047 夜だけ開く薬草茶屋台で、眠り草茶を選びますわ
梟の灯の夜市で、
焼き栗を買いました。
次に気になるのは、
湯気の向こうにいた薬草茶屋台の老婆です。
今夜はこのまま、
眠るためのお茶を探します。
薬草茶の屋台は、夜市の端にあった。
焼き栗の甘い匂いから少し離れた場所。温かい乳の湯気より、もう少し静かな灯りの下。
小さな棚には、茶葉の小瓶がいくつも並んでいる。
緑。
茶色。
薄い灰色。
花の欠片が混じったもの。
どれも派手ではないのに、見ているだけで少し眠くなるような色をしていた。
屋台の奥では、白髪を布でまとめた老婆が、小さな鍋の湯気を見ている。
客を呼び込む声はない。
笑顔で近づいてくるわけでもない。
ただ、こちらが来るのを知っていたみたいに、静かに目を上げた。
「眠る茶かい」
いきなり言われた。
私は少しだけ足を止める。
「まだ何も申し上げておりませんのに」
「あんた、湯気より先に眠そうな顔をしているよ」
ノアが横で、こらえきれない顔をした。
「ティアさん、眠る前の準備だけは妙に真剣ですからね」
「人の顔を生活習慣で読むのはやめてくださいませ」
ただ、否定はできない。
私は眠るためのお茶を探しに来たのだ。
ルークは私の外套の襟元を、少しだけ直した。夜風が首に入らないよう、隙間をきれいに消してくれる。
「お嬢様、長く選びすぎますと冷えます」
「分かっています。今夜は、眠るためのものを選びに来ただけです」
「では、灯りが落ちきる前に」
研究ではない。
大事な寄り道である。
老婆は小さく笑い、棚から三つの小瓶を取り出した。
「派手に眠らせる茶はないよ。うちは、夜を少し静かにするだけだ」
「それがよろしいですわ。眠るのに大事件はいりません」
「なら、香りで勝つ茶もいらないね」
その言い方が、少し気に入った。
眠るためのお茶は、勝ってはいけない。
たぶん、勝ちすぎると目が覚める。
◇
一つ目の瓶の蓋が開いた。
ふわりと、花のような甘い香りが広がる。
夜市の煤の匂いが、一瞬だけ遠くなった。華やかで、明るくて、少しだけ誰かに褒められたい時の香りがする。
「まあ。これは綺麗ですわね」
「綺麗すぎる」
アベルが即座に言った。
焼き栗の袋を片手に持ったまま、瓶の香りを一度だけ確かめる。
「菓子には合う。けど、寝る前に飲むと香りが残る。ミルクに合わせるには少しうるさい」
老婆がアベルを見た。
「料理人だね」
「茶は専門じゃないが、うるさい味は分かる」
「なら、これは外していい。眠る茶に、花嫁みたいな香りはいらない」
「花嫁」
私は瓶を見つめた。
「たしかに、寝室へ行くには少し支度が派手ですわ」
嫌いではない。
でも、今夜ではない。
老婆は一つ目の瓶を脇へ置いた。
二つ目の瓶からは、青い香りがした。
草。
乾いた葉。
少しだけ土。
甘くはない。
けれど、夜に背を向けていない香りだった。
むしろ、灯りをひとつ落として、椅子に座り直すような香り。
「これは……眠る前に背筋を伸ばされる感じがしますわ」
「厳しいのか、褒めてるのか分かりませんね」
ノアが小声で言う。
「褒めています。寝る前に暴れないところは良いです。ただ、湯だけで飲むと少し真面目すぎるかもしれません」
アベルが瓶を受け取って、短く嗅いだ。
「悪くない。ミルクで丸めればいける」
「この真面目さを、少しやわらかくするのですわね」
「苦みと青さを削りすぎると、ただのミルクになる。少し残す」
老婆が頷いた。
「その葉は、眠り草だよ。湯だけだと少し角が立つ。けれど、角を全部取ると、この葉らしさまで消える」
「眠る前に尖りすぎても困りますが、何も残らないのも寂しいですわね」
「そういうことだよ」
眠り草茶。
名前だけなら、もっと甘く眠らせてくれそうだった。
でも実物は違う。
静かで、青くて、少しだけ真面目。
眠りへ向かう道の入口に、背筋のよい番人が立っているような茶葉だった。
◇
三つ目は、香りの弱い茶葉だった。
木の皮に近い匂い。
ほんの少しだけ甘い。
主役というより、部屋の壁のような存在感だった。
「こちらは控えめですわね。ひとりでは寂しいけれど、いると落ち着く感じがします」
「地味な方が眠れる」
老婆はそう言って、眠り草茶を少し、控えめな茶葉を少し、そこへ花の欠片を本当に少しだけ足した。
「眠り草を主にすると硬い。地味な茶だけだと寂しい。花を入れすぎると夜が騒ぐ。だから、少しずつだ」
「一つで完璧を探すのではなく、眠れるように整えるのですわね」
「眠るための茶は、主張しすぎると負けだよ」
その言葉は、とても良かった。
主張しすぎると負け。
梟の灯という宿場町そのものみたいな言葉だった。
この町は、旅人を引き止めない。
大きな声で呼ばない。
ただ、夜だけ灯りをつけて、焼き栗と湯気と小さな椀を並べている。
朝になれば、旅人はまた街道へ出る。
そのための夜。
そのためのお茶。
派手である必要はないのだ。
「試してみるかい」
老婆は小さな器に、湯気の細い茶を注いだ。
茶の色は薄い琥珀。
熱すぎない。
湯気も強くない。
ルークが私の手元を見た。
「温度は問題なさそうでございます」
老婆が少し笑う。
「寝る前の茶を熱くしすぎるほど、若くはないよ」
「その考え方、たいへん信用できますわ」
私は器を両手で受け取った。
指先に、じんわり温かさが移る。
夜風で少し冷えた手には、それだけでありがたい温度だった。
ひと口。
青い。
最初にそう思った。
苦いほどではない。
でも、草の輪郭が舌の奥に残る。
そのあとに、控えめな茶葉のやわらかさが来る。
最後に、花の香りがほんの少しだけ触れて消えた。
甘くはない。
けれど、嫌ではない。
眠る前に、体の中の音を一段落とすような味だった。
「……今すぐ好きになる味ではありませんわ」
私は器を見下ろした。
「でも、寝る前に少しずつ仲良くなれそうです」
老婆が頷く。
「なら、買っていく顔だね」
「皆さん、私の顔で判断しすぎですわ」
ノアが帳面を開きかけて、すぐに閉じた。
「今日は細かく書かない方がよさそうですね。眠る前ですし」
「それでよろしいです。今夜は帳面より、湯気を信じましょう」
アベルが短く笑った。
「買うぞ。あとは車内で丸める」
「相談の形を取る前に決まってしまいましたわね」
「結論が顔に出てる」
否定できない。
この茶は、そのままでは少し真面目すぎる。
でも、ミルクを合わせたらどうなるだろう。
蜂蜜をほんの少しだけ足したら。
焼き栗を一つ添えたら。
深夜のラウンジで、灯りを落として飲んだら。
その絵が、もう頭の中にできていた。
◇
老婆は小さな袋を取り出した。
眠り草茶。
控えめな茶葉。
花の欠片。
それらを、本当に少しずつ分けて入れる。
量は多くない。
それも良かった。
寝る前のお茶を大袋で抱えるのは、少し違う。
夜ごとに少しずつ、馴染ませていく方が、この宿場町には合っている。
ノアが袋の口を見て言った。
「湿気は避けた方がよさそうですね。夜の町は、思ったより空気が重いです」
「布の袋だけじゃ足りないよ。中で寝かせるなら、乾いた箱に入れな」
老婆が短く答える。
アベルは茶葉の香りをもう一度だけ確かめた。
「ミルクに合わせるなら、濃く出しすぎない方がよさそうだな」
「分かってるなら、そうしな」
「甘くしすぎるのも違う」
「そこも分かってるなら、あんたが淹れればいい」
老婆は小さく笑った。
「でも、少しは甘くしていい。眠る前に寂しい味じゃ、つまらない」
「それですわ」
私は思わず頷いた。
「眠る前に寂しい味は困ります」
「贅沢な子だね」
「眠るためですもの」
「眠るために贅沢するのは、悪くない」
短い言葉だった。
けれど、その一言で、私はこの屋台がかなり好きになった。
眠るために贅沢する。
それは、たいへん白銀列車向きである。
ルークが外套の襟元を直した。
「お嬢様、ここで名残惜しむと、戻ってから温め直しになります」
「それは避けたいですわね」
「今が戻り時かと」
確かに、指先が少し冷えてきた。
器の温かさはありがたいが、夜風は首元に少しずつ入ってくる。
ここは、長居する場所ではない。
選んで、受け取って、車内へ持ち帰る場所だ。
私は老婆へ向き直った。
「良いお茶をありがとう」
「合わなければ、また来な」
「合えば、眠る前の用事がひとつ増えますわ」
「それでも来ればいい。夜は毎日来るからね」
たいへん良い返事だった。
◇
白銀列車へ戻る道で、ランタンが小さく揺れていた。
焼き栗の屋台からは、今日も甘く焦げた匂いがする。
馬車のそばでは、御者が馬の鼻先を撫でていた。
巡礼者は石段に腰を下ろし、湯気の立つ椀を両手で包んでいる。
声が低い。
足音も小さい。
眠る前の町は、さっきより少しだけ身近に感じた。
「……梟の灯は、夜のものを選ぶ町ですわね」
私は茶葉の袋を見ながら言った。
ノアが頷く。
「焼き栗も、お茶も、灯りも、声も。朝から来ても、たぶん良さが半分も分からない町ですね」
「昼は眠っている町ですもの。夜に受け取るのが正しいです」
ルークが白銀列車の扉を開ける。
暖かすぎない車内の空気が、夜風のあとに静かに迎えてくれた。
私は一歩入って、ほっと息を吐く。
「戻りましたわ」
「お帰りなさいませ」
外套を預けると、首元が軽くなる。
足元は乾いている。
空気は静か。
ランタンの煤の匂いは、少しだけ服に残っている。
それも悪くなかった。
アベルが茶葉の袋を厨房側へ持っていく。
「今夜、このまま淹れるぞ」
私は少しだけ瞬いた。
「今夜のうちに?」
「ここは何泊もして茶を育てる場所じゃねえだろ。夜のものは、夜のうちに使った方がいい」
その通りだった。
梟の灯は、夜に寄って、眠る前のものを受け取る町だ。
何日も滞在して、考え込む町ではない。
私は右ソファへ戻りながら、小さく頷いた。
「では、香りを逃がさないうちに、ミルクで丸くしましょう」
ノアが帳面を膝の上へ置いたまま、開かなかった。
「今日は覚えるだけにしておきます。細かく書くと、眠気が逃げそうですし」
「よい判断です。寝る前の面倒は、増やしすぎない方がよいですもの」
「それは本当にそうです」
ルークが薄い膝掛けを持ってきた。
「淹れられるのでしたら、こちらを」
「もう準備されていますのね」
「眠るためのお茶でございますので」
白銀列車の中に、薬草茶の静かな香りが広がっていく。
窓の外では、梟の灯のランタンがまだ揺れていた。
焼き栗の袋は小卓の上。
茶葉は厨房へ。
夜は、まだ終わっていない。
今夜のうちに、この少し青くて真面目なお茶を、眠れる味へ近づけるのだ。
「では、続きは車内で」
私は右ソファに身を預けた。
眠り草茶の香りが、ランタンの光と一緒に、静かに白銀列車へ入ってきていた。
薬草茶屋台回でした。
眠るためのお茶は、
香りが強ければいいわけではないようです。
眠り草茶は少し青くて、
少し真面目。
次回、
今夜のうちにミルクで丸くします。




