004 朝食がある場所は、少しだけ家みたいです
朝の食堂車には、焼きたてパンの香りが満ちていた。
バターが熱い鉄板の上でじゅわりと溶け、鍋ではスープがことこと煮えている。暖炉の火が木の壁を照らし、窓の外では相変わらず吹雪が白く荒れていた。
なのに、ここだけ空気が違う。
食堂車の中は暖かい。灯りはやわらかく、テーブルには湯気があり、椅子は座る人間をちゃんと受け止めてくれる。昨夜、雪原で拾った料理人が作ったとは思えないくらい、朝食の匂いが落ち着いていた。
私は椅子へ沈み込んだ。
「……しあわせですわ」
目の前には、アベルが作った朝食が並んでいる。ふわふわの卵。厚切りベーコン。焼きたてのクロワッサン。湯気の立つスープ。紅茶。
完璧だった。
「もっと食え」
アベルが追加のパンを置いた。
「えっ、まだありますの?」
「細すぎる」
「王城基準では普通でしたわ」
「王城が終わってる」
即答だった。
私は思わず笑ってしまう。
「最近、遠慮なくなりましたわね」
「飯食わせるって決めたからな」
当然みたいに言う。
この人、かなりオカン気質では?
窓側では、ルークがいつもの位置に立っていた。背筋を伸ばし、静かに外を見ている。警戒中。だが、昨日までより空気は少し柔らかい。アベルを敵認定から外したらしい。
「ルークも座ればいいのに」
「見張りがあります」
「この列車へ近づける魔物なんて、そういませんでしょう?」
「魔物以外もあります」
「この吹雪で?」
「油断はできません」
真面目だ。真面目すぎる。
アベルがため息をついた。
「こいつ、ずっとこうなのか」
「昨日からずっとですわ」
「飯くらい食え」
「問題ありません」
「問題ある。見てるこっちが落ち着かねえ」
アベルはスープ皿を持ち上げ、ルークの席へ置いた。
「冷める前に座れ」
「……」
「命令だと思え」
ルークは動かない。
私は紅茶のカップを置いた。
「では、この列車の主が命令します」
ルークがこちらを見る。
「ルーク」
「はい」
「座りなさい」
少しだけ沈黙があった。
「……かしこまりました」
ルークは静かに椅子を引き、私の斜め向かいへ座った。アベルが満足そうに頷く。
「やっと座ったか」
「見張りは」
「今は俺が気にする」
「料理人が?」
「包丁あるだろ」
ルークは一瞬だけ黙った。
それから、スープへ手を伸ばす。
一口。
ほんの少し、肩の力が抜けた。
その小さな変化を見て、私はなぜか嬉しくなった。
「これで完璧ですわね」
アベルが首を傾げる。
「何がだ」
私は指を折った。
「暖かい部屋、美味しいご飯、静かな列車、ふかふかのベッド」
少し考える。
「……かなり理想ですわ」
アベルがスープを飲みながら言った。
「家みたいだな」
私は止まった。
「家」
暖炉。パン。湯気。怒鳴る人がいない朝。安心して座れる食卓。
王城では、一度も思わなかった。
広い部屋はあった。高価な椅子もあった。銀の食器も、絹の寝具も、飾りの花も、嫌になるほどあった。
でも、そこに座っても息が詰まるだけだった。
ここは違う。
まだ一両の寝台車と、できたばかりの食堂車だけ。外は吹雪で、行き先だってはっきりしていない。
なのに。
でも、この食堂車では、少しだけそう思えた。
ルークが静かにカップを置いた。
「定位置がありますから」
「?」
「戻る場所があるなら、十分でしょう」
私は少しだけ黙った。
なんだか、胸の奥が暖かい。
気恥ずかしくなって、紅茶を飲む。
「ホテルなら、クッションを増やしたいですわ」
「増やせばいい」
アベルがパンを切りながら言った。
「読書用の場所も欲しいですわね」
「また増築か?」
「当然ですわ。快適さのためですもの」
「そこだけはブレないな」
私はスープを飲んだ。
温かい。優しい。身体へ染みる。
窓の外には吹雪がある。遠くで魔物の唸り声がした気もする。けれど、ここには届かない。
温かいご飯。暖炉。安心して座れる席。眠くなったら眠っていい場所。
その時、アベルがまたパンを置いた。
「ほら」
「また増えてますわ!?」
「幸せそうに食うからだ」
「太りますわよ!?」
「幸せ太りならいいだろ」
「良くありませんわ!」
アベルが笑う。
ルークが少しだけ目を細める。
暖炉が、ぱちりと鳴った。
列車は今日も、静かに雪原を走っていた。




