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婚約破棄された悪役令嬢の魔導列車 〜揺れる馬車旅が嫌なので、【白銀列車】という走る豪華ホテルで暮らします〜  作者: あゆと
第4章 冷製スープとガラス器編 〜海風の港町マリーノ〜

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39/84

039 日差しで疲れた昼には、冷製トマトスープが正解ですわ

生牡蠣は最高でした。


氷、柑橘、海塩。


あれは海を食べる冷たさです。


では、昼の日差しには、

どんな冷たさが合うのでしょう。

 昼のマリーノは、朝より強かった。


 窓の外を見るだけで分かる。白い壁はまぶしく光り、青い海はきらきらと揺れ、港の石段には濃い影が落ちていた。

 朝はまだ優しかった日差しが、今はすっかり本気を出している。

「……外へ出る時間ではありませんわね」

 私は右ソファに沈みながら言った。

 ノアが窓側から頷く。

「正しい判断ですね」

「即答ですのね」

「昨日から学びました」

 それはよろしい。

 白銀列車の中は涼しい。冷えすぎるわけではない。けれど、外の光を見たあとだと、空気の温度差がはっきり分かる。

 朝の港で食べた生牡蠣は、たいへん素晴らしかった。氷、柑橘、海塩。あれは、海をそのまま口に入れる冷たさだった。

 だが、昼は違う。

 外の光が強すぎる。眺めているだけでも、体の内側が少し熱を持つ気がする。

「アベル」

「分かってる」

 厨房から返事があった。

 早い。

「まだ何も言っておりませんわ」

「冷たいもんだろ」

「正解ですわ」

「昼用に作ってる」

 昼用。

 その言葉だけで、期待が少し上がった。

 朝の生牡蠣とは別の冷たさ。果実水とも違う。今の強い日差しに合う、昼の冷たいもの。

「冷製スープですの?」

「そうだ。トマトを使う」

「まあ」

 私は思わず背中を起こした。


 トマト。


 冷製。


 スープ。


 言葉だけで、すでに涼しい。


   ◇


 厨房から、湯気ではなく、冷たい香りが流れてきた。

 不思議な表現だけれど、そうとしか言えなかった。

 熟したトマトの青く甘い香り。柑橘の明るさ。ほんの少しの海塩。それから、朝に仕入れた白身魚の出汁が、奥の方に静かにいる。

 熱い料理なら、香りは湯気に乗って来る。けれど冷たい料理は、もっと低い場所をすべるように近づいてくる。

 私は鼻先でそれを感じて、小さく息を吸った。

「……もう美味しそうですわ」

 アベルが厨房から顔を出す。

「まだ食ってねえだろ」

「香りで分かります」

「さっき牡蠣でも似たようなこと言ってたな」

「美味しいものは、食べる前から始まっていますもの」

「便利な理屈だ」

 便利ではない。

 真理である。

 やがて、アベルが深めの器を持ってきた。

 白銀列車に元からある、少し厚みのある白い器。中には、淡い赤の冷製スープが入っている。

 真っ赤ではない。少し橙がかり、光を受けると柔らかく見える赤。上には細く切ったハーブと、ほんの一滴の油。

 添えられたスプーンは、冷やされていた。手に取ると、指先がひやりとする。

「……スプーンまで冷たいですわ」

「冷製だからな」

「素晴らしい配慮です」

「そこまで褒めるか」

 褒める。

 冷たい料理のスプーンがぬるいなど、あってはならない。

 ルークが後ろ斜めから声をかけた。

「お嬢様、急に召し上がりすぎませんように」

「分かっていますわ」

「冷たいものは、ゆっくり」

「はい」

 私は素直に頷いた。

 朝の牡蠣の時もそうだったが、冷たいものは油断すると一気に進んでしまう。しかし、このスープはたぶん、ゆっくり味わうものだ。


   ◇


 スプーンで、冷製スープをすくう。

 表面がなめらかに揺れた。

 湯気はない。音もほとんどない。

 けれど、冷たさだけが器の中で静かに待っている。

 ひと口。

「……」

 まず、冷たい。

 けれど鋭くない。

 氷のように舌を刺す冷たさではなく、薄い布を一枚ずつ重ねるような冷たさだった。

 トマトの甘み。柑橘の酸味。海塩の輪郭。その奥に、白身魚の出汁がほんの少しある。派手ではない。けれど、浅くもない。

 喉を通る時、昼の日差しで少し熱を持っていた体の内側が、すうっと落ち着いた。

「……これは」

 私はゆっくり息を吐いた。


「昼の正解ですわ」


 アベルが満足そうに腕を組んだ。

「だと思った」

「朝の牡蠣とは違います」

「そりゃ違う」

「牡蠣は、海そのものでした」

「ああ」

「これは、海辺の昼を少し冷まして飲む感じですわ」

 ノアがスプーンを持ったまま止まる。

「表現が独特なのに、なんか分かるのが嫌だな」

「分かるならよろしいです」

 ノアもひと口飲んだ。すぐに目を細める。

「あ、これうまい」

「でしょう?」

「トマトなのに、ちゃんと海の味がしますね」

 アベルが頷く。

「出汁を入れすぎると魚臭くなる。少しでいい」

「なるほど」

 ノアが真面目に頷いている。

 こういう時のアベルは、説明が短いのに分かりやすい。料理は口で説明するより、食べた方が早いからだろう。

 私はもう一口飲んだ。

 冷たい。

 なめらか。

 そして、体の中心にまっすぐ届く。

 果実水は、喉を潤した。生牡蠣は、海を食べた。冷製スープは、体の内側に涼しい場所を作ってくれる。

 同じ冷たいものでも、役割が違う。


 マリーノは、なかなか奥が深い町である。


   ◇


 窓の外では、昼の港が動いていた。

 帆船。魚市場。白い石段。日に焼けた屋根。遠くで女船長らしき人影が腕を振っている。

 相変わらず元気そうだ。

 防音ガラス越しなので、声は聞こえない。見えているだけで十分だった。

「外は暑そうですわね」

「暑いと思いますよ」

 ノアが答える。

「でも、今は少し見ていられます」

「スープ効果ですね」

「ええ」

 さっきまでは、窓の外の明るさだけで少し疲れた。けれど、冷製スープを飲んだあとだと、同じ景色が少し落ち着いて見える。

 外の暑さが消えたわけではない。でも、こちら側に冷たい芯ができた。そのおかげで、景色を受け止められる。

 ルークが薄い羽織を持ってきた。

「お嬢様、肩へ」

「今ですの?」

「冷たいものを召し上がっていますので」

「外は暑そうなのに」

「車内は涼しゅうございます」

「なるほど」

 暑い景色を見ながら、涼しい部屋で冷たいスープを飲み、肩には薄い羽織をかける。

 ややこしい。

 けれど、たいへん正しい。

 ルークが羽織を肩にかける。軽い。冷房の中で、ちょうどよく体温を守ってくれる。

「温めたり冷やしたり、忙しい列車ですね」

 ノアが言った。

「忙しいのではありません」

 私はスプーンを置いて言う。


「調整しているのです」


「名言みたいに言う」

「快適とは、調整ですわ」

 大事なことである。

 暑いから冷やす。冷えすぎたら少し羽織る。眩しければ遮る。喉が渇けば果実水。体の内側が熱を持てば冷製スープ。

 ひとつの正解に固定しない。その場に合わせて、少しずつ整える。

 白銀列車は、それができる場所だった。


   ◇


 冷製スープは、二口目からさらに美味しくなった。

 一口目は驚き。二口目は納得。三口目は、もう必要なものとして体が受け入れている。

 器の縁に触れた指先も冷たい。スプーンも冷たい。スープはなめらかで、喉へ落ちていくたびに、昼のまぶしさが少しずつ遠ざかる。

 私は器の中を見つめた。

 淡い赤。

 緑のハーブ。

 小さな油の光。

 十分に綺麗だった。

 十分に美味しい。

 けれど。

「……アベル」

「なんだ」

「このスープ、もっと涼しそうに見せられますわね」

 アベルは一瞬黙った。それから、少し面白そうに笑う。

「味じゃなくて見た目か」

「味は完璧です」

「ならいいだろ」

「いいえ。冷たい料理は、目でも冷たくあるべきですわ」

 ノアが顔を上げた。

「昨日の果実水でも似たようなこと言ってましたよね」

「そうでしたかしら」

「言ってました。器がどうとか」

 言ったかもしれない。

 確かに、果実水の時も思った。冷たいものには、冷たさが見える器が必要である。

 今の白い器も悪くない。むしろ上品だ。けれど、マリーノの光には、もう少し透明なものが似合う気がする。

 海の光。

 冷製スープ。

 柑橘。

 果実水。

 氷。

 それらを受け止めるなら、厚みのあるガラスがいい。少し青みがかっていて、光を通すと涼しく見えるような器。

「ガラス器ですわね」

 私は呟いた。

 ノアが「あ、出た」という顔をする。

「また生活道具が増える流れですね」

「必要な流れです」

「今度は器ですか」

「ええ。麻ラグが足元の季節を変えたように、器も食卓の季節を変えるはずですわ」

 言っていて、かなり納得した。

 麻ラグで床が軽くなった。ならば、ガラス器で食卓も涼しくできる。

 これは生活の自然な進歩である。

 ルークが静かに頷いた。

「市場で探しましょう」

「日差しは?」

「弱い時間に」

「完璧ですわ」

 アベルが器を見ながら言った。

「厚手のやつがいいな。冷やしても扱いやすい」

「青みがあるものがよろしいです」

「注文が増えた」

「冷たさは繊細なのです」

「まあ、探す価値はあるか」

 アベルがそう言うなら、きっと料理側から見ても意味があるのだろう。


   ◇


 私は最後のスープをすくった。

 器の底に、淡い赤が少しだけ残っている。

 名残惜しい。

 でも、ちょうどよい量だった。

 冷たい料理は、多すぎると体が冷えすぎる。少なすぎると物足りない。この加減が大切なのだ。

 最後のひと口を飲む。

 トマトの甘み。柑橘の酸味。海塩。白身魚の出汁。喉を通る冷たさ。

 昼の熱が、すうっと静かに引いていく。

「……満足しましたわ」

 私は器を置いた。

 ルークがすぐに、温かすぎない茶を出す。

「食後にこちらを」

「冷たいもののあとに、お茶ですの?」

「冷えすぎを防ぐためでございます」

「なるほど」

 徹底している。

 冷たいものを楽しむために、冷えすぎないよう整える。これが白銀列車の正しさである。

 私は茶をひと口だけ飲んだ。

 ぬるめ。

 冷製スープの余韻を壊さず、体を少しだけ落ち着かせる温度だった。

 窓の外では、昼の海がまだ光っている。けれど、さっきほど強くは感じない。たぶん私の中に、冷たいスープの余韻が残っているからだ。

「マリーノ、良い町ですわね」

 ノアが笑う。

「暑いのに?」

「暑いからこそ、冷たいものが美味しいのです」

「また条件付きですね」

「条件が整えば、かなり強い町ですわ」

 私は右ソファに背を預けた。薄い羽織が肩を守っている。足元は麻ラグ。手元にはぬるめのお茶。口の中には、冷製スープの余韻。

 そして頭の中には、まだ見ぬガラス器。


 次に必要なものは、もう決まっていた。


「次は、器ですわね」

「やっぱり」

 ノアが言う。

 私は窓の外の白い町並みを見た。

 日差しが強い。石段も多い。潮風もある。だからこそ、短い時間で探すべきだ。

 冷たいものを、もっと冷たく、もっと綺麗に見せる器。

 それがあれば、マリーノの昼はさらに良くなる。

 私は目を細めて、小さく頷いた。


「冷たさが見える器を、探しに行きましょう」


 白い壁の向こうで、海がまぶしく光っていた。

冷製トマトスープ回でした。


生牡蠣とは違う、

なめらかに体を冷やす冷たさです。


次回、

冷たさが見えるガラス器を探します。

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