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鬼を倒した三匹のその後〜犬は花を咲かせ、猿は討たれ、雉は鳴きました〜  作者: 本咲 サクラ


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3/5

二粒目 猿と、握りしめたもの

 鬼ヶ島から帰った猿は、自分が以前の自分ではないことに、しばらく気づかなかった。


 桃太郎に拾われる前の猿は、木の上で実を齧り、群れの末席で小突かれ、誰の目にも留まらないまま日々を過ごしていた。

 実を取りに行けば年長の猿に横取りされ、水を飲みに行けば順番が回ってくるまで延々と待たされた。それを不当だと思ったことはない。

 群れの序列とはそういうものであり、自分はその序列の下の方にいる猿だ、というだけの事実を、猿はただ受け入れていた。


 きびだんごを差し出されたあの日も、特別な高揚があったわけではない。

 甘いものを差し出されたから手を伸ばし、桃太郎の言葉に頷いた。それだけのことだった。

 鬼退治がどれほど危険な旅であるかも、英雄に同行することが社会的にどういう意味を持つのかも、猿には実感がなかった。

 きびだんごの甘さの方が、はるかに具体的だった。


 ところが、鬼ヶ島で猿は鬼を倒した。


 鬼の腕に爪を立て、首筋に噛みつき、桃太郎が刀を振るう瞬間まで鬼の動きを封じ続けた。

 最初は怖くて目を閉じていたが、途中から自分の手と歯が確かに鬼の肉を抉っていることに気づき、その実感が恐怖を上回った。

 鬼が倒れたとき、犬と雉と桃太郎が同時に勝鬨を上げた。

 猿もその輪の中で叫んだ。生まれて初めて、自分の声を上の方から聞いてもらえた瞬間だった。


 その記憶が、村に戻ってからも猿の中で温度を保ち続けた。


 褒美の魚を食べながら、群れの末席だった日々を思い返した。

 あの頃の自分なら、年長の猿に小突かれて当然だった。

 しかし、今の自分は鬼を倒した。桃太郎の隣で戦った。

 同じ猿だが、自分は確かに別の何者かになっている。誰かにそれを認めさせたいという衝動だけが、胸の奥でゆっくりと熱を持ち始めていた。


 川沿いの里にひとり下りたのは、その熱の行き場を探していたからかもしれない。


 岸辺の石に腰掛けた一匹の蟹を見つけたとき、猿は最初、特に何も思わなかった。

 蟹は小さな柿の種を胸の前で大事そうに抱え、傍らにはおにぎりが置かれていた。

 日向に温められた甲羅の艶が、どこかのんびりとした生活の匂いを放っていた。

 猿はその場に立ち止まり、しばらく蟹を眺めていた。


 胸の奥で、何かがゆっくりと動いた。


 鬼を倒した自分なら、この蟹一匹を出し抜くなど造作もない——その考えが頭に浮かんだ瞬間、猿は自分が以前の猿ではなくなっていることを、初めて自覚した。

 鬼ヶ島の興奮が、村人の歓声が、桃太郎の頭を撫でる手が、何重にも重なって猿の背中を押していた。


 「その種と、おにぎりを交換しないか」

 声をかけながら、これは騙しだという自覚はあった。

 種の方が長く食えると説いてみせる自分の声が、どこか別の場所から聞こえてくる気がした。

 きびだんごをもらった日の自分なら、こんなことはしなかった。あの日の自分は、ただ甘いものを差し出されて尾を振っただけの、群れの末席にいた小さな猿だった。

 鬼を倒したことで、自分は何者かになった。

 何者かになった以上、その力に見合った扱いを世界から受け取る権利がある——その思考の歪み方が、自分の声を遠くに感じさせていた。


 蟹は素直におにぎりを差し出し、種を受け取って嬉しそうに帰っていった。

 猿はおにぎりを口に運んだが、米が喉の途中で引っかかって、半分も飲み込めなかった。

 それでも猿は、自分のしたことを後悔だとは認めなかった。

 鬼を倒した者には、これくらいの裁量があるはずだ、と自分に言い聞かせた。


 数日後、蟹が育てた柿の木が立派に実をつけたという噂を耳にした猿は、再び里へ下りた。

 今度は一人ではなかった。

 近くの群れにいた猿たちに声をかけ、鬼退治の話を交えながら、柿の木の場所を共有した。

 鬼を倒した自分の言葉なら、誰もが従う。

 実際、群れの猿たちは喜んで猿の後について歩き、柿の木の下に着く頃には、すっかり猿を頭目のように扱っていた。


 木に登り、熟した実を選んで食べ、青く硬い実を蟹に投げつける。それは集団で行えば祭りのようなもので、群れの猿たちは投げるたびに笑い声を上げた。

 甲羅が割れる音がして、子蟹たちが母親の周りに散らばっていく光景を、桃太郎のお供だった猿は枝の中ほどから見下ろしていた。

 自分が直接実を投げてはいない、というのは事実だった。

 だが、群れを率いてここまで来たのは自分であり、最初に蟹から種を取り上げたのも自分だった。


 胸の奥にあった熱が、急に冷えた。


 子蟹の鳴き声というものを、猿はこれまで一度も意識して聞いたことがなかった。それは小さく、頼りなく、しかし途切れることなく続いていて、川の音にも風の音にも紛れずに、猿の耳に刺さり続けた。

 母親の蟹は動かなくなり、子蟹たちはその周りを離れようとしなかった。

 群れの猿たちが満足して引き上げた後も、猿は枝から下りられず、長いことその光景を見下ろしていた。


 夕方近くになってようやく木を下り、猿は川岸の石に腰を下ろした。

 手のひらを見下ろすと、あの日のおにぎりの感触がまだ残っているような気がした。

 きびだんごをもらった頃の自分なら、こんなことはしなかった。だが、鬼を倒さなかったらきびだんごをもらった意味もなかった。

 どこで線を引けばよかったのか、猿には分からなかった。


 川の音が、子蟹たちの鳴き声を少しずつ吸い込んでいき、やがて元の流れに戻った。

 猿はその場から立ち上がれなかった。

 鬼を倒した英雄として里に迎えられる道も、群れの末席に戻る道も、自分の手で塞いでしまったことを、ようやく理解し始めていた。

 しかし、猿が立ち上がれなかったのは、後悔のためだけではなかった。


 川岸を離れずにいる間に、子蟹たちは育っていた。

 母親を亡くした子蟹たちは、傍にいた栗と、臼と、蜂と、牛糞と語り合い、復讐の機会を待っていた。


 猿がもう一度自分の家へ戻った日、四者は猿の家に潜み込んだ。

 栗は囲炉裏の中で熱せられて猿の顔に飛び、蜂は水瓶の陰に潜んで猿の手を刺し、牛糞は土間で猿を滑らせ、最後に臼が屋根の上から落ちて猿の身体を押し潰した。


 猿が最期の瞬間に何を考えたのかは、誰も知らない。

 鬼を倒した手と、蟹を騙した手と、群れを率いて柿の木に登った手——その全てが同じ一対の手であったことを、最期にもう一度確かめる時間は、猿に与えられなかったかもしれない。

 きびだんごの甘さを口の中で思い出すことすら、できなかったかもしれない。


 臼が猿の身体を押し潰したとき、子蟹たちは母親の名前を呼んだ。

 彼らにとってそれは復讐の完遂であり、同時に、自分たちの母親の死が無意味ではなかったことを確かめる儀式でもあった。

 後の世に語り継がれる猿蟹合戦の話の中で、栗と臼と蜂と牛糞は知恵者として記録され、子蟹たちは健気な孝行者として称えられた。

 悪役を務めた猿の名前は、ついに記されなかった。

 鬼ヶ島で英雄に仕えた猿であったという事実も、その猿が蟹を騙したという事実とは結びつけられないまま、二つの物語は別々の流れとして語り継がれていった。


 桃太郎のお供だった猿は、こうして二つの物語の間で、名前を持たないまま死んだ。

 鬼を倒した英雄譚の中では「お供のひとり」として、猿蟹合戦の中では「悪い猿」として、別の文脈で猿という総称で扱われた。

 同じ猿の話だと知っている者は、もうどこにもいない。

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