012 生意気な貴族が乗り込んできましたが、私の騎士が一瞬で追い払ってくれましたわ
白銀列車が、氷海を越える。
ごぉぉぉ、と外では相変わらず猛吹雪が唸っていた。空も海も白く濁り、氷の上を走っているのか雲の中を進んでいるのか、窓からでは境界が分からない。
けれど、港町だけは違った。
「白銀列車だ!!」
「本当に来やがった!!」
「荷を急げ!!」
雪だらけの港に、商人たちの怒声が飛び交っている。氷漬けの埠頭、凍える海風、霜のついた倉庫。その全部を押し返すように、港だけが妙に熱気づいていた。
「すごい騒ぎですわねぇ」
私は車窓を眺めながら、ぽつりと呟いた。
膝には毛布。背中にはふかふかのクッション。暖炉の火が、展望車の硝子にやわらかく映っている。
最高である。
「そりゃそうですよ……」
ノアが窓の外を見ながら、疲れた声を出した。
「王都の商人まで来てます。皆、“神の線路”に荷を乗せたがってるみたいです」
「不思議ですわねぇ」
「もう不思議で流せる規模じゃないんですけど」
私は紅茶をひと口飲んだ。暖かくて、美味しい。
「外は寒そうですし、私はここで待ちますわ」
「ブレませんねぇ……」
「アベルが海鮮を買ってきてくださるそうですの」
「そっちが本命ですか」
当然である。
その時、どん、と列車の扉が乱暴に叩かれた。
「開けろ!!」
続けて、どんどんどん、と苛立った音が響く。
「誰かいるんだろう!!」
ノアがびくっと肩を跳ねさせた。
「うわっ、なんですか今度は……」
ルークが静かに立ち上がる。
無言で扉へ向かい、鍵を外した。
扉が開くと、冷気が一瞬だけ流れ込む。外には毛皮を着込んだ男が立っていた。高級そうな服だが、裾は泥と雪で汚れ、顔には苛立ちが滲んでいる。
「やっと開いたか!!」
男はルークを見上げ、当然のように顎を上げた。
「私は王都貴族だ。この港の宿は全部埋まっている。商人どもまで押しかけおって、まともな部屋が一つもない」
ノアが小さく、うわぁ、という顔をした。
男はそんな反応にも気づかず、車内の奥へ目を走らせる。
「おい、貴様ら。この列車へ乗せろ。金なら払う。南へ向かうんだろう? なら私を優先しろ」
「お断りします」
ルークの返答は短かった。
男の顔が歪む。
「何だと? 王都はもう終わりだぞ。物流は止まる。商会は逃げる。貴族どもまで北へ逃げ始めている。私が乗ると言っているのだから、ありがたく席を用意しろ」
その時、男の目が車内の奥を捉えた。
暖炉。紅茶。ふかふかのソファ。
その中央で、毛布に包まってくつろぐ令嬢。
男の表情が固まる。
「……お前」
「まあ?」
私が首を傾げる。
「まさか、王太子に断罪され、辺境送りになったあの令嬢か……?」
男の額に汗が浮いた。
「なんでお前が、こんな場所で……」
だが次の瞬間、男の目つきが変わった。
にやり、と嫌な笑みが浮かぶ。
「なるほど。噂は本当か。“神の線路”とやらも、この列車も」
男は勝手に納得したように頷いた。
「いいだろう。なら私も乗せろ。王都貴族である私が、この列車へ乗ってやる」
ずかずかと車内へ踏み込もうとする。
「おい貴様、聞いているのか」
その瞬間、空気が凍った。
ルークが一歩だけ前へ出る。
無言だった。
けれど、ぞわりと肌が粟立つような殺気が、一瞬で扉周りを満たした。
「ひっ」
男の顔が青ざめる。
次の瞬間、ルークの剣の鞘が男の喉元へ突きつけられていた。速すぎて、ノアですら息を呑んだまま固まっている。
ルークの目は氷みたいに冷たい。
「お嬢様の空間を汚すな」
低い声だった。
温度がない。
「二度と近づけば斬る」
「ひっ……ひぃっ!!」
男は腰を抜かし、そのまま雪の上へ転がった。
「ま、待て。私は貴族」
扉が閉まった。
冷気が断ち切られ、車内に静けさが戻る。
「…………」
ノアが引いていた。
「今の殺気、海竜より怖かったんですけど……」
その時、ふっとルークの空気が変わった。
振り返った彼の表情は、驚くほど穏やかだった。
「申し訳ありません。お騒がせしました」
声まで柔らかい。
「別に気にしておりませんわ?」
「怪我はありませんか」
ルークは私の前へ膝をつき、冷えていた私の手をそっと包み込んだ。
「……まあ」
温かい。
大きな手だった。
「少し冷えております」
「外が寒いからですわねぇ」
「すぐ温めます」
ルークは当たり前みたいに毛布を掛け直した。
ノアが完全に呆れている。
「さっきまで人殺しみたいな目してたのに……」
「何か?」
「切り替え早すぎません!?」
その時だった。
「買ってきたぞー!!」
アベルの声が響く。
次の瞬間、香ばしい匂いが一気に車内へ広がった。
「わぁ……!!」
私は思わず目を輝かせた。
大きなホタテ。ぷりぷりのエビ。串に刺され、じゅうじゅうと音を立てている。溶けたバターが身に絡み、醤油に似た香ばしい調味料の匂いが、食堂車まで流れてきた。
「氷海産だ」
アベルが得意げに笑う。
「脂乗ってるぞ」
「最高ですわ!!」
私は早速、串へかぶりついた。
はふっ、と熱い。けれど、噛んだ瞬間に旨味が広がった。エビは甘く、ホタテは濃厚で、焦げたバターの香りがあとから追いかけてくる。
「美味しいですわぁ……!!」
「だろ?」
アベルが満足そうに頷く。
窓の外では、まだ吹雪いていた。港は騒がしい。王都は崩れ始めている。扉の向こうでは、さっきの男がまだ何か喚いているかもしれない。
でも、白銀列車の中だけは違う。
暖かい。美味しい。安全。
「……なんかもう」
ノアが串焼きを齧りながら呟いた。
「外の世界、別ジャンルすぎません?」
「でしょう?」
私は微笑んだ。
ルークが静かに紅茶を淹れてくれる。アベルは追加の串を皿に置く。暖炉の火が、ぱちりと鳴った。
どれだけ外が荒れていても、この列車の中だけは、今日も平和だった。




