第3話「料理人を拾いましたので、深夜のスープを頂きますわ」
その日の夜。
列車の窓には、
静かに雪が張りついていた。
白い世界。
吹雪。
灰色の空。
なのに車内は暖かい。
暖炉の火が、
ぱちぱちと小さく鳴っている。
私はソファへ沈み込みながら、
深く息を吐いた。
「……落ち着きますわねぇ」
琥珀色の灯り。
ふかふかの毛布。
木の香り。
ガタン、ゴトン。
一定のリズムで揺れる走行音。
眠くなる。
この列車、
本当に最高では?
「夕食はどうされますか」
ドアの横に立ったルークが尋ねた。
「…………」
私は真顔になった。
「忘れていましたわ」
「何をです」
「料理人、いませんでした」
「…………」
沈黙。
ルークがゆっくり目を閉じた。
「今さらですか」
「だって昨日は疲れすぎていて……」
「あなた、よく今まで生きてこられましたね」
「失礼ですわね」
私はため息をつく。
「それに、
毎食自分で魔法を編んで食事を出すなんて、
立派な労働ですわ」
「…………」
「私が求めているのは、
究極のダラダラ生活ですのに」
そう。
実際問題、
専属の料理人は重要だ。
睡眠の次くらいに重要。
「このままでは快適な食生活が崩壊しますわ……」
私が深刻な顔で呟いた、
その時だった。
列車がゆっくり減速する。
「?」
ルークが窓の外を見る。
「人影です」
「こんな吹雪の中に?」
私は窓へ近づいた。
白い雪原。
その真ん中に。
ぼろぼろの人影が倒れていた。
◇
「生きていますの?」
「かろうじて」
車内へ運び込まれたのは、
二十代くらいの男性だった。
赤茶色の髪。
細い身体。
指先は真っ赤に荒れている。
コックコートらしき服は、
雪で濡れていた。
「暖炉の近くへ」
私は毛布を追加で出す。
ふわりと柔らかな布が、
男を包み込んだ。
「……あったか……」
かすれた声。
私は紅茶を差し出す。
「飲めます?」
男は震える手でカップを持った。
一口。
飲んだ瞬間。
ぼろぼろと涙を零し始める。
「えっ」
「……温かい……」
彼は呆然と呟いた。
「三日ぶりだ……
まともな食事も、暖炉も……」
「…………」
私はルークを見る。
ルークは小さく眉を寄せた。
「事情がありそうですね」
「聞きます?」
「聞かなくても分かります」
ルークが淡々と言う。
「また王都でしょう」
「また?」
「最近、
王都はかなり荒れているらしいので」
男は力なく笑った。
「……店を、潰された」
「店?」
「王都で料理店をやってた。
でも貴族の接待を断ったら、
全部終わった」
声が掠れる。
「食材の仕入れ先も潰されて……
客も脅されて……」
「…………」
「最後には店まで燃やされた」
暖炉の火が小さく揺れた。
車内は暖かいのに。
彼の話だけ、
外の吹雪みたいに冷たかった。
「それで雪山を?」
「死ぬ前に、
美味い飯を食いたかった」
彼は自嘲気味に笑う。
「馬鹿だよな。
こんな場所にあるわけ――」
「ありますわ」
「……え?」
私は立ち上がった。
「ルーク」
「はい」
「食堂車を作ります」
「…………やはりそうなりますか」
「快適な列車生活には、
美味しいご飯が必要ですもの」
当然だ。
私は窓の外へ手を向ける。
魔力を流す。
ごごごごご……!!
列車が震えた。
「なっ……!?」
男が目を見開く。
既存の車両の後ろで、
新たな客車が組み上がっていく。
深い木目の床。
磨かれた窓。
長いテーブル。
柔らかな照明。
そして。
大きな厨房。
「……うそだろ」
「今日からここが食堂車ですわ」
私は振り返る。
「あなた、
料理できます?」
男は呆然としていた。
それから。
ゆっくり、
ゆっくりと厨房を見る。
指先が震えていた。
「……こんな厨房」
かすれ声。
「夢でしか見たことない」
私は首を傾げる。
「使いにくいです?」
「逆だ」
男は唇を噛んだ。
「料理人なら、
誰でも一度は夢見る」
彼は厨房へふらふら近づいた。
コンロを触る。
調理台を撫でる。
その目が、
少しずつ生気を取り戻していく。
「……なんで」
男がぽつりと呟いた。
「なんで、
そこまでしてくれる」
「?」
「俺、初対面だぞ」
「快適な食事環境は重要ですもの」
「…………」
「それに」
私は笑った。
「温かいご飯がある場所って、
帰りたくなるでしょう?」
男は息を呑んだ。
しばらく黙っていた。
それから。
深く頭を下げる。
「……アベルです」
「え?」
「俺の名前」
彼は目元を拭った。
「命、拾われた。
だから――」
その瞬間。
ぐぅぅぅぅ……。
盛大な腹の音が響いた。
「…………」
「…………」
私は吹き出した。
ルークが顔を逸らす。
アベルだけが真っ赤になっていた。
「……すまん」
「いいえ」
私は肩を震わせながら言う。
「まずはご飯にしましょう」
◇
数十分後。
食堂車には、
信じられないほど良い匂いが満ちていた。
じゅわ、とバターが溶ける音。
湯気。
スープの香り。
焼きたてのパン。
「…………」
私は静かに席へ着く。
テーブルには。
黄金色のスープ。
ふわふわのオムレツ。
柔らかな肉料理。
そして焼きたてパン。
「…………すごい」
思わず呟いた。
アベルは少し照れたように頭を掻く。
「あり合わせだ」
「これが?」
「本来ならもっとちゃんと作れる」
「十分ですわ!」
私はスープを飲んだ。
その瞬間。
「~~~~っ!!」
身体から力が抜けた。
温かい。
優しい。
疲れた身体へ、
じんわり染み込んでいく。
「おいしい……」
涙が出そうだった。
王城の豪華料理なんかより、
ずっと好きだ。
アベルが目を丸くする。
「そこまで喜ばれると、
料理人冥利に尽きるな……」
「毎日これ食べたいですわ」
彼の目に、
絶対にこの人の胃袋を一生守り抜くという、
熱い執着が宿った。
「作る」
即答だった。
ルークが静かに紅茶を飲んでいる。
アベルへ向けていた微かな牽制の殺気が、
スッと霧散していた。
私を笑顔にするなら、
この男は『合格』だと判断した顔だ。
でも。
口元が少しだけ緩んでいた。
「ルーク」
「なんでしょう」
「幸せですわね」
「……ええ」
短い返事。
でも。
その声は、
前よりずっと柔らかかった。
窓の外では吹雪が荒れている。
魔物の唸り声も聞こえる。
なのに。
この食堂車だけは、
別世界みたいに暖かかった。
誰も怒鳴らない。
誰も奪わない。
ただ。
温かいご飯があって。
安心して座れる場所がある。
私はスープの湯気を見つめながら思う。
……ああ。
帰る場所って、
こういうことなのかもしれない。
◇
その頃、王都では。
「高級料理店がまた閉店した!?」
「料理人が消えた!?」
「まともな食材が流通していないぞ!」
貴族たちが悲鳴を上げていた。
そして。
王太子は苛立たしげに机を叩く。
「なぜこんなことになる!」
誰も答えられない。
ただ老齢の文官だけが、
青ざめた顔で呟く。
「……あの方が管理していた流通網が、
完全に崩れております」
「何だと?
たかが役立たずの悪女が抜けただけで、
なぜ国が傾く!」
王太子の怒声に、
文官たちは顔を引きつらせた。
「食材流通、保存結界、寒冷地輸送……」
文官の声は震えていた。
「すべて、
あの方がお一人で維持していたのです……!」
しかしその頃。
私は暖かい食堂車で、
三杯目のスープを飲んでいた。
明日も12時と21時に列車は出発します。王都がどう没落していくか、ぜひブックマークして見届けてください。
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