013 王都からの追手が到着したようですが、私はフレンチトーストに蜂蜜をかけますわ
氷海の港町に、朝が来た。
とはいえ、空は白く濁り、風は刃物みたいに冷たい。ごうっ、と吹雪が港の石畳を叩き、凍った埠頭には白い雪煙が流れていた。
その雪の中を、王都の騎士団が進んでいる。
王太子直属の騎士団。本来なら、王都の民が道を開ける存在だ。けれど港町の商人たちは荷を守るのに忙しく、港夫たちは凍った縄をほどくのに必死で、誰も彼らへ道を譲らなかった。
騎士たちの鎧には雪が積もり、外套は凍りつき、馬たちも疲れ切っている。
「進め……!」
「止まるな……!」
「白銀列車は、この港にいるはずだ……!」
掠れた声が吹雪に削られていく。
騎士団長は、凍えた息を吐きながら港の奥を睨んだ。
吹雪の向こうに、白い車体が見える。暖かな灯りを抱えた、異様なほど静かな列車。氷海の港に停まる白銀列車だった。
「やっと見つけた……」
騎士団長は奥歯を噛んだ。
「王都は混乱している。商人は流れ、物流も乱れ始めた。それもこれも、あの列車のせいだ」
白銀列車を見上げ、彼は声を張り上げた。
「こちらは王太子直属騎士団である! 列車の主へ伝えろ!」
吹雪の中で、王家の紋章が入った外套がばたばたと揺れる。
「王命により、帰還命令が出ている! 速やかに扉を開け、我々を迎え入れよ!」
◇
「……ん」
私は、ふかふかの布団の中で目を覚ました。
静かだった。
とても静か。
外ではきっと吹雪いているのだろうけれど、客室の中には何も聞こえない。暖炉の火が、ぱちりと小さく鳴るだけだった。
木の香り。清潔なシーツ。少し温かな空気。
最高の朝である。
「……よく寝ましたわ」
もぞもぞと布団から出る。身体が軽い。頭もすっきりしている。八時間、きっちり眠れた。
「毎日こうあるべきですわねぇ」
窓の外は真っ白だった。
でも、部屋の中は春みたいに暖かい。
◇
食堂車へ向かうと、甘い香りがした。
バター、卵、焼けたパン。そして蜂蜜。朝から人を幸せにする匂いが、食堂車いっぱいに満ちている。
「起きたか」
アベルが振り返った。
「今日は、極上のフレンチトーストだ」
「まあ……!」
私は思わず目を輝かせた。
皿の上には厚切りのパンがある。表面はこんがり焼け、中はふわふわ。湯気がやさしく立っていて、バターの香りが甘く広がっていた。
「お早うございます、お嬢様」
ルークが静かに椅子を引いてくれる。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「ええ。とても」
「何よりです」
彼は柔らかく微笑み、膝掛けをそっと整えた。
「足元が冷えますので」
「ありがとうございます」
「当然です」
私は席についた。
目の前には、焼きたてのフレンチトースト。アベルが蜂蜜の瓶を置く。
「好きなだけかけろ」
「なんて素敵な言葉でしょう」
私は、とろりと蜂蜜を垂らした。金色の蜂蜜が、熱いパンの上をゆっくり流れていく。甘い香りとバターの香りが重なった。
「幸せですわ……」
その時、ノアが窓の外を見て固まった。
「……あの」
「どうしましたの?」
「なんか、外に鎧の人たちがいますけど」
「鎧?」
「はい。たぶん王都の騎士団です」
「まあ」
私はフレンチトーストを切った。ナイフが、ふわりと入る。柔らかい。すごく柔らかい。
◇
「王命である!!」
騎士団長が、吹雪の中で叫んでいた。
「速やかに扉を開けよ!!」
彼は一歩前へ出て、列車の扉へ手を伸ばす。
だが、その指先は扉に届かなかった。
透明な壁のようなものに阻まれ、手袋の先が空中で止まる。
「……なに?」
騎士団長の顔が強張った。
押しても、叩いても、動かない。まるで世界そのものに拒絶されているみたいに、白銀列車は彼らを受け入れなかった。
「団長……」
「結界、ですか……?」
騎士たちが息を呑む。
白銀列車は、ただ静かにそこにあった。暖かな灯りを漏らしながら。
◇
「……触れないみたいですね」
ノアが窓の外を見ながら呟いた。
「そうですの?」
「結界に阻まれてます。あれ、たぶん外部干渉を全部拒否してますよ」
私はフレンチトーストを口へ運んだ。
ふわっ、と甘い熱がほどける。
「~~~~っ」
美味しい。
卵がしみている。蜂蜜が温かい。表面は香ばしいのに、中はとろけるくらい柔らかい。
「美味しいですわぁ……」
「だろ」
アベルが満足そうに頷く。
「焼き加減は完璧だ」
「完璧ですわ」
窓の向こうでは、騎士団長たちが何か叫んでいる。でも防音のおかげで、声はほとんど聞こえない。
「騒がしいですわね」
私は紅茶を飲んだ。
「カモメかしら?」
「いや、たぶん騎士団長です」
ノアが疲れた顔で訂正する。
ルークが窓の外を一瞥した。その目は冷たかった。
「お嬢様の朝食を邪魔する気なら、排除しますが」
「朝食が冷めますわ」
私は蜂蜜をもう少しかけた。
「放っておきなさい」
「承知しました」
ルークは即答した。
ノアが頭を抱える。
「王都のエリート騎士団ですよね!? 扱い軽くないですか!?」
「フレンチトーストの方が大事だろ」
アベルが次の皿を焼きながら言った。
「焼きたては今しか食えない」
「正論っぽく言わないでください」
「正論だ」
じゅわっ、とバターの音が響く。
甘い香りが、さらに広がった。
◇
外では、騎士団長が白銀列車を見上げていた。
暖かな灯り。曇った窓。内側に立ち上る湯気。
まるで別世界だった。
「団長……どうされますか」
部下の声も震えている。
騎士団長は、しばらく黙っていた。吹雪が外套を揺らし、兜の縁に氷が張りつく。
「……待機だ」
低い声だった。
「少なくとも、ここにいるのは間違いない」
騎士たちは静かに頷く。
白銀列車は、何も答えない。ただ、暖かな光だけが雪の港を照らしていた。
◇
「今日の蜂蜜、香りが良いですわね」
「港で仕入れたやつだ」
アベルが言う。
「寒い土地の蜜は、香りが濃い」
「まあ。素敵ですわ」
暖炉の火が、ぱちりと鳴る。
ルークが紅茶を注ぐ。
ノアは窓の外と食卓を交互に見ていた。
「……外、寒そうですね」
「そうですわねぇ」
「中、天国ですね」
「でしょう?」
私は微笑んだ。
外では、吹雪が荒れている。
中では、蜂蜜がゆっくり溶けている。
世界は今日も少し騒がしい。
でも、白銀列車の朝は、とても静かで、とても甘かった。
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それでは、明日の12時にまた暖かい車内でお待ちしております!




