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婚約破棄された悪役令嬢の魔導列車 〜揺れる馬車旅が嫌なので、【白銀列車】という走る豪華ホテルで暮らします〜  作者: あゆと
第5章 深夜のミルクティー編 〜夜間停車駅・梟の灯〜

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48/84

048 眠り草茶はミルクで丸くして、半分残すくらいがちょうどいいですわ

夜だけ開く薬草茶屋台で、

眠り草茶を買いました。


香りは静か。


少し青くて、

少し真面目。


そのまま飲むには、

少しだけ背筋が伸びすぎます。

 白銀列車へ戻ると、夜風は扉の向こうへ遠ざかった。

 外套を脱いだ肩に、ラウンジの空気がゆっくり触れる。暖かすぎない。けれど、外で少し冷えた首元が、ほっと息をつくくらいには優しい。

 小卓の上には、焼き栗の紙袋。厨房側には、薬草茶屋台で買った小さな袋。窓の外には、梟の灯のランタンがぽつぽつと揺れている。


 眠る前の町から、眠る前のものだけを持ち帰ってきた。


 私は右ソファへ沈みながら、少しだけ満足した。

「……今夜のうちに飲むべきですわね」

 アベルが茶葉の袋を開ける。

「だろ。ここは何泊もする場所じゃねえ。夜のものは、夜のうちに使う方がいい」

「梟の灯は、長居する町ではなく、眠るために寄る町ですものね」

 ノアが窓側の灯りを少し落とした。

「外のランタンが見えるくらいは残します。真っ暗にすると、ただ寝るだけになりますし」

「それは困りますわ。今夜は、眠るまでの時間を少し楽しみたいのです」

「主役はお茶ですか?」

「いいえ」

 私は小卓の上の焼き栗を見た。


「今夜の主役は、眠気ですわ」


 ノアが少し笑った。

「飲み物より上に来ましたね、眠気」

「当然です。眠るためのお茶なのですから」

 ルークが薄い膝掛けを私の膝へかけた。

「お嬢様、まずお体を冷やさぬように。茶が整う前に冷えては、本末転倒でございます」

「夜風の後に膝掛け。完璧な順番ですわ」

「今夜は、少しずつお休みへ向かう流れがよろしいかと」

 その言い方が、とても良かった。

 少しずつ。急がない。けれど、止まらない。

 梟の灯そのものが、そういう町だった。


   ◇


 アベルが茶葉を小皿へ出した。

 眠り草茶。控えめな茶葉。花の欠片。緑というより、少し灰色がかった青。乾いた草の匂いがして、そこに小さな花の香りがほんの少しだけ混じっている。

 派手ではない。甘くもない。けれど、夜の奥へ静かに下りていきそうな香りだった。

「……やはり真面目ですわね」

 私は小皿を見つめて言った。

「寝る前に騒がないところは良いのですが、このままだと少し姿勢を正されます」

 ノアが小さく頷く。

「眠る前に姿勢を正されると、横になりにくいですね」

「ええ。私はそろそろ、溶ける方向へ向かいたいのです」

 寝る前に必要なのは、反省ではない。

 決意でもない。


 ゆっくりほどけることだ。


 アベルは、まず少量だけ湯を注いだ。

 湯気は細い。熱すぎない。老婆が言っていた通り、煮立てるような湯ではなく、静かに茶葉を起こすような温度だった。

 茶葉がゆっくり開く。湯の色が、薄い琥珀へ変わっていく。香りは、外で嗅いだ時より少し青い。

 草。乾いた葉。ほんの少しだけ花。それから、眠る前の部屋に似合う、低い香り。

「まず、こいつの硬さを少しだけ見ておく」

 アベルが小さなカップを私へ渡した。

「全部を丸める前に、どこが残るか知っておいた方がいい」

「寝る前の飲み物なのに、下準備が靴の革を見る職人みたいですわね」

「似たようなもんだ。扱いを間違えると、飲み物の方が主張する」

「今夜は、お茶に勝たれては困ります」

 私はカップを両手で包み、ひと口だけ飲んだ。

 青い。

 苦いほどではない。でも、舌の奥に草の輪郭が残る。花の香りは最後に少しだけ来るが、それよりも眠り草の真面目さが前にいる。

 体を眠らせる前に、一度まっすぐ座らせようとしてくる味だった。

「悪くありません。ただ、このままでは眠る前に礼儀正しくなりすぎますわ」

「そこが分かればいい」

 アベルは頷き、小鍋の方へ戻った。


   ◇


 小鍋の中で、ミルクが静かに温まっていた。

 沸かさない。白い表面が、ゆっくり揺れるだけ。その匂いがラウンジに広がると、さっきまで真面目だった茶葉の香りが、少しだけ肩の力を抜いたように感じた。

「……もう丸くなり始めていますわね」

「まだ混ぜてねえ」

「匂いの時点で、態度が変わりました」

「茶葉の態度を見るな」

「見えますもの」

 眠り草茶は、湯だけだと少し背筋を伸ばす。ミルクの香りが近づくと、肩の力を抜く。そういう味なのだと思う。

 アベルは温めたミルクを、さっきの茶へ少しずつ加えた。

 琥珀色が淡く濁る。強い白ではない。夜の灯りに合う、やわらかい色だった。

 そこへ、蜂蜜をほんの少し。スプーンの先に乗る程度。

「少ないですわね」

「寝る前だ。甘くしすぎると、口が起きる」

「今夜は、口にも寝る支度をしていただきたいですわ」

「なら、このくらいでいい」

 アベルは軽く混ぜ、白い陶器のカップへ注いだ。

 ガラス器ではない。光を見せるための器でもない。手のひらに収まり、温度を静かに保つための、厚みのあるカップだった。

「今日はガラスではありませんのね」

「寝る前に光らせる必要はない。手を温めるなら、こっちだ」

「器も眠る方向ですわね」

「そういうことだ」

 私はカップを受け取った。

 温かい。熱々ではない。指先がほっとする程度の温度だった。

 急いで飲まなくてもよい温度。少しぬるくなっても、きっと悪くない温度。

 それだけで、かなり正しい気がした。


   ◇


 ひと口飲む。

 湯だけで飲んだ時の青さが、まだ少し残っている。でも、さっきとは違う。草の輪郭が、ミルクでやわらかくなっていた。

 苦みは奥へ下がり、蜂蜜の甘さがほんの少しだけ舌に残る。花の香りは、強く主張せず、最後にそっと顔を出した。

 派手ではない。

 でも、寂しくもない。


 眠る前に、ちょうどよく一日を小さく畳んでくれる味だった。


「……丸くなりましたわ」

 私はカップを見つめながら言った。

 アベルが腕を組む。

「まだ硬いか?」

「少しだけ。でも、この少しは残してもよい気がします」

「全部消すと、ただの甘いミルクになるからな」

「ええ。眠り草茶が、ちゃんと夜の役目を残しています」

 ノアが帳面を開きかけて、すぐ閉じた。

「書くと起きそうなので、今は覚えるだけにします」

「よい判断です。眠る前に文字が増えると、頭が働いてしまいます」

「今日は、眠気の邪魔をしない方がいいですね」

「ええ。今夜は、味を覚えるより、体をほどく方が大事ですわ」

 私はもう一口飲んだ。

 温かい。少しぬるい。甘すぎない。眠り草茶の真面目さは、ミルクの中で静かに丸くなっている。

 飲んだ瞬間に声が出るような美味しさではない。むしろ、声が少し減っていく味だった。

 それが、とてもよかった。

 ルークが膝掛けを整えながら、静かに言った。

「お嬢様、今夜は飲み切る必要はございません」

「先に許可されると、安心しますわね」

「残りは、必要であれば明日の朝に温め直せばよろしいかと」

「明日の朝」

 その言葉が、思った以上に心地よかった。

 今夜で終わらせなくていい。残してもいい。続きがあっていい。

 眠る前には、そのくらいがちょうどいいのかもしれない。


   ◇


 アベルが焼き栗を一つ、半分に割って小皿へ置いた。

「一つだけですのね」

「半分ずつ食え。一口で終わると寂しい。丸ごと二つだと重い」

「たいへん正しい調整ですわ。寝る前の欲望を、かなりよく理解しています」

「お嬢様の欲望が分かりやすいだけだ」

 失礼である。

 でも、焼き栗は正しかった。

 私は半分だけ口に入れる。

 ほくり、とほどけた。

 強い甘さはない。けれど、ミルクティーのあとに食べると、栗の甘みがほんの少しだけ丸く広がる。

 噛む回数も多くない。でも、ちゃんと夜の楽しみになる。

「……これは合いますわ」

「だろ」

「食べたというより、眠る前に小さな句読点を置いた感じです」

「分かるような、分からねえようなことを言うな」

 私はもう一口、ミルクティーを飲んだ。

 少しぬるくなっている。そのぬるさが、さらに良い。

 熱い飲み物は、飲む時に少し身構える。冷たい飲み物は、体の中を起こす。でも、このミルクティーは違う。

 身構えない。

 起こさない。


 ただ、手のひらと喉を通って、体の内側を静かに夜へ寄せていく。


「……ぬるくなってからが、良いですわね」

 ノアが小さく頷く。

「急いで飲まなくていい味ですね」

「それです。急げと言われる飲み物では、眠れませんもの」

「たしかに」

 カップを持つ手から、少しずつ力が抜けていく。

 もう味を追いかけるより、眠気の方が前へ出てきていた。


   ◇


 ラウンジの灯りが、もう一段静かになった。

 ノアが調整したらしい。窓の外には、梟の灯のランタンが見える。薬草茶屋台のあたりにも、まだ小さな火が残っていた。

 老婆は、もう店じまいを始めているのだろうか。

 声は届かない。でも、あの屋台が夜の終わりを知っているように見える。

 私はカップを両手で包んだまま、右ソファへ背を預けた。

 深く沈む。膝掛けが軽い。足元は温かい。暖炉は強すぎない。車輪の音はない。

 白銀列車は、走っていないのに、ちゃんと旅の途中にいる。

 それが不思議に心地よかった。

「……止まっている夜も、よいものですわね」

 ノアが窓の方を見た。

「普段は走っている音がありますからね。今夜は、外の灯りが少し近く感じます」

「でも外ではありません。そこが大事ですわ」

「外の夜は少し冷えますからね」

「ええ。窓越しの夜が、ちょうどいいのです」

 ルークが静かに頷く。

「今夜は、この距離がよろしいかと」

「ええ」

 私はもう一口飲んだ。

 少しだけ。

 カップの中身は、まだ半分ほど残っている。

 けれど、不思議と焦らなかった。もったいないとも思わない。むしろ、残っていることが安心だった。

 飲み切らなくてもいい。

 眠くなったら、そこで終わっていい。

 そう思うと、肩の力が抜けた。

「……これは、半分残すくらいがちょうどよいのかもしれませんわ」

 アベルが小さく笑う。

「料理人としては珍しいことを言うが、今夜はそれでいい」

「よろしいのです?」

「これは食事じゃない。眠る準備だ」


 その言葉は、かなり強かった。


 食事ではない。

 眠る準備。

 だから、皿が空になることや、カップが空になることだけが正解ではない。

 私はカップを小卓へ置いた。

 まだ半分ほど残っている。

 淡いミルクティー。

 眠り草茶の青さは、もう湯気の奥に隠れていた。


   ◇


「お嬢様」

 ルークの声がした。

「眠くなっておられます」

「まだ、半分ほど残っていますわ」

「眠れましたら、それが正解でございます」

 完璧な答えだった。

 私は何か言おうとして、やめた。

 まぶたが少し重い。右ソファの背もたれが、いつもより深く感じる。膝掛けが胸元へ少し引き上げられる。

 ルークの手だ。

 ノアは帳面を閉じていた。アベルは焼き栗の小皿を下げたが、カップには触れない。

 白銀列車全体が、私を眠らせる方向へ静かに動いている。

 大げさではなく、本当にそう感じた。

 暖炉が、ぱちり、と鳴る。

 窓の外では、薬草茶屋台の灯りがまだ小さく残っていた。


 あのお茶は、ちゃんと眠るための味になった。


 強すぎず。

 寂しすぎず。

 飲み切らせようともせず。


 ただ、眠くなるところまで付き合ってくれる味。


「……残りは」

 私はカップを見た。

 半分ほど残っている。白い陶器の中で、淡い色が静かに揺れていた。


「明日でいいですわ」


「承知しました」

 ルークの声が、少し遠い。

 明日でいい。

 その言葉を自分で言った瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。

 終わらせなくていい。飲み切らなくていい。眠くなったら、そこで今夜を畳んでいい。

 私は右ソファに体を預けた。

「私室へお戻りになりますか」

 ルークが小さく尋ねた。

 私は少し考えた。

 考えたつもりだった。

 でも、答えはほとんど息だった。

「……少しだけ、ここで」

「承知しました」

 膝掛けが、もう一度整えられる。

 ラウンジの灯りが、さらに少しだけ落ちる。

 窓の外で、ランタンが小さく揺れている。

 白銀列車は、まだ走らない。

 今はただ、静かに停まっている。

 その静けさの中で、私はゆっくり目を閉じた。


 半分残ったミルクティーの温度が、夜の中で少しずつほどけていった。

眠り草茶をミルクで丸くする回でした。


湯だけだと少し青くて真面目。


ミルクと蜂蜜で、

だいぶ眠れる味になりました。


飲み切らなくてもいい。


眠くなったら、

そこで正解です。


次回、

薬草茶屋台の老婆から見た白銀列車です。

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