表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された悪役令嬢の魔導列車 〜揺れる馬車旅が嫌なので、【白銀列車】という走る豪華ホテルで暮らします〜  作者: あゆと
第2章 雪見風呂と牛乳編 〜温泉渓谷ユノハナ〜

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/84

021 温泉街の湯巡りより、暖かい車内で茸鍋を頂きますわ

「せっかく温泉街に来たのに、湯巡りとかしないんですか!?」

 ノアが、朝からとても正しいことを言った。

 私は右ソファに沈み込みながら、毛布を少し引き上げる。展望車の大きな窓の外には、温泉渓谷ユノハナの雪景色が広がっていた。白い湯煙、雪の積もった屋根、坂道を行き来する湯治客。からん、ころん、と下駄の音も聞こえる。

 とても風情がある。

 風情はあるのだけれど。

「一番良い露天風呂には入りましたわ」

「いや、でも他にも湯がありますよね? 岩風呂とか、薬湯とか、岩盤浴とか」

「そのたびに外へ出るのですか?」

「まあ、温泉街ですし」

「そのたびに服を脱いで、身体を拭いて、濡れた髪のまま廊下を歩いて、また外気に晒されるのですか?」

「……まあ、普通はそうですね」


「正気の沙汰ではありませんわ」


 きっぱりと言った。

 昨日、脱衣所と廊下の寒さは経験済みである。お湯は最高だった。雪見風呂も、景色も、硫黄の匂いも素晴らしかった。けれど、湯上がりに冷えるのは許せない。

 せっかく温まった身体から、熱が逃げていくあの感覚。濡れた髪から、首筋へ冷気が落ちてくるあの感じ。あれを何度も繰り返すなど、私には無理だ。

「ティアの言う通りだな」

 厨房側から、アベルが当然のように言った。

「何度も湯冷めしたら風邪引くぞ」

「そこは湯冷めしないように工夫するものでは?」

「工夫してまで外に出る必要がない」

 アベルは即答した。

 強い。

「お嬢様の健康と快適さが最優先です」

 ルークも、後ろ斜めから静かに続ける。

「湯巡りによって体力を消耗する可能性があるなら、本日は車内でお休みいただくのが適切かと」

「この列車、ティアさんに甘すぎる……」

 ノアが頭を抱えた。

「甘いのではありませんわ」

 私は紅茶を一口飲む。温かい湯気が、朝の車内にゆっくり溶けていく。

「合理的なのです」

「絶対違う」

 ノアが即座に言った。

 けれど、彼も暖炉のそばから動かない。

 外は寒い。雪も重そうだ。白銀列車の中は、相変わらず春のように暖かい。毛布は柔らかく、ソファはふかふか。

 これ以上の合理性があるだろうか。

 少なくとも、私には思いつかない。

「それに」

 アベルが、大きな鍋を抱えて食堂車の方へ歩いていく。

「今日は若旦那が茸と山鳥を届けてくれた。湯巡りより先に食うべきものがある」

「茸」

 少し身を起こした。

「山鳥」

「そうだ」

「鍋ですの?」

「鍋だ」

 ならば、話は終わりである。

「ノア」

「はい」

「今日は湯巡りではなく、茸鍋の日ですわ」

「決定が早い」

「重要ですもの」

「湯巡りも重要では?」

「寒いので却下ですわ」

 ノアは何か言いたそうだったけれど、鍋という単語には逆らえなかったらしい。小さく息を吐いて、食堂車へ向かった。


   ◇


 食堂車は、すでに良い匂いで満ちていた。

 ぐつぐつ。

 ぐつぐつ。

 大きな鍋が、中央の卓上で静かに煮えている。湯気の中に、茸の濃い匂いが混じっていた。

 土の香り。木の香り。山の冷たい空気を吸って育ったような、深い匂い。そこに、山鳥の脂の甘い香りが重なる。

「……これは」

 椅子に座る前から、すでに負けていた。

「絶対に美味しいですわ」

「まだ食ってないだろ」

 アベルが呆れながらも、少し嬉しそうに言う。

 鍋の中には、何種類もの茸が入っていた。肉厚の白い茸、細長い茶色の茸、傘の大きな香りの強い茸、小さくて丸い茸。さらに、山鳥の薄切り、温泉街で採れた根菜、青い葉物。

 出汁は、透き通った琥珀色をしている。

 アベルが小皿へ具材をよそってくれた。

「熱いから気をつけろよ、ティア」

「分かっておりますわ」

 箸を持つ。

 まずは茸。

 ふう、ふう、と息を吹きかける。湯気が顔に当たって、頬が少し熱くなった。

 口へ運ぶ。

「……っ」

 熱い。

 でも、美味しい。

 噛むと、茸の旨味がじゅわりと出てくる。出汁を吸っているのに、茸そのものの香りが残っている。

 山の味がする。

 次に、山鳥。

 柔らかい。脂が甘い。熱々の出汁と一緒に食べると、身体の芯から温まっていく。

「……これは、湯巡りどころではありませんわね」

「比較対象そこなんですね」

 ノアが言いながら、自分の皿の茸をふうふう冷ましている。

「でも美味いだろ」

 アベルが尋ねる。

「美味しいです」

 ノアは素直に頷いた。

「めちゃくちゃ美味しいです」

「なら文句言うな」

「文句じゃなくて、一応ツッコミです」

 ノアはそう言いながら、もう次の具材へ手を伸ばしていた。

 窓の外では、雪が降っている。温泉街の坂道を、厚着の人々が歩いていた。外套を羽織り、桶を抱え、湯気の中を移動している。湯巡りなのだろう。

 楽しそうではある。

 でも、寒そうでもある。

 熱々の茸を、もう一つ食べた。

「……やはり、ここが一番ですわ」

「湯巡りを窓越しに眺めながら、鍋食べてる人の発言とは思えませんね」

「最高の贅沢では?」

「否定しづらいのが悔しい」

 ノアは鍋を見つめながら言った。

 ルークは、私の斜め後ろに控えつつ、取り皿の減りを静かに確認している。少しでも空くと、すぐに次の具材が置かれる。

 茸。山鳥。根菜。また茸。

 完璧な流れだった。

「ルーク」

「はい」

「この茸、とても美味しいですわ」

「若旦那へ伝えておきます」

「それと、もう少しください」

「承知しました」

 迷いがない。

 素晴らしい。

 アベルが、鍋の火加減を見ながら言う。

「この茸は、煮すぎない方がいいな。香りが飛ぶ」

「では、今のうちに食べるべきですわね」

「その判断は早いんだな」

「美味しさは逃してはいけませんもの」

 真剣だった。

 鍋の中で、ぐつぐつと出汁が鳴る。湯気、茸の匂い、山鳥の脂、温かい食堂車、外の雪。

 これ以上、何が必要だろう。

「……本当に、湯巡りしなくていいんですか?」

 ノアが最後にもう一度だけ聞いた。

 少し考えた。

 湯巡り。

 確かに、聞こえは楽しそうだ。色々なお湯に入る。違う景色を見る。温泉街らしい過ごし方。

 でも、外は寒い。着替えは面倒。髪は冷える。

 それに今、目の前には茸鍋がある。

「今日はいいですわ」

「今日は?」

「また気が向いたら考えます」

「その日は来るんですか?」

「白銀列車に湯冷めしない送迎用の仕組みができたら」

「もう温泉街側じゃなくて、列車側を改造する発想なんですね」

 ノアが深くため息をついた。

 しかし、すぐに鍋を食べた。

 つまり、彼も満足している。


   ◇


 鍋の締めは、雑炊だった。

 アベルが、温泉地で手に入れた米に似た穀物を鍋へ入れる。出汁を吸わせ、卵を落とし、少し待つ。

 ぐつ、ぐつ。

 とろりとした湯気が上がる。

「……これは危険ですわ」

「まだ食う前から危険判定するな」

 でも、危険だった。

 小さな器によそわれた雑炊は、茸と山鳥の旨味を全部抱えていた。

 一口食べて、しばらく黙った。

「ティア?」

 アベルが声をかける。

「……おいしすぎて、少し考える時間が必要でしたわ」

「大げさだな」

「大げさではありません」

 これは本当に、温泉街へ来た価値があった。

 外を歩き回らなくても、湯巡りをしなくても、山の幸はこうして白銀列車へ来てくれる。

 暖かい食堂車で。

 誰にも急かされず。

 髪も冷えず。

 足も濡れず。

 ただ美味しいものを食べられる。

 完璧だった。

 食べ終わる頃には、身体の芯までぽかぽかしていた。

 椅子の背に身体を預ける。

「……もう動けませんわ」

「動く必要はありません」

 ルークが即答した。

「食後は右ソファへお戻りください」

「やはり、この列車はティアさんに甘すぎる」

 ノアが言った。

 でも、彼もかなり満腹そうだった。

 窓の外では、湯巡り客らしい人々が、白い息を吐きながら坂道を歩いている。きっと、それも楽しいのだろう。

 でも今の私は、ここで十分だった。

 いや。

 ここが一番だった。

「やはり」

 ぽつりと言う。


「我が家で食べる鍋が一番ですわね」


 暖炉が、食堂車の向こうでぱちりと鳴った。

 外は雪。

 中は鍋。

 身体の芯まで満たされながら、今日も白銀列車のありがたみを噛みしめた。

茸鍋回でした。


温泉街に来たのに湯巡りをせず、

暖かい車内で鍋を食べるだけ。


でもそれが、

白銀列車らしい贅沢なのかもしれません。


次回もたぶん、

だらだらします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ