023 若旦那の新しい茶葉と、静かな雪の午後ですわ
雪は、まだ降っていた。
しんしんと白い粒が窓の向こうを静かに流れていく。温泉街の坂道では、朝から雪かきの音が響いていた。木のスコップが湿った雪を押しのける、ざっ、ざっ、という音。時々、誰かの怒鳴り声も混じる。
「荷車押せ!」
「滑るぞ!」
忙しそうだった。
私は右ソファへ沈み込みながら、窓の外を見る。毛布は暖かい。暖炉も暖かい。けれど、温泉街の空気は窓越しにも白く冷えて見えた。
「……温泉地って、もう少し暖かい場所だと思っていましたわ」
「雪山ですよ」
ノアが呆れた顔で言う。
「でも温泉ですし」
「お湯だけですからね、暖かいの」
「そういうものなのです?」
「そういうものです」
少し考える。
窓の外では、湯煙がゆらゆら揺れていた。白い湯気があれほど出ているのだから、案外、空気も少しは温かいのではないか。
「……案外、外はそこまで寒くないのでは?」
「なんでそうなるんですか」
「温泉街ですもの」
毛布を少しずらし、窓の金具へ手をかける。
「あ、お嬢様」
ルークが止めるより早く、かち、と窓が少しだけ開いた。
瞬間。
ごうっ、と猛烈な冷気が車内へ吹き込んできた。
「ひゃっ!?」
雪、風、湿った氷の匂い。暖炉の火が揺れ、紅茶の湯気が乱れ、外の怒鳴り声まで急に近くなる。
「寒っ!?」
反射的に毛布へ潜り込んだ。指先が一瞬で冷える。
ルークが即座に窓を閉める。
ぱたん。
静寂。
車内へ、再び暖かさが戻ってきた。
「お嬢様。外気は推奨できません」
「温泉とは……?」
「雪山です」
ノアが真顔で言った。
「だから言ったじゃないですか」
毛布へ埋まりながら、小さく息を吐く。
「……外、無理ですわね」
「知ってました」
その時、こんこん、と展望車の扉が静かに叩かれた。
ルークが開ける。
「失礼いたします」
若旦那だった。肩には雪。手には茶筒。外套にも細かな雪が積もっている。
「本日は、新しい茶葉をお持ちしました」
「お入りなさいな」
「失礼します」
若旦那は展望車の入口付近で足を止めた。それ以上、奥へは入らない。ルークが自然な位置に立っているからだ。
若旦那も、もう分かっていた。
この列車には、踏み込んでいい場所と、そうではない場所がある。
「外、大変そうですわねぇ」
毛布に包まれたまま言う。
若旦那が苦笑した。
「ええ。商人の方々がかなり……」
遠くで、また怒鳴り声がした。
「予約はまだか!」
「うちに回せ!」
忙しそうだった。
ノアが窓の外を見ながら言う。
「完全に騒ぎになってますよ。あの蒸し菓子」
「ありがたいことに」
若旦那は、ほくほくした顔で頷く。
「雪が降る前の三倍でも欲しい、という商会まで出てきまして」
「まあ」
「王都から来た方々も、毎日交渉にいらっしゃいます」
ノアが頭を抱えた。
「経済めちゃくちゃでは?」
「景気が良いのは、結構なことですわね」
私は頷く。
「それより、その茶葉を早くいただきたいですわ」
「そこなんですね……」
若旦那が少し笑った。
茶筒が開く。
ふわりと、柔らかな香りが広がった。
甘い。でも、あとから静かな青い香りが抜ける。
「雪山の奥で採れる茶葉です。湯気が立つと香りが変わります」
「素敵ですわねぇ」
ルークが静かに湯を注ぐ。
とぽ、とぽ。
心地よい音。
白い湯気が立ち上る。
さっき冷気を浴びたせいか、その熱がやけにありがたかった。
ルークがティーカップを差し出す。
「どうぞ、お嬢様」
「ありがとう」
両手でカップを包む。冷えた指先へ、じんわり熱が戻ってくる。
ひと口。
「……あら」
香りが広がった。
柔らかい。少し甘くて、雪みたいに静かな香りが残る。
「美味しいですわ」
若旦那が、ほっと息を吐いた。
「良かった……」
アベルが横から皿を置く。
「茶だけじゃ足りねぇだろ」
小さな焼き菓子だった。表面が少しだけ炙られていて、香ばしい匂いがする。
「この茶、香りが柔らかいからな。焦がし砂糖を合わせた」
「まあ」
一口。
さく、と軽く割れる。甘い。香ばしい。温かいお茶と、ちょうどいい。
外では、まだ誰かが怒鳴っていた。
でも、防音ガラスの向こうの話だ。
ここには入ってこない。
「ティア、おかわり飲むか?」
「いただきますわ」
アベルが笑う。
ルークが静かにカップを受け取る。
若旦那は、そんな光景を少しだけ眺めてから一礼した。
「それでは、私はこれで」
「ありがとう。とても良いお茶でしたわ」
「また、新しいものが入りましたらお持ちします」
若旦那は静かに去っていった。
扉が閉まる。
再び、静かな空気だけが残る。
暖炉、毛布、熱いお茶、ふかふかの右ソファ。
そのまま身体を預けた。
「……やはり、こうして暖かい場所でお茶をいただくのが一番ですわね」
雪は、まだ降っていた。
けれど、白銀列車の中だけは、別の季節みたいに暖かかった。
温泉地は暖かいと思っていました。
雪山でした。
なので、
やっぱり暖かい部屋が最強です。




