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婚約破棄された悪役令嬢の魔導列車 〜揺れる馬車旅が嫌なので、【白銀列車】という走る豪華ホテルで暮らします〜  作者: あゆと
第4章 冷製スープとガラス器編 〜海風の港町マリーノ〜

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40/84

040 分厚いガラス器に入れると、冷たさまで綺麗に見えますわ

冷製トマトスープは、

昼の日差しに勝ちました。


けれど、

冷たい料理には、

もっと冷たく見える器が必要です。


というわけで、

市場へ行きます。

 冷たさが見える器。


 そう考え始めると、もう普通の器では少し物足りなくなってしまった。

 白い器も上品だった。冷製トマトスープの色も、十分に綺麗だった。けれど、マリーノの海と日差しを見てしまった後では、もっと透明なものが欲しくなる。


 光を受けて、冷たさまで見えるような器。


 少し青みがあって、厚みがあり、果実水を入れても、冷製スープを入れても似合うもの。

「……必要ですわね」

 私が右ソファで呟くと、ノアが窓側から顔を上げた。

「まだ言ってます?」

「まだではありません。今から本番です」

「市場、行くんですよね」

「ええ」

 私は窓の外を見る。

 白い壁。青い海。強い日差し。遠くの市場には、布の屋根が並んでいる。

 きっと暑い。

 かなり眩しい。

 潮風もある。

 石段もある。

 だが、ガラス器はたぶんそこにある。

 ならば行くしかない。


 ただし、長居はしない。


 外の美しさと、外の快適さは別である。

「ルーク」

「はい」

「短時間決戦ですわ」

「承知しております」

 ルークはすでに、薄手の日除けと冷たい布を用意していた。

 日差し対策。

 潮風対策。

 帰宅後の首元対策。

 完璧である。

 アベルが厨房側から顔を出す。

「器を見るなら、厚手のやつにしろよ」

「薄い方が綺麗ではなくて?」

「冷やすなら厚い方がいい。割れにくいし、スープにも果実水にも使える」

「なるほど」

 見た目だけではない。

 実用性も大事。

 冷たい料理を支える器には、それなりの強さが必要なのだ。

 ノアも帳面を持って立ち上がる。

「冷え方を見るなら、厚みと底の形も見たいですね」

「器とは奥深いですわね」

「ティアさんが言い出したんですけどね」

 そうだった。

 私は立ち上がり、日除けを受け取った。

 今日は市場へ行く。

 目的は観光ではない。


 食卓の季節替えである。


   ◇


 外へ出た瞬間、日差しが白かった。


 白い壁に跳ね返った光が、町全体を明るくしている。昨日も見た。朝も見た。それでも昼前のマリーノは、やはり強い。

「……まぶしいですわね」

「日除けを少し下げます」

 ルークがすぐに角度を変えた。

 視界が少しやわらぐ。

 それだけで、だいぶ違った。

 海風が頬に触れる。気持ちいい。しかし、そのあとにほんの少し塩の気配が残る。

 油断ならない。

 私は首元を守るように、日除けの内側へ少し入った。

 ノアが小声で言う。

「完全に護送されてますね」

「守られているのです」

「言い方」

「事実ですわ」

 ルークは否定しなかった。

 市場へ続く道は、白い石段と細い坂だった。左右には白壁の家。窓辺には鉢植え。布の屋根が、ところどころに影を落としている。

 とても綺麗だ。

 とても絵になる。

 そして、少し歩くだけで足にくる。

「……石段、多くありませんこと?」

「港町ですからね」

 ノアが答える。

「港町は、もう少し平らに作るべきでは?」

「地形に言ってください」

 地形。

 なかなか強い相手である。

 私はひとまず、ガラス器のために歩いた。冷たいものを美しくするには、多少の石段も受け入れなければならない。


 ただし、多少までである。


   ◇


 市場は、色で満ちていた。


 柑橘の黄色。魚の銀色。布の日除けの赤や青。香辛料の茶色。白い壁。青い海。

 その中に、透明な光が並んでいる場所があった。

 ガラス器の店だった。

 棚の上に、器がいくつも置かれている。小さな杯。丸い皿。深めの器。水差し。どれも光を受けて、きらきらと輝いていた。

「……まあ」

 私は足を止めた。

 日差しは強い。

 足も少し疲れてきた。

 潮風も気になる。

 けれど、これは見なければならない。

 店主は年配の男だった。日に焼けた顔で、白い布を肩にかけている。

「いらっしゃい。涼しそうな器を探してる顔だね」

「分かりますの?」

「この町でガラスを見に来る客は、だいたいそうだ」

 なるほど。

 マリーノの人々も、暑い日は涼しそうなものを求めるのだろう。

「冷製スープに合う器を探していますわ」

「なら、薄すぎるのはやめた方がいい。見た目はいいが、冷やすと扱いにくい」

 アベルが小さく頷いた。

「同じ意見だ」

 店主はアベルを見て、少し笑った。

「料理人か」

「まあな」

「なら話が早い。こっちだ」

 案内された棚には、少し厚手の器が並んでいた。

 透明。

 けれど、完全な無色ではない。

 縁のあたりに、ほんの少し青みがある。光を通すと、器の底に海の影のような色が落ちた。

 私は手に取った。


 ひやり。


 まだ冷やしていないのに、そう感じた。

 ガラスの重みが、手のひらに心地よい。

「……これですわ」

 ノアが横から覗き込む。

「早い」

「分かります」

「一応ほかも見ましょう」

「そうですわね」

 そう言いつつ、私はその器を手放したくなかった。

 厚みがある。底が安定している。縁は丸く、口当たりも悪くなさそうだ。

 冷製スープを入れたら、淡い赤がきっと映える。果実水を入れれば、柑橘の黄色が涼しく見える。氷を入れたら、小さな音まで綺麗になりそうだった。

「お嬢様」

 ルークが静かに言う。

「日差しが強くなっております」

「あと少しですわ」

「では、短く」

「はい」

 市場は魅力的だが、長居すると本末転倒である。

 私は器を三種類だけ選ぶことにした。


   ◇


 一つ目は、冷製スープ用の深めの器。

 少し青みがかった透明で、底に厚みがある。

 二つ目は、果実水用の背の低いグラス。

 氷を入れた時に、音がきれいに響きそうだった。

 三つ目は、生牡蠣や柑橘を置くための平皿。

 皿の表面に、水面のような揺らぎが入っている。

 どれも冷たい料理に合う。

 どれも必要。


 必要である。


「買いすぎでは?」

 ノアが尋ねた。

「用途が違います」

「便利な言葉だ」

「実際に違いますわ」

 アベルも器を確認している。

「悪くない。冷やしても扱いやすそうだ」

「でしょう?」

「ただし、洗う時は気をつけろよ」

「私は洗いませんわ」

「堂々と言うな」

 洗う係は別にいる。

 もちろん、大事に扱う気持ちはある。

 ルークが店主と支払いを済ませ、器は丁寧に布で包まれた。布越しでも、ガラスの重みが分かる。

 食卓の季節が、少し変わる重みだった。

 店主が笑う。

「いい器を選んだな。冷たいものが似合う」

「ええ。冷たさが見える器ですわ」

「面白いことを言う」

「大事なことです」

 店主はさらに笑った。

 その後ろで、海が強く光っている。

 私は一瞬だけ見とれた。

 綺麗だ。

 しかし、暑い。

 そろそろ戻るべきである。

「ルーク」

「はい」

「帰りますわ」

「承知しました」

 判断は早い。

 でも、今日は十分な成果があった。


   ◇


 白銀列車へ戻る頃には、足が少し重かった。


 石段。

 市場。

 日差し。

 短時間のつもりでも、外は外である。

 美しいだけでは済まない。

 扉が閉まると、港の声が遠ざかった。涼しい空気が、すっと肌に戻ってくる。

「……戻りましたわ」

「お帰りなさいませ」

 ルークが日除けを受け取り、冷たい布を差し出す。

 もう流れるようだった。

 私は首元へ布を当てる。

 ひやり。

 外で受けた熱が、少しずつ薄くなっていく。

 ノアは包みを大事そうに卓へ置いた。

「じゃあ、試します?」

「もちろんですわ」

「休んでからでも」

「試してから休みます」

「順番が逆な気もする」

 逆ではない。

 今の疲れがあるからこそ、冷たい器の良さが分かるのだ。

 アベルが厨房へ向かう。

「果実水と、少し残しておいた冷製スープでいいか」

「完璧ですわ」

 私は右ソファへ沈み、薄い布を膝にかけてもらう。足元は麻ラグ。少し歩いた足に、さらりと触れる。

 この感触もありがたい。


 外で疲れて帰るたび、白銀列車の中にあるものが、ひとつずつ正解に見えてくる。


   ◇


 包みが開かれた。

 ガラス器が、ラウンジの灯りを受けて光る。

 外で見た時よりも、少し落ち着いて見えた。市場では日差しが強すぎた。白銀列車の琥珀色の灯りの下では、青みがやわらかく浮かぶ。

「……綺麗ですわね」

 私は素直に言った。

 ノアがグラスを持ち上げる。

「厚み、いいですね。冷やしたらかなり持ちそうです」

「冷たさを保てるのです?」

「たぶん。薄い器より安定すると思います」

「素晴らしい」

 アベルが冷やした果実水を注いだ。

 淡い黄色。

 薄い柑橘。

 小さな氷。

 それがガラスの中に入ると、光の見え方が変わった。


 果実水そのものが、少し涼しくなったように見える。


 氷が鳴った。

 からん。

 昨日までの音より、澄んで聞こえた気がした。

「……音まで違いますわ」

「器が厚いからな」

 アベルが言う。

「いい音だ」

 私はグラスを手に取った。冷たい。でも、持ちやすい。重みがあるから、手の中で安定する。

 ひと口飲む。

 味は昨日と近い。柑橘の酸味、薄い甘み、冷たさ。

 けれど、目で涼しくなってから飲むせいか、昨日より少し深く冷える気がした。

「……これは正解ですわ」

 ノアが笑う。

「早い」

「一口で分かりました」

「快適判定、だいたい早いですね」

「快適は即時性が大事です」

 私はもう一口飲む。

 からん。

 氷が動く。

 ガラスの中で、小さな海の音みたいに響いた。

 とてもよい。


   ◇


 次に、冷製トマトスープが試された。

 少量だけ。

 深めのガラス器に、淡い赤のスープが注がれる。透明な青みのある器に入ると、昨日の白い器とはまったく違って見えた。

 トマトの赤が、少し涼しくなる。上に乗せたハーブの緑も、光を受けてきれいだった。

「……ああ」

 私は思わず声を漏らす。


「これですわ」


 アベルも黙って見ていた。

「悪くないな」

「悪くないどころではありません」

 スプーンで少しすくう。スープの表面が、ガラスの縁で静かに揺れる。

 口に入れる。

 冷たい。

 なめらか。

 そして、視覚の涼しさが味に追いついている。

 昨日のスープは美味しかった。今日のスープは、美味しい上に、涼しく見える。


 この差は大きい。


「冷たさが、ちゃんと見えますわ」

 私は満足して言った。

 ノアが頷く。

「これは食卓変わりますね」

「ええ」

 麻ラグを敷いた時、ラウンジの足元が変わった。

 今、ガラス器を置いたことで、食卓の季節が変わった。

 同じ列車。

 同じ場所。

 でも、使うものが変わるだけで、空気が少し夏に近づく。

 白銀列車は、またひとつ暮らしやすくなった。

 ルークが静かに言った。

「夏用食器として、専用の棚を用意いたします」

「お願いします」

「緩衝布も」

「お願いします」

「使用後の乾燥場所も」

「お任せします」

 完全な運用体制が組まれ始めている。

 たいへん良いことである。

 アベルが腕を組んだ。

「これなら、冷たい料理の種類も増やせるな」

「まあ」

「スープだけじゃなく、果物とか、魚の冷たい前菜とか」

「素晴らしいですわ」

 夢が広がる。

 ガラス器は、単なる買い物ではなかった。


 今後の冷たい快適を増やすための入口である。


   ◇


 しばらくの間、私は右ソファでガラス器を眺めていた。

 果実水のグラス。冷製スープの器。平皿。どれも涼しそうだった。

 外の市場で見た時は、日差しが強く、足も少し疲れていた。けれど、車内へ戻ってから見ると、選んでよかったと心から思う。


 外で探す。


 中で使う。


 その差が、やはり良い。


「……市場は少し暑かったですけれど」

 私はグラスを持ちながら言った。

「行った価値はありましたわ」

 ノアが笑う。

「石段の価値、また発生しましたね」

「ええ。今回は器の価値です」

「次は何の価値になりますかね」

「足を休める価値ですわ」

 私は足先を少し伸ばした。

 麻ラグは気持ちいい。

 けれど、今日の石段は少し効いた。

 港町マリーノは、美しい。美味しい。涼しいものも多い。

 だが、階段が多い。

 この点だけは、かなり問題である。

 ルークがすぐに気づいた。

「お足が疲れておられますか」

「少しだけ」

「では、次は足元を整えましょう」

「次?」

「冷たい布と、薄いクッションを」

 それはよさそうだった。

 冷たいものは、口だけではない。足にも必要かもしれない。

 私は窓の外を見る。白い石段が、海の方へ続いている。

 美しい。

 しかし、少し恨めしい。

「……港町の階段というものは」

 私は小さく呟いた。

「眺めるぶんには綺麗ですのに、歩くと少し厳しいですわね」

 ノアが頷く。

「次は、そこですね」

「ええ」

 私はガラスのグラスを小卓に置いた。

 からん、と氷が鳴る。

 涼しい音だった。

 食卓は夏になった。


 ならば次は、疲れた足を夏仕様に休ませる番である。

ガラス器回でした。


冷たいものは、

味だけでなく、

見た目と音も大事です。


次回、

港町の階段で疲れた足を、

冷えたラウンジで伸ばします。


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