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左近景永

第17章

 にじり口からそろそろと茶室に入ってきた景永に、伊都は亭主として背筋を伸ばし、優雅に微笑みながら座って待っていました。


 「突然の来訪にもかかわらず、恐縮至極に存じます、伊都殿」

 「いえ、左近殿、特におもてなしもできないかもしれませんが、ご容赦願います。このような手でございますので、本日は私の代わりに半東ばんとうが一服ご用意させていただきますので、何卒お許しください。」

 そう挨拶しながら、伊都はさりげなく、まだ和紙に包まれた自分の右手首をそっと見せました。

 「傷の具合はいかがでしょうか?」

 「上様のご厚意で、すぐ金創医の方が処置してくださいましたので。痛みも引いたところでございます。」

 

 京の街を出たところで伊都を襲ったのは、伊都を帰国させようとした義彰に難癖をつけた左近景永の手の者だという噂が流れていたのですが、その真相を確かめようと、伊都はわざと手元を見せて反応を観察しようと思ったのです。景永もその意図を察したのか、目をそらさず、あえて鋭い目でじっくりと伊都の手元を見つめてから、こう言ったのです。

 「あのときの私の警告を、義彰殿が気づいてくださっていたら、こんなことには…」


 この発言の意味を伊都が考える隙を与えず、景永は急に陽気な表情になり、懐から取り出した懐紙を拡げながら言葉を続けました。

 「ところで、干菓子代わりにと思いましてな。交流のある南蛮商人から甘いものをいただいたので。ボーロというそうですが、ご存じですかな。日持ちも良いものなので、高級品でなければ戦の携帯食にもしたいくらいですな。」

 「それは、貴重なものを。とよ、受け取ってください。」


 亭主のかわりに茶を点てるために水屋から入ってきたとよに、景永はそのボーロの包みを渡し、それからしばらくの間、伊都も景永も黙ったまま、静かにお茶をいただいたのでした。


とよが二人が飲み終わった椀を下げて、水屋に姿を消すと、おもむろに景永は口を開きました。

 「私が持ち込んだボーロを、何の躊躇もなく口になさるとは。伊都殿、恐れ入りました。」

 「左近殿、面白いことをおっしゃいますのね。私など、主君を失い、引退した元右筆に過ぎません。しかも利き手まで失いました。私の価値など、この世にはもうございません。左近殿ともあろう方が、わざわざ私のような者を始末する必要など、ないではありませんか。」


 この伊都の言葉に、なんと景永は上機嫌になって笑いだしました。

 「さすが、あの義彰殿がずっとそばに控えさせていただけの方ですな。素晴らしい。まるで歴戦の武将のように肝が据わっている。」

 「ここは茶室です。ここでお会いする者同士、身分も地位も関係ございませんわ。」

 「なるほど、なるほど。確かにその通りです。では、私も単刀直入に申し上げましょう。ここに伺ったのは、伊都殿のこれからについてです。」

 「どのようなお話でしょうか?」

 「義彰殿亡きあと、後継は家臣団の参謀の一人、義彰殿の妹婿である昌義殿に決まったと公にされました。」

 「その通りでございます。」

 「伊都殿、あなたは右筆として昌義殿にお仕えになるおつもりでも、今は筆が持てない。すでに昌義殿付の右筆はいらっしゃるでしょう。後盾を失い、お役目も果たせないとなってしまい、どうなされるおつもりですか?」

 「そうですね、元々育った尼寺に戻り、静かに義彰殿の菩提を弔いたいと考えております。」

 「今初めて目をそらしましたね。それは伊都殿の本心ではないのでしょう?」


 言葉に詰まった伊都に、景永は続けました。

 「ぜひ、当家においでになりませんか。あなたに才能と勇気をぜひ当家に役立てて頂きたい。あなたほどの方なら、右手で書けなくても、左手で鍛錬すれば、すぐに書けるようなるでしょう。あなたほどの人材は、そうはいない。」

 

 義彰と対抗していたとはいえ、それだけの実力にある武将領主に自分を評価され、伊都は胸のうちに熱いものがこみ上げてきました。しかし、この腹の中には…。

 「お褒めの言葉、感謝いたします、左近殿。しかし長年お世話になりましたこの国を裏切ることが出来かねます。わたくしは右筆として、さまざまなことを見聞きしてまいりました。それを一切漏らさないことで、義彰様の信頼を得て、今まで生きながらえてきたのです。これは私の矜恃なのです。」

 「実にご立派な決意です。そのようなあなただからこそ、わたしはあなたを迎え入れたいと思ったのです。別に私はあなたから他家の情報を引き出そうとは考えていない。純粋にあなたの能力が欲しい。もちろん当家に仕えていただいたら、当家の情報は決して漏らさないで欲しいが、あなたはそれを守る人だと信じられるのです。」


 黙りこんだまま、ただ床の間の掛け軸を眺めている伊都の姿をみて、景永は

 「もちろん、すぐにお返事できないでしょう。ぜひ考えておいてください。本日はこのあたりでお暇いたします。最後にひとつだけ、お伝えしてきます。伊都殿の身の安全のために。」

 「私の?」

 「ええ、あなたを襲い、怪我をさせた郎党どもは、誰の指示を受けていたのか」

 「え?」

 「私が、京での会議の場で、上様の前で義彰殿に、あなたの帰国について、あのように物言いをつけたのは、たまたま私の密偵が、ある情報を得て、あなたの身を狙っている人間がいるのを知っていたからです。しかし義彰殿にそれを直接伝えることはできなかった。私が当時、義彰殿の周りに密偵をはなっていたことを、認めてしまうことになりますからね。まあ、上様はじめ、どこの領主でもやっていることですから、お互い様ですがね。」

 「左近殿が手下に襲わせたという噂は、私も違うとは思っておりました。」

 「そうでしょう? それでなければ私をここに案内してくださるはずがない。密偵の報告によれば、義彰殿の正妻、那珂殿をかつぐ一派が、あなたの命を狙っていると。信じるか信じないかは、あなたにお任せいたします。」

 「やはり、左近殿は、義彰様と敵対されていたわけではなく、何か共闘されたいとお考えだったのですね。」

 「その通りです。南蛮人たちとの商売上、お互い利益になることを考えておりました。そのためにも、義彰様が他のキリシタン大名たちのように上様から排斥される事態は避けたかった。あなたもご存じでしょう、お家騒動というのは、上様にとって格好のお取り潰しの理由になりますのでね。」


 景永を見送った後、伊都は再びひとり茶室にもどり、そのまま夜遅くまで考えを巡らせていたのでした。

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