060件目 言えない想いと新たな距離
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アンネを護衛が迎えに来た後、レオンハルトは天秤宮に残った。そこでまた廷臣法官長しかできない決済書類を片付けようとする。しかし、その手は何度も止まってしまう。
(……この息苦しさは、何だ)
仕事を終えたアンネが天秤宮を出て行った時、レオンハルトは安全面の心配をした。そこに嘘はない。しかしコナーと楽しそうに話すアンネを見ていたら、胸が詰まるような感覚になった。
心身を鍛えているが、身体の内部までは鍛錬できていなかったのかもしれない。内部を鍛えるには身体強化を学ばなければいけないか。
そんな事を思っていると、副長官のケビンが書類を持ってきた。
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ケビンは書類の束を持ってレオンハルトの元へ行く。
「新しい書類で……レオンハルト殿下。顔色が悪いようです。今日はもう終わりにして休んでください」
「……そうか、私は今、体調が悪いのか」
「今にも倒れそうなくらい、顔色が曇っています。前に仰っていた、悩み事が解決していないのですか」
「悩み事……」
ケビンが聞くと、レオンハルトは相談すべきかどうか悩んでいるように何度か首を傾げた。
「……ケビン。女性にとって緊張する男とは、どんな相手だろうか」
「そうですねえ……」
組んだ両手に顎を乗せるレオンハルト。
上司から相談を受けている部下は、微笑ましいような笑みを浮かべていた。
「時と場合に寄ると思います。女性からしたら体格の違いは怖いと思いますし、尊敬する相手であればその人の前で失敗はできないと頑張ってしまうかもしれません」
「……私は鍛えているが、恐怖を与えるような威圧感は出していないと思うのだが」
「そうですね。レオンハルト殿下は女性からすれば好ましい見た目をされていると思いますよ」
「それならば、私はア……彼女から、尊敬されているという事だろうか」
「ふふ。そうだと思いますよ」
レオンハルトが誰を想定して相談しているかわかっているケビンは、思わず声を漏らしてしまった。しかし、レオンハルトはそんな部下の失態なぞ気にする様子はない。
喜びを抑えきれないというように口元が緩んでいる上司を、部下は密かに応援すると決めた。
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天秤宮から戻り、ベッドの上でごろごろと転がる。何度目かの仰向けになった時、深呼吸をした。でも、胸の奥の重さは消えない。
ルリアーナ姫から、片思いなら相手に好きになってもらえば良いとアドバイスされたけど……。事は、そんな簡単なものじゃない。それができたら、どれだけ良いか。
レオンハルトさんと一緒にいると、どうしても叶わない気持ちが大きくなる。いっそのこと離れれば良いのかもしれない。でも、近くで色んなレオンハルトさんを見たいという気持ちもある。
何が正解なんだろう。
わたしが星渡人じゃなかったら?
レオンハルトさんが王族じゃなかったら?
それらの仮説は、すぐに破綻する。
星渡人じゃなかったら王宮に連れてこられる事もないし、レオンハルトさんの王族らしさというか……あの厳しさが、レオンハルトさんだと思っちゃうから。
例えば、レオンハルトさんがあの自分に厳しく他人にも厳しい性格じゃなかったとしたらどうだろう。ただのイケメンに、そこまで惹かれないと思うんだよね。顔は、大事だけど。
整った容姿と、清潔感のある格好。
年が若い事を気にしていて、威厳が出るようにと撫でつけられている髪。
タマちゃんと全力で遊ぶ、年相応の姿。
廷臣法官長であるために、王族であるためにと努力する姿勢。
紳士的に触れる時は一言断りを入れるのに、緊急時にはその時間を飛ばして守ってくれる。
その時を思い出し、自分で自分を抱きしめた。
……やっぱり、レオンハルトさんの事が好きだ。
でも、レオンハルトさんは義務を果たしているだけ。そこに、それ以上の期待をしちゃいけない。
気持ちを切り替えるために、大きく深呼吸をした。
わたしの方針は変わらない。わたしが抱えた気持ちが、本人にも周囲にもばれないようにする。
そんな決意を改めてしてからの数日。わたしは自分が想像していたよりも、レオンハルトさんに冷たく当たっちゃっていたかもしれない。
ギスギスとした空気、かどうかはわからないけど、朝食が終わった頃に大公様が訪問してきた。
「アンネさん、ちょっと良いかね?」
「あ、はい。どうぞ」
扉のノックと同時に声をかけられ、扉を開けに行く。大公様の背後には、わたしの様子を窺っているらしいお城の人達がいた。兵士、メイド、給仕係等々。そこそこの人数の人達がいる。
疑問に思いつつ、大公様を室内へ招く。でも、それはできないと固辞されてしまった。
「えぇと、大公様。どのような用件ですか」
「城の者達から相談を受けての……アンネさんは今日休みだと聞いたのじゃが、何か用事はあるかの」
「いいえ。特に急ぐ用事はありません」
「良かった。では、ちと協力してくれないかの」
「協力?」
曰く、今朝から大公様の老眼鏡がなくなってしまっているらしい。三十年前に逝去されている王太后様から贈られた、思い出の品なんだって。それは見つからないと心細くなるよね。
「わかりました。わたしで力になれるなら、ご協力します」
「そうか! ありがとう、アンネさん」
大公様が満面の笑みを浮かべる。その瞬間、周囲にいた人達もガッツポーズをしたような……? 気のせいかと思ってもう一度そちらに目を向けたら、もう散開していた。
首を傾げつつ、大公様について行く。
以前大公様と遭遇した、中庭の奥に離宮があるらしい。王宮内という事で、わたしの護衛は最小限の人数だ。
白の宮殿というような建物は、所々に緑のアクセントが入っている。レオンハルトさんの部屋もそうだったけど、瞳の色をアクセントに使うのかな。
「こっちじゃ」と案内されたのは、離宮の中の一室。日当たりが良く、手入れされた庭が見える部屋だ。
「ここはあいつが気に入っておっての……ここで暮らすタマを見ながら、昔を思い出すのじゃ」
「そうだったんですね。鉤尻尾の猫ちゃんは、その尻尾で幸せを引っかけてくるっていう言い伝えみたいなものがありました。きっと良い事がありますよ」
「それならば、すでに幸せを感じておる。ヴァランタンが今、平和である事が何よりの幸せじゃ」
大公様が、わたしを見て目を細める。それはまるで、わたしの未来を案じてくれているような気がした。
も、もしかして、大公様にわたしが抱える気持ちってばれているのかな。それは、まずい。
「さ、さて。それでは捜しますね」
「わしはリビングにおるから、二人で協力してよろしく頼むぞ」
「え、二人……?」
ガチャリと開けられた扉の先に、なぜか頭に猫じゃらしの玩具をつけているレオンハルトさんがいた。
「レオ。アンネさんと仲良く、わしの眼鏡を捜しておくれ」
「は、はい。わかりました」
レオンハルトさんに声をかけると、大公様は部屋を離れてしまった。その後ろ姿は心なしかスキップをしているような足取りの軽さがある。
……嵌められた。
気を持ち直して部屋へ入ろうとして、ハッとなって即座に入室して素早く扉を閉める。
「ア、アンネ殿??」
「あ、すみません。猫ちゃんって部屋の外に飛び出しちゃうので、すぐに閉めないといけないんです」
「なるほど。確かにタマは元気な猫だ。アンネ殿は猫を飼っていたのか」
「実家で飼っていたんです。しょっちゅう家から飛び出して、数日帰ってこない事もありました」
「猫殿は無事だったのか」
「ふふっ。無事でしたよ」
タマちゃんはタマなのに、わたしに関わる猫だから猫殿って……。
お腹と口に手を当てて、くつくつと笑ってしまう。ツボにはまっちゃって、しばらく笑いが止まらなかった。
笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を指で拭うと、レオンハルトさんが目を細めてこちらを見ている事に気づく。その視線がいつもより柔らかくて――思わず、目をそらしてしまった。
「ンンッ。で、では、大公様に頼まれた通りに老眼鏡を捜しましょうか」
「ああ。そうしよう」
部屋の中は、タマちゃんが愛されているなぁと思えるような空間だった。部屋全体の壁伝いにぐるぐると回れるように、高さの違う段や穴の空いた箱が設置されている。手作りしたと思われる玩具もたくさんあるし、爪研ぎに利用されてしまったボロボロのソファや椅子もあった。
「んなー!!」
「ん、どうしたのタマちゃん」
タマちゃんが元気な声を出して近づいてきた。その足元には、棒の先に細かく分かれた革がつけられている玩具がある。
「新入りはこれで遊べ!」と言っているかのように、前足を乗せて誇らしげな顔をしていた。
「おぉ、遊ぶ?」
「アンネ殿。今は遊びよりも眼鏡を捜さなければいけない」
「この部屋に大公様の老眼鏡があるなら、その行方はきっと、タマちゃんが知っています。それなら、まずタマちゃんを知らないといけません」
話ながら、レオンハルトさんの頭に玩具があるよと指差す。どんな捜し方をしたらそんな事になるのかわからない。だけど、わたしに指摘されて玩具を手に取ったレオンハルトさんも、不思議そうな顔をしていた。
「おーしっ。タマちゃん、行くよ?」
「んなー!!」
タマちゃんが持ってきた棒を持ち、ゆらゆらと揺らし始める。それを目で追うタマちゃんの動きを見ながら、広い部屋を使って全力で遊び始めた。
タマちゃんが疲れたら休憩し、またせがまれたら遊ぶ。そんな事を繰り返していたら、タマちゃんの行動パターンが見えてきた。
タマちゃんは身体を休める時、高確率でソファの中に潜り込む。複数人掛けのソファの座面と座面の間に、タマちゃんがすっと入れるくらいの穴が空いていた。今も、そこに隠れている。
「レオンハルトさん! きっとここがタマちゃんの宝物を隠してある場所ですよ!」
「なるほど、ソファの中か。朝から捜しているが、そこは盲点だった」
幸いにもその座面は外せるタイプだったから、レオンハルトさんが座面に手をかける。
「うっ」
「大丈夫ですか!?」
ニュッと伸びてきたタマちゃんの爪が、レオンハルトさんの指先を引っかいた。でもめげないレオンハルトさんが再び挑戦しようとする。
「待ってください! わたしがタマちゃんを誘い出します!」
タマちゃんが夢中になっていた棒を持ち、ソファの近くでわざと音を立てる。何度か繰り返していると、様子を窺うようにタマちゃんが顔を出す。
わたしはソファから少し離れた所に棒を持っていき、誘うように揺らした。その誘いに乗ったタマちゃんが、ソファの中から飛び出す。
「今です!」
「任された!」
こうして、二人の連携によって大公様の老眼鏡を発見できた。
「やりましたね! 任務成功です!」
棒にじゃれつくタマちゃんと遊びつつ言ったけど、レオンハルトさんの反応がなかった。心配になって顔を見ると、何か思いつめたように大公様の老眼鏡を見つめている。
その表情は鬼気迫るような気迫があった。
――その気迫に尻込みしてレオンハルトさんから話を聞かなかった事を、わたしは後悔する事になる。




