交渉役 その2
第18章
久しぶりに会ったパオロと対面した伊都は、事前に蔵奉行の高盛と綿密に打ち合わせしておいたおかげで、落ち着いた気持ちで交渉を進めることができました。
「この鉄砲に関する交渉は、上様には明かせないこと、とおっしゃいましたが、我々が上様に、我々の最新式のマスケット銃を売ることは、問題ないということでよろしいでしょうか。」
「もちろんです。今の上様ならば、喜んで銀で買い上げてくださるでしょう。上様には鉄砲を作ることが出来る直属の職人集団をお持ちではないので、何度でも何挺でもお買いになるのではないでしょうか?」
「それはつまり、鉄砲を作れる職人をかかえているのは、義彰殿だけだと。」
「現在の当主は妹婿の昌義殿でございますが、彼のもとに門外不出の技を持つ職人たちを抱えておりますから。」
「上様は先の大きな戦いに勝たれて、すでにこの国とまとめる天下人になられたのでは?上様に逆らうこと、黙っておくことなど、できるのですか。我々との取引が知られたら、そちらが困ることになるのでは?」
「ご心配いただき、恐縮です。確かに、今、最も勢いがあり、多くの領主を配下として従えているのは上様でございます。ですが、まだこの国がこれで落ち着いたわけではございません。まだ上様に反目する勢力もございますし、もしかしたら、上様の権力を反復させようとする者が現れても不思議はございません。実際に過去にも、時の権力者に対し、突然そのような謀反をおこした者がございました。まだ上様には外にも内にも盤石な体制を整えられたわけではございません。誰がこの天下を統一するのか、我々もわからない状態です。パオロ殿も、まだ誰とでも取引を行う立場を維持されたほうが御身のためにもよろしいかと存じます。」
なぜ、直接上様に鉄砲を売ろうとしないのか疑問だったパオロは、ここではっきりと微妙なこの国の状況と、それそれの領土を持つ城主たちの力関係を理解したのでした。そしてこの島国は農民だけではなく、多くの商工民が活躍していて、ヴェネツィアと同じように貿易が経済を動かす原動力であると理解している支配層が領民を支配している、貨幣経済が行き渡った国だという事実を。
伊都の堂々とした交渉人ぶりにパオロはやや圧倒されながらも、まとまった数の鉄砲と硝石を購入するだけの金がなかったため、仕方なくこう答えました。
「了解いたしました。こちらの鉄砲を仕入れるために、まずは我々も上様や、ほかの領主の方々に品物をお買い上げいただかなければなりません。とりあえず手付金をお支払いし、売買の予約という形で証書を取り交わすのはいかがでしょうか。上様もちろん、この取引は一切口外しないという約束も添えて」
「なるほど、そのように形で証拠を残すのは良いやり方ですね。同じ内容をそれぞれの言葉で書いた文書を二通作りましょう。」
伊都は、召使いに命じて、文机と紙を持ってこさせ、さらに自分の前の文机には筆と硯と墨の入った文箱、パオロの前の文机にはペンとインク壺を用意させました。
臨席していた通辞の声だけが響くなか、二人は静かにそれぞれ筆を走らせていましたが、やはり伊都はまだ左手が上手く使えないのか、ゆっくりと文字を書いていたため、先に書き終わったパオロは、かつての稽古の時間を思い出しながら、彼女の様子をじっと眺めていたのでした。
*****
その日の夕方に、伊都は再び蔵奉行の高盛と会い、証文二通を渡しました。
「そういうことで、高盛殿、このような証文を用意いたしました。昌義殿の花押をいただきとうございます。」
「明日朝一番にご説明申し上げよう。しかし、伊都、そなたいつの間に左手でも文字を書けるようになったのか。」
「ゆっくりと、でよろしければ何とか形になる程度でございます。聞き書きなどはとても対応できません。まだまだ右筆として一人前とは言えないと存じます。」
「そうか。まあ、昌義殿専任の右筆はおるし、そもそも今、彼に仕えることは避けたほうが良いかもしれぬな。」
「何かございましたでしょうか。実は私も気になっていることがございまして、高盛殿にご相談せねばならないお話が…。」
「昌義殿のことか? 遠慮なく話してほしい。内密にする。」
「あ、いいえ、昌義殿ではなく、那珂殿の側近たちのことでございます。」
伊都は、昨日突然、自分の屋敷に左近景永が訪れたこと。そしてそこで聞いたことを簡潔に高盛に説明したのでした。
「那珂殿の側近たちがか? 昌義殿の奥方ではなく?」
「私が襲われたときは、まだ義彰殿しか私の妊娠をご存じでなかったはず。それに昌義殿が後継者になったのはもっと後です。自分が産む子に家督を継がせたいと奥方が考えるようなことはないでしょう。」
「那珂殿に狙われるようなこと、何か身に覚えはないか?」
「那珂殿が昔から側室の立場の私に何か思うことは、個人的にはあったに違いございませんが、かといって、私に怪我を負わせたりするようなことはお考えにならないかと。上様の妹御でいらっしゃいますが、あの洗礼のときのことに限らず義彰殿にとても従順な方でいらっしゃいます。側近の者達が勝手に暴走したということはあるやもしれませんが。
もちろん左近景永殿の嘘かもしれませんし、誤報かもしれません。ただ、彼が嘘をついているとも思えませんでした。私を訪ねてきたのは、利き手を失って、義彰様も亡くなり、私が生活に困っているのではないかと思われたようです。もちろん妊娠の事実は気がついていらっしゃらないようでした。」
しばらく考え込んでいた高盛でしたが、意を決したように重い口を開きました。
「いずれにせよ、伊都殿、そなたはしばらく身を隠したほうが良いかもしれぬ。昨日も話したが、今、家臣団がふたつに割れかけているのだ。那珂殿の派閥と昌義殿の派閥と。そなたの妊娠を家臣団は皆知っているから、誰から狙われるかわからない。家臣団の誰も知らない場所に避難するのが得策だ。この屋敷は知られているし、どこか別の国で、我々との利害関係から大きな得がある者に密かに匿ってもらうのがよい。」
「我々との利害関係から大きな得がある者、ですか。」
「一人心当たりがある。パオロ殿だ」
「え?」
「彼は、我々から鉄砲を購入する資金に苦慮しているのだろう? 手持ちの交易品をすべて上様に売っても、おそらく資金不足のはずだ。我々の売る鉄砲の価格交渉をしてくるだろう。そこでそなたを安全なところに匿ってもらうことと引き換えに、価格交渉に応じるのだ。」
あまりの予想外の高盛の提案に、伊都は何も言えなくなってしまいました。
「向こうも出来るだけ早く鉄砲を手に入れたいはずだ。明日、義義殿の花押をいただいたら、それを手にすぐに二人で、パオロ殿のところへ出向くとしよう。伊都殿、腹を決めてくれ。私が命がけで家臣団が一つにまとまるようにする。それまでの間だ。耐えてくれ。」




