第五話 土崩瓦解
ガシャン......
ガシャン......
ガシャン......
片洞門の前、その音はもはや足音ではなかった。
山そのものが、奥から押されて軋んでいるような響きである。
観音丸は片洞門の上空にあって、肩で荒く息をしていた。
薙刀を握る手は震え、手元から放つ光も、先ほどまでの冴えを失いつつある。
眼下では、四体目の怪物が半ば洞門へ身を差し入れ、五体目がその後ろから押していた。
さらに後ろには、灰色の影が幾つも幾つも折り重なるように続いている。
瀞具法師を除いた有志たちは、いよいよ力尽きようとしていた。
その時、観音丸の視界に、山道を登ってくる一団が目に入った。
通報からそれなりの刻は経っている。
ようやく、郷と郡が差し向けた軍勢が追いついたのだ。
完全武装した兵の一団。数は多くない。だが、幾人かの大兵も混じっている。
先頭を進む大鎧の大将が、大弓を片手に号令をかけると、随う軽装の軍兵たちが一斉に駆け出した。
そして、有志たちを押し退けて、丸太に取り付いた。
「ここまで、ようやった! 後は儂らに任せよ!」
瀞具法師は叫んだ。
「口だ、卵のような頭だ! そこが彼奴等の急所だ!」
「応っ!」
ズシン、ドシン
丸太の打撃音は、息を吹き返したかのように、重く響き出した。
それでも、丸太は、先ほどまでのようには前へ出ない。
むしろ、岩を打っているかのように弾き返されている。
ズズズズ......
四体目の怪物は、丸太の打撃を受けながら、口を固く閉ざして這いずり進む。
それを後ろの五体目が押す。
その後ろをさらに六体目が押す。
その圧力を受けて、巨体がさらに奥へ奥へとずりずりと進む。
巨体は蛇行し、轟音を立てて、壁やら天井を叩きつける。
岩が剥がれ、バラバラと辺りに降り散った。
一方で七体目は、片洞門の上へと登り切った。
そこは恐ろしい程の急斜面だ。
バラバラと砂礫が崖下へと落ちるが、張り付くように這いずり進んでくる。
「皆! 下を抑えて! 僕は上を止める!」
「承知!」
観音丸は上昇したかと思うと、片洞門の上を這う怪物の天辺に、渾身の力で薙刀の一撃を与えた。
ゴポッ、プゴ......
聞くに悍ましい音を立てると、地滑りのような音を響かせ、大量の土砂ともども崖下へ転落していった。
それでも尚、片洞門の上へと伸びてくる枝がある。
観音丸は手元から光を連ねて撃ち込んだ。
ぱしっ。
ぱしっ。
枝の先が弾け飛ぶ。
だが、一本落としても、また一本。
二本落としても、また二本。
(きりがない......!)
その隙にも、洞門前への圧力は増していく。
ぎり......
みし......
洞門や山壁の岩肌が、大きく鳴いている。
怪物の力はそれほどのものだ。
「......ん?」
観音丸は、ふと気が付く。
怪物は前へ前へと押し進んでいる。
後続は前の状態など構いもしない。前が詰まっていようが、死んでいようが、進め進めと背中を押す。
前後に挟まれ押し出されて、仲間の背に乗り上がった個体も出てきている。
(詰まれば、止まる!)
「法師さん!」
観音丸は叫んだ。
「止めるんじゃない! 詰まらせるんだ!」
瀞具法師の目がぎらりと光った。
「ほう......そういうことか!」
そして、たちまち吠える。
「聞いたか、兵ども! ここは止めるにあらず! ここで詰まらせるのだ!」
瀞具法師は両の腕を丸太へ回した。
その太い背が、ぐぐっと低く沈む。
「あと一押し! この一押しで、山の喉元を塞ぐ!」
「「「おう!」」」
軍兵の意気はまだ軒昂だ。
力が弱まった者を、次々と交代させているのだ。
単純に怪物に力負けしているだけで余力はある。
だが、押し込める刻は、もう長くはなかった。
「ぬうぅぅぅん......!」
瀞具法師は全身の骨が軋むほどの力を込める。
それに合わせ、兵たちも全力を振り絞った。
丸太が、じりっ、と前へ出る。
四体目の怪物は硬く口を閉ざしたまま、低く唸った。
その顔面の中心へ、丸太の先端がごりごりと食い込んでいく。
ぎゃりりっ。
銀色の牙が、閉じた口の内側で無理やり噛み合い、削れ、砕けた。
フモォォォォォ――ッ!
爆音の如く音を立てて怪物が暴れた。
洞門の内壁へ枝や巨体が叩きつけられ、石片がバラバラと降る。
架台がひしゃげる。
丸太がわずかに浮く。
「押せぇぇぇぇ!」
瀞具法師が吠えた。
「ここが"喉"だ! 喉を塞げ!」
さらに一押し。
丸太がずぶりと食い込んだ。
ぐしっ。
今度は確かな手応えがあった。
硬い殻のようなものを破り、その奥の柔らかなものを潰した感触。
怪物の頭が大きく歪む。
首元が折れ曲がり、四体目の巨体は洞門の途中でぐたりと崩れた。
しかも、それは崖下へ落ちなかった。
横倒しになったまま、洞門の内壁と床に噛み込むように引っ掛かったのだ。
「......止まった」
誰かが呟く。
だがそれは勝利の静けさではなかった。
ガシャン。
ガシャン。
ガシャン。
五体目が押す。
六体目が押す。
後ろの列が、止まれぬまま前へと圧を掛けてくる。
ずる……
四体目の死骸が、洞門の石を削りながら、ほんの僅かに前へ滑った。
「いかん!」
瀞具法師が叫ぶ。
「死んでも流れるぞ、こやつ!」
観音丸は上空からそれを見て、背筋を冷たくした。
詰まりかけている。
だが、まだ足りない。
このままでは、死骸ごと押し流される。
(もう一体......もう一体、楔が要る)
観音丸は高く息を吸う。
肺が痛い。
胸の奥が焼けるようだった。
だが、ここで止まれば終わる。
片洞門の上へ登らんとする八体目が伸ばした枝が、再び頭上へ迫っていた。
観音丸はそれを無視した。
「っ……!」
薙刀を握り直し、一気に上昇する。
視界が滲む。
それでも無理やり高度を取り、五体目の真上へ回り込んだ。
五体目は、四体目の死骸に鼻先を押しつけるようにして前へ出ている。
その天辺――卵形の口は、まだ半ば閉じていた。
(閉じてるなら、こじ開けるまで!)
観音丸は急降下した。
風が耳を裂く。
薙刀の刃が光を帯びる。
そのまま、怪物の天辺へ渾身の一閃を叩き込んだ。
ぎちっ。
嫌な感触。
硬い殻に食い込んだが、浅い。
「くっ!」
その時、横から枝が唸りを上げてきた。
避けきれない。
どんっ!
脇腹を打たれ、観音丸の身体は大きく弾き飛ばされた。
断崖すれすれまで落ち込み、空気を掴むようにもがいて、どうにか持ち直す。
視界が揺れる。
吐き気がこみ上げた。
(この身体、限界も近い......!)
だが、五体目の天辺には、確かに傷が入っていた。
殻の裂け目から、黒い汁のようなものが溢れている。
(もう一度......今なら入る!)
観音丸は歯を食いしばった。
「う、らぁっ!」
今度は光を放つ。
今度は五体目の天辺、先ほど斬り割った裂け目へ集中させて撃ち込む。
一本。
二本。
三本。
裂け目が広がる。
五体目が苦しげに頭を振った。
そして、ついにその天辺の口が、大きく開いた。
「今じゃあああ!」
瀞具法師が吠えた。
兵たちが、半ば倒れ込むように丸太へ体重を預ける。
瀞具法師もまた、全身を投げ出す勢いで押し込んだ。
丸太の先端が、五体目の口へ深々と入る。
ゴゥッ、グハァッ!
五体目が仰け反る。
だが後ろからは六体目が押してくる。
さらにその後ろの列が、止まれぬまま押してくる。
前へ。
前へ。
前へ。
その圧力に耐えきれなくなったのは、怪物ではなかった。
片洞門そのものだ。
ミシッ、ビキッ、ゴゴッ......
山壁が揺れ、片洞門と、山壁の間と思しき所に太い亀裂が走る。
観音丸の目が見開かれた。
(っ!、あそこだ)
一瞬で決める。
残った力を、すべてそこへ。
観音丸は亀裂へ向け、手元から最後の光を束ねた。
今までのような乱射ではない。
鋭く、一本の杭のように。
「......ここだぁっ!」
閃光が、亀裂へ突き刺さる。
ズゴ......
手応えがあった。
次の瞬間、亀裂は一気に延びた。片洞門よりさらに遠くへのびた。
バキ、メキ、ゴゴゴゴ......
片洞門が、息をするように軋む。
「全員離れろぉぉぉぉ!」
瀞具法師の大音声が山を打った。
直後、横から潰されるように天井の岩塊が落ちた。
一つではない。
二つ、三つ、さらにその奥から、崩れた石が滝のように叩きつけ地を揺らした。
四体目の死骸。
五体目の首。
丸太。
それらすべてが一つの塊となって、洞門の中で噛み合う。
崩れ始めたのは片洞門だけではなかった。
山壁の上から、バラバラと山道に砂礫が流れ始めた。
そして、間もおかずに、
ドドドドド......
巨石をも軽々と運ぶ地滑りが起きた。
こんな細い山道など一溜まりもない。
埋まり、削られる。
グシャ。
バキッ。
メキメキッ。
列を作って進んでいた怪物の巨体は、これをまともに受け止めた。
灰色の幹が折れる。
枝が絡む。
閉じた口が潰れる。
「......落ちるぞ」
誰かが呆然と呟いた。
その通りだった。
膨大な土石を堰き止めるかとも思われた怪物どもは、ついに崖側へと押し出されたのだ。
地面が、ずるりと大きく滑り、傾いたように見えた。
次の瞬間、道は断崖と化した。
轟音。
灰色の塊が、枝を絡ませ、幹を折り重ね、列の形を失ったまま崖下へ流れ落ちていく。
六体目。
七体目。
八体目。
その後ろの列も、山壁と道の崩落に巻き込まれる。
ガシャン......
ガシャン......
ガシャン......
その音さえ途中から、轟音の中へ吞まれていった。
観音丸は、空中でその光景を見下ろしていた。
倒した、のではない。
流れた。
灰色の怪物どもは、片洞門という山の喉元でつかえ、押し合い、自らの力で周囲を破壊し、そのまま崖下へと押し流されたのだ。
ようやく、音が遠のく。
残ったのは、細かな石の転がる音と、土煙だけだった。
観音丸はふらりと傾いだ。
もう、飛び続ける力も残っていない。
どうにか瀞具法師の傍へと降り立つ。
膝が砕けるように折れ、その場へ崩れた。
「はぁ……っ、はぁ……っ……」
喉が焼ける。
胸が痛い。
手から、薙刀が滑り落ちた。
瀞具法師もまた、腰をついて座っていた。
兵どもや有志たちも、その場へへたり込み、ある者は仰向けに寝転び、ある者はひたすら咳き込んでいた。
誰も、すぐには歓声を上げなかった。
ただ、崖下を見ていた。
やがて瀞具法師が、絞り出すように言った。
「......通さなんだな」
観音丸は、声もなく頷いた。
その時だった。
崩れ果てた道の向こう側、遥か遠くから
ガシャン......
という音が聞こえた気がした。
観音丸の目が、すっと細まる。
(......全部じゃなかったの?)
しかし、確かめるだけの力は残っていなかった。
土煙の向こうでは、なおも小石が、ぱらぱらと崖下へ落ちていた。




