠の中へ、サンドイッチが二つ、丁寧に置かれた。麦色のパン布が下に敷かれ、上からふわりとかけられる。赤い実の刺繍紐が、持ち手の根元で軽く結ばれた。


 朝を持ち帰った籠が、昼を外へ連れていく顔になった。


   ◇


 外へ出ると、風は昨日より少しだけ落ち着いていた。

 少なくとも、扉を開けた瞬間に前髪を奪いに来るほどではない。草の匂いと、乾いた土の匂いと、遠くの羊の匂いが、軽く混ざって届いた。

「今日は、まだ礼儀がありますわね」

 私が言うと、ノアが笑った。

「風の評価基準ができてる」

「前髪を乱すかどうかは、重要です」

「今のところ、合格ですね」

 ルークは私の横に立ち、風の向きを見ている。

「石垣の影へ参りましょう。正面から風を受けるより、少し楽になるかと」

「パン籠は?」

「私が支えます」

「自分で持ちたいですわ」

「では、お嬢様がお持ちください。下から私が補助いたします」

 パン籠を両手で持つ。

 空の籠より、少し重い。

 中にはサンドイッチがある。朝食ではない。昼食である。そう思うだけで、昨日より籠が少し頼もしく感じた。

 草地へ続く道は、柔らかい土と短い草でできていた。石畳ではないので歩きやすいかと思ったが、足元が少しふわふわする。踏むたびに、草の匂いが上がる。

「これは、足元まで高原ですわね」

「舗装されてないですからね」

「嫌ではありません。ただ、靴に草がつきそうです」

「つきますね」

「即答ですのね」

「高原なので」

 高原なので。

 なんでも許される言葉ではないと思う。

 それでも、道は気持ちよかった。

 空が広い。草が揺れる。羊の鈴が、からん、ころん、と少し遠くで鳴る。白銀列車の車内から聞く音よりも、少しだけ生々しい。風と一緒に届くからだろう。

 石垣のそばに着くと、昨日の牧童が柵に腰をかけていた。

「来たな、列車の人たち」

「石垣の影が良いと聞きました」

「今日は悪くない。昼飯が飛ぶほどじゃないよ。たぶん」

「たぶんが多いですわね」

「風のことは、風に聞かないと分からないからな」

 たいへん困る考え方である。

 けれど、少しだけ納得もした。


   ◇


 石垣の影は、確かに風が弱かった。

 弱いと言っても、無風ではない。草は揺れるし、外套の端も動く。けれど、正面から押される感じではなかった。風が石垣に当たり、少し丸くなってこちらへ届く。

「……ここなら、いけそうですわ」

 私は小さく頷いた。

 ルークが薄い敷き布を石の上に置く。

「お嬢様、こちらへ」

「石に直接座らないのですね」

「高原の石は、見た目より冷えております」

「さすがですわ」

 座ると、草原が少し近くなった。

 目の高さが下がり、羊の背中が大きく見える。石垣の向こうで、白い羊が何頭かこちらを見ていた。こちらを見るだけならよい。近づいてこないでほしい。

 アベルがパン籠を開けた。

 麦色のパン布が、風で少し動く。

 ルークがすぐに端を押さえた。

「やはり、布は飛びますわね」

「軽いからな」

「重い布では駄目なのですか」

「パンが湿る。あと、朝の顔じゃなくなる」

「顔が大事なのは、アベルも分かってきましたわね」

「お前の言い方に慣れただけだ」

 アベルはサンドイッチを一つ取り出し、私へ渡した。

 高原パンの間に、香草バターが薄く塗られている。卵、鶏肉、青菜、羊乳チーズ。具はきちんと収まっていて、こぼれそうなものは少ない。

 見た目は、かなり素朴だ。

 けれど、風の中で食べるには、それが良かった。

「いただきます」

 私は両手で持って、ひと口食べた。

 最初に来たのは、パンの軽さだった。

 ミューレの丸パンより、少し乾いていて、歯切れがよい。そこへ香草バターの匂いがふわりと広がる。卵はやさしく、鶏肉は薄い塩味。羊乳チーズは、思ったより癖が少なく、青菜が少しだけ草原に近い香りを足していた。

 そして、風が来た。

 サンドイッチを食べた直後に、草の匂いを含んだ風が頬を通る。

 味が、外へ広がった気がした。

「……これは」

 私は少しだけ目を閉じた。


「車内では出ませんわね」


 アベルが満足そうに頷く。

「だろ」

「草の匂いが、食べ物の外側にあります」

「外で食ってるからな」

「当たり前のように言いますけれど、かなり大事です。口の中だけではなく、周りまで昼食ですわ」

 ノアも自分の分を食べて、目を細めた。

「あ、これ分かります。風が調味料みたいですね」

「そうです。それですわ」

「でも、風が強すぎると台無しですね」

「礼儀が必要です」

「また風の礼儀」

 私はもう一口食べた。

 香草バターが、今度は少し強く感じる。草原の匂いと重なるせいだろう。白銀列車の中で食べたら、美味しいサンドイッチ。ここで食べると、草原サンドになる。

 場所が、味を変えている。


   ◇


 ただし、草原は甘くなかった。

 半分ほど食べたところで、風が少し強くなった。

 麦色のパン布の端がふわりと持ち上がる。

「おっと」

 アベルが押さえるより早く、ルークの手が布を止めた。

「お嬢様、サンドイッチを少し低くお持ちください」

「こうですの?」

「はい。風を受けにくくなります」

「食べ物にも姿勢がありますのね」

「ございます」

 ルークが言うと、本当にありそうに聞こえる。

 私はサンドイッチを少し低く持ち、石垣を風除けにするように座り直した。

 その時、石垣の向こうから白い顔がぬっと出た。

「……羊」

 羊だった。

 大きな目で、こちらを見ている。

 口は動いていない。

 だが、私のサンドイッチを見ている気がする。

 牧童が笑った。

「見てるだけだよ」

「本当に?」

「たぶん」

「また、たぶんですわ」

 羊はもう一歩近づいた。

 ルークが静かに前へ出る。

「お嬢様の昼食です」

「ルーク、羊に言葉は」

「伝わらなくとも、姿勢は伝わります」

 羊はルークを見た。

 ルークは羊を見た。

 しばらく、黒い騎士と白い羊が見つめ合った。

 ノアが小声で言う。

「なんの対決ですか、これ」

「昼食防衛戦ですわ」

 羊は、ふいと顔をそらして草を食べ始めた。

 勝った。

 たぶん。

 私はサンドイッチを大事に持ち直した。

「高原の昼食は、思ったより忙しいですわね」

「風と羊がいるからな」

「食事に参加者が多すぎます」

「外だからな」

 アベルは平然としている。

 私はもう一口食べた。

 少し忙しい。

 でも、悪くない。

 むしろ、風を避け、布を押さえ、羊に見られながら食べることで、高原の昼食としての記憶が強くなっている。

 ただし、長居は不要である。


   ◇


 サンドイッチを食べ終える頃には、私はかなり満足していた。

 量は多くない。

 けれど、風と草の匂いと羊の視線が加わると、思ったより濃い昼食になる。

 アベルはパン籠の中を確認した。

「残りは車内だな」

「まだ食べられますけれど」

「風が上がってきた。ここからは車内の方がうまい」

「風が強くなると、外の方が不味くなりますの?」

「落ち着かねえ飯は、味が散る」

「なるほど」

 とても分かりやすい。

 高原の風は、うまく当たれば調味料になる。

 強すぎると、食事の邪魔になる。

 やはり、礼儀が必要なのだ。

 ルークが敷き布を畳み、私の外套を直した。

「お嬢様、戻りましょう。お髪も少し乱れております」

「またですの?」

「本日は軽微でございます」

「軽微なら、まだよいです」

 ノアがパン籠の紐を結び直す。

「麦色のパン布、かなり働きましたね」

「ええ。飛びかけましたけれど」

「飛ばなかったので勝ちです」

「パン布も経験を積みましたわ」

 朝食道具から昼食道具へ。

 そして、風対策まで覚えた。

 パン籠は、思っていたよりずっと頼もしい。

 牧童が石垣の向こうから手を振った。

「また昼に来な。今度はもっと風の弱い日がいい」

「風の弱い日もありますの?」

「あるよ。たまに」

「では、その日に教えてください」

「風が教えてくれたらな」

 結局、風次第らしい。

 ラヴェルという場所は、かなり風に任せている。

 私は白銀列車へ戻りながら、もう一度だけ草原を振り返った。

 石垣。

 羊。

 草の匂い。

 風にふくらむ白いシーツ。

 そして、サンドイッチを食べた場所。

 短い時間だった。

 けれど、ちゃんと高原で昼食をした気がした。


   ◇


 車内へ戻ると、落ち着いた空気が体を包んだ。

 風はない。

 羊もいない。

 パン布は飛ばない。

 前髪もこれ以上乱れない。

 私は右ソファに座り、少しだけ息を吐いた。

「……戻ると、急に安全ですわね」

 ノアが笑った。

「外、そんなに危険でした?」

「サンドイッチが見られていました」

「羊に」

「ええ。かなり真剣な目でした」

 ルークが櫛を用意しながら言う。

「お嬢様の昼食は無事でございました」

「ルークのおかげです」

「当然のことをしたまででございます」

 黒い騎士が羊から昼食を守る。

 普通に考えると少しおかしい。

 でも、白銀列車では必要な仕事だった。

 アベルが残りのサンドイッチを小皿に置いた。

「食べるか?」

「少しだけ」

「車内だと、味が変わるぞ」

「確かめます」

 私は同じサンドイッチを、今度はラウンジで食べた。

 高原パン。

 香草バター。

 卵。

 鶏肉。

 羊乳チーズ。

 青菜。

 材料は同じである。

 でも、違う。

 車内で食べると、味がまとまっている。落ち着いている。風で香りが散らないので、香草バターとチーズがゆっくり分かる。

 外では、草の匂いと風が味を広げた。

 中では、具材が静かにまとまる。

「……どちらも良いですわね」

 アベルが頷く。

「外は一口目が強い。中は最後まで落ち着く」

「では、正解は」

「両方だな。ただし、外は短く」

 完璧な答えだった。

 私はパン籠を見た。

 麦色のパン布は、少し草の匂いをまとっている気がした。気のせいかもしれない。けれど、そう思うと嬉しかった。

「パン籠は、昼にも働けますわね」

 ノアが頷く。

「風対策込みで、実績ありです」

「朝食用から、旅昼食用へ昇格です」

「正式採用ですね」

 私は小さく頷いた。

 白銀列車の棚に、またひとつ役割が増えた気がする。


   ◇


 午後になると、風はさらに強くなった。

 窓の外で草が大きく揺れている。

 羊たちは、少し低い場所へ移動していた。

 白いシーツは、まだ干されている。けれど、午前よりも強くふくらみ、洗濯屋らしき女が時々布の端を確かめていた。

「昼食、早めにして正解でしたわね」

 私は右ソファから外を眺めた。

 ノアが帳面に何かを書いている。

「外食は風が弱い時間。石垣の影。布は軽く結ぶ。羊は見るだけとは限らない」

「最後、少し不穏ですわ」

「一応です」

 ルークはパン籠の状態を確認していた。

「麦色のパン布は、風に当たったため、使用後に軽く払って干すのがよろしいかと」

「草の匂いは残しますの?」

「強く残すと食事に影響いたします。ですが、わずかであれば」

「わずかに残しましょう」

「承知いたしました」

 アベルが厨房側から言う。

「香草バターは買い足したいな」

「今日の味の要ですの?」

「ああ。高原パンにも合うし、ミューレの丸パンに塗っても悪くない」

「丸パンが高原味になりますわね」

「次はそれだな」

 次。

 もう次がある。

 草原サンドは成功した。

 外で少し食べ、車内で続きを食べる。

 パン籠は昼にも使える。

 香草バターは持ち帰る価値がある。

 そして、あの白いシーツ。

 私は窓の外で大きく膨らむ布を見た。

 風は直接浴びると少し強い。

 昼食に使うと、短時間なら楽しい。

 なら、寝具に含ませたらどうなるだろう。

 きっと、もっと長く楽しめる。

「明日は、風干しシーツですわね」

 私が言うと、ルークが静かに頷いた。

「洗濯屋へ伺いましょう」

 ノアも帳面を閉じる。

「風を寝台に持ち帰る回ですね」

 風を寝台に持ち帰る。

 その言い方は、とても良かった。


 高原の風は、外で全部浴びるより、少し持ち帰るくらいがちょうどよい。


 私は窓の外を眺めながら、そう思った。

 草原では、羊の鈴がからん、ころんと鳴っている。

 白銀列車の棚では、パン籠が静かに休んでいる。

 その麦色のパン布には、今日の草原サンドの匂いが、ほんの少しだけ残っていた。

草原サンド回でした。


高原の風は、

うまく当たれば調味料。


でも強すぎると、

パンも布も気持ちも散ります。


パン籠は、

朝食だけでなく昼食にも働けることが分かりました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ