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婚約破棄された悪役令嬢の魔導列車 〜揺れる馬車旅が嫌なので、【白銀列車】という走る豪華ホテルで暮らします〜  作者: あゆと
第2章 雪見風呂と牛乳編 〜温泉渓谷ユノハナ〜

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020 新作の温泉蒸し菓子と、だらだらする午後ですわ

 今日は、限界までだらだらすると決めている。


 朝風呂にも入った。牛乳も飲んだ。毛布もある。

 つまり、完璧だった。

 右ソファは、展望車の暖炉近くに置かれている。大きな窓から雪景色が見える、私のお気に入りの場所だった。私はそこへ深く沈み込みながら、窓の外をぼんやり眺める。

 ユノハナの空は白い。

 しんしんと雪が降っていた。

 外では、朝から雪かきの音がしている。木のスコップが重たい雪を押す、ざっ、ざっ、という音。遠くでは商人たちの声も聞こえた。

「荷車こっちだ!」

「坂が滑るぞ!」

「温泉卵は先に運べ!」

 忙しそうだった。

 寒そうでもある。

 でも、白銀列車の中はぽかぽかしていた。暖炉がぱちりと鳴り、毛布は柔らかく、ソファは深い。空気は暖かく、乾きすぎてもいない。

 完璧な午後だった。


「……このまま、一生ここでだらだらできますわね」


「駄目人間の発想ですよ、それ」

 窓側にいたノアが言う。

「外、みんな働いてますよ」

「寒いのに大変ですわねぇ」

「いや、他人事すぎません?」

「だって寒いですもの」

 毛布を引き上げた。

 ノアは呆れている。でも、彼も暖炉の近くから動かないので、説得力は薄かった。

 その時、こん、こん、と展望車の入口側から控えめなノックが響いた。

 ルークが静かに立ち上がる。

「若旦那です」

「通してくださいな」

「承知しました」

 少しして、展望車の扉が開いた。

 若旦那が、湯気の立つ木箱を抱えて入ってくる。今日もきっちりした藍色の羽織姿だったが、肩には少し雪が積もっていた。外はかなり寒いらしい。

 ルークは、展望車と居住区を繋ぐ境界線の位置へ立った。若旦那をそれ以上奥へ通さない、いつもの立ち位置だった。

「失礼いたします。本日の試作品をお持ちしました」

「楽しみにしていましたわ」

 若旦那が木箱を開ける。

 ふわりと甘い湯気が広がった。

「まあ……!」

 白く柔らかな蒸し菓子だった。温泉の蒸気で蒸したらしく、丸い表面はつやつやしている。ほんのり甘い匂いがして、見ているだけで美味しそうだった。

 さらに、若旦那は温かい茶まで用意していた。淡い緑色、柔らかな湯気、落ち着く香り。

「今日は甘味に合わせて、少し渋めにしています」

「素晴らしいですわ」

 即答だった。

 若旦那、かなり分かっている。

 蒸し菓子を持ち上げると、指先へほんのり熱が伝わった。柔らかい。ひと口食べる。

「……」

 ふわり。

 柔らかな生地。優しい甘さ。温泉の蒸気の匂いが、ほんの少しだけ残っている。

「……美味しいですわ」

 素直に声が出た。

 若旦那がほっとした顔をする。

「ありがとうございます」

 アベルも黙ってひとつ食べていた。

 そして、少し考えるように菓子を見た。

「……これ、少し焼いても美味そうだな」

「焼くんですか?」

 若旦那が目を丸くする。

「こういう生地は、表面だけ軽く炙ると香りが立つ」

「なるほど……」

「試してみるか?」

「ぜひ」

 若旦那は、むしろ少し嬉しそうだった。

 アベルは蒸し菓子を持って厨房へ向かう。

 少しして、じゅっ、と小さく焼ける音がした。

 甘い匂いに、香ばしさが混ざる。

 思わずそちらを見る。

「絶対に美味しい音ですわね……」

「音で分かるんですか」

「分かりますわ」

 食べ物に関しては、かなり分かる。

 戻ってきたアベルが皿を置いた。蒸し菓子の表面には、ほんのり焼き色がついている。湯気。甘い香り。そこへ、焼けた香ばしさ。

「試しにやってみた。ティア、食ってみろ」

「いただきますわ」

 自然だった。

 あまりにも自然に、アベルは私をティアと呼ぶ。もう誰も、特に突っ込まない。

 炙られた蒸し菓子を口へ運ぶ。

「……!」

 香ばしい。

 表面が少しぱりっとしている。でも、中はふわふわのままだった。甘さが、さっきより少しだけはっきりしている。

「こっちも最高ですわ……!」

「だろ」

 アベルが満足そうに頷く。

 若旦那は少し驚いた顔をしていた。

「……本当ですね。香りが全然違う」

「蒸しただけだと、少し輪郭がぼやけるからな」

 アベルが言う。

「焼くと締まる」

「なるほど……」

 若旦那は、すぐに帳面へ何かを書き込み始めた。完全に勉強モードだった。

 ノアが小さく呟く。

「また始まった」

「良いことですわ」

 私は温かい茶を飲んだ。

 甘味のあとにちょうどいい。ほっとする味だった。

 外では、雪かきの音がまだ続いている。誰かが坂道で滑ったのか、遠くで小さく悲鳴が聞こえた。

 でも、こちらは暖かい。

 甘い。

 静か。

 毛布付き。

 世界が違いすぎた。

「この中でだらだらしてて、本当にいいんですか?」

 ノアが言う。

「外、すごい大変そうですよ」

「では、ノアも外へ行きます?」

「嫌です」

「でしょう?」

 右ソファへ、さらに深く沈み込んだ。

 若旦那は、そんな私を見ながら言う。

「レティシア様は、本当に美味しそうに召し上がりますね」

「美味しいものは、全力で楽しむべきですもの」

「その感想が、一番ありがたいんですよ」

 若旦那は静かに笑った。

 外では、まだ雪が降っている。

 白い。寒い。忙しない。

 でも、この車内だけは違った。

 暖炉、毛布、蒸し菓子、温かいお茶。そして、誰も急かさない空気。

「……眠くなってきましたわ」

「食った直後に寝るなよ」

「冬ですもの」

「理由になってない」

 アベルが呆れる。

 でも、追加のお茶はちゃんと淹れてくれた。

 若旦那が木箱を閉じながら言う。

「次は、茸を使った料理もお持ちします」

「茸」

 少しだけ目を開けた。

「楽しみですわ……」

「ええ。ぜひ感想を聞かせてください」

 若旦那は一礼して、展望車の出口へ向かう。

 ルークが、その少し後ろを歩いた。

 境界線は、ちゃんと守られている。

 扉が閉まると、また静寂が戻った。

 暖炉がぱちりと鳴る。

 私は毛布へ頬を埋めた。

 お腹いっぱいだった。

 暖かい。

 眠い。

 最高である。

 外では、まだ雪かきの音がしている。でも、それすら少し遠い。

 次は茸料理。

 それも楽しみだった。

 ぽかぽかしたまま、ゆっくり目を閉じる。

 白銀列車は今日も静かに、温かな午後を抱えていた。

温泉蒸し菓子回でした。


若旦那の試作品に、

アベルが料理人としてひと手間。


そしてティアは、

今日も右ソファでだらだらしています。


冬の温泉街、

最高です。

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