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婚約破棄された悪役令嬢の魔導列車 〜揺れる馬車旅が嫌なので、【白銀列車】という走る豪華ホテルで暮らします〜  作者: あゆと
第4章 冷製スープとガラス器編 〜海風の港町マリーノ〜

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045 【閑話】港町の女船長と、走るホテルに選ばれた品たち

港町マリーノ側から見た白銀列車です。

潮風の中で生きる女船長にとって、あの一行は少し妙な客でした。

 白銀の列車が去ったあとも、港にはしばらくその話が残っていた。


 海風の港町マリーノでは、珍しい船などいくらでも来る。南から来る香辛料船。北へ向かう干し魚の商船。貴族を乗せた飾りだらけの遊覧船。帆が破れたまま入ってくる無茶な船乗りもいる。

 けれど、線路の上を走る白銀の列車は、さすがに珍しい。

 しかも、ただの列車ではない。


 港町の宿より涼しそうで、船より揺れず、厨房を丸ごと積んでいるような、妙な代物だった。


「……あれは反則だねえ」

 女船長のヴェラは、桟橋に腰かけながら呟いた。

 朝の港は、いつも通り騒がしい。魚を積む声。氷を運ぶ音。帆を直す若い船員の怒鳴り声。木箱がぶつかる音。潮風。魚の匂い。

 いつものマリーノだった。

 けれど、昨日まで港の外れに停まっていた白銀の列車だけは、もういない。

 あの大きな窓も、曇らない車体も、中で涼しい顔をしていた令嬢も、黒ずくめの騎士も、食材を見る目だけは妙に鋭い料理人も、ぜんぶ南の光の中から消えていた。

「船長、またあの列車の話ですか」

 若い船員が、木箱を抱えながら言った。

 ヴェラは片眉を上げる。

「またってほど話してないだろ」

「昨日から五回は聞きました」

「じゃあ、六回目だ」

「多いですよ」

「うるさいねえ。あんなもの、港に来たら語りたくもなるさ」

 ヴェラは立ち上がり、船員の持つ木箱を指差した。

「それ、日陰へ回しな。氷が泣くよ」

「はい!」

 船員が慌てて走る。

 ヴェラはそれを見送りながら、白銀列車が停まっていた場所へ視線を向けた。

 もう何もない。

 ただ、線路の跡だけが妙にきれいに残っている。港の砂埃も、潮のべたつきも、そこだけ少し避けているように見えた。

 気のせいかもしれない。

 だが、あの列車を見たあとでは、気のせいだと断言する気にもなれなかった。


   ◇


 最初に気づいたのは、黒い騎士だった。


 朝市で牡蠣の箱を開けている時、港に不釣り合いな一団が降りてきた。薄手の日除けを差した令嬢。その半歩後ろに立つ黒ずくめの騎士。厨房からそのまま出てきたような料理人。それから、何やら道具を持った若い技師らしき男。

 港には、貴族の客も来る。

 珍しくはない。

 しかし、あの令嬢は少し違った。

 市場を見に来たというより、暑さを警戒しながら、冷たいものを探しに来た顔をしていた。

 そして黒い騎士が、異様だった。

 港の荒くれどもの視線、日差し、潮風、木箱の角、飛び交う声。その全部から令嬢を守ろうとしている。


 まるで、港そのものを敵だと判断しているようだった。


「黒い騎士さん、港は戦場じゃないよ」

 ヴェラがそう言った時、騎士は静かにこちらを見た。

「お嬢様が不快でなければ、問題ございません」

 その返事に、ヴェラは少しだけ黙った。

 冗談が通じていないのではない。

 冗談より優先するものが決まりきっている顔だった。

 剣を抜く気はない。だが、必要なら港の空気ごと切り捨てそうな目をしている。

「大した番犬だね」

 ヴェラが笑うと、令嬢が日除けの中から少しだけ顔を出した。

「ルークは優秀ですわ」

 自慢している。

 当然のように。

 ヴェラはそこで、この客は面白いと思った。

 暑さを嫌がる。日差しも避ける。港の騒がしさには少し顔をしかめる。

 それなのに、牡蠣を見た瞬間だけ、目がきちんと輝いた。

 食べる気はある。

 ただし、快適な場所で。

 そういう顔だった。


   ◇


 次に面白かったのは、料理人だった。


 アベル、と呼ばれていた男。

 ヴェラは最初、港町の海鮮を見慣れていない料理人だと思った。旅の料理人なら、珍しい魚を見て少しはしゃぐ。値段を聞いてひるむ。表面の見栄えだけで選ぶ。そういう客も多い。

 だが、アベルは違った。

 黙って木箱を見る。

 魚の目を見る。

 腹を見る。

 氷の溶け方を見る。

 匂いを嗅ぐ。

 そして、奥に隠していた一番いい箱へ目を向けた。

「それ、開けろ」

 短く言った。

 ヴェラは思わず笑った。

「あんた、見えてるのかい」

「見えるところに置いてある」

「蓋は閉まってるよ」

「匂いが違う」

 港の男たちが、少しざわついた。

 その箱は、朝の競りでも最後に出すつもりだった上物だ。遠くの高級宿へ流すか、顔の利く料理屋に出すか、少し迷っていた。

 それを、初めて来た料理人が見抜いた。

 ヴェラは腕を組み、箱を開けさせた。

 氷の下に、きれいな牡蠣が並んでいる。身が締まり、殻の重さもよい。文句なしの品だった。

 アベルは一つ手に取り、重さを確かめ、すぐに頷いた。

「買う」

「早いねえ」

「迷う理由がない」

「値段を聞いてないよ」

「良いものなら払う」

 ヴェラはますます笑った。

 良い。

 こういう客は嫌いではない。

 値切ることしか考えない客より、よほど気持ちがいい。

 ただし、不思議ではあった。

 あの令嬢は、港に長居する気がない。黒い騎士は、令嬢を日差しから一刻も早く遠ざけたい顔をしている。若い技師は、なぜか氷箱の構造を見ている。

 そして料理人だけが、港の海鮮を本気で見ている。


 まとまりがあるようで、かなり妙な一団だった。


   ◇


 その一団が戻っていった先が、あの白銀列車だった。

 ヴェラは仕事の合間に、港の外れを見た。

 白い車体。

 大きな窓。

 揺れない影。

 港の熱気の中で、そこだけ別の温度をしているように見えた。

 しばらくして、窓の向こうに令嬢の姿が見えた。右側の大きなソファ。薄い布。涼しそうな室内。氷の上に並べられた牡蠣。

 それを、あの料理人が整えている。

 黒い騎士は、令嬢の後ろ斜めに立っている。若い技師は窓際で何かを書いている。

 全員が自分の場所に収まっていた。

「あれは、船じゃないね」

 ヴェラは思った。

 港に来る船なら分かる。揺れる。潮をかぶる。甲板は熱くなる。帆を張るにも人手がいる。魚を積むなら氷がいる。客を乗せるなら、暑さも匂いも我慢してもらう。

 それが海の移動だ。

 だが、あの列車は違う。

 外は暑い。港は騒がしい。潮風はべたつく。

 それなのに、窓の向こうの令嬢は涼しい顔で牡蠣を食べている。

 しかも、かなり幸せそうだった。

 ヴェラは少しだけ悔しくなった。

 自分の船で食べる牡蠣も悪くない。むしろ最高だと思っている。

 だが、あの列車の窓の向こうで食べる牡蠣は、別の意味で反則だった。

 港の暑さを前振りにしている。

 潮風を少しだけ浴びて、すぐ涼しい部屋へ逃げる。

 そこで氷の上の牡蠣を食べる。

 そんなもの、美味いに決まっている。

「ずるいねえ」

 ヴェラは小さく呟いた。

 近くの船員が聞き返す。

「何がです?」

「いや。うちの牡蠣が、あの部屋でさらに美味そうに見えるのが腹立つって話さ」

「褒めてます?」

「褒めてるよ。腹は立つけどね」

 船員はよく分からない顔をした。

 それでいい。

 ヴェラも、少し分からなかった。

 少し離れた魚市場では、商人がひとり、アベルが選んだ箱のあった場所を見ていた。

 値札を書き換えているわけではない。

 看板を出しているわけでもない。

 ただ、その箱に入っていた牡蠣の残りを、いつもより丁寧に氷へ埋め直していた。

「気持ちは分かるよ」

 ヴェラは小さく言った。

 船員が首を傾げる。

「何がですか」

「あの料理人が選んだ箱なら、残りだって粗末にはできないって顔さ」

「商人って、そういうものですか」

「海のものを見る目がある客は、港じゃ大事にされる。値札より前の話だよ」

 商人は、白銀列車の名前を大声で使ったわけではない。

 ただ、自分の箱があの料理人の目に止まったことを、少し誇らしげにしていた。

 それくらいなら、悪くない。


   ◇


 その後も、白銀列車の一行は何度か港に顔を出した。


 と言っても、短時間だ。

 日差しが強くなる前。あるいは、港の混み合う時間を少し外して。

 令嬢はいつも日除けの内側にいて、少し歩くとすぐ帰りたそうな顔をする。

 だが、食材を見る時だけは目が逃げない。

 冷たい果実、柑橘、白身魚、氷、ガラス器。興味の対象がはっきりしていた。

 ある日、ヴェラは市場で見かけた。

 白銀列車の一行が、ガラス器の店にいるところだった。

 令嬢は、青みがかった厚手の器を持って、かなり真剣な顔をしていた。

「冷たさが見える器ですわ」

 そんな声が聞こえた。

 ヴェラは笑いそうになった。

 冷たさが見える器。

 港の人間は、そんな言い方をしない。

 だが、言われてみれば分かる。

 マリーノの昼は暑い。白い壁は眩しい。だからこそ、透明な器に入った果実水や冷製スープは、見ているだけで涼しい。

 あの令嬢は、暑さを嫌がりながら、暑い町の楽しみ方をよく分かっている。


 ただし、全部を自分の快適な場所へ持ち帰る方向で。


 ガラス器の店主は、何も騒がなかった。

 ただ、令嬢が選んだ青みのある厚手の器を、両手で丁寧に布へ包んでいた。

 いつもより少しだけ、布の折り方が慎重だった。

 それだけで、店主が何を思っているかは分かった。

 良い器が、良い場所へ行く。

 職人や商人にとって、それはやはり嬉しいのだ。

 白銀列車の一行が去ったあと、店主は同じ棚をしばらく見ていた。

「あれを、冷たさが見える器と言うのか」

 小さな声だった。

 誰へ売り込むためでもない。

 ただ、自分の器を別の言葉で見直した者の声だった。

 やがて店主は、奥から同じ形の器を二つ出した。

 看板に大きな字を書いたわけではない。

 白銀列車という名を掲げたわけでもない。

 ただ、次に客が来た時に見やすいよう、棚の少し前へ置いた。

 ヴェラはそれを見て、鼻で笑った。

「商人ってのは、目ざといねえ」

 けれど、不快ではなかった。

 良い品が良い使われ方をして、次の客に少しだけ届きやすくなる。


 それなら、港の空気を汚すほどの話ではない。


   ◇


 夕方近く、魚市場の端で、商人たちが小声で話しているのをヴェラは聞いた。

「あの列車で出された牡蠣なら、王都の客が欲しがるかもしれないな」

「言い方には気をつけろ。白銀列車が保証したわけじゃない」

「分かってる。ただ、あの料理人が選んだ箱だ。良い品だったと言うくらいは嘘じゃない」

「そういう話は、すぐ大きくなるぞ」

「だから、余計なことは言わない。次に同じ質のものを出せるかが先だ」

 ヴェラは足を止めた。

 思ったより、まともな話をしている。

 もっと浮ついた言葉が出るかと思ったが、商人たちは商人たちなりに、あの列車の怖さを感じているらしい。

 名前だけを借りても続かない。

 白銀列車で気持ちよく使われた。

 その事実が欲しいなら、次もそれに耐える品を出さなければならない。

 そういう顔だった。

「分かってるじゃないか」

 ヴェラが言うと、商人たちは少し気まずそうに振り向いた。

「船長、聞いていたのか」

「聞こえるところで喋る方が悪い」

「白銀列車印、なんて言葉が出回る前に、ちゃんとしておいた方がいいだろう」

「印ねえ」

 ヴェラは腕を組んだ。

「そんなもの、あの令嬢が押した覚えはないだろ」

「分かってる。だから、勝手に印を作る気はない」

「ならいい」

「ただ、あの列車で使われたという話は、たぶん止まらない」

 商人の声は、少し真面目だった。

「雪見風呂の谷でも、似たような話があったらしい。あの列車が使った品は、旅人が欲しがる。理由は分からんが、分かる気もする」

 ヴェラは港の外れを見る。

 白銀列車は、静かに停まっている。

 大きな窓の向こうで、令嬢が右ソファに沈んでいるのが見えた。

 理由なら、分かる。

 あの列車は、何かをただ消費しない。

 外から持ち帰ったものを、いちばん気持ちよさそうな場所へ置く。

 牡蠣も。

 果実水も。

 冷製スープも。

 ガラス器も。


 あの窓の向こうへ入ると、少し良く見える。


 それが商人には、たぶん怖くて嬉しいのだ。


   ◇


 最後の朝、ヴェラは籠を持って白銀列車を訪ねた。

 出発すると聞いたからだ。

 柑橘。少し干した白身魚。それから、港で使う薄い塩。

 持たせるつもりで用意した。

 展望車まで案内された時、ヴェラは内心で少し驚いた。

 中へ入った瞬間、潮の匂いが薄くなった。

 暑さもない。

 揺れもない。

 床は乾いている。

 窓は大きい。

 それでいて、港の騒がしさはほとんど入ってこない。

 外から見た時も妙だったが、中に一歩入るとさらに妙だった。

 宿のようで、客室のようで、食堂のようで、でも、どこか家のようでもある。

 ただし、他人の家というより、手入れの行き届きすぎた高級宿に近い。

 その中心に、令嬢がいた。

 右側のソファ。

 そこが彼女の場所らしい。

 黒い騎士は、その後ろ斜め。

 料理人は厨房側。

 若い技師は窓側。

 外から見た時と同じ配置だった。

 それが少しおかしかった。

 船の上でも、立ち位置は大事だ。舵を取る者。帆を見る者。荷を見る者。見張る者。

 あの列車にも、同じような役割がある。

 ただし、目的は航海ではない。


 令嬢を快適にすること。


 たぶん、それだけだ。


「すごいねえ、この走るホテルは」

 ヴェラは思わず言った。

「船でも宿でもない。けど、港のどの宿より涼しい。船より揺れない。厨房は下手な料理店より上」

 令嬢は少し首を傾げた。

「走るホテル」

「そう見えるよ」

「悪くない呼び名ですわね」

 その返事が、妙に自然だった。

 否定しない。驚かない。ただ、自分の快適な空間がそう見えるなら、それもよしとする。

 そういう顔だった。

 ヴェラは笑った。

「次に来る時は、もっといい牡蠣を隠しておいてやるよ」

 料理人のアベルが、すぐにこちらを見た。

「隠しても分かる」

「そういうところが腹立つんだよ」

「いい牡蠣なら匂いが違う」

「港の男みたいなことを言うねえ」

「料理人だ」

 短いやり取りだった。

 けれど、ヴェラはかなり気に入った。

 あの料理人は、海の人間ではない。でも、食材への向き合い方は悪くない。

 良いものを見て、良いと言う。悪いものは選ばない。無駄に褒めない。

 そういう相手には、良いものを出したくなる。

 困ったものだ。

 ふと、令嬢が窓の外を見た。

 魚市場の方で、商人たちがこちらを見ている。

 騒いではいない。

 看板を振っているわけでもない。

 けれど、視線は確かに白銀列車へ向いていた。

「何か、見られていますわね」

 令嬢が少しだけ困った顔をした。

 ヴェラは笑った。

「見られるさ。あんたが気持ちよさそうに食べたもんは、みんな少し良く見えちまうからね」

「私は、ただ冷たいものをいただいただけですわ」

「それが一番効くんだよ」

 令嬢は不思議そうにしていた。

 本当に分かっていないのだろう。

 商売のために食べたわけではない。

 誰かに見せつけたわけでもない。

 ただ、冷たい果実水を飲み、生牡蠣を食べ、ガラス器を選び、冷製スープを味わった。

 それだけだ。


 けれど、その「それだけ」を気持ちよくやる客は、品の見え方を変えてしまう。


 黒い騎士が窓の外を一度見た。

 商人たちは、少しだけ姿勢を正した。

 何か言われたわけではない。

 ただ、勝手な名乗りや粗い売り方はするなと、視線だけで伝わったようだった。

 若い技師が小さく言う。

「事実を丁寧に話すならいいんでしょうけど、白銀列車が保証したみたいに言われると困りますね」

 令嬢は少し考えた。

「では、嘘はいけません」

「そこですね」

「それと、気持ちよく使えないものに、白銀列車の名前を付けるのも違いますわ」

 ヴェラは、思わず吹き出しそうになった。

 令嬢は、商売の細かいところは分かっていない。

 でも、肝心なところだけは外さない。

 白銀列車の名前を付けるなら、気持ちよく使えること。


 それはたぶん、どんな商人の理屈より厳しい。


   ◇


 白銀列車が出発する時、ヴェラは港から見送った。

 朝の光の中で、白い車体がゆっくり動き出す。

 りぃん、と澄んだベルの音がした。

 がたん。

 ごとん。

 港の喧騒とは違う、整った車輪の音。

 女船長としては、少し認めたくない。

 船の方が自由だ。海の上の方が広い。風を読んで進む船には、列車にはない誇りがある。

 それでも。

 あの白銀の列車は、港のどの宿より涼しそうで、どの船より揺れなさそうだった。

 窓の向こうには、令嬢が見えた。右ソファにいる。手元には果実水。たぶん、あのガラス器はもう棚にしまったのだろう。

 黒い騎士がそばに立っている。料理人が奥へ戻る。若い技師が何かを書いている。

 全員、いつもの場所にいる。

 そのまま部屋ごと、生活ごと、港から離れていく。

「走るホテル、ねえ」

 ヴェラは自分で言った呼び名を、もう一度口にした。

 悪くない。

 あれは船ではない。

 普通の列車でもない。

 宿でもない。

 でも、走るホテルと言えば、少しだけ近い。

 もっとも、あの令嬢にとっては、ホテルというより家なのかもしれない。

 そう思ったが、ヴェラは口には出さなかった。


 外から見た者が勝手に名前をつける。


 噂というのは、そうやって育つものだ。


「船長」

 若い船員が隣に来た。

「なんだい」

「次に来たら、本当に牡蠣を隠すんですか」

「隠すよ」

「見つかるんじゃ」

「だから面白いんだろ」

 ヴェラは笑った。

「次はもっといいやつを用意する。あの料理人が一発で見抜いたら、それはそれで認めてやるさ」

「商人たちは?」

 若い船員が、市場の方を見る。

 魚商人も、ガラス器の店主も、白銀列車が消えていく方向を見ていた。

 騒いではいない。

 けれど、港に新しい言葉が残ったことは分かる。

 走るホテル。

 白銀列車で使われた牡蠣。

 冷たさが見える器。

 そういう言葉は、潮風より早く次の町へ運ばれていく。

「商人ってのは、目ざといねえ」

 ヴェラは呟いた。

「止めます?」

「止めるような悪さじゃないさ」

「じゃあ、放っておくんですか」

「良い品を出そうとするなら、勝手にやらせとけばいい。名前だけ借りて雑なものを出したら、あの黒い騎士より先に港の評判が沈む」

 若い船員は、分かったような分からないような顔をした。

 ヴェラは遠ざかる白銀列車を見た。

 あの令嬢は、商人のために食べたのではない。

 値を上げるために器を選んだのでもない。

 ただ、気持ちよく食べ、気持ちよく飲み、気持ちよく使った。

 それだけだ。

 だが港では、その「それだけ」が品の見え方を変えることもある。

 海風が吹く。

 少し塩を含んだ、マリーノらしい風だった。

 白銀列車はもう小さくなっている。

 けれどヴェラの頭の中には、涼しい窓の向こうで牡蠣を食べていた令嬢と、それを支える妙な料理人たちの姿が、しばらく残り続けていた。

「次に来る時は」

 ヴェラは小さく笑った。

「牡蠣だけじゃなく、商人どもの口も少し冷やしておいた方がよさそうだねえ」

 海鳥が一羽、港の上を鳴きながら横切った。

 白銀列車は青い海を背にして、静かに次の土地へ向かっていった。

 港には、潮の匂いと、朝の声と、少しだけ育ち始めた噂が残った。

港町の外側から見た白銀列車でした。

海の匂いと冷たい食卓を乗せて、列車はまた次の場所へ向かいます。

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