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鬼を倒した三匹のその後〜犬は花を咲かせ、猿は討たれ、雉は鳴きました〜  作者: 本咲 サクラ


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4/5

三粒目 雉と、鳴かずばよかった

 雉が山道を歩き続けていたのは、特に目的があったわけではない。


 桃太郎の屋敷を離れた夜から、雉はただ歩いていた。

 鳥なのだから飛べばよいのだが、鬼ヶ島の戦いで右の翼を痛めて以来、長距離の飛行ができなくなっていた。

 短い距離なら飛べるが、それも以前のような滑らかな飛び方ではなく、どこか頼りなく地面に近い高度しか取れない。雉は地を歩くという経験を、桃太郎の供をするまで知らなかった。

 地面はどこも均一ではなく、湿った場所もあれば、石が露出した場所もあり、虫に足を噛まれることもある。

 空を飛ぶときには気にしなくてよかった疲労が、毎日少しずつ雉の身体に積もっていった。


 そうして山をいくつも越えた末、雉が辿り着いたのは、信濃の犀川という大きな川の畔にある小さな村だった。


 その村が貧しいことは、入り口の藁葺き屋根の傾きを見ただけで察しがついた。

 畑は痩せ、子供たちの着物は何度も継ぎ当てられ、川沿いの土手には毎年の氾濫で削られた跡が深く刻まれている。

 雉は村外れの林に身を寄せ、しばらくその土地の様子を眺めていた。

 鬼ヶ島へ向かう途中で通り過ぎた村々と、似ているようで違う。鬼の脅威こそないが、別の種類の重い雰囲気がこの村には漂っていた。


 ある夕方、雉が枝に止まっていると、村の端の小さな家から、男が畑仕事を終えて戻ってきた。


 「お〜い、帰ったぞ〜」


 男がそう叫ぶと、家の表で手まりをついていた小さな娘が顔を上げ、嬉しそうに駆け寄った。

 父と娘の二人暮らしらしいことは、その光景だけで分かった。母親の姿はどこにもなく、家の中もひっそりとしている。

 父親は娘の頭を撫で、何度も「いい子じゃ」と繰り返した。痩せた手と、すり減った笑顔だった。


 雉はその家の近くに数日留まった。


 なぜ留まったのかは、雉自身にも説明がつかない。

 鬼ヶ島へ向かう道で、桃太郎が貧しい村に立ち寄るたびに、雉は枝の上から人々の暮らしを観察してきた。

 観察することは斥候の役目であり、敵の所在を見極めるための訓練でもあった。

 しかし、この村に敵はいない。

 ただ、娘の手まりの音と、その父親咳の音が、雉の耳の中で奇妙に同じ重さを持って響いていた。


 その年も、雨の季節が来た。


 雉は知らなかったが、娘はその頃から重い病を患い始めていた。

 家の中から聞こえてくる咳と、夜更けまで消えない灯りの細さが、体調の変化を雉に伝えていた。

 父親は朝早く家を出て薬草を探し、夕方には疲れた背中で戻ってくる。

 それでも娘の病は重くなるばかりで、ある晩、雉は父親が家の中で泣いているらしい気配を感じた。

 鳥には人の涙は見えないが、肩の落ち方というものは、空からよく見える。


 ある夜のことだった。


 雉が枝で眠ろうとしていると、家から父親がそっと出てきた。

 雨の中、頭巾を深く被り、手には小さな布袋を握っている。

 普段の畑仕事の時とは違う、何かを決めた人間の足取りだった。

 雉は無意識のうちに首を傾げ、その背中を目で追った。


 父親は、村の中心にある大きな屋敷の方角へ歩いていった。

 地主の家だ、と雉は察した。

 昼間、その屋敷の前を通った時に、米俵と小豆の俵が裏手に積まれているのを見ていた。

 雨が降っているとはいえ、夜更けに地主の家へ向かう男の足取りには、訪問とは別の意図が滲んでいた。


 しばらくして、父親は布袋を膨らませて戻ってきた。

 それを抱えるようにして家の中へ消え、しばらくすると煮炊きの匂いが立ち上った。小豆と米を炊く、甘く、貧しい家には不釣り合いな匂いだった。

 雉はその匂いを枝の上で嗅ぎながら、地主の倉から消えたものと、今この家に立ち上る匂いとを、頭の中で結びつけていた。


 翌日、地主の家では米と小豆が盗まれたことに気づき、番所へ届けが出されたという話を、雉は村人の井戸端の会話から拾い上げた。

 下手人の見当はついていない、と村人たちは話していた。


 そして数日後、娘の病は嘘のように回復した。


 病が癒えた彼女は、雨上がりの表で手まりをついて遊び始めた。

 小さな手で繰り返し地面に弾ませる手まりの音と、口から零れる歌が、雉の耳に届いた。


 とんとんとん、オラん家じゃ美味しいまんま食べた。小豆の入った小豆まんま、とんとんとん。


 雉は枝の上で凍りついた。


 その歌の意味を、雉は瞬時に理解した。

 鬼ヶ島で敵の位置を察する斥候として鍛えられた直感は、こうした場面で迷うことを許さない。

 地主の倉から消えた小豆と米。

 雨の夜の父親の足取り。

 家から立ち上った煮炊きの匂い。

 そして、無邪気に歌う娘の声。

 これらが繋がれば、父親の身に何が起こるかは、雉にはあまりに明白だった。


 歌は、村中に届く前に止めなければならない。


 雉はそう判断した。判断と同時に身体が動いた。

 鬼ヶ島で何度もそうしてきたように、危険を察知すれば鳴いて知らせる、それが雉の唯一の生き方だった。


 雉は嘴を開いた。

 ケェーン、と鋭い声が雨上がりの空に響いた。


 誰に向かって鳴いたのか。

 桃太郎はもういない。

 鬼もいない。

 鳴いて知らせるべき味方というものが、この村のどこにもいなかった。けれど、鳴くことで何かを止められると、鬼ヶ島での成功体験を状況の違うこの村に持ち込んでしまった。


 娘の手まり歌は一瞬中断した。

 けれどそれだけだ。子供は雉の声に振り向き、空を見上げて、すぐにまた手まりに戻った。歌の続きを口ずさみながら。


 問題は、別のところで起きていた。


 雉の鳴き声を聞いて、畑から顔を上げた村人がいた。手を止めて、声の方角を眺めた。

 そうして耳が空いた一瞬に、娘の歌詞がはっきりと聞こえてきた。

 小豆まんま、と歌う彼女の声が、村人の頭の中で、地主の倉から消えた小豆と結びついた。


 その村人は、しばらく考え込み、それから鍬を肩に担いで、村長の家の方角へゆっくりと歩き出した。


 雉は枝の上で、自分が何をしたかを理解した。


 歌は、雉が鳴かなければ、村人の耳をすり抜けていたかもしれなかった。

 少なくとも、その瞬間にあれほど明瞭には届かなかった。

 雉の鋭い一声が村人の意識をいったん遮断し、その遮断が解けた直後に空いた耳の隙間へ、ちょうど彼女の歌詞が滑り込んでしまった。

 鬼ヶ島で訓練された斥候の鳴き声は、皮肉なことに、この村ではただの引き金として機能した。


 その夜、役人が父娘の家へやって来た。


 ドンドンドン、と戸を叩く音が雉のいる枝まで届いた。

 父親は抗わなかった。

 娘の頭を撫で、「じき戻る」とだけ言って役人に従って出ていった。

 娘は泣きながら追いかけたが、父の背中はやがて夜の道に消えた。


 雉は飛ばなかった。飛ぶことができなかった。

 痛めた翼のせいではない。

 何かを為したという自覚が、雉の身体から動く力を奪っていた。


 数日後、犀川の氾濫を鎮めるための人柱として、父親は土手に埋められた。

 たった一握りの米と小豆を娘のために盗んだ、それだけの罪の代償としては、あまりに重い。

 同情する村人も多かったが、雨は止まず、川は今にも溢れそうで、儀式は止められなかった。


 娘は父親の死を知ってから、泣き続け、やがてぷっつりと声を発さなくなった。


 雉は、その村を離れられなかった。


 離れる理由がなかった、というよりは、離れることが許されないと感じていた。鬼ヶ島で覚えた「鳴いて知らせる」という生き方が、この村で人を一人殺した。

 その事実から逃げる権利は、自分にはないと雉は思った。


 何年も経って、娘は少女から女性になり、それでも口をきかないままだった。


 ある日、雉は林の中で羽を休めていた。

 年を取り、翼の傷も完全には癒えず、もう長くは生きられないことを自分でも感じていた。

 そこへ、銃を持った猟師が通りかかった。

 雉は逃げなかった。

 逃げる気力がなかったのか、逃げる必要を感じなかったのか、自分でも判別がつかなかった。


 雉は、最後にもう一度、鳴いた。


 今度は誰かに知らせるためではなかった。

 役割としてでもなかった。

 ただ、自分がここにいたという証を、声として残しておきたかった。それだけだった。


 ケェーン、と短く響いた。


 猟師が振り返り、銃を構え、引き金を引いた。

 雉は撃たれて、草むらの中へ落ちた。


 猟師が落ちた雉を探して草むらをかき分けたとき、そこには、撃たれた雉を抱きかかえる女性が立っていた。

 何年も口をきかなかった娘だった。

 彼女は冷たくなった雉の体をそっと胸に抱き、長い沈黙の末に、初めて声を発した。


 「雉よ。お前も鳴かずば、撃たれまいに」


 娘がその言葉に、自分の手まり歌のことを重ねていたのかどうか、雉にはもう確かめようがなかった。

 ただ、その腕の中で雉は最後にひとつだけ理解した。

 鳴くという行為が誰かを救うこともあれば、誰かを破滅させることもあるという、当たり前すぎて、鬼ヶ島では一度も考えなかったこと。

 鳴くことを役割としか思ってこなかった自分にとって、その理解は遅すぎた。


 娘は雉を抱きかかえたまま、林の奥へ歩いていった。そして、それきり彼女の姿を見た者は誰もいなかった。


 ただ、娘の最後の言葉だけが後の世に諺として残った。

 雉も鳴かずば撃たれまい——その言葉の中に、桃太郎のお供だった一羽の鳥の名前は、もう含まれていない。

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