エピローグ
十数年後――。
「あ゛ー!! ん゛ん゛ん゛ん゛!!!」
「もう少し! お母さん、あとちょっとですよ!」
「……! ゆいか! しっかり!!」
「母さん!!」
「お母さん!!」
「ママ!!」
「玲さん!! 腰もっと強く!!」
「あぁ、これぐらいか?」
「あ゛ぁ゛あ゛あ゛!! キタキタ!!」
「お母さん、しっかり息んで!!」
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛――ッ!!」
結花は歯を食いしばる。
「ん゛――ッ!! あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛――ッ!!」
玲の手を握る指に、さらに力が入った。
痛い。
かなり、痛い。
けれど玲は何も言わなかった。
「玲さん……っ!」
「いるよ」
「絶対……離さないで……!」
「ああ」
離すわけがない。
やがて――。
小さな産声が、部屋いっぱいに響いた。
「――生まれました!」
「……っ」
結花の身体から、一気に力が抜けた。
「女の子ですよ」
「女の子!?」
「妹!?」
「赤ちゃん見たい!」
三人の息子たちは賑やかだ。
待ちに待った妹の誕生に、三人とも落ち着かない。
「赤ちゃん、問題ありません。とっても元気ですよ」
助産師が三兄弟を見る。
「じゃあ、お約束どおり――お兄ちゃんたちから抱っこしようか」
「……え」
あれほど楽しみにしていたはずなのに。
いざ自分たちの番が来ると、三人とも動かない。
「座って抱っこしようね。首は先生が支えるから大丈夫」
最初は、十二歳の長男。
恐る恐る差し出した腕の中へ、小さな妹が預けられる。
「……ちっちゃ」
いつもは弟たちの前で兄らしく振る舞う顔が、一瞬で緩んだ。
次は十一歳。
「俺も! 早く!」
「ちゃんと首を支えて」
「分かってるって!」
そう言いながら、受け取る手はひどく慎重だった。
「……かわいい」
そして七歳。
「ぼくも!」
「はい。ゆっくりね」
「うん!」
兄たちの中では一番小さな腕。
それでも一生懸命に妹を抱える。
「……菫」
小さな声で名前を呼んだ。
菫。
朝比奈家に生まれた、初めての女の子。
三人の兄たちが待ち望んでいた妹。
「次、私」
ベッドから結花が手を伸ばした。
ようやく戻ってきた娘を胸に抱く。
「……かわいい」
ついさっきまで、この子を産むために絶叫していたとは思えないほど穏やかな声だった。
「菫。初めまして」
小さな頬に指先で触れる。
そして。
「はい、玲さん」
最後。
玲の番だった。
「……俺?」
「そう。お父さん」
結花から、小さな娘を受け取る。
軽い。
あまりにも小さい。
三人の息子を初めて抱いた時も、同じことを思ったはずなのに。
何度経験しても、慣れるものではなかった。
玲の腕の中で、菫が小さく動く。
「……菫」
名前を呼ぶ。
「父さんだよ」
「俺たちもいるよ!」
「さっき抱いたじゃん」
「もう一回!」
「俺も!」
一瞬で騒がしくなる。
「もう、あなたたち。菫がびっくりするでしょう?」
結花が笑った。
玲も笑う。
十二歳。
十一歳。
七歳。
そして、生まれたばかりの菫。
結花と、玲。
六人になった朝比奈家。
玲は汗で額に張りついた結花の髪を、そっと払った。
「結花」
「……なに?」
「ありがとう」
「……うん」
疲れ切った顔で、それでも結花は笑った。
初めて会った頃と変わらない笑顔だった。
あの頃の玲は、恋を知らなかった。
今でも、恋が何なのか。
上手く説明しろと言われれば、きっと困る。
ただ。
「玲さん」
「ん?」
「私……今、幸せ」
玲は菫を抱いたまま、結花の手を握った。
「俺も」
それだけは。
もう、迷わず答えられた。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
『朝比奈玲はまだ恋を知らない』
これにて、完結です。
書き始めた当初は、もう少しポップでキャッチーな恋愛小説になる予定でした。
恋を知らない社会人の玲が、大学生の結花と出会って。
少しずつ惹かれて。
じれじれしながら距離を縮めて。
やがて恋を知る。
そんなお話になるはずでした。
……どうしてこうなった。
書けば書くほど人が増え。
家族が増え。
過去が増え。
それぞれが背負っているものまで増えていきました。
気がつけば、二人が恋をして結ばれるだけでは終わらない物語になっていました。
それでも最後まで書き終えた今。
これは、玲と結花だから辿り着いた恋の形だったのだと思っています。
玲は、恋を知りませんでした。
社会人として生きてきて。
仕事をして。
大人としての責任も知っている。
それでも。
誰かを好きになること。
失いたくないと思うこと。
自分の人生に、どうしてもいてほしい人ができること。
それだけは、知らなかった。
そんな玲が、結花と出会いました。
結花には結花の人生がありました。
夢があって。
家族がいて。
過去があって。
好きな人ができても、その人の隣にいることだけを自分の人生にはしなかった。
だから二人は、何度もすれ違いました。
笑って。
泣いて。
怒って。
離れて。
それでも、また手を伸ばして。
ずいぶん遠回りをしました。
そして最後には、夫婦になって。
家族になって。
十数年後には、子ども達に囲まれながら、新しい命の誕生をみんなで迎えました。
あれだけ恋を知らなかった玲が。
気がつけば、たいせつなものだらけになっていました。
『朝比奈玲はまだ恋を知らない』
このタイトルにある「まだ」。
物語の始まりでは、本当にその通りでした。
でも、今はもう違います。
玲は、恋を知りました。
綺麗なことばかりではなく。
楽しいことばかりでもなく。
面倒で。
苦しくて。
思い通りにならなくて。
それでも、人生を一緒に歩いていきたいと思える人と出会いました。
そして結花もまた、自分の人生を歩きながら、その隣に玲がいる未来を選びました。
二人の物語を、ここまで見届けてくださった皆様。
本当にありがとうございました。
感想をくださった方。
応援してくださった方。
続きを待ってくださった方。
そして、最後まで読んでくださった方。
皆様のおかげで、この物語を最後まで書き切ることができました。
物語は、ここで終わります。
でもきっと。
朝比奈家の毎日は、これからも賑やかに続いていくのでしょう。
玲と結花と。
二人を取り囲む、たくさんの人達と。
その先の人生まで、幸せでありますように。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
『朝比奈玲はまだ恋を知らない』
――完。




