011 外は猛吹雪の氷海ルートですが、私は大浴場でカニを頂きますわ
ごうっ、と吹雪が白銀列車の窓を叩いていた。
窓の外は、一面の白だった。空も海も境界が分からない。凍りついた氷海の上を、白銀列車は細い光の線を残しながら静かに走っている。
普通なら、絶対に通らない道なのだろう。
ノアが青ざめた顔で窓に張りついていた。
「うぅ……本当に氷海ルートに入ってる……」
「綺麗ですわねぇ」
「感想が観光客なんですよ。ここ、毎年船が沈む死のルートですからね?」
遠くで、低い咆哮が響いた。
グォォォォォォォ――ッ!!
氷海の向こう、吹雪の中で黒い影がゆっくり動く。長い首。氷を削る爪。海面の下から浮かび上がるような巨大な影。
「海竜です!!」
ノアが叫んだ。
「氷海の主ですよ!? 軍の護衛船ですら沈められる相手ですからね!?」
「まあ」
私は紅茶を飲みながら、窓の外を眺めた。
暖炉の火が、ぱちりと爆ぜる。車内はぽかぽかだった。毛布もふかふかで、ソファは身体をほどよく沈めてくれる。
「でも、中は暖かいですわねぇ」
「外を見てくださいよ!!」
ノアが半泣きだった。
その時、換気のために少しだけ開けていた窓の隙間から、冷たい潮風がふわりと入ってきた。塩気を含んだ風が髪に触れる。
「……ん」
私は少し眉を寄せた。
「潮風で、髪がべたつきますわね」
「あの、今そこですか?」
「やはり旅には、大きなお風呂が必要ですわ」
「はい?」
私は立ち上がり、中間車両の方へ指を軽く鳴らした。
列車が低く震える。
白銀の魔法陣が車体の外側へ広がり、氷海の上に新しい光の線が走った。寝台車と食堂車の間、まだ何もなかった連結部分に白い光が集まっていく。
金属音が鳴る。床が伸びる。壁が組み上がる。配管のような銀の線が、車体の下で静かに結ばれていく。
「ちょっ、また増やした!?」
ノアの声が裏返った。
ごぉん、と低い音がして、連結が完了する。
新しい車両の扉の隙間から、白い湯気がふわりと漏れた。
「しかも走行中に水回り!?」
「できましたわ」
「できましたわ、じゃないんですよ!!」
扉が開いた瞬間、温かい湯気とヒノキの香りが流れ出した。
私は思わず目を輝かせた。
広々とした湯船。白木の壁。磨かれた床。柔らかな灯り。そして大きな窓の向こうには、吹雪の氷海がどこまでも広がっている。
外は死の海。
内側は、湯気と木の香り。
「……最高ですわねぇ」
「なんでそんな簡単に、走る露天風呂みたいなものを作れるんですか……」
ノアが遠い目をしていた。
◇
ちゃぷん、と温かいお湯が肌を包み込んだ。
「~~~~っ……」
思わず声が漏れる。
暖かい。気持ちいい。外では吹雪が荒れていて、海竜まで咆哮しているのに、浴場車の中は春みたいだった。ヒノキの香りも落ち着く。
「生き返りますわぁ……」
「お嬢様、のぼせないようにしてください」
浴場車の外側、脱衣所の向こうからルークの声がした。
「大丈夫ですわ」
「髪は後で乾かします」
「お願いしますわね」
「当然です」
即答だった。
外では、また海竜が咆哮している。氷海のどこかで、巨大なものが氷を割る音もした。
でも、どうでもいい。
お風呂が気持ちいいので。
◇
「はぁぁ……」
お風呂上がりの私は、ふらふらと食堂車へ向かった。
身体がぽかぽかする。眠い。幸せ。髪もさらさらで、潮風のべたつきは完全に消えていた。
「お嬢様」
ルークが絶妙なタイミングでグラスを差し出した。
冷えた果実水だった。表面には小さな水滴がついている。
「まあ」
一口飲む。
冷たい。甘い。湯上がりの身体に、すっと染みていく。
「美味しいですわ……」
「湯冷め防止です」
「完璧ですわねぇ」
ルークは少しだけ目を細めた。
その時、食堂車の奥からアベルの声が響いた。
「出来たぞ」
次の瞬間、巨大な鍋が卓上へ置かれた。
鍋いっぱいに、大量のカニ。赤い殻。白い湯気。ぐつぐつと煮える出汁。香草と海の香りが、一気に食堂車へ広がった。
「氷海ルートの特産品だ」
アベルが満足そうに笑う。
「身が詰まってるぞ」
「まあまあ……!!」
私は思わず身を乗り出した。
湯気の向こうで、カニの脚が揺れている。美味しそう。ものすごく。
「いただきますわ!!」
はふっ、と熱い身を口に入れる。
次の瞬間、旨味が一気に広がった。甘い。濃い。出汁がすごい。冷たい海で育った味が、温かい鍋の中で全部ほどけている。
「お、美味しいですわぁ……!!」
「だろ?」
アベルが得意げに笑う。
「カニ味噌もあるぞ」
「天才ですわ!!」
「知ってる」
ノアが呆然と鍋を見ていた。
「いや待って……」
窓の外では、まだ吹雪いている。海竜の咆哮まで聞こえる。なのに車内は暖かい。お風呂上がり。カニ鍋。暖炉。果実水。
「……なんで、こんな状況でカニ鍋食べてるんですか……?」
「美味しいからですわ?」
「理屈になってない……」
ノアも恐る恐るカニを口へ運ぶ。
そして、止まった。
「……あ」
「だろ?」
アベルが笑う。
ノアは無言でもう一口食べた。さらに食べる。夢中で食べる。
「ノア?」
私が首を傾げると、ノアがぽつりと呟いた。
「……もう、外の世界がどうでもよくなってきました」
「でしょう?」
私は微笑んだ。
外では、猛吹雪。海竜の咆哮。死の氷海。
でも、白銀列車の中だけは違う。暖かくて、静かで、お腹いっぱいで、安心できる。
ルークが、私の肩へそっと毛布を掛けた。
「冷えますので」
「ありがとうございます」
ふわふわだった。
私はカニ鍋を食べながら、幸せそうに息を吐く。
「氷海も、悪くありませんわねぇ」
その瞬間、どぉん、と遠くで巨大な海竜が氷海を叩き割った。
ノアがびくっと震える。
ルークだけが、冷たい目で窓の外を見た。
「近づくなら斬ります」
「怖いんですよ、その台詞!!」
ノアが叫ぶ。
でも、その手はしっかりカニを掴んでいた。
白銀列車は、猛吹雪の氷海を走っていく。
どれほど外が過酷でも、この列車の中だけは、絶対に暖かかった。
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それでは、明日の12時にまた暖かい車内でお待ちしております!




