↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
友情と呼ぶには、足りなくて  作者: 久遠 睦


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/46

第三十八章 二つの部屋のあいだ

婚姻届へ最初に文字を書いたのは、俊介だった。

 日曜日の午後。東京の自分の部屋。窓の外では、雨が細く降っていた。

 真尋は向かいの椅子へ座り、白い用紙を見ている。

 夫になる人。妻になる人。住所。本籍。父母。続き柄。同居を始めたとき。証人。

 紙の上では、二人の関係をいくつかの欄へ分けられる。

 名前を書く。生年月日を書く。住所を書く。それだけで、夫婦として登録される。

 だが、ここへ来るまでに二人が話したことは、どの欄にも収まらない。

 大阪と東京。同じ家へ毎日帰らないこと。真尋が一人で過ごす部屋を残すこと。俊介が東京の仕事を続けること。子どもを持つことを、今は約束しないこと。友人との関係。母。葵。

 結婚しても、それぞれの生活を消さないこと。

 婚姻届には、そのどれも書かれない。

     *

「先に書きます」

 俊介が言った。

「はい」

「僕の名字を変える欄も、確認しました」

「本当に、私の名字へ?」

「はい」

「後悔しませんか」

「手続きは大変だと思います。仕事では旧姓を使えるよう、会社へ確認しました。公的な書類は、水口になります」

 俊介は吹き出した。

「水口俊介」

 声に出す。真尋は、まだ耳へ馴染まない名前を聞いた。

「変ですか」

「変ではありません。でも、慣れない」

「僕もです」

     *

 名字については、何度も話した。

 真尋は、今の名前を変えたくない。部長として仕事を始めたばかり。名刺。契約。社内外の関係。

 それだけではない。

 水口真尋という名前で、自分の人生を作ってきた。父との関係が完全に良かったわけではない。それでも、今は父から与えられた名字ではなく、自分が使い続けた名前になっている。

 俊介は、その気持ちを受け取った。

『なら、僕が変えます』

 最初は、簡単に言いすぎていると思った。

 だが俊介は、会社へ確認し、銀行や免許証の手続きを調べ、必要な書類を一覧にした。面倒。時間。周囲からの質問。

 それらを知った上で、

『僕が選びます』

 と答えた。

 真尋は何度も、

「私のために」

 と言いかけた。そのたび俊介は、

『僕の選択です』

 と言った。

     *

 俊介が黒いペンを持った。氏名。生年月日。住所。本籍。書き進める。真尋は見ている。

「緊張します」

 俊介が言った。

「間違えないでください」

「そこですか」

「書き直しになるので」

 二人の間に短い笑いが起きた。

     *

 俊介が書き終え、ペンを真尋へ差し出した。

「どうぞ」

 真尋は受け取った。

 自分の欄。水口真尋。書き慣れた名前。結婚後も変わらない。

 それでも、この紙へ書く水口真尋は、これまでとは少し違う。

 誰かの妻になる。その言葉は、今も完全には馴染まない。

 妻。夫。家族。

 真尋はペンを止めた。

「大丈夫ですか」

 俊介が尋ねた。

「はい」

「やめますか」

 真尋は俊介を見た。

「今、止めても?」

「はい」

「怒りませんか」

「悲しいです。でも、止めません。真尋が、自分で書ける時に」

 俊介は紙へ手を伸ばさない。急かさない。

 真尋は一度、息を整えた。

 名前を書く。生年月日。住所。本籍。ペン先が紙の上を進んだ。

     *

「同居を始めたとき」

 欄の前で、二人はまた止まった。

「始めていません」

 真尋が言った。

「はい」

「この欄、どうしますか」

「結婚式を挙げた日か、同居を始めた日」

「どちらもありません」

「空欄でよいようです」

「私たちらしいですね」

「空欄が?」

「同じ家へ住み始めた日がない夫婦」

 俊介は笑い、寂しそうにした。

「将来、あります。東京で二人の家を作る日」

「はい」

「その日が、遅れて来る」

「はい」

     *

 証人欄は、互いの母に頼むことへ決めていた。俊介の父は亡くなっている。真尋の父も。

 二人の母が、一人ずつ署名する。

 先週、真尋は母へ婚姻届を持っていった。母は紙を見た後、すぐには書かなかった。

『本当に決めたの?』

「はい」

『大阪は?』

「続けます」

『同居しないの?』

「東京へ戻る間は、一緒に過ごす日を増やします」

『でも、毎日じゃない。結婚する意味、ある?』

 母の問いには、責める響きはなかった。理解できないという正直さ。

「同じ家へ毎日帰るためだけではありません。病気。お金。親。将来。一緒に責任を持ちたいです」

『でも、一人の部屋は残す。葵ちゃんとも会う。仕事も続ける』

「はい」

『俊介さんは、それでいいの?』

「話しました」

『我慢してない?』

「しています」

『え?』

「私もです。我慢がない関係ではありません。でも、相手のせいにしないよう話しています」

 母は長く婚姻届を見た。その後、ペンを取った。

『私には、まだわからない。でも、真尋が考えて決めたことはわかる』

「ありがとうございます」

『家族だからって、自分を後回しにしないでね』

 母が書いた名前の横に、少しだけインクが滲んだ。

     *

 俊介の母は、息子が名字を変えると聞いた時、驚いた。

『そこまでしなくても』

 電話の向こう。

『真尋さんが変えてもいいでしょう』

「真尋は、今の名字を仕事でも生活でも大切にしています」

『あなたは大切じゃないの?』

「大切です」

『なら』

「僕が変えると決めました」

『向こうへ入るみたい』

「結婚です」

『でも、うちの名前が』

 俊介は、その言葉に少し傷ついた。

 自分の名字。父。母。家。変えることで、過去がなくなるわけではない。

 それでも母にとって、名字は家族のつながりだった。

『お父さんが生きていたら、何て言うか』

「わかりません」

『私は、少し寂しい。真尋さんに変えろとは言わない。でも、すぐには喜べない』

「わかりました」

 俊介は、母へ理解を迫らなかった。

 数日後、母から連絡が来た。

『証人欄、書きます』

「ありがとうございます」

『名字が変わっても、私の息子でしょう。でも、書く時は少し泣くと思う。見ないで』

 俊介は母の家へ行き、別の部屋で待った。

 戻された婚姻届の証人欄には、丁寧な字で母の名前が書かれていた。

     *

 今、四人分の署名がそろっている。あとは提出日。

「いつにしますか」

 俊介が尋ねた。

「二拠点生活の開始日より前? 後?」

「どちらがいいですか」

 真尋は婚姻届を見た。

 二拠点勤務開始は、三か月後。それまでは大阪常駐。月に数回、東京へ戻る。

 結婚すれば、すぐに生活が変わるわけではない。俊介の名字。会社への届出。緊急連絡先。公的な関係。

 だが、物理的な距離は残る。

「二拠点開始の日に近づけすぎたくありません」

 真尋が言う。

「なぜ?」

「仕事の制度と、結婚を一つにしたくない。結婚したから二拠点になったのではありません。二拠点のために結婚するのでも」

 俊介は頷いた。

「では、その前。来月?」

「はい」

「真尋が東京へ戻る週末」

 予定表を見た。母。葵。仕事。俊介。

 何も入っていない土曜日が一日ある。

「この日」

 俊介が指した。

「午前に提出。その後は? 特別なことをしますか」

「一緒に昼食」

「夜は?」

「同じ部屋で過ごします。翌日は、自分の部屋へ戻るかもしれません」

 俊介は一瞬、寂しそうな顔をした。

「婚姻届を出した翌日に? 夫婦になった最初の日曜日。一緒にいたいです」

「はい」

「希望です。真尋は?」

 真尋は考えた。

 婚姻届を出した翌日、一人へ戻りたくなる可能性がある。家族になったことを、自分の部屋で考えたい。

 だが、俊介は一緒に過ごしたい。どちらも正しい。

「午前は一緒に。午後、決めます」

「その日の気持ちで?」

「はい」

「わかりました」

「嫌ですか」

「少し。でも、今から一日中一緒だと決めて、真尋が苦しくなるよりいいです」

「ありがとうございます」

     *

 婚姻届へ提出予定日を小さく付箋で貼った。まだ提出していない。だが、日付は決まった。

 俊介が封筒へ戻した。

「今度は、見えるところへ置きますか」

「いいえ」

「まだ?」

「提出する朝まで、引き出しへ」

 結婚を日常の中央へ置きすぎない。

 仕事。食事。睡眠。友人。母。それらと並ぶ一つの決定。

 大きい。しかし、人生のすべてではない。

     *

 話を終えた後、真尋は葵へ連絡する前に、一人で外へ出た。

 俊介の部屋から、自分の東京の部屋まで歩ける距離ではない。駅までの道。雨は止んでいる。濡れた道路。傘を持つ人。

 婚姻届へ名前を書いた。提出日を決めた。

 葵へ話す。秋田で決めた約束。大きな選択を、決める前に話す。

 結婚する方向であることは、すでに伝えた。日付を決める前にも話すべきだったか。それとも、これは俊介と二人で決めることか。

 真尋は歩きながら考えた。

 葵に許可を求める必要はない。同意も。だが、決めた後に知ることで傷つく可能性がある。

 今、日付は決まった。完全に提出した後ではない。まだ話せる。

 真尋は駅前のベンチへ座り、メッセージを送った。

『俊介と、婚姻届の提出日を決めました』

 すぐに既読はつかない。葵は仕事。全国展開の次の企画。責任者候補研修。

 真尋は待った。

     *

 既読がついたのは、四十分後だった。

『いつ?』

 真尋は日付を送る。

『来月』

『はい』

『土曜日』

『はい』

『私、その日』

 少し間。

『仕事です』

 真尋は、予定表を開いた。

 葵の次の商品企画の社内発表日。以前聞いた。同じ日だった。

『覚えてた?』

 真尋は正直に送る。

『日付を見た時には、気づきませんでした』

 既読。返事が来ない。

 胸が痛む。

 葵にとって大切な日。責任者候補として、初めて新商品案を経営層へ説明する。真尋は聞いていた。

 だが、婚姻届の日を決める時、予定表の色だけを見ていた。葵の予定を、自分の生活の中で同じ重さへ置いていなかった。

 それは当然でもある。結婚の日程を、葵の仕事に合わせる必要はない。

 だが、覚えていなかったことは別。

     *

 十分後。

『その日、変えてほしいって言ったら?』

 真尋は画面を見た。すぐに答えない。

 婚姻届を出す日は、別の日でもよい。意味のある記念日ではない。二人の予定が合う日。

 葵の発表を理由に変えるか。それは、葵を優先することか。俊介との決定を軽く扱うことか。

 真尋は電話をかけた。

     *

「もしもし」

『はい』

 葵の声は硬い。

「今、話せますか」

『十五分。変えてって言ったら?』

「理由を聞きます」

『私の発表。その日に、真尋が結婚したら、私は、発表のことを真尋に話せなくなる気がする』

「なぜ?」

『真尋の日のほうが大きいから。婚姻届。私の新商品案より。真尋は俊介さんといる』

「はい」

『私が成功しても、失敗しても、その日は、話せない。後で聞くって言われる。わかってる』

 葵の声が震える。

『でも、嫌』

     *

「葵は、その日に会ってほしいですか」

 真尋が尋ねた。

『会えない』

「仕事の後?」

『夜まで会食。電話も難しい。でも、結婚した日と同じにしたくない』

「なぜ?」

『私の大切な日が、ずっと真尋の結婚記念日になるから』

 真尋は息を止めた。

 自分の提出日。葵の初めての発表。同じ日。

 毎年、真尋は俊介との結婚を思う。葵は、自分が新しい仕事へ踏み出した日を思う。

 二つが重なる。本来、どちらかが小さくなる必要はない。

 だが葵の中では、真尋の結婚が大きく覆いかぶさる。

     *

「俊介と話します」

 真尋が言った。

『変える?』

「今、約束はできません。俊介にとっても大切な決定です」

『わかってる。私の予定で、結婚の日を変えるのはおかしい』

「おかしいとは思いません」

『でも、嫌。私が一番みたいになる。そうしたい気持ちもある。でも、それで変えたら、後で苦しい』

「はい」

『真尋が決めて』

「わかりました」

     *

 電話を切る。真尋は俊介の部屋へ戻った。俊介は台所で夕食の準備をしている。

「葵さんへ話しました? どうでした?」

「日付を変えてほしいと」

 俊介の手が止まった。

「なぜ?」

 真尋は説明した。葵の新商品発表。同じ日。大切な日が結婚記念日へ隠れるように感じること。

 俊介は黙って聞いた。

「真尋は、変えたいですか」

「迷っています。提出日は、ほかの日でもよい。俊介は?」

「正直に言うと、変えたくありません」

「なぜ?」

「僕たちで決めたからです。葵さんの仕事を軽く見ているわけではない。でも、僕たちの結婚日を、葵さんの予定で動かすのは」

 俊介は言葉を探す。

「僕たちの決定に、葵さんが入るように感じます」

「はい」

「真尋と葵さんの約束は理解しています。大きな選択を話す。でも、日付を決める権利まで共有しているわけではない」

 真尋は頷いた。正しい。葵も、それをわかっている。

     *

「ただ」

 俊介が続ける。

「その日でなければならない理由もありません。僕が変えたくないのは、葵さんへ譲ったように感じるからです。それも、僕の嫉妬です」

「はい」

「結婚前から、葵さんの予定へ僕たちが合わせるのかと思う。でも、真尋が忘れていたことを気にしているなら、話は別です」

     *

「私は」

 真尋は椅子へ座った。

「日付を決める時、葵の発表を忘れていました。覚えていたら、最初から別の日を選んだかもしれません」

「はい」

「葵を最優先にするためではなく、二つの大切な日を、無意識に重ねたくなかった」

「はい」

「でも、今変えると、葵が求めたからに見える。俊介を傷つける。葵も、自分のせいだと思う」

「はい」

     *

 俊介はしばらく考えた。

「次の週は?」

「私が大阪です」

「その次」

「真尋の母との予定」

「午後だけ。午前に出せます」

「日曜日?」

「区役所の休日窓口」

「では、翌週の日曜日」

 俊介は予定表を見た。

「僕は空いています」

「私も」

「変えますか」

「いいですか」

 俊介は寂しそうに笑った。

「葵さんのためではなく、僕たちが、二つの大切な日を重ねないと決めたことにします。それなら、僕も選べます」

「ありがとうございます」

     *

「でも」

 俊介が言った。

「葵さんへは、僕が譲ったとは言わないでください。真尋と僕で決めた。そして、今後、葵さんの予定をすべて確認して日程を決めることはしない。それも伝えてください」

「わかりました」

     *

 真尋は葵へメッセージを送った。

『提出日を一週間後の日曜日へ変更しました』

 既読。

『私のため?』

『葵の希望だけで決めたのではありません。俊介と話し、二つの大切な日を同じ日にしないことを、二人で選びました』

 返事が来ない。

『ただし、今後、私たちの予定を決めるたびに葵の予定を確認することはしません。結婚に関する日程は、私と俊介で決めます』

 既読。しばらくして。

『わかりました』

 それだけ。

     *

 夜、葵から電話がかかってきた。

「もしもし」

『ありがとう。でも、少し苦しい』

「なぜ?」

『変えてもらったから。俊介さんに嫌われる』

「嫌われてはいません」

『怒ってる?』

「嫉妬はしています。でも、俊介も決めました。葵が奪ったのではありません。私が忘れていたことも含めて、二人で考えました」

『うん』

     *

『真尋。私、変えてって言ってよかった?』

「希望を言うことは。でも、毎回通るとは限りません」

『うん』

「今回は、変えました。次は、変えないかもしれません。葵が傷ついても」

『うん』

「それで関係を終わりにしない」

『はい。私も、自分の仕事の日を大切にする。真尋の結婚より小さくしない。でも、結婚の日も、おめでとうって言えるように』

 葵は途中で言葉を止める。

『まだ、練習する』

「練習は必要ありません」

『でも』

「その日に言えなければ、後でも。言えなくても、関係は続けられます。ただ、結婚を否定し続けないでください」

『わかっています』

     *

 葵の新商品企画発表の日。朝から雨だった。真尋は大阪。俊介は東京。婚姻届は、一週間後。

 葵は会社の大きな会議室へ入った。

 責任者候補研修の一環として、自分が企画した新商品の提案をする。

 前の商品と同じ言葉を繰り返さない。全国発売の成功へ寄りかからない。

 自分が今見ているもの。会えない日。誰かに見てもらえない努力。それでも、自分の生活を続ける人。

 葵は、その経験をそのまま商品へすることを避けた。痛みを簡単な物語にしない。何度も考えた。

 出した企画は、小さな朝食商品だった。

 忙しい朝。誰にも見られずに起きる。自分のために一つ食べる。

 言葉は、

『今日を始めた、それだけで。』

 頑張れ。前へ進め。乗り越えろ。言わない。

 起きた。食べた。今日を始めた。その事実だけを置く。

     *

 経営層。南雲。石橋。開発。営業。

 葵は前へ立ち、資料を映した。

「この商品は、努力を評価するものではありません」

 話し始める。

「成果が出た日だけでなく」

 画面。朝。台所。小さな商品。

「誰にも見られていない日にも、自分の生活を始めた人へ向けます」

 質問。

「前の商品と近くないですか」

「休息と開始の違いがあります。前の商品は、迷う人へ立ち止まる時間を渡しました。今回は、何かを成し遂げる前の朝です」

「はい」

「今日を始めたという事実だけを扱います」

「売れる根拠は?」

 営業から。

「朝食市場のデータ」

 葵は数字を示す。単身。在宅勤務。育児。介護。早朝勤務。

「感情だけではありません」

「味は?」

 開発。

「軽い甘さと、少量の塩味。朝に重くない」

「価格は?」

 質問。葵は答えた。すべてを一人で。

 答えられないことは、

「持ち帰ります」

 と言う。

 南雲は後ろで見ている。助けない。

     *

 発表が終わった。質問。修正条件。試作品開発へ進める。

 正式決定ではない。それでも、次の段階。責任者候補として、葵が進行を続ける。

 会議室を出た後、石橋が言った。

「どうだった」

「怖かった。でも、最後まで話せた。前の商品へ似てると言われた」

「似てる」

「はい。でも、違いを説明した」

「通った?」

「試作へ」

「それで十分」

     *

 葵は真尋へ連絡した。

『発表、終わりました』

 真尋からすぐに返事。

『どうでしたか』

『試作へ進みます』

『おめでとうございます』

『責任者候補として、進行を続けます。今日を始めた、それだけで。』

 真尋から少し間。

『新しい言葉ですか』

『はい』

『会った時に聞かせてください』

『はい』

 葵は、胸の中の小さな寂しさを感じる。真尋は大阪。会えない。

 それでも、今日は自分の仕事の日。婚姻届の日ではない。

 真尋が変えてくれたから価値が生まれたのではない。自分が発表したから、大切な日になった。

     *

 一週間後の日曜日。真尋と俊介は、午前九時に区役所の休日窓口へ向かった。

 空は晴れている。特別な服ではない。真尋は紺色のワンピース。俊介はジャケット。

 指輪はまだない。結婚式の予定も。写真館も。花束も。

 婚姻届を入れた封筒。必要書類。本人確認。事前に何度も確認した。

 区役所の前。俊介が言う。

「緊張しています。真尋は?」

「はい」

「やめますか」

 以前と同じ問い。

「やめません」

 二人は中へ入った。

     *

 休日窓口。数組の人。赤ん坊を抱く夫婦。若い二人。年配の男女。それぞれの事情。

 番号札。待つ。真尋は婚姻届を膝の上へ置いた。

「提出したら」

 俊介が言う。

「水口俊介です。不思議です」

「私も」

「真尋は変わらない」

「公的な名前は。でも、変わります」

「はい」

     *

 番号を呼ばれた。窓口。書類を渡す。

 職員が確認する。住所。本籍。証人。署名。

 一か所、俊介の文字が少し読みにくい。

「こちら、訂正を」

 婚姻届の日にも、修正がある。俊介が小さく息を吐いた。

「間違えないでと言われたのに」

 真尋が隣で言った。職員が笑う。

 訂正。印。再確認。

「受理の審査は後日になりますが、本日付でお預かりします。おめでとうございます」

 職員の言葉。二人は頭を下げた。

     *

 区役所を出た。同じ街。空。車。人。世界は変わっていない。

「夫婦になりました」

 俊介が言った。

「審査は後日です」

「でも、今日付。真尋」

「何ですか」

「結婚してくれて、ありがとうございます」

 真尋は困った。

「私も選びました。お礼だけにしないでください」

「はい。でも」

 俊介は思わず笑った。

「一緒に選んでくださり、ありがとうございます」

「こちらこそ」

     *

 昼食は、以前二人で行った小さな洋食店。予約はしていない。少し待つ。

 夫婦になった最初の食事。ハンバーグ。スープ。サラダ。特別ではない。

 俊介が何度も、

「妻」

 と言いかける。

「やめてください」

「なぜ?」

「まだ慣れません」

「僕も、夫と呼ばれたい」

「俊介で」

「はい」

     *

 食事の途中、真尋のスマートフォンが震えた。母。

『おめでとう。提出できた?』

『はい』

 俊介のスマートフォンにも、俊介の母から。

『名前、変わったのね。おめでとう』

 短い。俊介は画面を見て、少し涙ぐむ。

「大丈夫ですか」

「はい」

     *

 葵からの連絡はない。日付は伝えている。今日。知っている。

 真尋は待った。おめでとうを求めない。

 午前中。午後。夕方。俊介と散歩。部屋へ戻る。

 婚姻届を出した後の空の封筒。引き出し。婚姻届はもうない。

 紙が手元からなくなる。関係は、書類の中ではなく、公的な記録へ移る。

     *

 午後五時。真尋は自分の東京の部屋へ戻るか決めた。

 俊介は何も言わない。希望は、朝に伝えた。一緒にいたい。

 真尋は自分の体へ聞いた。疲れている。一人になりたい気持ちもある。

 だが、今日は俊介の部屋で過ごしたい。

「泊まります」

 真尋が言った。俊介の表情が明るくなる。

「でも、午後七時から一時間、一人で過ごします」

「この部屋で?」

「はい」

「僕は?」

「外へ出なくていいです。別の部屋」

「わかりました」

     *

 同じ家にいて、別々に過ごす。俊介はリビング。真尋は寝室。扉を閉めた。

 結婚した日。一人。

 真尋はベッドへ座った。

 水口真尋。変わらない名前。水口俊介。変わった名前。夫婦。

 怖い。嬉しい。

 葵。母。大阪。部長。すべてが同じ日に消えるわけではない。

 結婚したから、すぐに妻らしくなる必要も。家族だから、俊介だけを考える必要も。

 それでも、責任が増えた。今日から。

     *

 スマートフォンが震える。午後七時十二分。葵。

『提出した?』

 真尋は返信した。

『はい』

 既読。少し間。

『おめでとう』

 短い言葉。真尋の目に涙が浮かぶ。

『ありがとうございます』

 それだけでは足りない気がする。だが、何を返せばよいかわからない。

 葵から続く。

『まだ少し嫌』

『はい』

『でも、真尋が選んだこと。俊介さんと。二人で生活を作って』

 真尋は画面を見た。

『はい』

『私の場所も、なくさないで』

 胸が痛む。真尋は慎重に返した。

『なくさないと、一人で約束はできません』

 既読。返事が遅れる。真尋は続けた。

『二人で続けることを選びたいです』

 葵から。

『はい。私も選ぶ』

     *

『今日、会いたい?』

 葵が送った。真尋は考える。

『会いたいです』

『でも、俊介さんといる』

『はい』

『電話は?』

『今、一人で過ごす時間です。十分なら』

 葵から少し間。

『今日はメッセージでいい』

『はい』

『真尋』

『何ですか』

『おめでとう』

 二度目。今度は、少し届き方が違う。

『ありがとうございます、葵』

     *

 午後八時。真尋は寝室の扉を開けた。俊介はリビングで本を読んでいる。

「終わりました? 葵さんから?」

「おめでとうと」

 俊介の表情が緩む。

「よかったです」

「まだ嫌だとも」

「はい」

「それでも」

「聞けてよかったです」

     *

 二人で夕食を作った。昼食が遅かったので、軽いもの。お茶漬け。漬物。

 結婚した日の夜。

「普通ですね」

 俊介が言った。

「はい」

「もっと特別にする人も。私たちは?」

「今日を大きくしすぎない。でも、小さくもしない。覚えておく」

「はい」

     *

 夜。同じベッド。俊介が言う。

「おやすみなさい、真尋」

「おやすみなさい、俊介」

「妻とは呼びません」

「ありがとうございます」

「夫は?」

「俊介」

 二人は声を立てて笑った。

     *

 翌朝、真尋は俊介より早く目を覚ました。

 婚姻届を出した翌日。何も大きく変わっていない。俊介の寝息。カーテン。部屋。

 真尋は静かに起きた。台所。コーヒー。スマートフォン。

 会社からのメール。大阪の案件。葵からは何もない。母。俊介の母。

 生活が続く。

     *

 俊介が起きてきた。

「おはようございます」

「おはようございます」

「夫婦二日目」

「数えないでください」

「今日は?」

「午前は一緒に。午後、自分の部屋へ戻ります」

 俊介の顔が曇った。

「寂しいですか」

「はい」

「止めますか」

「止めません。でも、今日帰ることを、結婚したから逃げると解釈しそうです」

「どうすれば?」

「今、話します」

「一人で、昨日のことを整理したいです。俊介から離れたいのではなく、自分の生活へ戻る時間が必要です。今夜、電話します。明日の朝、大阪へ」

「はい」

     *

「真尋」

 俊介が言った。

「僕も、午後に友人と会います」

「誰ですか」

「北川さんたち」

 胸が痛む。

「結婚した翌日? 前から?」

「昨日、誘われました。真尋が自分の部屋へ戻るなら、僕も、自分の生活をします」

「はい」

「嫌ですか」

「少し」

 真尋は正直に答える。

「でも、行ってください。写真は?」

「送ります」

 二人は、自分の生活へ戻る。

     *

 午後、真尋は東京の自分の部屋へ帰った。

「ただいま」

 夫婦になった後も、この部屋へ帰る。

 洗面所。自分の歯ブラシ。俊介の歯ブラシ。葵の未開封のもの。三つの場所。

 真尋は鞄を置き、窓を開けた。

 生活ノート。

『婚姻届を提出した』

『俊介が水口姓を選んだ』

『同じ家へ毎日帰らない夫婦になった』

『結婚した翌日、自分の部屋へ戻った』

『俊介も友人へ会った』

『寂しかった』

『でも、互いの生活を止めなかった』

 最後に。

『家族になっても、当然を作らない』

     *

 葵も、自宅でノートを開いていた。

『真尋が結婚した』

『おめでとうと言った』

『まだ嫌』

『でも、やめてとは言わなかった』

『真尋の場所をなくさないでと求めた』

『一人では約束できないと言われた』

『二人で続けることを選ぶ』

 葵はペンを止めた。

 真尋の結婚。終わりではない。同じでもない。

 名前のない場所は、変わった。今はまだ、何が変わったかすべてわからない。

     *

 その夜、真尋と俊介は予定通り電話をした。

『北川さんたちは?』

「結婚祝いをしてくれました。写真、送ります」

『はい』

『真尋は?』

「一人で過ごしました。母と電話。葵とも短いメッセージ。少し眠りました」

『夫婦なのに、別々の夜。寂しいです』

「私も」

『でも、明日大阪。行ってらっしゃい』

「行ってきます」

     *

 翌朝、真尋は新幹線へ乗った。

 婚姻届提出後、初めて大阪へ戻る。名字は変わらない。部長。水口真尋。

 だが、会社への届出には、配偶者の欄が増える。緊急連絡先の最初に、俊介。次に母。

 葵の名前は、会社の緊急連絡先には書かない。

 それで大切さが小さいわけではない。役割が違う。

     *

 新幹線の中。俊介から。

『会社へ名字変更を出します。今日から、社内では旧姓のままです。公的には水口です』

『不思議です』

『僕も』

 葵から。

『今日、大阪?』

『はい』

『行ってらっしゃい』

『行ってきます』

『今度、大阪へ行く時』

『はい』

『ただいまって言う』

『はい』

     *

 大阪へ到着。真尋は部屋へ戻る前に会社へ向かった。

 山岸。森田。支社長。婚姻の届出は人事へ提出している。職場で大きく発表はしない。

 だが山岸には、以前から話していた。

「おめでとうございます」

 朝、山岸が言った。

「ありがとうございます」

「名字は?」

「変わりません」

「俊介さんが?」

「はい」

 山岸は驚いた顔をし、それから笑った。

「では、水口さんが二人になったんですね」

「はい」

     *

 森田も、昼休みに言う。

「結婚、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「大阪は続ける?」

「はい」

「安心しました」

「私の結婚より、仕事ですか」

「仕事の人なので」

「はい」

     *

 真尋は部長席へ座った。

 夫婦になっても、仕事は同じように始まる。決裁。会議。山岸の相談。森田の地域報告。

 午後には、二拠点勤務の最終運用確認。東京滞在の日数。大阪での責任。緊急時。連絡経路。

 会社は、真尋が結婚したことより、部長としての働き方を見る。それでいい。

 二拠点開始まで、あと二か月。

 山岸は大阪の現地運営を増やす。森田は地域間調整。真尋は東京本社との交渉を担当。

 結婚。二拠点。葵の仕事。すべてが同時に進む。

     *

 数週間後、葵の新商品は試作品開発へ進んだ。

『今日を始めた、それだけで。』

 味。量。朝。価格。

 責任者候補として、葵が会議を進める。南雲は一歩後ろ。石橋は、必要な時だけ。

 葵は自分で決める。

 真尋へ話したいことが増える。だが、真尋も結婚後の手続きと二拠点準備で忙しい。

 会う日が一度延期になる。今度は真尋ではなく、葵の仕事で。

『日曜日、会えなくなりました』

 葵からメッセージ。

『試作品の追加会議ですか』

『はい』

『わかりました』

『ごめん』

『謝らなくていいです』

『埋め合わせ』

『しません』

『はい』

『次に会える日を』

 二人は予定を確認した。三週間後。

『長い。真尋、寂しい?』

 真尋は考え、正直に送る。

『寂しいです』

 葵から。

『よかった』

『なぜ?』

『物わかりよくされなかった。でも、仕事へ行く』

『行ってらっしゃい』

     *

 三週間後、二人は東京のカフェで会った。

 真尋は結婚後、初めて葵と直接会う。指輪はまだない。見た目は変わらない。

 葵は最初、真尋の左手を見た。

「ない」

「指輪はまだ」

「買う?」

「検討中です」

「俊介さんと?」

「はい」

     *

「結婚した真尋」

 葵が言った。

「何か違いますか」

「まだわからない。私を見る時は同じ。でも、帰る場所が増えた。俊介さんの家。家族」

「はい」

「嫌。でも、前より言える。おめでとう」

 二度目。直接。

「ありがとうございます」

 真尋は頭を下げる。

「他人みたい」

「では」

 真尋は葵を見た。

「ありがとう、葵」

 葵の目が潤む。

     *

「新商品」

 真尋が言った。

「聞いて」

 葵は資料を広げた。

『今日を始めた、それだけで。』

「どう思う?」

「葵らしいです」

「前の商品に似てる?」

「少し。でも、向いている時間が違う」

「うん」

「前は、止まる。今回は、始める。ただし、始めただけで十分だと」

「真尋に見てほしいと思って作ったわけじゃない。でも、見てほしい」

「見ています」

     *

 葵は、会議で決めたことを話した。味。朝。量。営業の反対。価格。責任者候補として、何を捨てたか。

「最初、二種類の味を残したかった。でも、予算で一つ。決めた」

「どちらを?」

「塩味」

「なぜ?」

「朝に甘すぎない。もう一つは、私が好きだった。でも、売る商品として選ばなかった」

「はい」

「南雲さんに、責任者は自分の好みを捨てる時もあるって。悔しかった。でも、決めた」

「よく頑張りました」

「今のは、仕事の評価?」

「葵を大切に思う人として」

「はい」

     *

 二人は三時間話した。

 結婚。新商品。二拠点。大阪。俊介。山岸。森田。母。

 すべて一度に同じ重さではない。話せるところから。

     *

 別れる前、葵が言った。

「真尋。結婚した日、私の発表と同じじゃなくてよかった。でも、変えてもらったこと、まだ少し申し訳ない。俊介さんに、ありがとうって言う?」

「必要ありません。言わないでください」

「わかりました」

「俊介が葵のために譲ったのではなく、私たちが、自分たちの結婚日を選び直した。葵は、自分の発表日を大切にしてください」

「はい」

     *

「真尋の結婚記念日」

 葵が言った。

「来年も、私は別の予定を入れていい?」

「もちろんです」

「会わなくても? 連絡だけ?」

「はい」

「おめでとう、言えなかったら?」

「はい」

「でも、多分言う」

「ありがとうございます」

     *

 駅。別れる。

「行ってきます」

 葵が言った。

「行ってらっしゃい」

「真尋は、どこへ?」

「俊介の部屋へ」

 胸が痛む。

「葵は?」

「自分の部屋。明日、仕事」

「はい」

「それぞれの家。名前のない場所は?」

「今日、ここにありました」

 葵は笑った。

     *

 真尋は俊介の部屋へ向かう。葵は自分の部屋へ。

 同じ駅から別々の電車。

 誰かの家へ帰る人。一人の部屋へ帰る人。どちらも、自分の生活。

     *

 婚姻届を出したことで、真尋と俊介の不安は消えなかった。葵の寂しさも。俊介の嫉妬も。真尋の一人になりたい気持ちも。

 何も消えていない。ただ、責任の名前が増えた。

 夫婦。家族。その名前の中で、当然を作らずに話す。

 葵の商品も、試作へ進んだから成功したわけではない。味が通らない可能性。価格。売上。責任者になれない可能性。

 それでも、葵は自分で決める場へ進んだ。

 真尋の二拠点生活も、間もなく始まる。

 東京と大阪。俊介の家。自分の東京の部屋。大阪の部屋。三つの鍵。

 どこへ帰るかを、毎日自分で選ぶ。誰かを選ばなかったことにはしない。その日の生活を選ぶ。

     *

 夜。俊介の部屋。

「お帰りなさい」

 俊介が言った。

「ただいま」

「葵さんは?」

「新商品の話を」

「元気でしたか」

「はい」

「結婚については?」

「おめでとうと、直接」

 俊介が安心した顔をした。

「よかったです」

「嫉妬しますか」

「します。でも、聞きます」

「はい」

     *

 真尋はコートを脱いだ。自分のカップ。自分の部屋着。少しずつ増えた物。

 俊介の家が、自分の家へ近づいている。

 それでも、明後日は大阪。次の東京滞在では、自分の部屋へ先に帰る。夫婦になっても。

     *

 葵は自宅へ戻る。

「ただいま」

 新商品資料。全国発売版の商品。大阪の写真。真尋の結婚。自分の仕事。

 すべてが同じ部屋にある。

 葵はノートへ書いた。

『真尋が結婚した』

『私は、新商品の責任者候補として進んでいる』

『二つは、同じ大きさでなくてもいい』

『どちらかが、もう一方を消さなくていい』

『真尋の結婚記念日と、私の発表日は別の日になった』

『でも、どちらもそれぞれの生活の中にある』

     *

 真尋も、俊介が風呂へ入っている間にノートを開いた。

『婚姻届を出した』

『夫婦になった』

『翌日、自分の部屋へ戻った』

『葵から、おめでとうと言われた』

『葵の新商品発表と、提出日を分けた』

『誰かを優先したのではなく、重ねないことを選んだ』

『家族になっても、ほかの大切な日を小さくしない』

 最後に、真尋は書いた。

『同じ家へ帰らない日にも、夫婦である』

 その下へ。

『会えない日にも、葵との場所はなくならない』

『ただし、どちらも何もしなくても続くわけではない』

『話す』

『選ぶ』

『戻る』

     *

 俊介が戻ってきた。

「何を書いていました?」

「生活のこと」

「見ても?」

「今日は、見せません」

「はい」

 俊介は、それ以上聞かない。

     *

 二人は照明を落とした。同じベッド。

 明日は、それぞれ仕事。明後日、真尋は大阪。俊介は東京。葵も東京だが、会わない。

 それぞれの予定。

 同じ家へ帰る日。別の部屋へ帰る日。誰かへ会いたい日。会えない日。見てほしい日。一人で決める日。

 すべてが、一つの関係だけへ集まらない。

     *

 真尋は目を閉じた。

 隣に俊介。遠くに葵。大阪には、山岸や森田。母は自分の家。

 誰も、真尋を待つために生活を止めてはいない。真尋も、誰かを待つだけではない。

     *

 二つの部屋のあいだ。三つの街のあいだ。名前のある関係と、名前のない場所のあいだ。

 真尋は一つを選んで、ほかを消すのではなく。それぞれの違いを引き受けながら、生きることを選んだ。

 簡単ではない。何度も傷つく。

 それでも、決めた後にも迷ってよい。迷いながら、今日を始める。

 真尋は俊介の寝息を聞きながら、静かに眠りへ入った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。