055件目 自主性と自己中
胸の奥に感じる重みに落ち込んでいると、レオンハルトさんが次の契約について話してくれた。
「神々と契約した、第三の項。赤の契約は『星渡人の自主性を重んじる事』だ」
「自主性……?」
「星渡人がやりたいと思う事を思う存分やらせよ、という解釈だと思っている」
「やりたいと思う事を……」
そんなの、わたしの中では決まっている。でもそれを言うのは、レオンハルトさんから人生の選択を奪ってしまう。
呼吸が浅くなり、とっさに手を胸に当てる。その瞬間、レオンハルトさんからの視線が刺さった。仮面魔法は、表情しか誤魔化せない。
「アンネ殿? 体調が悪いようだったら……」
「違います! 大丈夫です」
「そ、そうか。それならば良いが……」
レオンハルトさんが、心配そうにわたしを見ている。その姿を見て、わたしはすぐに胸から右手をどかした。
足の上で手を組むようにして、右手を握りしめる。本当は机の下でそうできたら一番良かったんだけど。ソファに高さが揃えられている机は、手を隠せるほど高くない。
「星渡人の幸福度について考えないといけないですね。わたしの幸せかぁ……何が良いだろう」
「ヴァランタンの全土を上げて、アンネ殿が幸せだと思ってもらえるように努力する」
「はは、規模が大きいですね」
仕草や身体の反応に気をつけなきゃいけないとはいっても、やっぱり仮面魔法は便利だ。わたしの視界はにじんでいると感じるのに、レオンハルトさんからはさっきみたいに直接的な言葉を聞かない。
「そういえば、星渡人の自主性を重んじる事という項目ですけど……それがあるなら、なぜわたしは最初に軟禁されていたんでしょうか」
「やりたい事をしてもらう、という点では少し違ったかもしれない。ただあの時近くにいた私に契約違反の兆候がなかったのは、恐らくアンネ殿が納得してくれていたからなのではないかと思っている」
「納得、ですか」
「星渡人の自主性を重んじる事。それはすなわち、星渡人に無理強いはしない事と同義だと思っている」
「確かに。突然連れて行かれて訳わからなかったですけど、そんなものかなと思っていた節はあります」
「あの時、深い説明をせずに行動してしまっていた事。ここでお詫びをする」
「良いですよ! レオンハルトさんが頭を下げる事じゃありません!」
「今後、アンネ殿の幸せを全力で支援する。どんな些細な事でも、積極的に言うように」
「はい……」
契約違反にならないように、レオンハルトさんが言葉を選んでいる。それが、精神的な距離に感じてしまう。
わたしがしたい事。それはレオンハルトさんと両想いになる事。デートをする事。……生涯の、約束をする事。未来の、話をする事。
でもそれは、一つも叶えられない。気持ちですら、隠していかないといけないから。
星渡人の自主性を重んじろと契約にある。でも、わたしの願いを叶えるのはただの自己中だ。好きな人と同じ時間を過ごしたいという、わがままな願い。
好きだからこそ、レオンハルトさんの人生を奪いたくない。
左手の下で、グッと右手を握る。
「……そうだ。一つ思いつきました。以前の星渡人と被ってしまうかもしれませんが、もしかしたら美味しいご飯を食べたら幸せかもしれません」
「なるほど。すぐに用意しよう。どういうものが好みだろうか」
「正直、食べられれば良いと思っていたぐらいなので……自分の好みを把握できていないんですよね。ちなみにレオンハルトさんはどんなものが好みですか」
「そうだな……私も、食にこだわってはいない。出された食事に礼を尽くしいただくだけだ」
「それなら、レオンハルトさんも好みの味を捜してみましょうよ。(わたしと一緒に)」
にこやかに話しながらも、最後の言葉は心の中に留めた。できれば二人で食事して、疑似デートみたいな事をしたい。でもそれはわたしの自己満足だ。
それに、わたしが言ったらレオンハルトさんは拒否できない。そんな、奴隷のような扱いなんてしたくない。わたしの言葉全てに従え、なんて。どこの女王様だよ。
「では、早速今日の昼から試していこう。ヴァランタンの食事が、アンネ殿に幸せをもたらすように努力する」
「まぁ、そんなに気を張らずに。気軽に捜していきましょう」
「そうはいかない。アンネ殿の幸せには、ヴァランタンの未来がかかっている」
「そう、ですよね。そりゃそうだ。わたしも、自分の好みが何かを捜してみますね」
目が潤んでいるような感覚がある。涙を流しちゃったらばれちゃうけど、今のわたしは仮面魔法のおかげで笑顔を見せているはずだ。
レオンハルトさんと、もっとずっと話したい。でも話せば話すほど、契約を履行しているという義務感が漂ってくる。
昼食まで時間があるという事で、レオンハルトさんは書類仕事を片付けに行ってしまった。
わたしはとても仕事をする気分になれず、部屋で休む。今はグラディア姉弟も休んでいる。部屋から出ないと約束して、兵士の人達には部屋の外で仕事をしてもらった。
「……ふぅ」
久しぶりの、完全に一人の時間だ。だから人目も憚らずにベッドにダイブする。でも掛布に顔を埋めても、胸の奥の重さは消えない。それどころか逆に、ふわふわな布団がわたしの身体を押しつぶしているように感じた。
ごろんと、仰向けになる。
「……表情を装えるから、次は身体の仕草なんかも隠せるようにしようかな。精神的な安定のために」
指定したタイミングで、指定した姿勢を取っているように見えるオノマトペってないかな。例えばさっきみたいに、胸が苦しくなって手を当てても、表面上は動かしていないように見えるとか。泣いても、ばれないとか。
「んー……顔とか一部ならいけたけど……身体全体は難しいかなぁ」
適切なオノマトペが思いつかない。今後のために必要になってくるだろうから、思いつけるように考えておこう。
そう思っている内に、瞼が重くなってくる。ちょっと休もうと思って、目を閉じた。
+ + +
扉を叩く音がする。ちょっとのつもりが、どうやら大分寝ちゃったみたい。
「アンネ殿? 体調が悪いのだろうか」
「い、いえ! 大丈夫です!」
心配をかけないように、素早くベッドから出る。鏡で服のシワとか髪の乱れなんかをチェックして、扉を開けた。
「お待たせしました」
「もし疲れているのなら」
「いいえ! 元気ですよー。お昼ですよね? せっかく用意してくださったんですから、早くいただきましょう」
本来、王族が食事をする部屋は決まっているらしい。でもそれぞれが忙しい事もあるから、指定された場所へ持っていくようになっているんだって。それで、応接室に運んでもらったみたい。
中へ入ると長机が一つ追加されていて、二つ分の机にずらりと料理が並べられている。それは一人分と言うには量が多い。
高さの合わない机の横には、その机用の椅子もあった。
「レオンハルトさんも一緒に食べてくれるんですか」
「手間はなるべく省きたいから、私の分も運んでもらった」
「さすがですね。お城で働く人達の事も考えているなんて素晴らしいです」
ソファよりも椅子に座った方が食べやすいと思い、そちらへ向かう。するとレオンハルトさんが、流れるような仕草で椅子を引いてくれた。
「あ、ありがとうございます……」
「礼には及ばない。早速、好みを捜していこう」
わたしが座った事を確認すると、レオンハルトさんは斜向かいに腰を下ろした。
くぅ……。動きがスマートだ。しかも、それをさも当然かのように振る舞う。照れちゃったけど、仮面魔法で表情を繕えていたはず。
食事をするからか、応接室には給仕係の人がいる。侍女というより、メイドさんって感じ。その人達が、我々は空気ですというような感じで壁際に控えていた。
用意されていた食事は、肉料理みたい。ヴァランタンは良いよね。焼くだけで塩味のあるステーキになるから。
レオンハルトさんを見ると、すでに食事を始めていた。ナイフとフォークを持って、一切音を立てていない。さすが王族。マナーが完璧。
わたしも食べるかと、ナイフとフォークを持った。かなり気をつけたけど、ナイフがお皿に当たってカチャ、と音が鳴る。
……恥ずかしい。レオンハルトさんは、完璧なのに。
これ以上音を立てないように、より慎重にナイフを動かす。でも、どうしても音が出てしまう。
「アンネ殿。マナーに関しては深く考えなくても良い。今は食事から幸せを得られるか検証中だ。こだわりすぎると、それだけで幸福度が下がる」
「そ、そうですね」
義務感満載。それが悲しくなるけど、落ち込んでばかりじゃいられない。この食事だって、わたしの事……契約履行の事を考えて用意してくれたんだから。落ち込む時間があったら、わたしが幸せを感じられるように好みを捜さないと。
意を決して食べ始めようとした。でも視線が、どうしてもレオンハルトさんに行ってしまう。
ナイフとフォークを持つ、筋肉質な手。その手が持つ、フォークに刺さる肉の行方を追う。
「ッ――!」
「アンネ殿? 何かあったのか」
「い、いえっ」
「全く手をつけていないようだが、昼の献立は好みではなかっただろうか」
「い、いえっ。いただきます!」
マナーとか応接室にいる人達の視線とか、そういうものを考えずにステーキを頬張る。もきゅもきゅと急いで食べているから、正直味はよくわかっていない。
そんな中で視線を感じ、目を向ける。
「ッ!? ぐっ……」
「アンネ殿。焦って食べる事はない。水を飲むんだ」
まるで見守るような優しい目をしていたレオンハルトさんと目が合ってしまい、思わず喉を詰まらせる。背後に回り、今までのように「失礼する」と一声かけて背中をさすってくれた。その手つきは優しかったけど、続く言葉はわたしの心に棘を刺す。
「私がいるとアンネ殿は焦ってしまうようだ。次からは別で食事をする事にしよう」
告げられた言葉は、どこか事務的に聞こえる。
胸の奥が、ずしりと沈む。フォークを握る指に、力が入りすぎていた。強く握りすぎて、関節が白くなっている。
「アンネ殿?」
「……部屋に、戻りますね」
立ち上がった瞬間、椅子の脚が床に小さな音を立てた。自分で出した音なのに、驚いたように肩が跳ねる。
部屋に戻りながら、振り返った。でも当然ながら、レオンハルトさんが追いかけてくる事はない。だって、星渡人の自主性を重んじないといけないから。




