第2話「騎士様が優秀ですので、安心して二度寝しますわ」
目が覚めた瞬間。
「…………静か」
私はぼんやり呟いた。
いつものように、
「お嬢様、朝です」
と侍女に叩き起こされることも。
分厚い予定表を渡されることも。
嫌味混じりに、
ドレスを締め上げられることもない。
代わりに聞こえるのは。
ガタン、ゴトン。
静かな走行音。
暖炉の薪が爆ぜる、
小さな音。
それだけだった。
「……最高ですわ」
毛布へ顔を埋める。
ふわふわ。
あったかい。
しあわせ。
しかも。
「八時間……寝ましたわ……」
奇跡だ。
最近は三時間睡眠が普通だったのに。
人間って、
ちゃんと寝るとこんなに身体が軽いんですのね……。
私はもぞもぞ起き上がった。
窓の外は真っ白だった。
吹雪。
雪原。
灰色の空。
でも。
分厚い窓ガラスの内側は、
別世界みたいに暖かい。
木の壁へ触れる。
ほんのり温かかった。
「完璧ですわね……」
その時。
こんこん、と控えめなノック音。
「起きていますか」
低い声。
ルークだ。
「起きていますわ」
扉が静かに開く。
朝の光を背負ったルークが立っていた。
相変わらず顔がいい。
黒い軍服へ雪が積もっている。
「外に出ていたんですの?」
「結界の確認を」
「この吹雪で?」
「問題ありません」
淡々としている。
でも。
彼の肩には、
うっすら雪が積もっていた。
寒かったはずだ。
「……ルーク」
「はい」
「こっちへ来なさい」
彼が少し眉を動かした。
「ですが――」
「いいから」
私はソファを指差す。
「凍えた騎士を放置したら、
寝覚めが悪いですわ」
「……凍えてはいません」
「鼻、赤いですわよ」
「…………」
無言になった。
図星だ。
私はふふっと笑う。
「紅茶を出しますわ」
指を鳴らす。
ぽう、と魔法陣が浮かぶ。
次の瞬間。
テーブルの上へ、
白い湯気を立てるティーポットとカップが現れた。
それから。
焼きたてのクロワッサン。
とろりと溶けるバター。
蜂蜜。
小さなスープまで。
ルークが固まる。
「…………」
「朝ごはんですわ」
「いや、待ってください」
「?」
「なぜ寝起きでこんなものが出てくるんです」
「快適な朝には必要でしょう?」
「それはそうですが……」
彼が珍しく言葉に詰まった。
面白い。
氷の騎士、
案外押しに弱い。
私はクロワッサンをちぎる。
さくっ、と音がした。
湯気と一緒に、
バターの香りが広がる。
「~~~~っ」
幸せ。
王城の朝食は、
見た目ばかり豪華で冷めていた。
でもこれは違う。
温かい。
ちゃんと、
今ここで食べるための味がする。
「……そんなに美味しいですか」
ルークがじっと見ていた。
「美味しいですわよ?」
「…………」
「食べます?」
「いえ、俺は――」
その瞬間。
ぐぅぅぅ……。
静かな車内へ、
間抜けな音が響いた。
「…………」
「…………」
ルークの腹だった。
私は吹き出した。
「ふふっ」
「忘れてください」
「無理ですわ」
「忘れてください」
耳まで赤い。
怖い顔なのに。
なんですのこの人。
可愛いじゃありませんの。
「座りなさい、ルーク」
「……命令ですか」
「ええ」
彼は深いため息をついた。
けれど結局、
私の向かいへ座る。
その動きは丁寧で。
椅子を引く音まで静かだった。
私はカップへ紅茶を注ぐ。
琥珀色の液体から湯気が立つ。
「どうぞ」
「……いただきます」
ルークは慎重に一口飲んだ。
氷のように冷え切っていた彼の指先が、
カップの熱でゆっくりと赤みを取り戻していく。
その瞬間。
わずかに目を見開く。
「……温かい」
「でしょう?」
「…………」
彼はしばらく黙っていた。
そして小さく呟く。
「こんな朝は、初めてです」
私は瞬きをした。
吹雪の中。
朝から結界確認。
冷え切った身体。
きっとこの人も、
ずっと休めていなかったんだ。
「これからは毎日こうしますわ」
私が言うと。
ルークがこちらを見る。
「毎日?」
「ええ」
「私は快適に生きると決めましたもの」
「…………」
「睡眠は大事ですわ」
「…………そうですね」
その時だった。
どんっ!!
重い衝撃音が、
外から響いた。
ルークの表情が一瞬で変わる。
空気が凍った。
彼は剣へ手をかける。
「下がってください」
低い声。
さっきまでと別人みたいだった。
窓の外。
巨大な熊型の魔物が、
列車へ体当たりしていた。
赤い目。
鋭い牙。
雪を蹴散らしながら咆哮している。
「……大きいですわね」
「S級です」
「へえ」
どんっ!!
再び激突。
しかし。
結界が淡く光るだけ。
車内のティーカップは、
ぴくりとも揺れなかった。
「…………」
ルークが魔物を見る。
その目は氷みたいに冷たい。
殺気だけで空気が張り詰める。
けれど。
「危険ですので、
窓から離れてください」
私へ向けた声だけは、
不思議なくらい柔らかかった。
「ルーク」
「はい」
「あなた、
私に甘くありません?」
一瞬、
彼がわずかに目を丸くした。
自分がどれほど甘い声を出していたか、
全く自覚していない顔だ。
「…………気のせいです」
「そうかしら」
「それより」
彼は外を見る。
「鬱陶しいですね」
次の瞬間。
ルークが列車の外へ飛び出した。
「えっ」
吹雪の中。
黒い外套が翻る。
熊型魔物が咆哮する。
――一閃。
銀色の軌跡が走った。
巨大な魔物が真っ二つになる。
雪原へ崩れ落ちた。
「…………」
強い。
怖いくらい強い。
でも。
ルークが列車へ戻ってきた瞬間。
「外は冷えます。
窓際へ寄りすぎないでください」
最初の言葉がそれだった。
私はぽかんとした後。
なんだか可笑しくなった。
「ふふっ」
「……何です」
「いえ」
私は紅茶を飲む。
温かい。
しあわせ。
吹雪。
魔物。
寒い外の世界。
でも。
この列車の中だけは違う。
暖かくて。
静かで。
安心できる。
私は窓の外を見る。
白い雪原の向こう。
遠く小さく、
王都の方角が見えた。
あそこへ戻りたいとは、
もう少しも思わなかった。
◇
その頃、王都では。
「物流馬車が雪で止まった!?」
「結界維持の承認がまだ来ない!」
「予算書類が誰にも分からん!」
役人たちが悲鳴を上げていた。
そして。
王太子は青ざめた顔で呟く。
「……なぜだ」
誰も答えられない。
ただ一人。
老齢の文官だけが震えていた。
「まさか……
本当に、あの令嬢が全部……」
彼は、
机に積まれた未処理の書類を見下ろす。
「毎夜、
睡眠を削ってまで、
この国の結界を一人で編み直していたというのか……!」
しかしその頃。
私は暖かい車内で、
二杯目の紅茶を飲んでいた。




