025 猛吹雪の夜は、列車の中で濃厚な牡丹鍋をつつきますわ
夜のユノハナは、昼よりずっと危険だった。
窓の外では、猛吹雪が荒れている。ごう、ごう、と雪風が防音ガラスを叩き、白い雪が渦を巻いていた。温泉街の灯りすら霞んで見える。
昼間まで聞こえていた下駄の音も、今は少ない。たまに誰かが雪を踏む音がしても、すぐ吹雪に飲まれてしまう。
「……遭難できそうですわね」
私は右ソファへ沈み込みながら、素直な感想を口にした。
「できそうじゃなくて、普通に危険ですよ」
窓側にいたノアが真顔で言う。
「この吹雪、山で食らったらかなりまずいです」
「まあ」
私は毛布を引き寄せた。
白銀列車の中は暖かい。暖炉は静かに燃え、空調は完璧だった。窓の外が生命の危機みたいな景色でも、こちら側には一切届いてこない。
むしろ、暖かい部屋の中から見る分には、吹雪はかなり綺麗だった。
「ティアさん、その感想できるの列車の中だからですからね」
「重要なことですわ」
「まあ、否定はしませんけど……」
ノアも結局、暖炉の前から動かない。
その時、食堂車の方から濃い匂いが流れてきた。
ぐつぐつ。
ぐつぐつ。
味噌の匂いだった。
「……!」
私は反射的に顔を上げる。
温かい。濃厚。少し甘くて、深い香り。さらにその奥から、肉の脂が溶ける匂いまで混じっていた。
「来ましたわね……」
「完全に顔変わりましたね」
ノアが呆れた声を出す。
でも仕方ない。
あれは絶対に美味しい匂いだった。
◇
食堂車へ入った瞬間、熱気が頬へ当たった。
卓上には、大きな鍋が置かれている。赤味噌仕立ての濃い出汁が、ぐつぐつと煮えていた。
湯気。
味噌。
山の匂い。
そして、分厚い猪肉。
「まあ……!」
鍋の中では、薄切りの猪肉がゆっくり揺れていた。白菜、葱、茸、根菜。山の幸が、濃い味噌出汁の中で煮えている。
「今日は牡丹鍋だ」
アベルが少し得意そうに言った。
「若旦那から良い猪が入ったって聞いてな」
「絶対に美味しいですわ」
「まだ食ってないだろ」
でも分かる。
これはもう、見た時点で勝っている。
窓の外では吹雪が荒れていた。ごうっ、と風が鳴るたび、窓硝子の向こうが真っ白になる。
なのに、こちらは熱々の鍋である。
「この状況で鍋は強すぎません?」
ノアが席へ座りながら言った。
「外、完全に生命の危機ですよ」
「だからこそですわ」
私は真剣に頷く。
「こういう日は、暖かい場所で鍋をいただくのが最高なのです」
「もう完全に冬をエンタメ化してる……」
アベルが取り皿へ具材をよそってくれる。
「熱いから気をつけろよ、ティア」
「分かっておりますわ」
まずは猪肉。
ふう、ふう、と息を吹きかける。湯気が顔へ当たり、味噌の香りが鼻の奥まで広がった。
口へ運ぶ。
「……っ」
柔らかい。
脂が甘い。
でも、しつこくない。
噛んだ瞬間、熱い旨味がじゅわりと広がって、濃厚な味噌出汁と混ざり合う。
「……これは危険ですわ」
「だから言っただろ」
アベルが満足そうに笑う。
次に、出汁を吸った白菜。
熱い。
でも美味しい。
味噌の旨味を抱えた葉が、口の中でほろりとほどけた。身体の芯が、じんわり温まっていく。
外の吹雪が強いほど、この熱が気持ちよかった。
「なんかもう、この列車だけ別世界ですよね」
ノアが鍋をつつきながら呟く。
「外の宿、今かなり寒いと思いますよ」
「でしょうねぇ」
私は猪肉をもう一枚食べる。
濃厚な味噌。
熱々の湯気。
窓の外の猛吹雪。
完璧だった。
「……やはり、冬は鍋ですわね」
「ティアさん、毎回『やはり』って言ってません?」
「毎回正しいからですわ」
ノアは何か言い返そうとした。
でも、その前に牡丹鍋を食べた。
「……あ、美味しい」
「でしょう?」
私は少し誇らしい気分になる。
アベルが鍋を見ながら言った。
「猪は脂が強いからな。味噌濃いめにして正解だった」
「この脂、すごいですわねぇ」
「山で動いてる猪だからな。寒い土地の肉は美味い」
ぐつぐつ、と鍋が鳴る。
湯気が揺れる。
窓の向こうでは吹雪が荒れ続けていた。
でも、もう完全にBGMだった。
「お嬢様」
ルークが静かに声をかける。
「少し熱が強いかもしれません」
「たしかに少し暑いですわね」
すると彼は、空調をわずかに調整した。暖かいまま、少しだけ空気が軽くなる。
さらに、冷えた果実水まで差し出された。
「お口直しにどうぞ」
「まあ」
私は杯を受け取る。
冷たい。
ほんのり果実の甘い香りがする。鍋の熱を、ちょうどよく流してくれる温度だった。
「気が利きすぎていますわねぇ……」
「お嬢様が快適そうで何よりです」
ルークは当然みたいに頷いた。
「この列車、本当に甘やかし性能高すぎません?」
ノアが半分呆れながら言う。
「今さらですわ」
私は果実水を飲み、もう一度鍋へ視線を戻した。
熱い湯気。
濃い味噌。
猪肉の脂。
窓の外の猛吹雪。
世界が、完全に分かれている。
外は寒い。
危険。
大変。
でも、この列車の中だけは違った。
暖かくて、静かで、美味しい。
それだけで十分だった。
◇
鍋を食べ終える頃には、身体の芯までぽかぽかしていた。
私は再び右ソファへ戻り、毛布へ包まる。窓の外では、まだ吹雪が荒れている。
ごうっ。
雪風が白く流れていく。
でも、怖くはない。
暖炉が、ぱちり、と鳴った。
半纏の綿が暖かい。湯たんぽの熱も、まだ残っている。お腹の中には、牡丹鍋の熱がある。
もう、どこから温まっているのか分からなかった。
「……やはり」
私は毛布へ少し沈み込む。
「冬は、鍋に限りますわね」
外は猛吹雪。
中は熱々の牡丹鍋。
私は完全に満たされたまま、静かな車内で小さく息を吐いた。
牡丹鍋回でした。
外は遭難レベルの猛吹雪。
でも列車の中では、
熱々の味噌鍋です。
冬の鍋、
強すぎますね。




